第4話 それ、もう彼氏じゃん
昼休みが終わって五分後。莉奈は真帆に捕まっていた。
次の授業は移動教室なのだが、廊下に出た瞬間、腕を掴まれて列の後ろへ引っ張られた。
「何?」
「何じゃないでしょ」
真帆がにやにやしながら顔を覗き込んでくる。その隣を歩いていた由依も、静かにこちらを見ていた。
「高瀬と二人でお昼」
「付き合ってるんだから、それくらいするでしょ」
「ほお」
「何、その反応」
「いやあ。ちゃんと彼女してるなと思って」
莉奈は少しだけ眉を寄せた。
「だって、何もしなかったら変じゃん」
「罰ゲームなのに?」
声が大きい。莉奈は慌てて真帆の腕を引いた。
「ちょっと、ここで言わないでよ」
「聞こえないって」
「そういう問題じゃない」
前を歩いているクラスメイトとの距離を確認する。誰もこちらを気にしていない。
莉奈は小さく息を吐いた。
「一か月付き合うって決めたんだから、ちゃんとやらないと高瀬だって不自然に思うでしょ」
「だから朝も一緒に来た?」
「昨日LINEでそういう話になっただけ」
「昼も一緒に食べた?」
「向こうが誘ってくれたから」
「へえ」
またその顔だ。
「何なの」
「別に」
真帆が笑う。
「楽しそうだったなと思って」
「普通でしょ」
「そう?」
「そう」
即答した。そのはずだった。
ただ。莉奈の頭には、昼休みの悠斗の言葉が残っていた。
『彼女だろ』
たった一言。それだけなのに、言われた瞬間、少しだけ困った。
高瀬悠斗は、もっと違う男子だと思っていた。学校ではいつも静かで、男子とは普通に話すけれど女子にはほとんど自分から話しかけない。
服装も髪型も特に気にしている様子はない。恋愛にも興味がなさそう。
だから今回の話が出たときも、高瀬なら簡単に信じるだろうと思った。実際、告白は信じた。
付き合うことにもなった。そこまでは予定どおり。
なのに。
「ねえ、莉奈」
由依の声で我に返った。
「何?」
「高瀬くん、どうだった?」
「どうって?」
「実際に話してみて」
莉奈は少し考える。
「普通」
真帆が吹き出した。
「一番何も伝わらない答え」
「じゃあ、思ってたより話す」
「ほかは?」
「……意外と気づく」
「何に?」
莉奈は朝の出来事を話した。落としたキーホルダー。
外れかけていた金具。なくさないように自分の鞄へ入れてくれたこと。
話し終えると、真帆が首を傾げる。
「それだけ?」
「それだけって」
「いや、もっとすごいことされたのかと思った」
「別にすごいって言ってないでしょ」
「でも莉奈、そこ気にしてるじゃん」
「気にしてない」
また即答した。由依が小さく笑う。
「莉奈、今日それ多いね」
「何が?」
「即答」
「してないし」
今度は真帆まで笑った。
「してるしてる」
「うるさい」
教室移動の列が止まった。前方の階段が混んでいるらしい。
三人も足を止める。真帆が少し声を落とした。
「でもさ、高瀬、思ったよりよくない?」
その言葉に、莉奈は答えなかった。
「ほら」
「何が」
「否定しない」
「別に悪い人だとは最初から思ってないよ」
「そうじゃなくて」
真帆が莉奈の肩へ軽くぶつかる。
「男として」
「二日目だよ?」
「誰も好きかって聞いてないじゃん」
「今そういう聞き方だったでしょ」
「自意識過剰だなあ」
腹が立つ。言い返そうとしたところで、由依が口を開いた。
「ただ、少し気をつけた方がいいとは思う」
真帆と莉奈が同時に由依を見る。
「何が?」
莉奈が聞いた。由依は少し考えてから答えた。
「高瀬くんがどうこうじゃなくて、莉奈の方」
「私?」
「一か月ずっと彼女をやるんでしょ」
「うん」
「毎日話して、LINEして、一緒に帰ったりするかもしれない」
「まあ……そうなるかもね」
「それで最後に、罰ゲームでしたって言うんだよね」
莉奈は黙った。最初は軽く考えていた。
