第105話 視界良好
「冬は森に?それはどうして?」
ミルシャさんの驚きの声があがる。
温めた紅茶に、酒精をあらかじめ飛ばしておいた『薫滴酒』のシロップを注ぎ、ミルシャさんに手渡した。
「目的は二つ。春になったら本格的な工事をして林道を整えるため。
もう一つは冬場の森での事故防止のためだね。」
僕は軽く薫りを楽しみながらその意図を語る。
うん、いい感じ。
アルコール分を飛ばしても、香りは強く残るみたい。
実験成功だな。
ミルシャさんも一口飲んだ後、小さく感嘆の声をあげて薫りを楽しんでいた。
寒い季節だからね。
昼間からお酒を飲みたくはあるけれど、こういう楽しみ方もいいだろう。
「冬場は農作物は育ちませんし、このまま春まではヴァルエルナに滞在するかと思いました。」
「お休みするつもりだったら、それこそリアナと一緒にリヴェリナに帰ってたよ。」
僕がそう苦笑すると、それもそうですよねと彼女もつられて笑った。
やることないなら一緒に帰るぞなんて言われるのは目に見えてる。
そうならなかったというのは、僕がちゃんと冬場にやらなければならないことをリアナに説明して、きちんと許可を得ていたからだ。
「林道整備のために冬場は準備をするのはわかりますが、事故防止とはどういう事でしょう?」
ミルシャさんから質問され、僕は無言で懐から手紙を出して手渡した。
彼女は失礼しますと一言断ってから、手紙をペラペラとめくっていく。
そして、あるページで眉を顰めた。
「大型魔獣種であるグランヴェラルの死骸……」
「それが森の奥、複数個所でだ。」
グランヴェラル。
毛皮に覆われた雑食性の大型魔獣種で、別名を「森の賢人」と呼ばれている。
賢人と呼ばれる理由は、食料の溢れる季節で彼らの縄張り内に人間が迷い込んできたときにはほぼ見逃してもらえることが多いからだ。
森の近くに住む人々は、山菜やきのこの類いをとるために森の中に入る必要がある。
基本的にグランヴェラルたちは森の奥深くに住み、もし彼らの行動範囲に入った場合でも、彼らはまず威嚇の咆哮をあげる。
そのため、その声が聞こえたらそれ以上先に進まないことで彼らとの接触を避けることができるのだ。
まあ、もちろんそれはそういった食料に困らない時期だけだけどね。
雑食性なので、当然ながらそれ以外の季節じゃ獲物を狩るために森を駆けまわるし、人間だって襲う。
でもまあ、逆に言えばそういった季節に森に入らないという掟を守っていれば、つい調子に乗って森の奥に来た場合だって脅威を教えてくれる生き物となる。
賢人という別名が似合う比較的穏やかな魔獣種といえる。
「冬場の巣籠の前に食料を集めるグランヴェラルは相当狂暴ですよね?
それの死骸が至る所に?」
「……で、そいつらがでっかい刃物で斬られたような痕跡があるの。」
サァっと、ミルシャさんの血の気が引いていく。
うん、暖かい飲み物を用意しておいてよかったよ。
「まさか……。アーシャイタンですか?」
「……うん。ヴェルモロスの仕業だと思う。」
ヴェルモロス。
別名、「死を啜る影」。
鎧のような甲殻に覆われ、透明で鋭利な羽で樹々を飛び回り、獲物の命を奪った後はその生き血を啜る、正真正銘の「魔物」だ。
風を割くような細い音と金属がすり合うような音が聞こえた時点でその魔物の必殺の範囲にあると畏れられている。
過去の文献がもとではあるが、誇張ともいいきれない。
エルフの森でもたまに見かける魔物だったし、そいつが現れるたびに討伐隊が組まれる程度には脅威とみなされていた。
その両腕には鋭利かつ大きな鎌のようなものが備わっていて、見るものを圧倒してくる、森の死神だ。
「この辺りの森に魔物が現れるなんて聞いたことがありません。」
「……おそらくは開墾による影響だろうね。」
本来、魔物というのは魔物の生態圏内で活動している。
今回は森の奥を切り裂いて道を広げようとしていることで、そのあたりの生態圏に接触しつつあるのだろう。
