〇強酸ハチミツ・ベアー登場! 失われた「ラストオーダー」を取り戻せ
隔壁の向こうは、むせ返るような甘い匂いに満ちた「熱帯雨林エリア」だった。
「ひぃぃぃッ! ベタベタする! 大気中の糖分が私の防護服に付着して、カビと細菌の培養地になっちゃうぅぅ!」
純粋培養の無菌室で育ったシルヴィが、この世の終わりのような悲鳴を上げる。
彼女にとって、高濃度の糖分は「世界で一番不潔なバイ菌の餌」でしかない。
「消毒よ! 虫歯菌(ミュータンス菌)もろとも、フッ素コーティングで皆殺しにしてやるわ!」
「落ち着けシルヴィ! レーザー撃ったら粉塵爆発……いや、砂糖爆発が起きるぞ!」 俺が制止する間もなく、密林の奥から巨大な影が姿を現した。
全長8メートル。
全身の毛穴から、沸騰する黄金色のシロップを滴らせた凶暴なグリズリー。
『ハチミツ・ベアー』だ。
「ガアアアアアッ!!(訳:俺の蜜を舐めるな)」
ハチミツ・ベアーが腕を振り下ろす。
飛び散ったシロップが岩に触れた瞬間、ジュワッと音を立てて岩を溶かした。
「強酸性のハチミツだと!? 糖度が高すぎて浸透圧で細胞の水分を全部持っていかれるぞ!」
「素晴らしいわ……!」
リズが、愛用の巨大中華包丁を震える手で構えた。
「「「えっっ、どこが?」」」
彼女の目に、狂気と……ほんの少しの涙が浮かんでいる。
「あの日の……大融解の日に、私が出せなかった懐石の最後の一品。……『水菓子』。この極上のシロップがあれば、私のコースが、やっと完結する……!」
「「「・・」」」
全身から陽炎のように立ち上る凄まじい気配に皆、息を吞んだ。
失われたホテルレストラン、
失われた同僚たち、
失われたお客様たち
そして失われた和洋中伊の師匠たちへの鎮魂、
失われたそれらが織りなすトラウマ。
彼女の料理への執念は、その哀しい過去を断ち切るための通過儀礼なのだ。
「あの日の理不尽な『ラストオーダー』は、今日ここで私が取り消す! この世界の絶望なんて、極上の砂糖で上書きしてやるわ! アッシュ、あいつの蜜腺を撃ち抜くのよ!」




