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15/25

15.優しいのは?

「……遅いなぁ」


居間の時計を見る。


窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。


「夕飯までには帰るって言ってたよね」


もう一度時計を見る。


……やっぱり遅い。


おばあちゃんのことだから、どこか寄り道してるだけかもしれない。


でもなぁ。


「……まだ帰ってこない」


なんだか少し心配になってきた。


……いやでもおばあちゃんになんかあるとは思えないけど。


「うーん」


台所を見る。


私が持って帰ってきた籠には、採れたての野菜がいっぱい入っている。


「畑じゃないよね……」


野菜は私に渡したんだもん。


それに、他にも寄るところがあるって言ってた。


「どこ行ったんだろ」


玄関を開ける。


夜の空気が、ひんやりと頬に触れた。


昼間とは違う虫の声が、あちこちから聞こえてくる。


「おばあちゃーん!」


呼んでみる。


その辺から声が返ってこないかな。


……。


返事はない。


「……もしかして、迷子になってないよね?」


家の前で辺りを見回す。


畑じゃないでしょ。


ご近所さんとはもうお話ししたし、海も行った。


そうなると――


家の裏手を見る。


木々の間に、細い山道が続いている。


「……あっちかな」


暗い。


ちょっと怖い。


でも、おばあちゃんが困ってたら大変だし。


「……もうっ。仕方ないなぁ」


小さく息を吐いて、山道へ足を踏み入れた。


山道をしばらく歩く。


昼間にも何度か通った道なのに、夜になると全然違って見えた。


木々に遮られて、月明かりもほとんど届かない。

足元もよく見えなかった。


「おばあちゃーん!」


もう一度呼んでみる。


やっぱり返事はない。


……ほんと、どこ行ったのかな。


少しだけ歩く速度を上げる。


すると――


「……ん?」


少し先。


木々の間に、人影が見えた。


「おばあちゃん?」


思わず駆け寄りかけて、足を止める。


違う。


そこにいたのは、知らない男の人だった。


優しそうな顔をした、お兄さん。


そのすぐ前には――


黒い影が浮いている。


「……お兄さん?」


声を掛けると、お兄さんがゆっくりこちらを向いた。


「こんな時間に一人でどうしたの?」


柔らかい声だった。


「迷子かな?」


「ううん」


首を振る。


「迷子なのはおばあちゃん」


一瞬、お兄さんの目が丸くなる。


それから、くすっと笑った。


「あはは。それは大変だね」


「そうなの。夕飯までには帰るって言ってたのに」


「それは心配だね」


「うん」


そこまで答えて――


ふと、お兄さんの前を見る。


黒い影は、変わらずそこに浮いていた。


……教えてあげる方がいいよね。


「あのね、お兄さん」


「ん?」


「変なこと言うけどね」


お兄さんは少しだけ首を傾げた。


「お兄さんの前にね、おばけがいるの」


「へぇ?」


驚いたような声。


「見えるんだ?お化けって怖いよね?」


「ちがくて。そうじゃなくてっ」


慌てて続ける。


「困ってるだけだから、怖くないからね」


「……そうなんだ」


お兄さんは黒い影へ一度だけ視線を向けた。


それから、また私を見る。


「君の家って、もしかしてすぐ近くなのかな?」


「私の家っていうか、おばあちゃんの家だけどね」


少し考えてから、首を傾げる。


「もしかして、おばあちゃんの知り合い?」


「知り合いではないかな」


お兄さんは穏やかに笑った。


「君のおばあちゃんは有名だからね」


「……そっか」


やっぱりおばあちゃんってすごいんだ。


「ねぇ、お兄さん」


「何かな?」


「おばあちゃん見てない?」


お兄さんは少しだけ考えるように目を伏せた。


「おばあちゃんは見てないけど――」


ゆっくり顔を上げる。


「すぐに来るんじゃないかな?」


「え?」


思わず首を傾げる。


お兄さんは、黒い影の方へ視線を移した。


そして。


「ほら。見てごらん?」


黒い影を見る。


さっきまで、ただそこに浮いていただけだった。


なのに――


「……?」


少しだけ揺れている。


ゆら。


ゆら。


風に揺られているようにも見えた。


でも、何か違う。


「どうしたの?」


思わず声を掛ける。


黒い影が、びくりと震えた。


「……大丈夫?」


一歩近づこうとした、その瞬間。


「ゔ……」


小さな声が聞こえた。


「え?」


「ゔ、ぁ……」


黒い影が身体を丸める。


苦しそうに。


「どうしたの!?」


駆け寄ろうとする。


「そんなに近づくと危ないよ?」


お兄さんの声が後ろから聞こえた。


「でも!」


黒い影を見る。


「困ってるんだよ!?」


お兄さんは少しだけ目を細めた。


「……君は優しいんだね」


「だって、おばあちゃんが言ってたもん」


黒い影へ視線を戻す。


「おばけだって、困ってることがあるって」


そのとき。


「ゔ、あ……ああ……」


声が大きくなる。


黒い影の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。


「……え?」


腕みたいだったものが伸びる。


反対側は、逆に縮んでいく。


頭のように見えていた部分が、一度大きく膨らんで――


ぐしゃり。


形が崩れた。


「だいじょうぶ……?」


黒い靄が、内側から溢れるように広がっていく。


さっきまで人の形をしていたのに。


もう、何なのか分からない。


「ゔぁ……あああ……」


こわい。


忘れかけていたそんな気持ちが、込み上げてくる。


でも、


苦しそう。


だから――


「待っててね」


震える足を、一歩前へ出す。


「今、帰れるようにするから」


ポケットから小袋を取り出す。


塩をつまもうとした、そのときだった。


「さて」


お兄さんの声が聞こえた。


「そろそろかな」


不思議とよく通る声に振り返る。


お兄さんは私を見ていなかった。


その視線は、山道の奥へ向けられている。


「……?」


私も同じ方を見る。


木々の隙間から、わずかな光が落ちる暗い山道。


目を凝らしてみる。


でも、何も見えない。


「何かいるの?」


振り返ってお兄さんに――


「……って、あれ?」


いない。


さっきまでそこにいたはずのお兄さんが、どこにもいなかった。


きょろきょろと辺りを見回す。


「お兄さん?」


返事はない。


そのとき。


「ヴァぁあああアアァあ!!」


すぐ後ろから声が響いた。


「……っ!」


振り返る。


黒い影が――


迫っていた。


ぐにゃぐにゃと形を歪ませながら。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


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