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勇者でも魔王でもない俺は、物語に殺される君を救う  作者: ハリオアマツバメは泣いた
第一章 役なしは悪女の脚本を喰う
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18/24

第一章 17話 役なしは都を出る

ちょっと更新まで時間空いちゃいましたが、今後ともよろしくです

石の床は、夜が明けても冷たかった。


処刑場で取り押さえられた俺は、そのまま王宮脇の詰所へ連れてこられた。地下牢というほど重々しい場所ではない。だが、窓は高く、扉は厚く、外には兵が立っている。逃げようと思えば、たぶん逃げられない。そもそも、そんな体力も残っていなかった。


口の奥には、まだ黒い文字を噛み砕いたときの苦味が残っていた。


灰を水で溶いて飲まされたような味。舌の奥にこびりついて、唾を飲んでも消えない。腹の底には、重いものが沈んでいる。自分のものではない命令を、無理やり身体の中に入れてしまったみたいだった。


手のひらを開く。


指が、少し震えていた。


斬られたわけではない。兵に押さえつけられた肩と腕が痛むくらいだ。だが、身体の内側だけが妙に疲れている。骨ではなく、もっと奥のほうが軋んでいる感じがした。


イリス・ヴァルクラインは死ななかった。


それだけは、間違いない。


だが、助かった、とはまだ言えなかった。


処刑台の上で剣は止まった。証人の言葉は崩れ、民衆の声も割れた。第二王子レオナールはその場で処刑を中断させ、王宮の兵が広場を押さえた。


ミラは保護されたらしい。聖女フィリアは王宮の者に支えられて退いた。イリスは、処刑台から下ろされた。


そして俺は、何者なのかも分からないまま、ここへ放り込まれた。


異端者。


扇動者。


悪女の協力者。


どの名札が貼られるのか、まだ決まっていないだけだ。


扉の向こうで、兵の声がした。


「殿下がお見えだ」


錠が外れる。


入ってきたのは、レオナールだった。


広場で見たときと同じ白銀の外套を羽織っている。ただ、飾り紐は片方が乱れ、袖には土埃がついていた。王子というより、厄介な戦場から戻った指揮官の顔をしている。


後ろには近衛兵が二人。


俺が腰を浮かせかけると、レオナールは短く言った。


「座っていろ」


命令というより、余計な動きをするな、という響きだった。


俺はそのまま腰を下ろした。


レオナールは机を挟んで立ち、俺を見下ろした。疲れているはずなのに、目だけは眠っていない。


「確認する。君は、誰の指示で動いた」


「誰の指示でもない」


「イリス・ヴァルクラインとは以前から通じていたのか」


「昨日まで顔も知らなかった」


「聖女フィリアを害する意図は」


「ない」


「教会への敵意は」


そこで、少しだけ言葉が止まった。


敵意があるかないかで言えば、ある。


火傷跡の司祭は、ミラの弟の薬を握って証言を縛っていた。処刑場では、黒い文字が人の声を同じ方向へ押し流していた。あれを見たあとで、教会に何も思うなというほうが無理だった。


