第26話 祭壇と神父
「レイヴン様?」
紙を見たまま、レイヴンはしばらく動かなかった。
「……父の名前だ」
声は低かった。
けれど、それだけで十分だった。
今、きっとレイヴンの心中は複雑だろう。リーネとしてもそれを指摘するほど無粋ではない。
リーネはレイヴンの手元から少しだけ視線をずらし、机の端に置かれていた別の紙を拾い上げる。
そこには配送先らしい記述と、見慣れない印が並んでいた。
「ほう……なるほどあそこも関わっていたと」
配送先にはばっちりと、エネルギー省の名前が書かれていた。
つまり、個人の勝手な行動ではなく、組織的な関与が考えられる。
(これは思っていたよりも大事ですね)
しかし、第二騎士団の団長が関わっている以上今更かとリーネは思いなおす。
「……レイヴン様」
呼びかけると、レイヴンはようやく紙から目を離した。
「ああ……すまない」
「いえ、驚くのはしょうがないです。とはいえ、今は敵地ですからね」
紙を置きながら、リーネはレイヴンを見た。
「父親のことも、エネルギー省のことも、あとでいくらでも考えられます」
リーネの言葉を聞き、レイヴンは一度だけ目を閉じた。
それから、小さく息を吐く。
「……そうだね。今はグレンの後を追うことを優先しよう」
「ええ。それほど広くはないでしょう」
部屋を出て、二人はさらに奥へ進んだ。
廊下の先は静かだった。
けれど、だんだんと人の気配が近づいてきているのをリーネは感じていた。
「ふむ、待ち構えているみたいですかね?」
「ああ。どうやら我々が入ってきたのはもうバレているみたいだね」
「監視カメラでもあったんですかね?」
「姿は見えなくても、扉開けたりして存在を把握されたのかもね」
とはいえ、バレているとはわかっても、今更退散する理由にはならない。
少し進んだ先で、一番奥の扉が見えた。
半分だけ開いている。
(ずいぶん親切ですね)
まるで、そこへ来いと言われているみたいだった。
「あからさまに誘われているみたいだけど?」
レイヴンの問いに、リーネは首を横に振った。
「ええ、じゃあ、堂々といってやりましょう」
リーネは透明化を解除し、そのまま扉をくぐった。
その先は、祈りの場よりは狭いものの、やはり礼拝堂のような空間だった。
正面には祭壇。
その前にはローブ姿の信者たちが並んでいる。
そして、その中央に一人の男が立っていた。
年配の男。穏やかな顔をしていて、祭服を身に着けている。
(なるほど、ようやく対面できましたね)
リーネたちが姿を現した瞬間、信者たちがざわつきはじめた。
数人が後ずさり、別の数人は前に出ようとした。
けれど、祭壇の前の男が片手を上げると、そのざわめきはすぐに収まった。
「ようこそいらっしゃいました。死神様」
静かな声だった。
「おや? その言い方だと私が死神だと言っているように聞こえますが?」
リーネがそう返すと、男は薄く微笑む。
「ええ。あなたから感じる空気が、死神のそれに間違いありませんので」
「おやおや」
リーネは少しだけ笑った。
彼は、根拠もないそれを確信しているようだった。
「では、遠慮なく聞きましょうか」
リーネはそれを否定することなく、一歩、前に出る。
「あなたがアリアの言っていた、ローガン神父ですね?」
男は頷いた。
「アリアを置いて消えた、どうしようもない神父なら私のことですよ」
「やはりですか」
「こうして死神教団の一員として、活動するためにアリアを捨てたローガン神父とは私のことです」
「ええ、あなたが死神教団の一員ということは否定できないですね。しかし……」
リーネはにやりと笑う。
「アリアを捨ててというのは嘘ですね」
神父の纏う空気が変わった。
「どういうことだい?」
レイヴンも横でわずかに眉を寄せて尋ねてきた。
「簡単な話ですよ。真に死神教団の思想に染まっていなかったというところです」
リーネは祭壇の前の男から目を離さないまま、淡々と口を開いた。
「この教団は、人を材料にして何かを作っていた。そこまでは、もう確定でいいでしょう」
これまで調べたことを考えると、それは間違いないだろう。
ローガン神父もリーネの言葉を否定せず、黙って聞いている。
「となると、スラムはとても都合の良い場所です。消えても大きく騒がれにくいですし、身寄りのない人間も多い。教会だって、拠点にするにはちょうどいい」
「つまり、教会を拠点にして活動していたということでは?」
「ええ、その可能性ももちろん、あります。しかし、それにしてはおかしいんですよ」
