無かったことにしておく××
学園内は緩やかに忙しさ、賑わいを増していく。来たる学園祭に向けて、着々と準備が進行していた。
普段の休日は例の如くリビングでのんびり俺と時間を共有したり、趣味に費やしたりしている鏑木も、実行委員を担っているためかなり忙しくしている。クラス演劇の脚本や演出を担当するクラスメイトが、度々俺たちの部屋を訪れ、夜遅くまで話し合ったりしていた。
チカの方も、これまた多忙らしかった。なんでも、爆音トラブルメーカー、もとい大原白兎の発案でコスプレ喫茶をやることになり、チカもそれに巻き込まれたようだ。可哀想に、と思うものの、チカのコスプレには興味もある。セーラー服だとかナース服だとかが似合うのは目に見えたことだ。
風紀委員会の方は、わざわざ明言するのは今更ではあるが、やはり忙しくしている。風紀には迷惑をかけまくっている自覚のある俺も、流石に今回ばかりはそっとしておいている。F組の学園祭参加許可をもらった今、これ以上彼らのペースを乱す必要もない。
そんなわけでチカの不在も多くなり、俺一人での単独行動が多くなった。これから単身、F組に乗り込んで学園祭について話し合おうと思っていた放課後のことである。
「く、来宮くんに頼むしかないんだ。お願いだよっ、ね?」
教室を出て行こうとする俺を引き止めるクラスメイトに、俺は目を丸くした。この俺に物怖じせず話しかけてくる生徒がまだ、鏑木の他に残っていたとは。
いや、物怖じはしているのかもしれない。瞳は潤んでいるし、声は緊張からか吃りまくりだ。
それでもそいつは、俺に向かって真っ直ぐ、はっきり、こう頼みこんできた。
「僕に演技指導をしてほしいんだ……!」
そいつの名前は円山佑太。今年のクラス演劇において、シンデレラ役を勝ち取った勝者である。
円山曰く若干の憧れこそあるものの、彼は特段、佐瀬に特別な好意を寄せているわけではないらしい。それでも円山がシンデレラ役に立候補したのは、ただ演劇が好きだという理由からだった。
「僕、演劇部に入ってるんだ。でも周りの子はすっごく上手で、僕なんてみそっかすで、落ちこぼれで……一年以上経つけど、もらうのはいつもほとんど喋らない端役で。だから、出し物で演劇やるって聞いて、これだ!って思ったんだ。うちのクラスは演劇部僕だけだし、絶対に主役やりたいって思った。僕、身体小さいし、これなら主役になれるかもって」
その熱意が運命の女神に通じたのか、結局くじ引きで決められることになった主役の座を、円山は射止めたのだった。
しかし、演劇部の先輩などは皆、学園祭公演の準備で忙しく、円山の個人的な演技指導をつけてくれるほどの余裕はない。個人練習の指導者を求めた結果、白羽の矢が当たったのが俺ということらしい。
「つうか、なんで俺なんだよ」
練習場所として確保したという、第三理科室。そこに半ば無理やり連行されてきた俺が、一通りの事情を聞いて発した第一声が、これである。
円山は両目にキラキラとした尊敬の眼差しを浮かべて答えた。
「来宮くんが適任だからだよ」
「だからなんでそれが俺なんだよ。もし猫被りが上手いからとか言ったらはっ倒すぞ?」
だが実際、それ以外に俺に声をかける理由が思い当たらない。俺は演劇部に関わったことなど一度もないし、芝居なんてやった覚えもない。一芝居なら、一つと言わず沢山打ってきたが。
「いやいや、そういうことを言いたいんじゃなくてね、本当に来宮くんにお芝居を教えてほしいんだよ!」
俺と同じぐらいの、要はかなり小さな背丈の円山が迫ってきても迫力なんてないはず。だというのに、溢れ出る熱量に当てられて、思わず後ずさってしまった。背後の出しっ放しだった顕微鏡にごと、と当たる。
なんか、やばい。純粋でキラキラしてて眩しい。俺が随分昔に忘れ去った汚れのない輝きが、目に痛い……!
