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11.残るもの

「うわっ、ちょっ、無理無理無理!!」


夜の遊歩道を全力で走る。


背後では、黒い影が地面を這うように追いかけてきていた。


「だから足多いの嫌なんだってば!!」


「ワフッ!」


かさかさかさかさかさかさかさ。


うわあ!音が近づいてる!


見たくないが、そうも言ってられない。


そうっと振り返る。


目前まで迫っていたのは――ゴキブリとムカデを足して巨大化したような黒い影。


「うぎゃあ!!」


とにかく脚が多い。


しかも速い。


「無理無理!視界に入れたくないタイプ!!」


「ワフワフ!」


シロが低く唸りながら前へ出る。


……シロ。

逃げ腰の私のために……。


なんて優しい子なの。


シロはそのまま黒い影へ飛び出した。


大きく口を開けて――


「気持ちは嬉しいけど、絶対やめて!?」


慌てて胴を抱き上げる。


「口に入れたらだめなやつだからね!?」


ゴキブリもどきが地面を蹴る。


かささっ――!!


「速っ!?」


遊歩道の柵を飛び越える。


黒い影が、そのまま壁を走った。


「うわ、壁走った!?キモっ!!」


ぎゃー!!


黒い影が、頭上から一気に飛びかかってきた。


「お・こ・と・わ・りー!!」


反射的に拳を振り抜く。


――ぐしゃっ。


「…………っ」


嫌な感触が拳に広がる。


硬い殻。


潰れた中身。


脚。


「うわあああああ!!感触がもう完全にゴキブリじゃん!!」


黒い影が、霧みたいに崩れて消える。


淡い光が一筋、夜空へ溶けていった。


「……っ」


でも、拳に残った感触だけは消えない。


硬い殻。


潰れた何か。


脚。


「うぅぅ……」


慌てて腰ポーチから塩を取り出す。


ばさばさと手へ振りかけた。


「おことわり、おことわり、おことわり……」


白い粒が指の間から零れ落ちる。


「……はぁ」


ようやく少しだけ、息がつけた。


「相変わらず、元気だねぇ」


びくっと肩が跳ねる。


振り返ると、遊歩道の先におばあちゃんが立っていた。


「お、おばあちゃん!?」


杖をつきながら、のんびり歩いてくる。


こんな夜中なのに、まるで近所を散歩してるみたいな顔だった。


「いやぁ、派手にぶっ飛ばしたねぇ」


「……っ」


思わず拳を見る。


「くっくっく。良いものを見たよ」


拳はまだ塩まみれだ。


「でも、霊力の流し方はぐちゃぐちゃだねぇ」


「えぇ!?」


「無理やり叩き込んでるだけじゃないか」


「だ、だって咄嗟だったし!?」


「まぁ結菜らしいけどねぇ」


「褒めてないよねそれ!?」


「あれで還ってるんだから、器用なんだか不器用なんだか」


「やっぱり褒めてないじゃん!」


そのときだった。


かさっ。


遊歩道の奥。


街灯の下で、また黒い影が揺れる。


一つじゃない。


二つ。


三つ。


「……うげ」


またゴキブリもどき!?

一匹見たら百匹とかいうよね……


「そんなところまで似なくていいよ!?」


「ワフッ……」


シロが私の後ろへ隠れる。


「普通そうなるよね!?わかるわかる!超わかる!」


おばあちゃんは小さく息を吐いた。


「やれやれ」


杖を軽く持ち上げる。


その瞬間。


空気の中に、淡い光が広がった。

霊力だ。


「……っ」


薄い糸みたいな霊力が、夜の空気へ静かに溶け込んでいる。


黒い影たちの動きが止まる。


ぎちぎちぎち……


ゴキブリもどきが嫌な音を立て始めた。


「お、おばあちゃん……?」


「霊力は広げるもんさね」


いやいやいや。

おばあちゃんは当然みたいに言うけどさ。


霊力を広げるって……

そもそも出せないんですけど?


