13.困りごと
「ほら、起きな。朝だよ」
重たいまぶたを開けると、見慣れない木の天井が目に入った。
……そっか。
おばあちゃんの家だ。
お母さんとお父さんが帰った後、私もすぐに寝たんだった。
はじめての家なのに、不思議とよく眠れた。
それに朝が怖くなかった。
いつもなら、目を開けたらおばけがいたらどうしようって思うのに。
「ふあぁ」
大きな欠伸に続いてぐーっと伸びをする。
目をこすりながら、ふと窓の外を見る。
……真っ暗だった。
「おばあちゃん?」
「何だい?」
「夜だよ?」
「何言ってんだい。朝だよ」
「え?」
「四時さね」
「流石に早すぎない!?」
おばあちゃんは肩をすくめると、けろりとした顔で言った。
「夏は涼しいうちに動くもんだよ」
「えぇ……」
「それにね、あんたが見てるもんは何だと思ってるんだい?」
「……おばけ?」
「そうさねぇ」
おばあちゃんは窓の外を見た。
「ぜーんぶ引っくるめて、怪異と呼んでるけどね。あれらも自然の一部なのさ」
「……?」
「山や海、鹿や猪とかと同じってこと。怖いのはわかるけどねぇ」
おばあちゃんがこちらを見る。
「……自然と共存するってね。都会に住んでちゃ分かりにくいけどね。人ってのは本来そうやって生きてたんだよ」
「……難しい」
「くっくっく。だろうねぇ。理屈は後からでええさね。ほら、朝の空気は気持ちいいよ」
そう言うと、おばあちゃんは手を差し出す。
「まずは外に出ようかね」
外に出ると、夏だというのにひんやりした空気が肌をかすめた。
「気持ちいいね」
遠くに見える海から登ってくる朝日を見ながらつぶやいた。
「そうだろう。さてと、じゃあ畑からかね」
それからおばあちゃんと一緒に草引きしたり、畑を耕したり――
山へ登ったりした。
垂れる汗を拭いながら、横を見ると平然な顔で歩くおばあちゃんがいた。
「……ねぇ、おばあちゃん」
「何さね」
「おばけの練習するんじゃないの?」
「してるじゃないか」
「なんか思ってたのと違う」
しばらく歩くと、おばあちゃんは立ち止まり、周りを見渡した。
「ここいらが良いかね。今何が聞こえる?」
「うーん……鳥の声に、虫の声でしょ。それから……水の音!近くで川があるのかも!」
おばあちゃんは一つ頷く。
「他にはどんな音がある?」
「他に?」
耳に手を当てて聞いてみる。
「……あ!風の音とか?」
「それもあるねぇ。こうやって聞くと色んな音があるだろう。それなら――」
おばあちゃんの声が低くなる。
「音のないところは?」
え……
音のないところ??
首を傾げながら周りを見る。
「……あ」
茂みの奥に見える岩のところ。
何も聞こえない。
「自然はね、本来賑やかなもんなんだよ。着いておいで」
おばあちゃんはそう言うと、岩へ向かって歩き出す。
私も後ろをついていく。
……何これ。
音がないだけじゃない。
なんて言うのかな。
気持ち悪い感じがする。
岩に近づけば近づくほど、そう思う。
おばあちゃんは私の青ざめた顔を見ると、眉を少し上げた。
「おや?感じ取ったんだねぇ。もう少し掛かると思ったが……あんた才能あるよ」
「……嬉しくない」
「くっくっく。今はそうだろうねぇ」
こんなに変な感じがするのに、おばあちゃんはいつもと変わらない。
「結菜が感じた違和感は正しい。本来、巡るものが巡らず歪んでる。こういうところはね――」
一度言葉を切る。
「起きやすいんだよ」
おばあちゃんは岩の上に広がる木々を見ながら言った。
「怪異が」
おばあちゃんの向く方に視線を向ける。
「……いやっ」
人の形をした黒い靄が浮いていた。
思わずしゃがみ込むと、おばあちゃんが穏やかな声で言った。
「大丈夫さねぇ。ごらん」
おそるおそる顔をあげる。靄は変わらずそこで浮いていた。
「あれはね、帰る場所を見失ってるだけさ」
「帰る場所?」
「そうさ。迷子と一緒なんだよ」
ちょっぴりまだ怖いけど……
「そっか。君も困ってたんだね」
靄と目が合った気がする。
「……?」
靄は首を傾げる。
少しかわいいかも?
そう思っていると、おばあちゃんの声が優しく問いかける。
「結菜が迷子だったらどうしたい?」
「……お家へ帰りたい」
「そうだろう? だから還してやるのさ」
おばあちゃんは小さな袋から塩をひとつまみ取り、私の手のひらへ乗せた。
「あんたは筋がいい。感覚を研ぎ澄ませるんだよ」
おばあちゃんはシワシワの手を私の手に被せると、何かをつぶやいた。
「……っ」
おばあちゃんの手から、ぽかぽかしたものが流れてくる。
手のひらから腕へ。
じんわりと温かさが広がった。
「少し温かい?」
「これが霊力さね。あたしが誘導してやるから、合わせな」
おばあちゃんの言葉に合わせて私の胸の奥も少しだけ温かくなった。
「良い感じさね。そしたら塩を撒きながらこう言いな」
「おことわり、ってね」
私は震える手で塩を撒く。
「お、おことわり……」
……。
だけど、何も起きない。
「あれ?」
黒い靄がゆらゆらと揺れている。
どうしてあげたらいいんだろう。
おばあちゃんの不思議と落ち着く声が横でする。
「大丈夫さね。結菜だってはじめてのところは怖いだろう?」
「うん」
「それと一緒さね。背中を押してあげる気持ちでもう一度言ってあげな」
そっか。困ってるんだもんね。
てきとうに言うだけじゃダメだよね。
……私が道案内するから、お家へお帰り。
「――おことわり」
私の声に合わせたように風が吹いた。
黒い靄がゆっくりとこちらを見る。
それから――
白い塩の線の向こうへ歩いていく。
一歩。
また一歩。
やがて靄は薄くなり、朝日に溶けるように消えた。
「消えた……」
「還ったのさ」
おばあちゃんは満足そうに頷く。
それから岩へ向かって手を伸ばした。
「おことわり」
今度は私よりずっと自然な声だった。
次の瞬間。
ざぁっ――
風が吹く。
鳥の声。
虫の声。
葉が揺れる音。
今まで消えていた音が、一気に戻ってきた。
思わず周りを見渡す。
「あ……」
さっきまで気持ち悪かった場所が、もう何ともない。
ただの山の一角になっていた。
「……すごい」
「歪みを戻しただけさね」
おばあちゃんは笑う。
「流れを見て、歪みを知って、戻してやる。それが大事なんだ」
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