魔物は、自分たちの縄張りが荒らされる気配を感じると、縄張りを意図的に大きく解釈し始める。
そうすることで自身の存在感を誇示し、外敵に威嚇するんだ。
グランヴェラルたちは、その拡大解釈された縄張りの外縁に接触してしまったということなんだろう。
つまり、巻き込まれたのだ。
「我々の身勝手ということでしょうか?」
開墾の影響という部分に、少しだけ非難の意図を汲みとってしまったミルシャさんが肩を落とす。
が、僕としてはそう思わない。
「身勝手という意味では、魔物もまた同じだよ。
森の変化を感じて自分たちのテリトリーが荒らされるかもしれないという予測から手あたり次第に攻撃を開始しているわけだしね。」
僕は紅茶の香りを愉しみながら続ける。
「魔物だから倒す、という単純な話じゃない。
命と命が互いに自分たちの主義主張を押し通すための戦いだと解釈したほうがいいかな。」
僕がそういうのは、じゃあ開墾やめて彼らを刺激しないような共存を選ぶというのもまた烏滸がましいという考え方を元にしている。
この開墾はアリヴィエの未来への課題であると同時に、譲れない生存への道として彼らが選んだことなんだ。
そこには必ず障害が立ちはだかる。
環境に影響がない開墾なんて存在しない。
森を切り開くという行動を開始した以上、そういった領域との接触や互いの主張がぶつかる瞬間はいつか必ずやってくるんだ。
「僕たちはアリヴィエに麦畑を広げるために手を取り合っている。
そうじゃないのかい?ミルシャ代表代理。」
少しおどけるように代表代理と呼ぶと、ミルシャさんは意地悪しないでくださいという視線を返してきた。
そして、ひとつため息をついて答える。
「……そうですね。少し上から目線すぎましたね。
では、アルトゥス様はどうするつもりなんですか?」
「決まってるでしょ。冬の間に狩るよ。」
あいつら、繁殖力もあるしね。
テリトリーが広まったことで繁殖活動が活発化してしまったら、結局森全体に脅威が広まってしまう。
なら、さっさと人里に近い魔物は間引いておいた方がいい。
「理由が利己的だと、私は少しためらいを感じますね。」
「それはミルシャさんが優しいのと、森の住人じゃないからだね。」
致し方ないことだと思うし、理解もできる。
でも、ミルシャさんはその言葉にこそ少し傷ついてしまったようだ。
「優しさというよりは、甘ったれなのかもしれません。」
「ま、それが自覚出来ればいいと思うよ。」
励ましも慰めもしない。
どうありたいかを決めるのはミルシャさんの覚悟の話だ。
僕はとっくに自我を通す覚悟があるから倒しに行くけど。
「……森には、僕を信じる友達が増えちゃったんだ。
彼らに何もないよう、脅威は自分勝手に取り除くくらいの覚悟は常に持ち合わせてるのさ。」
ミルシャさんは、ふっと息を吸い、その言葉を胸の奥で転がすようにしてから言った。
「その覚悟、眩しいです。」
そして、右手を差し出してくる。
「お気をつけてください。
私には、それくらいしか贈る言葉がありません。」
「ミルシャさんにそういわれたら、おじいちゃん頑張るしかないね。」
おどけてそう笑うと、リアナ様に言いつけますよと苦笑されてしまった。
窓の外は少しだけ冬の暗さが混じりこむ。
リアナが去ったヴァルエルナは、日に日に気温が下がってきた。
でも、リアナがきてくれたことによって、僕の周りの面倒は格段に減った。
メイキドルアの内乱が収まり、僕を拒絶するムッセタリアも、今回の件で大人しくなるだろうし。
何より、その背後からそれを煽った帝国の影もなくなった。
僕を政治的に利用しようとすれば、リアナが真っ先に飛び出してくるというのも、アリヴィエ中央政府に伝わったのだろう。
そういう意味では、春は去ってしまったが、僕の行動を縛る様々な障害は取っ払われたといっていい。
トゥガナトとその森に白い雪が積もり始めるほど冷え込み始めた今日。
視界は良好。
さあ、本来の仕事に注力しようじゃないか。
この冬は、そのための準備の期間だ。
魔物なんかに邪魔させないぞ。