「広げて、掴むのさ」


おばあちゃんの指先が、ゆっくり閉じる。


「――おことわり」


黒い影たちが、一斉に潰れた。


「……っ」


押し潰された影は黒い霧になり――


次の瞬間、淡い光へ変わる。


光の粒は夜風に乗り、ゆっくりと空へ昇っていく。


「さ、さすがおばあちゃん……」


「伊達に長く生きてないからねぇ」


「相変わらず無茶苦茶だ……」


呆然としていると、


「そうかい」


おばあちゃんは首を傾げる。


「ふわっとしてぐっとやって、ばーん」


「分かるかーー!!」


そんなやり取りをしているうちに、やがて最後の一粒が夜空へ溶けた。


「うぅ……」


まだ拳の感触が残ってる気がする。


思わず手をぶんぶん振ると、おばあちゃんが喉の奥で笑った。


「結菜はほんと、変わらないねぇ」


おばあちゃんは近くのベンチへ腰掛ける。


シロが、とことこと足元へ寄っていった。


「ワフッ」


「おやおや。人懐こい子だねぇ」


おばあちゃんがシロの頭を撫でる。


そのまま首元へ指が触れた。


「……ほぉ」


「ん?」


「いやぁ。随分大事にされてる子だねぇ」


シロは嬉しそうに尻尾を振る。


その様子を見ながら、ふと口を開く。


「……そういえばさ」


「うん?」


「霊力だけどさ。昔からあんな風に使ってたっけ?はじめて見た気がするんだけど」


おばあちゃんは少しだけ目を細めた。


「使ってたよ。ただ、薄く広げてるからねぇ」


おばあちゃんは、シロの頭をゆっくり撫でながら続ける。


「気付いてなかったんだろうね。見えたのは、成長の証さね」


「……そうなの?」


おばあちゃんは、ふっと声をやわらげた。


「そうさ。広げた霊力に気付けたのは大したもんだ。感覚が鋭くなったね」


「えへへ」


「それにしても」


「?」


おばあちゃんは、そこでわざとらしく眉を寄せた。


「感覚はするどいのにね。どうしてこうも垂れ流しかねぇ」


「へ?」


おばあちゃんは肩をすくめた。


「霊力だだ漏れ」


「言い方ぁ!?」


「そりゃ怪異も寄ってくるさねぇ」


「うぅ……」


「霊力も増えてるよ。総量だけならあたしと変わらないかもね」


おばあちゃんは立ち上がりながら言った。


「だからこそコントロールできるようにならないとね」


「……はあい」


おばあちゃんは満足そうに頷いた。


「さてと。結菜の成長も見れたことだし、次は色恋だねぇ」


「うげ……」


「付き合ってる子はいるってお母さんに聞いたよ。元気にしてるかい?」


「……その人とは別れたよ」


「おや」


おばあちゃんが目を丸くする。


「そうだったのかい」


「まぁ、色々あってね……」


「ふぅん?じゃあ今は、気になる相手でもいるのかい?」


一瞬、黒曜石みたいな目が頭をよぎる。


――いやいやいや。


慌てて首を振る。


その様子を見て、おばあちゃんの口元がゆっくり緩んだ。


「ほぉ?」


嫌な予感がする。


「二、三日泊まって帰ろうかねぇ」


「えぇー!?」


裏返った声が夜道に響く。


「おやおや……何をそんなに焦ってるのさ」


「いや、だって!」


慌てて身を乗り出す。


「着替えとかどうするの!?」


「荷物のことなら心配いらないよ」


おばあちゃんは、そう言うと軽く手を振る。


その瞬間。


空気が、ゆらりと歪む。


「……っ」


夜の空間に、淡い光の輪が浮かび上がった。


見覚えのある感覚。


怪異が現れるときの“穴”に近い。


でも、もっと静かで安定している。


おばあちゃんは、その中へ平然と腕を突っ込んだ。


「よいしょっと」


向こう側から、大きめの鞄が引っ張り出された。


「…………」


「これでよし」


何事もなかったみたいに鞄を置く。


えっ。


鞄が出てきた!?


「どうやったの!?」


「まだ結菜には早いかねぇ。一つ言うなら……」


おばあちゃんは杖に体重を預けた。


「普段、“閉じてる”んだろう?」


「まぁ……うん?」


「なら逆をやればいいだけさね」


「ちょっと何言ってるか分かんない」


「くっくっく。そのうち分かるときがくるよ」


おばあちゃんは楽しそうに肩を揺らした。


「まぁ、これで問題ないさね」


そう言って鞄を軽く叩く。


「数日よろしく頼むよ、結菜」

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