ローガン神父の表情は変わらない。
ただ、少しだけ目が細くなったように見えた。
「本気でこちら側の人間だったのなら、あの教会があのまま残っているのは少しおかしいんですよ。だって、材料にするのであれば、あの子たちほど都合の良い存在はいませんからね」
自分の痕跡を残したまま、捨てていくメリットなどない。
こうしてリーネたちがここにたどり着いたのがその証拠だ。
「……子どもでは実験材料にふさわしくないということだけでは?」
ローガン神父の方から問いが返ってきた。
リーネは肩をすくめる。
「ええ、もちろん。そういう可能性もあるでしょうね。しかし、それだけではありません」
そのまま、もう一歩だけ前に出た。
「アリアは言っていましたよ。あなたは、彼女がシスターになることを、そこまで望んではいなかったと」
「……」
「おかしいですよね。育てた子が自分と同じ道を選ぶなら、普通は喜びそうなものです」
そこでも、ローガン神父は黙っていた。
「でも、そうしなかった。教会には置く。けれど、あなたは死神教団については何も話さなかった」
教えていたのは別の神のことばかりだ。
子どもというのは純粋な存在だ。
ましてや親を失った孤児であれば、洗脳することも容易だったはず。
しかし、彼はそれをしなかった。
リーネは小さく笑う。
「教団の中身を知っていて、アリアを近づけたくなかった。そう考えると、わりと綺麗に繋がるんですよ」
レイヴンが小さく息を呑んだのが分かった。
「待ってくれ、それだと、結局、彼が内情を知る立場にあったことは変わりないのではないか?」
「ええ。ですから、ここからですね」
リーネは頷いて、ローガン神父を見た。
「ローガン神父が死神教団の一員だったということは間違いないでしょうね」
「……だった?」
「ええ、きっとそれなりの地位だったのではないでしょうか? もちろん私は死神教団の中身なんか全く知りませんがね」
リーネは笑いつつ、続けた。
「上に行けば行くほど、内情を知ります。そして、疑問を覚えることも増えるでしょう」
死神に傾倒するばかりに、怪しげな人体実験を行う実態を見て何を思うのか。
「さて、正式にやめたかどうかは知りません。それでも、きっとアリアに会った時はきっと、それなりに距離を置いていたのではないでしょうか」
「そういえば、アリア嬢は別の神を信仰していたな」
「そういえば、アリアも言ってましたからね。神父は過去の罪を償うために癒しの神を信仰していたと」
それがあの非道な実験に関係しているとしたらしっくりくる。
「しかし、それでも、彼はこうして死神教団の一員として我々の前に立っているぞ」
「ええ、だから戻ったんでしょう。アリアたちを守るために」
「……守るため?」
「ええ、あの実験材料にされないためにですよ。なにせ人身売買組織はスラムから人をさらっていましたからね」
スラムで活動していた神父がその活動に気がついたのは、自然なことだろう。
「このままではアリアたちに犠牲が出るとでも思ったのでしょうね。そうして彼は死神教団に戻ることにした。場所がわからなかったのでしょうね。わざわざ自分から人身売買組織にさらわれてまで戻ることにした」
「……仮にさらわれても、自分が助けられるようにもなるか」
元々、死神教団でも偉い立場にいたのであれば、そういうコントロールをするのも簡単だろう。
「もっとも、実験本体は止められなかったみたいですけどね」
このあたりの事情は知らない。これは全部リーネの推測に過ぎないのだから。
答えを知っているのは、そう、目の前にいるローガン神父だけだ。
ローガン神父はしばらく黙っていた。
そして、ほんの少しだけ困ったように笑う。
「……本当に、よく見ていらっしゃる」
肯定とも否定とも取れない答えだった。
けれど、リーネにはそれで十分だった。
「まあ、これは私の妄想ですけどね」
そう言いながら、リーネは肩をすくめる。
「でも、アリアさんの話と、ここまで見たものを繋げると、そういうことが考えられるというだけです」
ローガン神父は静かに目を伏せた。
「……何を言ってもしょうがないでしょう。しかし、あの子だけは巻き込みたくなかった。それだけは、真実です」
その一言で、レイヴンの表情がわずかに変わる。
問いかけをするように口を開く。
だが、その前だった。
「……やはり貴様、裏切り者だったか!」
怒声が、祭壇の奥から響いた。
柱の影から飛び出してきたのは、グレンだった。
抜き放たれた剣先が、まっすぐローガン神父へ向けられていた。