だが、それをここでそのまま言えば、俺は自分から首を差し出すことになる。


「教会全部を敵に回すほど、俺は偉くない」


レオナールの眉がわずかに動いた。


「答えになっていない」


「本音だ」


「では、もう一つ聞く。処刑台で、君は何をした」


喉の奥が、ひりついた。


黒い文字を掴んだ。


噛み千切った。


喰った。


そう言えば、この場の空気は変わるだろう。今でも充分に怪しまれているが、そこに別の色が混ざる。人を見る目ではなく、化け物を見る目だ。


「剣を止めた」


「それだけではないはずだ」


「そう見えたなら、広場の騒ぎで目が疲れてたんじゃないか」


近衛兵の一人が、低く息を吸った。


「貴様、殿下に向かって」


レオナールが片手を上げて止めた。


部屋の中に、短い沈黙が落ちる。


その沈黙の中で、レオナールの肩口へ、黒い線が伸びた。


俺の目にだけ浮かぶ、あの細い線。


空中に滲んだ黒い文字が、王子の横顔へ絡みつく。


『秩序のため、役なしを異端として差し出せ』


息が詰まった。


まだ来るのか。


処刑は止まった。剣も下りなかった。なのに、黒い文字は消えていない。相手を変え、言葉を変え、今度は俺を都合のいい場所へ押し出そうとしている。


レオナールはその文字に目を向けない。


ただ、何か重いものを感じ取ったように、わずかに顎を引いた。


「君を教会へ引き渡せという声がある」


「早いな」


「早いとも言えない。南区の施療院で教会関係者ともめた男。証人に接触した男。処刑場で裁きを乱した男。君を悪女側の協力者として扱う材料は、すでに揃っている」


片目の下に火傷跡のある司祭の顔が浮かんだ。


バルト。


あの男が、俺のことをどう報告したのかは想像がつく。自分の脅しや薬の件は隠し、俺だけを異物として差し出したのだろう。


腹の底が冷えた。


向こうはもう、俺にも名札を貼ろうとしている。


「それで、俺を差し出すのか」


「そうしたほうが、楽ではある」


レオナールは淡々と言った。


「民衆は納得する。教会も一時は矛を収める。王宮は、昨日の混乱を一人の乱入者のせいにできる」


「いいことだらけだな」


「だが、それをすれば、昨日あの場で出た矛盾をすべて埋めることになる」


レオナールの声は低かった。


怒りではない。


迷いでもない。


王族としての計算と、それでも切り捨てきれない何かが、同じ場所で軋んでいるように見えた。


「ミラという証人は、保護した。弟の薬についても、王宮から南区へ手配を出している。施療院の記録は確認中だ。聖杯の儀に使われた薬酒の管理にも、不自然な空白がある」


「なら、イリスは無罪か」


レオナールはすぐには答えなかった。


その間だけで、答えは分かった。


「違うんだな」


「ああ。少なくとも、今この場で無罪とは言えない」


胸の奥に、重い息が落ちる。


「彼女の名で出された命令がある。彼女に不利な証言も記録も残っている。証人への圧力があったとしても、それだけで全てが覆るわけではない。再調査は行う。だが、王都に置けば、教会も民衆も黙っていない」


