4-2.旅立ち
自衛団から報せが届いたのは、その日の夜のことだった。
領内の酒場で酔った三人の男が喧嘩沙汰を起こし、連行された。酒場での喧嘩は珍しい話ではないが、自衛団が身元を調べると、男たちは領内に住む者ではなかった。粗末な身なりにそぐわず、男たちは酒場で金貨を使った。しかも、素性を問われると供述が二転三転した。
アンナとポールが詰所に出向くと、男たちは留置所の檻の中にいた。顔に傷のある男、禿げあがった男、目つきの悪い男。行商人や農民には見えなかった。
「小麦畑に火をつけたのは、あなたたちですか?」
アンナは愛想笑いを浮かべた。男たちは否定した。しかし、アンナは急かさず、ゆっくりと話しかけた。
三つの火元の位置、男たちの宿にあった油の付いた麻衣、酒場で使った金貨の出所。証拠を一つずつ挙げた。反論の余地を、少しずつ埋めていくように。
「……シュルツの旦那に頼まれた」
男の言葉に、留置所が静まり返った。捕らえられた男たちは、火を放った盗賊の一味だった。
「キャンベル子爵が落ちぶれれば、女が戻ってくる。そう言われた。金は前払いで半分、後払いで半分」
殴りかかろうとするポールを制止し、アンナは男の言葉を最後まで聞いた。
モーリスに対する怒りがこみ上げた。しかし、アンナの手は震えていなかった。それが自分でも意外だった。モーリスに対するそれは、熱い怒りではなく、冷たい怒りだった。
「供述調書を作成してください」
アンナは自衛団の隊長に伝えると、ポールと留置所から出た。しばらく沈黙があった。
「モーリスは、君が戻らないのは僕が原因だと思ったのか」
「私のせいで、キャンベル子爵領のみなさんに迷惑をかけてしまったようです」
「君に責任はない。モーリスの責任だ」
ポールはアンナを見ると、頬をゆるめた。
「この件は、どう対処したらいいかな?」
「訴えましょう。国王陛下に」
**
アンナは手紙を書いた。宛先は、フォーゲル子爵夫人、ハルトマン男爵夫人など、かつてシュルツ伯爵邸の茶会に招いていた婦人たちだった。
放火の経緯、捕らえた盗賊の証言、手紙には事実だけを書いた。供述調書の写しを添えて封書を送った。
返信は、予想より早く来た。
フォーゲル子爵とハルトマン男爵は「陳情書の提出を支援する」と両家が連名で証人になることを申し出てくれた。
国王への陳情書は、最終的に五家の貴族の連署で提出された。陳情書には盗賊の証言、証拠記録、関係者の証言が添付された。
アンナが国王へ陳情したことは、瞬く間に国内の貴族たちに知れ渡った。私怨のために他領に放火するなど、騎士道精神に反する、とモーリスへの批難が沸き起こった。
王都での審問は三週間続いた。モーリスは強く否定した。しかし、法廷での盗賊の証言、金銭の受け渡し記録を前に、モーリスの虚偽証言は崩れた。
王都の法廷において、国王から審判が下された。
「モーリス・シュルツ。貴公の伯爵位を剥奪し、領地は没収とする」
王座の下で崩れ落ちるモーリスの姿を、アンナは遠くから見ていた。復讐の喜びはなかった。そこにあったのは、過去の鎖を断ち切れた解放感だった。
伯爵位を剥奪されたモーリスは領地から追放され、遠縁の親族の元へ送られた。旧シュルツ伯爵領は王室の管理下に置かれ、後継者の選定が行われることになった。
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モーリスへの審判が下りた一カ月後、ポールはアンナを庭に呼んだ。
庭は静かだった。芝の上に薄く露が降り、空には澄み切った青が広がっていた。
「アンナ。もう一度、聞かせてほしい。俺の妻になってくれないか」
ポールは真っ直ぐにアンナを見た。前回と同じように、静かな声だった。
ポールは誠実で、領民を愛していた。一言も口を挟まずに、アンナを信じてくれた。
ポールのことを、好ましいと思っていた。信頼していた。隣にいると、穏やかでいられた。断る理由は、相変わらず思いつかなかった。
しかし、アンナは旧シュルツ伯爵領の領民のことが気がかりだった。
ハルトマン男爵夫人の手紙に書かれていた。旧シュルツ伯爵領は、石炭の輸入先と、小麦の輸出先を失った。石炭貿易に関わっていた作業員は職を失い、小麦農家は収入を失った。領民の生活が困窮していたにも関わらず、モーリスが徴税官に指示して、強引に税を取り立てた。路頭に迷った領民は暴動を起こし、商店や屋敷を襲った。後継者が選定されるまでの間、領民が救済されることはないという。
「もう少しだけ、待ってもらえますか?」
アンナが苦笑いをすると、「理由を教えてくれないか」とポールは額に手を当ててため息をついた。
「ハルトマン男爵夫人からの手紙に、領民の救済に力を貸してほしいと書いてありました」
「領民か……」
「モーリスの失策で、路頭に迷った領民がたくさんいます。去ったとはいえ、かつては私が共に暮らした領民たちです。だから、助けてあげたいのです。それが終わったら、答えを出します」
ポールはしばらく庭を見ていた。小さな鳥が木にとまった。
「終わるのはいつになる?」
「わかりません」とアンナは正直に言った。
「キャンベル子爵夫人として旧シュルツ伯爵領の領民を助けに行く。いい案だと思わない?」
「え?」
アンナは目を丸くした。
「領民を救済するのであれば、キャンベル子爵家の後ろ盾があったほうがいい。そうだよね?」
「ずるいですね」
「そうかもしれない。僕は待つのが得意だ。けれど、待つのは君の隣がいい。どうかな?」
アンナが目を細めると、ポールは首をすくめた。
―了―
この物語はこれで終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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