第106話 旅立ちの前日
「すまない、アルトゥス殿。いろいろと面倒をかけたようだ。」
「元々こちらが持ち込んだ迷惑なんだ。気にしないでくれ。」
申し訳なさそうなトルマド殿に対し、僕は心からの言葉で労う。
水面下の交渉から始まり、内乱の勃発。
その援軍として出陣。
挙句、その留守に隣国の王がお忍びで居座っていたのだ。
苦労という意味ではトルマド殿が一番背負い込んでいたといってもよい。
僕よりよほど苦労している。
さらにはようやく戻ってこれたと思ったら、その王は既に本国への帰路についていたとなれば、普通は途方に暮れる。
なのに、彼女が来た理由が僕のせいなんだと事情を説明したら大笑いしていた。
笑って済ませるられることではないというのに、剛毅な方だ。
ま、そういうところがいいんだけどさ。
「不在を謝罪する手紙は2通必要だな。
現時点で1通、お礼が届いたときに2通目だ。
2通目にはシルバナを鍛えてくれた礼と、次はお会いしたいと認めるとしようか。
あまり馴れ馴れしいと陛下にはご迷惑かな?」
「1通目でしっかり筋と礼儀を通していれば、腹を割った関係を好む方だよ。」
「はは、では私向きですな。」
トルマド殿は豪快に笑い、僕たちはグラスを軽く合わせた。
「シルバナを見守っていただき、本当に感謝する。
まさかあれほど顔つきが変わるとは思っていなかった。アルトゥス殿のおかげだ。」
「研ぎ澄ませたのは陛下だ。僕は発破をかけたに過ぎないよ。」
「そうかもしれませんが、1週間少しで私の横に並んでも遜色ない風格を纏うとは思いませんでしたからな。」
確かにシルバナくんは少し雰囲気が変わった。
今までは柔和な笑みとゆったりとした口調で、どちらかといえば一歩引いた立場でミリアルデ家を支えるような立ち位置。
控えめな後継者という印象が強かった。
けれど、リアナの王威に触れたことで、彼の中で何かが明確に形を持った。
「自分が将来この領を支えるのなら、どうあるべきか」
その問いに対する指標を、彼は確かに掴んだようだった。
立ち振る舞いは自然と引き締まり、誰かに指示する時も、以前よりはきはきと明瞭さを意識するようになった。
何より、戦帰りの父親に対して彼はこう言い放った。
「次は轡を並べるか、鞍を下ろすか悩ませます。」
これにはトルマド殿も一瞬言葉を失い、直後に豪快な笑い声をあげた。
「轡を並べるか、鞍を下ろすかときたか。
いやはや、私も早いうちにネーベルと隠居できそうで、嬉しくなりますな。」
「そういう割には生意気なと小突いていたではないですか。」
「私も父としてまだ尊敬される立場でいたいですからな。」
そういいながら、愛おしそうに家族での肖像画を見上げる。
父として、尊敬されるままでいたい。
父を超える男になってほしい。
どちらも等しく叶えたい願いなのだと、その瞳は雄弁に語っていた。
「……しかし、ようやく帰還したというのに。
賢者殿が入れ替わるようにここと発つことを決めていたとは残念だ。
もっといろいろな話をしたかったのに。」
「内乱も片付いた以上、のんびり冬が終わるのを待つわけにもいかないしね。
ちなみにグランバル氏は?」
「冬の間に内側を綺麗にしたら、雪解けとともに詫びに行かねばならんと気を引き締めてました。」
トルマド殿はそこで少しだけトーンを落とし、不安そうな面持ちで僕を見る。
「アルトゥス殿。
陛下はそんなにお怒りなのか?
グランバルのジジイは、儂ひとつの首で済みそうだと安堵しておったが。」
あんのジジイ。そんな心積もりでリヴェリナに行く気なのか。
「物言わぬ首より、屁理屈でも知を語る首を好む方だよ。
別の方法をちゃんと考えておくように手紙で伝えておいて。」
僕が呆れたようにそういうと、トルマド殿は安心したようにホッとため息をつく。
「必ず伝えよう。どうにも死に急ぐようなご様子も見られるのでな。
あんなジジイでも、メイキドルアでの支持は高いのだ。
武人としても、政治家としてもな。
象徴的な方でもあるから、まだまだ働いてもらわないと困るのだよ。」
「陛下もそういうタイプだよ。
死んで逃がすものか。楽なほうに逃げるなって言うタイプだよ。」
「なるほど。それは怖いタイプだ。」
呵々と笑ってグラスに入った麦酒を飲み干す。
僕は黙ってお替りを注いだ。
「……アルトゥス殿。長く生きると死にたくなるものか?」
「何度もあるよ。」
こともなげにそう答えると、トルマド殿は目を丸くする。
おや?そんなに不思議なことだろうか?
「何度も死にたくなることがあって、何度も生きててよかったと思う日がまたくるんだ。」
そう。それは、ごく自然なことだ。
死にたくなるほど辛い日もあれば、生きていてよかったと心から思える日もある。
どちらも、僕の人生には数えきれないくらいある。
「だからまあ、死を意識したら……。それを迎えて楽になりたい日に、特別な意味はないと思ったほうがいいかな。」
これが、僕が長い時間の中でたどり着いた答えだ。
悲しみも、怒りも。
どちらも心を塗りつぶす日がある。
同時に喜びと、楽しさに心が満たされる日もそこにある。
だから、安易に死にたいと思いつつ、それを選ばず楽しく生きられる日がまた来るのを待つんだ。
「……達観ですか?」
「いや、誰もがたどり着くことができる。
トルマド殿も、悲しみに心が潰れそうになった日はあったのでは?」
「……ありますな。私の両親が亡くなった日は。」
「死んだほうがよかった?」
「とんでもないですな。」
トルマド殿はにっこり笑ってそういった。
「そこで私がいなくなっていたら。
ネーベル、シルバナ。
そしてエーリスがいるミリアルデ家がなくなってしまう。」
そういった後、彼はああそうかといった。
「想う日があれば、憂う日もあり。」
「そうそう。死にたくなるくらい辛い日も、覚悟を決めた日も。
ただの一日に過ぎないと思うくらいがちょうどいいんだ。
長生きしてる僕にとっては、なおさらね。」
「……なあ、アルトゥス殿。やっぱり春までゆっくりしていかないか?」
「そんなの陛下にバレたらどうするんだよ。ダメ。」
冬は家に籠る時間も増えるしね。
楽しく会話できる話し相手が恋しくなったのだろうが、僕だってやることあるし。
申し訳ないが諦めて欲しい。
「シルバナが大きくなるわけだなぁ。」
「だから、僕じゃなくて陛下のおかげだって。」
くどい勘違いを正すようにぼやく。
しばらく家にいることのできなかったミリアルデ家の一柱との別れを惜しむ様な酒盛りは深夜まで続いた。
後でトルマド殿がネーベルさんからこってり叱られたのは……
まあ、そういう日もあるよねってことで。