「だから?」


「北西境にある古い修道院へ移す。名目は謹慎と再調査への協力。王宮の監視を付ける。教会単独の手には渡さない」


処刑台から、修道院へ。


死からは遠ざかった。


だが、自由になったわけではない。


悪女という読み方が消えたわけでもない。


そう思った瞬間、レオナールの肩に絡んでいた黒い文字がほどけた。代わりに、床の上を這うように別の文字が浮かぶ。


『悪女は死なず、遠き地で裁きを待つ』


救いの形をした、別の筋書き。


俺は拳を握った。


今の俺には、あれを喰う力が残っていない。喉の奥は焼けたように痛み、指先はまだ震えている。下手に手を伸ばせば、今度は俺のほうが壊れる気がした。


レオナールは、机の上に一枚の紙を置いた。


王宮の印が押された通行証だった。


「君については、証拠不十分として釈放する」


「ずいぶん都合がいいな」


「勘違いするな。無罪放免ではない。処刑場を乱した件も、南区での騒ぎも、記録には残る。ただ、今ここで君を裁けば、かえって火種が大きくなる」


「つまり、厄介払いか」


「そうだ」


はっきり言われると、笑う気も失せた。


レオナールは通行証を俺の方へ押した。


「明日の朝までに王都を出ろ。西門を使え。三日分の通行許可は出す」


「この国を出ろってことか」


「命令ではない。忠告だ」


レオナールの表情が、少しだけ苦くなった。


「教会は君の名を覚えた。王都に残れば、次はもっと整った形で捕まる。私が毎回、君を庇えると思うな」


「庇ったつもりなのか」


「少なくとも、差し出してはいない」


それは、確かだった。


俺は通行証を見た。


薄い紙切れ一枚。


けれど、その紙一枚で、人は都に残れたり、外へ追いやられたりする。


役割だけではない。


紙も、印も、肩書きも、噂も、人の行き先を決める。黒い文字ほど露骨ではないだけで、世の中にはそういうものがいくらでもある。


「フィリアはどうなる」


自分でも、なぜそれを聞いたのか分からなかった。


レオナールは一瞬だけ目を伏せた。


「聖女宮で休ませている。彼女からも話を聞く」


「聖女様は被害者でした、で終わりか」


「終わらせない」


その声だけは、少し強かった。


「だが、彼女もまた、聖女だ。あの名の重さは、君が思うより厄介だ」


聖女。


悪女。


王子。


役なし。


誰も、ただの人間ではいられない。


俺は通行証を懐に入れた。


レオナールは扉へ向かいかけ、最後に一度だけ振り返った。


「君は、自分を何者だと思っている」


「何者でもない」


考えるより先に、口が動いていた。


「勇者でも、魔王でも、裁判官でも、聖職者でもない。役なしだ」


レオナールは、その答えをしばらく見ていた。


「なら、そのままでいろ。何者かになろうとした瞬間、君も呑まれる」


扉が閉まる。


錠の音が、やけに大きく響いた。


残された部屋で、俺は冷たい床に座り直した。


物語は止まったのではない。


ただ、次の逃げ道を見つけただけだ。

















翌朝、王都は祭りの翌日とは思えないほど静かだった。


詰所を出された俺は、兵に急かされるまでもなく西門へ向かった。聖譚祭の飾りは、まだ通りのあちこちに残っている。白い壁には人混みがこすった跡があり、石畳の隙間には踏み潰された花弁が貼り付いていた。


悪女が裁かれ、聖女が讃えられ、都は正しい朝を迎える。


昨日まで、誰もがそういう顔をしていた。


だが今朝の王都にあったのは、正しさではなく、戸惑いだった。


店先で戸を開ける男が、俺を見るなり口を閉じる。水を撒いていた女が、桶を抱えたまま視線を逸らす。角で祈っていた老人は、俺の足音に気づくと、祈りの言葉を早めた。


知らない顔のはずなのに、何人かは俺を覚えているようだった。


昨日、処刑場で騒ぎを起こした男。


悪女に味方した男。


聖なる裁きを乱した男。


まだ声にはなっていない。


けれど、視線は言葉になる前から痛い。


広場の近くを通った。


処刑台は、まだ解体されていなかった。


白い布は外され、木の台だけが朝の光にさらされている。昨日、あの上でイリスは膝をついていた。剣が振り上げられ、黒い文字が空を覆い、俺はわけも分からないまま手を伸ばした。


助けた、なんて言えるほど綺麗なものではなかった。


ただ、死ぬと分かっている人間を、そのまま見ていられなかっただけだ。


広場の端に、告示板があった。


昨日まで、そこにはイリス・ヴァルクラインの罪状が並んでいた。今朝は、その上から別の布がかけられている。だが、端のほうだけがめくれ、黒い文字で書かれた罪名の一部がまだ覗いていた。


