第18話 仲間の手を掴める距離まで戻ったのに、あと少しだけ届きませんでした
通信塔へ向かうため、
第7小隊は水域上の旧高架道路を渡ります。
その下には、
レヴィン級と思われる複数の反応。
そしてキョウジのアークブレードは、
まだ不調を抱えたままです。
旧高架道路の下には、黒い水が広がっていた。
都市の一部が地盤ごと沈み、そこへ地下水や雪解け水が流れ込んでできた水域らしい。水面からは建物の上部や道路標識の残骸が突き出し、薄く氷の張った場所も見える。
だが、高架の真下には凍っていない水面が広がっていた。
風に押された黒い水が、ゆっくりと波打っている。
キョウジは数m先まで路面の状態を確認してから足を進めた。
舗装には無数のひび割れが走り、ところどころで内部の鉄骨が露出している。雪に隠れた損傷もあるはずだが、少なくとも今のところ、高架そのものが大きく揺れる気配はなかった。
『現在地点から対岸まで約580mです』
ミオの声がN-LINKへ届く。
『水中には複数の生体反応があります。正確な数は取得できません』
「一番近いのは?」
『約31m。ただし深度が変化しています』
キョウジは高架の端から水面を見下ろした。
何も見えない。
降り続く雪が水面へ落ち、そのたびに小さな波紋が広がっていた。
「全員、端へ寄りすぎるな」
後ろへ声を飛ばす。
「敵が出ても追うな。まず高架を渡り切ることを優先する」
「了解」
カイが答え、グレン、リオ、ユーリも続いた。
5人は互いに距離を取りながら進んでいく。
足場をまとめて踏み抜かないためでもあり、突然水中から襲われた時に、全員が同時に巻き込まれないためでもあった。
しばらくは何も起こらなかった。
吹きつける風の音と、雪を踏む足音だけが続く。
「こういう時間が一番嫌なんですよね」
後方を歩いていたユーリが、小さく息を吐いた。
リオが振り返らずに答える。
「さっき『今日は静かですね』って言ってハウラーを呼んだ人が何か言ってる」
「だから俺のせいじゃないって。アバレントが会話を聞いてるわけじゃないだろ」
「だったら今回は黙ってみたら?」
「黙ってた方が怖いんだよ」
「面倒くさいなあ」
そんなやり取りが聞こえた直後だった。
『下です!』
ミオの声が鋭く変わる。
キョウジが足を止めた。
右側の水面が、不自然に大きく盛り上がる。
次の瞬間、黒い水を突き破って巨大な影が飛び出した。
細長い胴体には濡れた外殻が張り付き、発達した前鰭が水を撒き散らしている。
レヴィン級。
水域へ適応したアバレントが高架の側面まで身体を跳ね上げ、そのままリオへ襲いかかった。
「リオ!」
リオは咄嗟に横へ飛んだ。
大きく開いた口が目の前を通過する。
着地と同時に双剣を抜いたが、雪の積もった路面で右足が滑った。
体勢を立て直そうとした時には、身体が高架の端へ向かって流れている。
その時、青白く発振した銛がリオの横を抜けた。
ユーリのアークアンカーだった。
銛はレヴィン級の胴体へ深く突き刺さる。
「そっちじゃない!」
ユーリが巻き取り機構を作動させた。
張ったワイヤーに引かれ、リオへ向かっていたレヴィン級の身体が横へ逸れる。そのまま高架の側面へ激突し、路面全体へ鈍い振動が走った。
リオは片手をついて踏み止まり、すぐに中央へ戻る。
「助かった!」
「今度こそ帰ったら1品追加な!」
「分かったから前見て!」
リオが叫んだ直後、再び水面が動いた。
今度は1か所ではない。
『右下から2体目!』
カイが高架の端へ向き直った。
手にした蛇腹剣型アークブレードを振り出すと、青白く発振した刀身が節ごとに展開される。
水中から飛び出したレヴィン級の首へ伸びた刃が絡みつき、飛びかかる軌道を強引にずらした。
「グレン!」
「ああ!」
グレンが大型シールドを構えて前へ出る。
落ちてきたレヴィン級の身体を正面から受けたが、力任せに止めようとはしなかった。盾を斜めへ流しながら身体を捻り、突進の勢いをそのまま横へ逃がす。
巨体が高架の上を滑った。
そこへ右手のハルバード型アークブレードを振り下ろす。
刃が外殻を割ったものの、致命傷にはならない。
レヴィン級は激しく身体を捻りながら、再び水中へ戻ろうとした。
キョウジが踏み込む。
アークブレードを起動すると、青白い刃が形成された。
そのまま首元を狙って振り下ろす。
だが、刃が届く直前だった。
光が突然消えた。
「またか!」
手の中に残ったのは、発振を失った柄だけだった。
『出力低下を確認! 継続時間2.1秒です!』
ミオの報告が入る。
レヴィン級が頭を振り上げた。
キョウジは下がらず、発振していない柄をその頭部へ叩きつける。
一撃。
それでも止まらない。
もう一度振り上げたところで、青白い刃が突然戻った。
キョウジは動きを止めず、そのまま刃を首元へ押し込む。
