第107話 そして賢者は旅をする
「ふえええん……ふえええん……」
「おやおや、どうしたんだいエーリス。
いつもはお見送りで泣かない君が今日に限ってはそんなに涙を流して。」
抱き着くエーリスの背中をゆっくり撫でて宥める。
旅立ちの準備を終え、皆と一人一人顔を合わせて挨拶をし、エーリスにはまた春に会おうと笑いかけたときだった。
これまで彼女は泣きついたことなど一度もない。
淑女らしく涙をこらえ、また会いましょうと笑顔で見送ってくれるのがエーリスのいつもだった。
それなのに、今回はこんなに悲しそうに別れを惜しんでいる。
「ひっく……ごめんなさい、せんせい。
でも、へいかもいなくなって、サリもせんせいもいなくなるのがどうしてもつらくて……」
まあ、そうだよね。
今回のエーリスにはお別れする人数がちょっと多すぎるのだ。
数日前にはリアナと騎士団のみんな。
今回は僕と、ずっと修行を共にしてきたサリティさんがいなくなる。
あまりに賑やかであったミリアルデ家から、火を落としたように人がいなくなるのだ。
冬の寒さが厳しくなる中で、いつもいる人たちが一気にいなくなるのは、10歳そこそこの少女には耐え難かったのだろう。
普段なら止めるネーベルさんも、今回ばかりはエーリスを自由にさせている。
それだけ別れの回数が多かったということだ。
「お嬢様、大丈夫だ。
今回は次に春に会えることがわかっている。
だから、修行していたらあっという間だ。」
「……もう、サリはずっと修行の話ばかりですのね。
サリは寂しくなってくれないんですの!?」
「え?」
まさか自分の方に矛先がくるとは思わなかったサリティさんがたじろぐ。
「サリ、抱っこですの!」
頬を膨らませたまま、エーリスがそう要求する。
サリティさんは慌てて僕とトルマド殿、ネーベルさんの顔をおろおろと見渡している。
トルマド殿はにこにこしっぱなしだし、ネーベルさんは、少し息を吐いてそっぽを向いた。
僕は彼女のほうにエーリスを嗾ける。
サリティさんは、何とも恨みがましい顔で僕を睨んだあと、意を決したようにエーリスを抱き上げた。
「きゃっ!まあ、サリの目線は高いですわね。」
「お嬢様……。今回限りにしてください……。私にも立場がある?あります?」
困った風にエーリスとの立場の違いを言い含めるサリティさん。
その声はいつもと違ってどこか情けなくて、どこか優しかった。
エーリスはぺちぺちと両手でサリティさんの両頬を挟みながら言う。
「サリ、今日までありがとうですわ。」
「……」
「私、初めて肩を並べて術のお勉強をするということをけいけんできましたの。
そして、自分よりずっとゆうしゅうな術者というものがこうやって強くなれるって知りましたの。」
「ん。それはアルトゥス様で感じてたはず。」
サリティさんの言葉に、エーリスは首を振った。
「せんせいはさんこうにするほうがおこがましいですの。」
「それはいえてる。」
急に心外な言葉が飛び火してきたな。
サリティさんも頷くんじゃないよ。
「サリ、冬の間に私も学びますわ。また会えますわね?」
確認するように投げかけられた言葉に、サリティさんの顔がすっと引き締まった。
その少しの変化に、エーリスは少しだけ不思議そうな表情をする。
「……お嬢様、私は戦士だ。」
漏れて出た言葉は、大事なことを伝えるときの、静かで強いトーンだった。
例えエーリス相手であれ、理解してほしいと願うような声音。
「戦士は明日死ぬかもしれないという覚悟で生きている。だから、約束はしない。」
その言葉の重みに、エーリスは少しだけ悲しそうな顔をする。
だからこそなのだろうか。
サリティさんは笑顔で続けた。
「また会える日を楽しみにしていてくれ。それだけでいい。
戦士は約束はできないが、受けた恩と義理は、生きてる限り果たし続ける。」
そういって、大事そうにエーリスを支えながら、ゆっくり下ろした。
エーリスはちょっと考えた後、サリティさんの手をぎゅっと握った。