悪女。


その二文字だけが、朝の風に晒されていた。


俺は目を逸らした。


紙を剥がしても、布で隠しても、一度そう読まれたものは簡単には消えない。


黒い文字がなくても、人は勝手に続きを読む。


西門へ近づくと、王宮の馬車が数台停まっていた。


紋章を布で隠した黒い馬車。荷を積んだ小さな馬車。護衛の騎馬が数頭。派手さはない。だが、ただの旅支度ではないことはすぐに分かった。


その横に、イリス・ヴァルクラインが立っていた。


処刑台で見た白い衣ではない。濃い灰色の外套を肩にかけ、髪は簡素にまとめられている。手首に鎖はない。だが、左右には王宮の兵がいる。


守られているようにも見える。


見張られているようにも見える。


たぶん、どちらも正しい。


イリスがこちらを向いた。


俺は足を止めた。


向こうも、すぐには何も言わなかった。


昨日の夕暮れ、彼女は死ぬはずだった。


その人間が、朝の光の中に立っている。


ただそれだけのことが、妙に現実離れして見えた。


「アスター」


先に口を開いたのは、イリスだった。


名前を呼ばれて、少しだけ驚いた。


「もう歩けるのか」


言ってから、馬鹿な聞き方だと思った。


歩けるから立っているのだ。


イリスは、気にした様子もなく答えた。


「歩けなければ、馬車に押し込まれていたと思います」


「それはそうだな」


会話がそこで切れた。


近くの兵が、俺たちを横目で見ている。長話はさせたくないが、今すぐ止めるほどでもない。そんな顔だった。


イリスは、俺の懐のあたりへ視線を落とした。


「あなたも、西へ?」


「王都にいるなと言われた」


「同じですね」


「同じには見えないけどな。俺は追い出される。あんたは運ばれる」


「ここに残れない、という意味では同じです」


イリスは静かに言った。


その声には、処刑台の上にいたときのような張り詰めた硬さはない。疲れはある。だが、折れてはいなかった。


俺は、彼女の足元を見た。


馬車の車輪へ向かって、細い黒い線が伸びている。


『悪女は死なず、遠き地で裁きを待つ』


昨日より薄い。


だが、消えてはいない。


俺が顔をしかめると、イリスは小さく息を止めた。


「やはり、昨日から同じものを見ているのですね」


心臓が、ひとつ遅れて跳ねた。


「何の話だ」


「あなたは処刑台の上で、何もない場所へ手を伸ばしていました。私の身体を縛っていた何かが、急に緩んだ瞬間もありました。偶然ではないのでしょう」


俺は答えなかった。


喉の奥に、苦味が戻ってくる。


イリスは声を落とした。


「ヴァルクライン家の古い書庫に、似た記述がありました。役割に人を縛る、黒い注釈。脚本の余白に浮かび、人を定められた振る舞いへ押し流すものだと」


黒い注釈。


その言い方が、妙に耳に残った。


俺が見てきた黒い文字に、初めて外側から輪郭が与えられた気がした。


「詳しいことは、分かりません。幼い頃に読んだ断片だけです。けれど、昨日あなたが壊したものは、それに近いのだと思います」


「壊しきれてない」


俺は、馬車の足元に伸びる黒い線を見た。


「まだ残ってる」


イリスはその先を追わなかった。


ただ、俺の顔を見て、静かに頷いた。


「だから、あなたに頼みがあります」


嫌な予感がした。


こういう流れで出てくる頼みは、だいたい面倒だ。


「私と一緒に来てください」


「断る」


即答した。


イリスは瞬きした。


「まだ理由を言っていません」


「だいたい分かる。あんたは北西の修道院に行く。俺も西へ出る。道が同じだから同行しろって話だろ」


「半分は」


「残り半分が面倒そうだ」


「ええ」


否定しないのか。


俺は額に手を当てた。


「俺は護衛じゃない。剣もろくに使えない」


「それは見れば分かります」


「失礼だな」


「事実です」


言い返せなかった。


正面から兵士とやり合えば、俺は普通に負ける。


イリスは続けた。


「私が頼みたいのは、守ることではありません。見届けることです。あの黒いものが現れたとき、何が起きようとしているのかを、あなたの目で見てほしい。そして、可能なら止めてほしい」


