附記 史実と創作の境について
本作は、天正十年(一五八二年)六月に起きた本能寺の変が、寸前で回避されたとする、架空の歴史(if)小説である。物語の骨格を成す出来事の多くは史実に基づいているが、その解釈および一部の人物関係については、著者による創作を含んでいる。読者の便宜のため、以下に、史実として確認できる事柄と、本作独自の解釈・創作とを、区別して記しておく。
一、明智光秀と帰蝶(濃姫)の血縁関係について
作中、光秀と帰蝶をイトコ同士とする設定を用いた。これは、光秀の父・明智光綱の妹「小見の方」が斎藤道三の正室であり、その娘が帰蝶であるとする説に基づく。ただし、この説の主たる出典は『美濃国諸旧記』であり、同書は史料としての価値が高いとは言えず、後世に形成された伝承としての性格が強い。道三の娘が織田信長に嫁いだこと自体は史実とみてよいが、その娘の実名は、確実な一次史料には見えない。光秀と帰蝶の血縁関係は、あくまで一つの伝承として広く流布しているものであり、確定した史実ではないことを、ここに明記する。
二、帰蝶(濃姫)の本能寺当時の動静について
帰蝶は、ある時期を境に、史料上その動静がほとんど確認できなくなる人物である。信長の正室でありながら、晩年の生活や没年について、確実な記録は残されていない。信忠を養子としたとする記述は『勢州軍記』などに見えるが、天正十年当時、帰蝶が存命であったか、また、いかなる立場にあったかについては、史料上の空白がある。本作における帰蝶の言動、および光秀・信忠との関わりは、この史料上の空白に対する、著者独自の創作である。
三、光秀の心理状態についての解釈について
本能寺の変の動機については、怨恨説、野望説、黒幕説、四国政策説など、現在も複数の仮説が並立しており、歴史学上の決着を見ていない。本作で採用した「慢性的なストレスによる認知機能の一時的な低下(視野狭窄)」という解釈は、これら既存の仮説と並ぶ、本作独自の仮説である。史料に基づく確定的な学説ではなく、あくまで小説的な人物造形として提示するものである。
四、備中出陣・秀吉指揮下編入をめぐる経緯について
天正十年五月、光秀に対し、備中における毛利方との対陣に伴い、羽柴秀吉の後詰めとして中国方面へ出陣するよう命じられたことは、史実として広く認められている。しかし、作中に描いた、この人事が撤回される経緯、およびそれに至る帰蝶・信忠の働きかけは、いずれも本作独自の創作であり、史実にはない。
五、家康饗応役をめぐる逸話について
徳川家康の饗応役を光秀が務めた際、信長より膳について叱責を受けたとする逸話は、後世に広く流布しているものであるが、その史実性については、研究者の間でも見解が分かれている。本作では、この逸話を、家中に広まる「噂」という形で取り入れ、その真偽が確定されないまま物語に影響を及ぼす、という描き方を採った。
六、本能寺の変そのものについて
本能寺における信長の横死、および二条御所における信忠の自刃は、複数の独立した史料(公家の日記、宣教師の報告書等)によって裏付けられた確実な史実である。本作は、この史実が「起こらなかった」場合を仮定した、架空の歴史小説である。本作におけるいかなる記述も、実際に本能寺の変が回避されたことを主張するものではない。
七、その他の人物・出来事について
作中に登場する吉田兼見、行祐、藤田行政、斎藤利三らは、いずれも実在の人物であるが、作中における個々の言動の多くは、著者による創作である。丹波国人衆の動向についても、大枠は史実に基づくものの、具体的な描写は創作を含む。
以上、本作は、確定した史実と、史料の空白を埋める創作とを組み合わせた、架空の歴史小説である。歴史上の人物・出来事についての著者の解釈が、学術的な定説と異なる場合があることを、ご理解いただければ幸いである。