外殻を切り裂かれたレヴィン級は高架の端から滑り落ち、黒い水へ消えていった。
大きな水音が響く。
キョウジは手元のアークブレードを見る。
「2.1秒か」
『はい。先ほどの0.6秒から明らかに悪化しています』
カイが近づいてきた。
「戻りますか?」
キョウジはすぐには答えなかった。
ここまで渡ってきた高架を振り返る。
反対側には通信塔が見えている。
距離だけなら、もう対岸へ進んだ方が近い。
『後方水域にも新しい反応が増えています』
ミオが続ける。
『現在位置から引き返した場合でも、安全性が高くなるとは判断できません』
キョウジは前方へ視線を戻した。
「進む」
カイは一度だけ武器を見る。
「隊長は前に出すぎないでください」
「ああ」
「今の返事、本当に信用していいんですか?」
「努力する」
「信用できない方の返事ですね」
キョウジは少しだけ笑った。
「じゃあ、お前も俺が振る前に敵の前へ出るな」
「それは隊長次第でしょう」
「お互い気をつけるってことでいいだろ」
それ以上言い合っている時間はない。
5人は再び高架を進み始めた。
◇
対岸までの距離が200mを切った頃には、旧ハルシオン長距離通信塔がはっきりと見えるようになっていた。
巨大な塔の上部は吹雪の中へ消えている。
近づいてみると、遠くから見ていた時以上に高かった。
「でかいな……」
ユーリが歩きながら見上げる。
リオがすぐに横から言った。
「上を見るのやめた方がいいよ」
「なんで?」
「また『最上部まで登らされる』とか言い出すから」
「いや、あれは絶対登るだろ」
「まだ決まってないでしょう」
ユーリは通信塔を見上げたまま笑った。
「帰ったら自慢できるな。旧通信塔の最上部まで登ったって」
「登ってから言って」
「多分登るって。こういう任務って絶対そういう流れになるから」
いつものユーリだった。
不満を言いながら結局は登り、帰ってからは誰より得意げに話す。
キョウジも塔を見上げた。
本当に最上部まで行くことになれば、途中からずっと文句を聞かされることになるだろう。
そんなことを考えた直後だった。
『後方から急速接近!』
ミオの警告が入る。
5人が同時に振り返る。
高架のすぐ横で水面が大きく弾けた。
レヴィン級が飛び出す。
今度の狙いもリオだった。
大きな前鰭が横薙ぎに振られる。
リオは双剣を交差させて受け止めたが、体格差を埋められるほどの力はない。
靴底が雪を削りながら後ろへ滑る。
その先は高架の端だった。
「リオ!」
ユーリがアークアンカーを構える。
迷わず射出した。
青白い銛がレヴィン級の脇腹へ突き刺さる。
巻き取り機構が作動し、ワイヤーが一気に張った。
レヴィン級の身体が横へ引かれる。
それだけで、リオには十分だった。
押し込まれていた力が抜けた瞬間、前へ転がるようにして高架中央へ戻る。
「ユーリ!」
「大丈夫!」
ユーリはアークアンカーを引き寄せようとした。
だが、ワイヤーは動かなかった。
「……あれ?」
もう一度操作する。
巻き取り機構から小さな作動音はするものの、銛は戻ってこない。
『ワイヤー張力が安全上限を超えています』
ミオが即座に原因を伝える。
『緊急ロックが作動。現在、アンカーの切り離し操作を受け付けません』
「待って、それ困るんだけど!」
ユーリが手元の解除操作を繰り返す。
銛を刺されたレヴィン級は、高架から水中へ戻ろうとしていた。
張りつめたワイヤーが高架の縁へ擦れ、耳障りな金属音を立てる。
そのたびにユーリの身体が少しずつ引かれた。
「ユーリ、武器を捨てろ!」
キョウジが叫ぶ。
「捨てられません!」
「固定を外せ!」
「安全ロックまで掛かってます!」
高張力状態で不用意にアンカーが外れないよう、グリップ側の固定機構まで作動している。
カイがすぐに駆け寄った。
「俺がワイヤーを切ります!」
蛇腹剣型アークブレードを展開する。
伸びた刃が、張りつめたワイヤーへ向かう。
その時だった。
水中で何かが強く引いた。
ユーリの身体が一気に前へ持っていかれる。
「っ!」
靴底が雪を削る。
片膝をつきながら、それでも必死に踏ん張った。
キョウジとグレンが走る。
カイの刃もワイヤーへ近づいていた。
あと少し。
切断できる。
だが、その直前。
黒い水面が大きく盛り上がった。
もう1体のレヴィン級が、水中で最初の個体へ食らいつくように身体をぶつけた。
2体分の力が、一気にワイヤーへ加わる。
「うわっ!」
ユーリの身体が浮いた。
踏ん張っていた足が路面から離れる。
そのまま高架の端を越えた。
「ユーリ!」
キョウジが飛び込むように腕を伸ばした。
落ちていくユーリも手を伸ばす。
距離はほとんどなかった。
キョウジの指先が、ユーリの指に触れた。
掴める。
そう思った。
だが、指を閉じるより先に、ユーリの身体がもう一度強く引かれた。