「簡単に言うな」


「簡単ではないと分かっています」


「分かってない。あれを喰うのは、かなりきつい」


言ってから、しまったと思った。


イリスの目が、わずかに鋭くなる。


「喰う?」


俺は舌打ちしたくなった。


自分で漏らした言葉は戻せない。


「忘れろ」


「忘れられる言葉ではありません」


「だろうな」


イリスは何かを聞きかけて、やめた。


そこは意外だった。


知りたいはずなのに、今ここで踏み込みすぎれば俺が口を閉ざすと分かっているのだろう。


「では、今は聞きません」


「物分かりがいいな」


「物分かりがよければ、処刑台には立っていません」


その言葉には、ほんの少しだけ自嘲が混じっていた。


俺は答えに詰まった。


西門の上で、朝の鐘が鳴る。


昨日、裁判中に聞こえた地の底のような音とは違う。これは本物の鐘だ。朝を知らせる、ただの鐘。


それでも、身体が一瞬だけ強張った。


イリスの指先も、外套の端を握っていた。


彼女も覚えているのだろう。


あの、鐘には聞こえない低い音を。


「北西境の修道院には、古い記録が残っています」


イリスが言った。


「ヴァルクライン家とも、教会とも関わりのある場所です。私がそこへ送られるのは、ただの偶然ではないかもしれません」


「また面倒なことを言い出したな」


「あなたも、もう無関係ではありません」


その一言で、口が止まった。


責める声ではなかった。


ただ、事実を置いただけだった。


「教会はあなたの名を覚えました。王宮も、あなたを完全には信用していない。昨日と同じものがまた現れたとき、あなたはきっと見てしまう」


「ありがたい予言だな」


「予言ではありません。昨日の続きです」


昨日の続き。


その言葉が、妙に重かった。


処刑台で終わったと思いたかった。


イリスが死ななかったことで、何かを変えられたと思いたかった。


だが、現実には何も終わっていない。


ミラは証人として守られるかもしれないが、弟の薬を握られていた事実は消えない。フィリアは聖女のまま、崩れた裁判の中心に残される。レオナールは王子として、都合の悪い真実と秩序の間に立たされる。


イリスは、悪女として読まれたまま都を出る。


そして俺は、役なしのまま王都から追い出される。


物語が少しずれただけで、誰かが決めた枠はまだそこにある。


俺は、イリスの足元から伸びる黒い線を見た。


『悪女は死なず、遠き地で裁きを待つ』


このまま背を向ければ、この文字は彼女と一緒に馬車へ乗る。


北西境へ運ばれ、修道院の石壁の中で、また別の文に変わるのだろう。


処刑台で止めたものが、場所を変えて続くだけだ。


俺は懐の通行証を握り直した。


「北西国境までだ」


イリスが目を上げた。


「修道院の近くまでは行く。それ以上は知らない。あんたの名誉回復まで背負う気もないし、教会相手に正面から喧嘩する気もない。どっちにせよ、俺は国を出ていかないとダメだしな」


「十分です」


「あと、俺は護衛じゃない」


「承知しています」


「黒い文字が出ても、全部どうにかできるわけじゃない」


「それも、承知しています」


「本当に分かってるのか」


「少なくとも、あなたが万能ではないことは」


「そこだけ強調するな」


イリスの口元が、ほんのわずかに緩んだ。


笑った、というほどはっきりしたものではない。


けれど、処刑台では一度も見なかった表情だった。


王宮の兵が咳払いをした。


出発の合図だった。


イリスは馬車へ向かい、扉の前で一度だけ振り返った。


「アスター」


「何だ」


「あなたは、何者ですか」


昨日、レオナールにも似たようなことを聞かれた。


俺は少しだけ空を見た。


白い王都の上に、朝の光が広がっている。聖譚祭の飾りはまだ残り、処刑台もまだそこにある。正しい物語になり損ねた都が、何食わぬ顔で一日を始めようとしている。


「役なしだ」


そう答えた。


「勇者でも魔王でもない。ただの役なし」


イリスは頷いた。


「では、役なしのまま来てください」


馬車の扉が閉まる。


車輪がゆっくりと回り始めた。


西門が開く。


白い都の外には、まだ見たことのない街道が続いている。


俺は馬車の横を歩き出した。


後ろで、王都の門が軋んだ音を立てて閉まっていく。


振り返らなかった。


物語は終わらなかった。


だから俺も、まだ降りられない。

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