第七章 言の葉の行方
天正十三年の春、光秀は、久方ぶりに、本能寺に立ち寄った。
法華宗の大本山であるこの寺は、京における織田家の宿所として、かねてより用いられてきた。上洛の折には、光秀もまた、幾度となくこの境内を訪れている。だが、この日の光秀には、いつもとは違う感慨があった。
本堂の前に立ち、光秀は、しばし、静かに佇んだ。もし、あの天正十年の頃、丹波の不穏と、饗応役の噂と、秀吉の麾下に置かれるやもしれぬという不安とに、なおも身を灼かれ続けていたなら――光秀は、そのことを、あえて深くは考えぬようにしてきた。だが、こうして、何事もなく、この境内に立っていられるということ自体が、光秀にとっては、何よりの証であった。あの頃の己を焼き尽くしかけた重苦しさは、今はもう、遠い記憶の中にしかなかった。
――案ずるな。
信忠のあの一言が、いまだに、光秀の胸のどこかに、静かに息づいていた。
その年の内に、朝廷における信忠推挙の動きは、いよいよ具体的なものとなっていった。光秀は、朝廷への取次役として、この間、幾度となく参内し、公家衆との折衝を重ねてきた。吉田兼見をはじめとする公家たちは、もはや隠すことなく、信忠を征夷大将軍に推す意向を、光秀に打ち明けるようになっていた。
「織田家の御嫡男、左中将様であれば、公武の間柄も、末永く安んじられましょう」
ある老公家は、光秀に、そう述べた。光秀は、その言葉に、深く頭を垂れながら、こう応じた。
「――畏れながら、それがしも、左中将様であれば、公家、武家、双方の信を、末永く保たれるものと存じております」
光秀のこの言葉は、決して世辞ではなかった。丹波の仕置き、朝廷とのこと、家中の行く末――それらに携わる中で、光秀は、信忠という人物の、辛抱強く、かつ、人の労苦を軽んじぬ人柄を、幾度となく目の当たりにしてきた。あの日、丹波の仕置きを案じ、光秀に「案ずるな」と告げた、あの静かな確かさは、今や、朝廷との関わりの中でも、変わらず貫かれていた。
信長自身もまた、将軍職に、殊更の執着を見せることはなかった。ある時、光秀が、朝廷における信忠推挙の動きを言上した折、信長は、いつもの、そっけない口調で、こう答えた。
「――将軍の位など、飾りに過ぎぬ。城介(信忠)が望むなら、それでよかろう」
その言葉には、これまでの信長らしい、権威への頓着のなさが表れていた。だが、その頓着のなさこそが、かえって、信忠への推挙を、円滑に進める後押しとなった。信長が固執せぬからこそ、朝廷もまた、心置きなく、信忠を推す機運を高めていくことができたのである。
その年の暮れ、朝廷より、正式に、信忠への将軍宣下の沙汰が下った。参内した光秀は、その場に連なり、信忠が、朝廷より宣旨を賜る様子を、静かに見届けた。
儀式の後、光秀は、信忠より、直々に声をかけられた。
「十兵衛。此度のこと、そなたの取次あってのことと、心得ておる」
光秀は、深く頭を垂れた。
「――もったいなきお言葉にございます。それがしは、ただ、なすべきことをなしたまでにて」
「なすべきことを、なす、か」
信忠は、そう繰り返すと、わずかに口元を緩めた。
「十兵衛らしき、答えである」
その日の帰り道、光秀は、牛車の中から、夕暮れに染まる京の町並みを、静かに眺めていた。あの天正十年の、息の詰まるような日々から、幾年もの時が流れていた。丹波は、なお治めるべきことの多い土地であったし、朝廷とのことも、これで全てが片付いたわけではなかった。だが、光秀の胸には、もはや、あの頃のような、際限のない渦を巻く不安はなかった。
――帰蝶様は、いかにお過ごしであろうか。
光秀は、ふと、そう思った。あの坂本の一夜以来、帰蝶と言葉を交わす機会は、ついぞ訪れなかった。だが、この日の宣下の儀の隅に、御簾の陰から、それとなくこの場を見守っていたであろう一人の女性の気配を、光秀は、確かに感じ取っていた。誰に語るでもなく、誰に知られるでもなく、ただ静かに、二つの家の行く末を見届けようとする、その眼差しを。
牛車が丹波への道を進む中、光秀は、懐から、古びた一枚の紙を取り出した。かつて、愛宕山で詠みかけて、続きの出てこなかった発句を記した、あの紙である。
――時は今、雨が下しる五月哉
光秀は、その句を、静かに口の中で繰り返した。あの夜、この句に続く言葉を、光秀は、ついに見出せなかった。だが今、光秀の胸には、ようやく、その続きを思い描くだけの、静かな余裕があった。
言の葉は、ついに、本能寺には届かなかった。届く必要もなく、あの寺は、ただ、いつもと変わらぬ、静かな京の一角として、そこに在り続けている。光秀は、そのことを、何よりの証として、胸に刻みながら、丹波への道を、なお進み続けた。