「いやでも、俺上手くないぞ、演技なんか。演劇部の奴に教えられることなんかねえよ」
「そんなことないよ、僕は教わるなら来宮くんがいい!」
「そもそも演技なんかしたことないしさ」
「またまた惚けちゃってっ。僕はね、昔見た君の演技に憧れて演劇部に入ったんだよ?」
「え」
「え?」
「あ……いや……まあ、いいけどさ」
「いいの!?」
しまった。適当に了承してしまった。
一瞬の後悔に襲われる。あまりにも必死に食い下がる円山に、すっかり毒気を抜かれてしまったのだ。おまけに飛び上がらんばかりに喜ぶのだから、撤回するにもできない。
妙な展開になってしまった。が、こういうのもいいのかもしれない。最近の俺だって、いつもこういう風に誰かに頼み込んだり食いさがったりしてやってきていることは否めない。たまには自分がやってもらっていることを人に返すのも良いだろう。
それに、クラスで浮いている俺はほとんど出し物に関わっていない。少しくらい貢献しても罰は当たらないだろう。チカだって、俺がクラスメイトと関わった方が安心して暴走しないでいてくれるに違いない。
そういえば、円山はちょっとチカと似ている。小動物のような雰囲気や、潤ませた時の目の大きさがチカにそっくりだ。それもまた、断り辛い理由の一つなのかもしれない。
このように、俺は脳内に肯定的な考えをいくつも並べて、この件に関して自身で納得をした。つまり、円山が飼い主を見つけて擦り寄ってくる子犬のように健気なので、なんだか可愛くなってしまったのである。
「これからよろしくね、僕の魔法使いさん!」
シンデレラの魔法使いはカボチャを馬車に変えてくれるけど、僕の魔法使いは僕を立派なシンデレラに変えてくれるよね。
にっこりと微笑む円山と握手をしながら、俺も笑った。
「その大袈裟な言い回し、なんか演劇部っぽいな」
「そうかな?」
「おう。……これから頑張れよ、佐瀬の腰巾着どもなんかに負けんな。俺もまあ、応援するからさ」
改まったりするのはあまり得意ではないが、この際はっきりと思ったことを告げてみた。本心のところをいうと、円山のような人間が主役になってよかったと思う。動機はどうあれ、鏑木が心血を注いでいる出し物だ、佐瀬につられた浅はかな奴に主役をやってほしくない。
円山はみるみるうちに、顔いっぱいを喜色にして、力強く答えてくれた。
「もちろんっ!」
とまあ、とりあえずこれが、円山佑太と約束を交わすことになった事の顛末である。
ところがこの約束が、意外な効果を生み出した。
「来宮隊長、最近かわいがってる人いますよね」
久々に教室まで迎えにきたチカ。二人並んでF組に向かって歩いていると、チカはしゅんとした声で力なく呟いた。
「円山のことか?」
「円山先輩っていうんですね、あの方。……僕がクラスの雑事に追われて第三理科室の前を通ると、最近いつも二人で楽しそうにしてますよね……」
「お、おう……演劇の指導を頼まれたからな……」
鬱オーラ全開のチカに戸惑うばかりである。どうしてチカはいきなり五月病を発症しているのか。
「なあチカ、どうしたんだよ?」
「いえ、後悔してるだけです……僕が学祭にかまけてる間に円山先輩に僕の“かわいい小動物ポジション”を乗っ取られちゃいました……」
「お前自分で言うのおこがましいぞ、それ」
チカはどちらかというと“かわいい小動物かと思ったらただのギャグキャラポジション”だろうが。
大したことない事柄で一喜一憂するチカにくすりと笑う。何故笑うのかと頰を膨らませるチカに更なる笑いが溢れた。
自分の立場なんて心配することないのにな。今となっては、チカはたった一人の大切な隊員。隊長として守るべき唯一無二の存在なのに。
そう思うが、面白いので黙っておこう。
拗ねたり落ち込んだりと忙しいチカをにやにやしながら宥めつつ、二人でF組校舎へ向かった。