触れていた指先が離れる。
「隊長――!」
ユーリの姿が高架の外へ消えた。
直後、黒い水面から大きな水柱が上がる。
「ユーリ!」
キョウジは高架の端へ駆け寄った。
水面には大きな波紋が広がっている。
その中心から、ユーリへ繋がるワイヤーだけが水中へ伸びていた。
『N-LINK反応を確認!』
ミオの声が飛ぶ。
『深度3m。現在も下降しています!』
「引き上げろ!」
カイとグレンがワイヤーへ手を伸ばす。
だが、ほとんど動かなかった。
ユーリだけではない。
その先にはレヴィン級が繋がっている。
さらに水中から別の個体まで加わっている可能性がある。
グレンが両腕へ力を込めた。
「駄目だ。引けん!」
『深度5m……7m……』
キョウジは黒い水を見た。
飛び込めばいい。
頭に浮かんだのは、それだけだった。
身体を前へ出す。
次の瞬間、後ろから腕を掴まれた。
カイだった。
「隊長!」
「離せ!」
「駄目です!」
「ユーリが下にいる!」
「分かってます!」
キョウジが腕を振り払おうとする。
それでもカイは手を離さなかった。
「この水温で、今の装備のまま入ったら隊長まで戻れません!」
「まだ反応がある!」
『深度9m……10m……』
ミオの報告に雑音が混じり始める。
キョウジは水面から目を離せなかった。
「ユーリ!」
返事はない。
『深度11m――』
通信が大きく乱れた。
一瞬だけ、N-LINK上の反応が揺れる。
そして消えた。
『……ユーリのN-LINK反応を喪失しました』
キョウジの身体から力が抜けた。
「再取得しろ」
『試行しています』
「もう一度やれ」
『継続中です』
「範囲を広げろ」
『すでに広げています』
キョウジは何か言おうとした。
だが、続く言葉が見つからなかった。
水面には、もうユーリが落ちた場所すら分からないほど雪が降っている。
カイの手は、まだキョウジの腕を掴んでいた。
少し離れた場所にリオが立っていた。
顔色が変わっている。
ユーリがアンカーを撃ったのは、自分を助けるためだった。
それを誰よりも分かっている。
「……私が落ちそうになったから」
声が震えた。
「私を助けようとして……」
グレンが振り返る。
「違う」
「でも――」
「ユーリはお前を助けた。それだけだ」
グレンはそれ以上言わなかった。
リオも答えなかった。
キョウジはもう一度だけ水面を見る。
あと少しだった。
本当に、あと少し。
指先には触れていた。
それでも、掴めなかった。
◇
その後、4人の間からほとんど会話が消えた。
高架を渡る。
路面を確認する。
水面を警戒する。
やることは何も変わらない。
だからこそ、ユーリがいないことだけがはっきりと分かった。
これまでなら、こんな時でも何かしら喋っていたはずだった。
飯の話かもしれない。
任務への文句かもしれない。
最上部まで登らされると言っていた通信塔について、また何か言っていたかもしれない。
今は、4人分の足音しか聞こえなかった。
キョウジは何度も後ろを振り返りそうになった。
そのたびに前へ視線を戻した。
任務は終わっていない。
通信塔へ行かなければならない。
分かっている。
分かっているから、余計に腹が立った。
やがて高架の終点が近づいた。
最初にグレンが対岸へ足を着ける。
続いてリオが渡り、カイも高架を抜けた。
最後にキョウジが地面へ降りる。
5人で渡り始めた高架を、4人で抜けた。
旧ハルシオン長距離通信塔までは、もう数百mしかない。
巨大な外壁の下へ到着すると、半ば雪へ埋まった旧式の認証端末と、閉じた隔壁が待っていた。
カイが操作盤を確認する。
「自動開放は死んでます。手動で開けます」
キョウジは小さく頷いた。
カイも返事を求めなかった。
非常解除レバーを動かす。
しばらくして、内部で古い機構が軋み始めた。
重い金属音とともに、隔壁がゆっくり開いていく。
暗い塔の内部から、地表とは違う湿った冷気が流れ出してきた。
グレンがキョウジを見る。
「行けるか」
「ああ」
短い返事だった。
それ以上、グレンも聞かなかった。
リオはまだ俯きがちだったが、それでも双剣から手を離してはいない。
4人は通信塔の中へ入った。
キョウジは最後に隔壁を通る直前、一度だけ振り返った。
吹雪の向こうに高架道路が伸びている。
さらにその先には、ユーリが消えた黒い水域がある。
何も見えなかった。
キョウジは前へ向き直る。
やがて隔壁が閉まり、吹雪の音も壁の向こうへ消えた。
第7小隊は、4人で通信塔の奥へ進んだ。
お読みいただきありがとうございます。
第7小隊は、
5人で高架へ入りました。
渡り切った時には、
4人になっていました。
あと少し。
本当に、あと少しでした。
それでもキョウジの手は、
ユーリへ届きませんでした。