「……わかりました!サリ、ぶじをいのりますわ!」
「ん。ありがとう。私も春に会えるよう、生き延びられるよう頑張る。」
最後にエーリスは僕にもう一度抱き着きながら言った。
「せんせい。エーリスは頑張ります。
だから、せんせいもサリも、無事でいてください。」
「……サリティさんは約束してくれなかったけど、僕は約束するよ。また春にね。」
僕くらいは約束してあげなきゃね。
大丈夫、僕は強いし。
***
「もういいんすか?」
馬車まで戻ったところで、アレストくんが声をかけてくる。
彼も見送りの場に誘ってはいたんだが、自分は見送ってくれるほど親しい人はいないのでと断られていた。
一応元雇い主だったトルマド殿には挨拶したらしいが、くれぐれも僕をよろしく頼むということらしい。
「僕が面倒見る方だと思うんだけど。」
「似たようなこと言われたっす。
悔しいっすけど、今は飲みこむっすよ。」
続けられた言葉にアルトゥス殿なら心配ないだろうがという言葉と、せっかくだからまずは学んでくるとよいといった意味を含んだ言葉も送られ、従者としては複雑な気持ちになったアレストくんが不貞腐れている。
本人として、ある程度力量に差があると納得の上で今は着いてきている。
なので、言い返しはしてこない。
「アレストは強くなっている。焦らなくていい。」
「明らかに術師として一歩先に行かれてる姐さんに焦るなと言われても、説得力はないっすよ……」
実際リアナ一行が2人に残していったものは大きい。
サリティさんはリアナのアドバイスで励起の質がより堅牢な方向で成長していたし、【放出の励起】についてもリアナの理論を元に研ぎ澄ます方向でものにしてきている。
おかげで、アレストくんとの1対1の模擬戦では負ける要素がなくなってしまった。
だが、アレストくんもただ置いてかれたわけじゃない。
ベテラン騎士たちにほぼみっちり基礎体力と乱戦における剣士の心得を叩きこまれていた。
おかげでこれまでより明らかな搦手と隙の少ない戦い方を選べるようになっている。
現状こそサリティさんが地力の差で勝ってはいるものの、戦い方の上手さという面では格段の成長を見せている。
「二人ともいい感じに成長しているし、適時稽古はつけてくからね。」
「ん。楽しみ。」
「うへえ……。頑張るっす……」
アレストくんの声は情けないが、その奥には確かな闘志があった。
このまま差をつけられっぱなしでたまるものか。
そんな闘志を感じるし、サリティさんはアレストくんのそういう闘志を好ましく思っている。
なんなら追いつかれないようにしないとなんて思ってるかもしれないね。
そうして僕らはヴァルエルナを後にする。
最初は一人だった。
二度目も、一応は一人だった。
あの時はアレストくんではなく、ただの御者くんだったから。
3度目にして、1人じゃなくなった。
サリティさんはいつまで一緒にいてくれるのだろうか。
アレストくんはこれからもずっとついてくることができるのだろうか。
先のことはちょっとわからない。
でも、一緒にきてくれる人は守れるようにしたいな。
そういう過保護は彼らのプライドを傷つけるからあまり押し付けないようにはしたいけど。
「なあ、アルトゥス様。アーシェスタに戻ったら、ガルデス隊長と手合わせして驚かせてやろうと思っているんだけど。」
「鬼人ガルデスかぁ……。俺の剣、届くかなぁ……。」
こんな風にずっと上ばかり見てる2人なんだ。
守ってあげるなんていったら、凄く不満そうな顔をするだろうね。
彼らが僕といることに価値を感じ続けてくれるように、そういう無粋なことを言うのはできるだけ避けよう。
春が去っていった反対方向へ馬車は進む。
僕はごろんと寝っ転がって幌の天井を眺める。
アーシェスタの街とトゥガナトの森までは少しだけ遠い。
今度はどんな出会いがあるのだろうか。
少なくとも、再会を喜んでくれそうなファンガールがいることは確かだ。
アリヴィエ国内が落ち着いたことだし、今度こそ余計なことを考えずに仕事できるといいな。