一か月だけ付き合う。高瀬が本気になったころに、本当のことを言う。
みんなで少し笑って終わる。そのくらいのつもりだった。
「……分かってるよ」
莉奈が言う。
「ちゃんと最後には謝る」
由依はそれ以上何も言わなかった。ただ、その沈黙が少しだけ重かった。
真帆が雰囲気を変えるように手を叩く。
「まあ、まだ二日目だし」
「そうだよ」
莉奈も合わせた。
「まだ二十九日もあるんだから」
口にしてから、少し変な感じがした。二十九日。
長い。昨日までは、一か月くらい簡単だと思っていた。
でも毎日今日みたいに過ごすのだとしたら。思っていたより長いかもしれない。
午後の授業が終わった。帰りのホームルームも終わり、莉奈が鞄へ教科書を入れていると真帆たちが集まってきた。
「今日どうする?」
陸が聞く。
「駅前寄ってかない?」
「行く行く」
真帆が答えた。由依も頷く。
蓮は少し離れた席から、
「俺も行く」
と声をかけてきた。いつものメンバー。
いつもなら莉奈も迷わない。
「莉奈は?」
陸に聞かれる。
「私も――」
そこでスマートフォンが震えた。見る。
高瀬。
『今日、一緒に帰る?』
短いメッセージだった。莉奈の指が止まる。
「誰?」
真帆がすぐ横から覗こうとする。
「見ないで」
「高瀬?」
「だから見ないでって」
画面を胸元へ隠す。
「何て?」
「一緒に帰るかって」
陸が笑った。
「ちゃんと彼氏してんな、高瀬」
「だな」
蓮も笑った。ただ、少しだけ声が低かった。
莉奈はそれに気づかなかった。画面を見る。
一緒に帰る。彼氏と彼女なら普通だ。
むしろ断る方が不自然かもしれない。
『帰る』
送信。すぐに既読。
『じゃあ昇降口で待ってる』
莉奈はスマートフォンをしまった。
「ごめん、今日は帰る」
真帆が一瞬止まる。
「高瀬と?」
「うん」
陸が大げさに肩を落とした。
「二日目でもう友達より彼氏かよ」
「違うって」
莉奈は笑いながら鞄を持った。
「また明日ね」
「はいはい」
真帆が手を振る。莉奈が教室を出ていく。
その背中が見えなくなってから、陸が口を開いた。
「思ったより本気でやるな、莉奈」
「ね」
真帆が答える。
「まあ一か月だけだからじゃない?」
蓮が言った。
「適当にやったら高瀬も気づくだろ」
その言葉に、由依だけが何も答えなかった。真帆が由依を見る。
「どうしたの?」
「別に」
「なんか気になる?」
由依は少し迷った。
「莉奈って、あんなにちゃんと彼女役するタイプだったかなって」
「最初だからじゃない?」
「そうかも」
由依はそこで話を終えた。一方。
莉奈が昇降口へ行くと、悠斗はすでに待っていた。壁にもたれ、スマートフォンを見ている。
莉奈に気づくと画面を消した。
「お疲れ」
「お待たせ」
「全然」
莉奈が靴を履き替える。悠斗も立ち上がった。
二人で校門へ向かう。
「友達と帰らなくてよかったの?」
突然聞かれて、莉奈は悠斗を見る。
「なんで?」
「いつも一緒だろ」
「よく見てるね」
「同じクラスだから、それくらいは」
「高瀬が一緒に帰るって言ったんでしょ」
「そうだけど」
「じゃあいいじゃん」
莉奈が先に歩く。悠斗も横に並んだ。
少しして、莉奈は気づいた。悠斗が車道側を歩いている。
最初からだったかは分からない。たまたまかもしれない。
わざとなのかもしれない。聞くほどでもない。
だから何も言わなかった。しばらく歩いたところで信号が赤になる。
二人で止まる。
「水瀬」
「ん?」
「今日、授業中眠かっただろ」
「なんで分かるの?」
「二時間目、三回あくびしてた」
「数えてたの?」
「たまたま見えた」
「絶対嘘」
「じゃあ四回だった?」
「そういうことじゃない」
莉奈は笑った。
「高瀬って、意外と人見てるんだね」
「普通だよ」
「でも今まで全然そんな感じしなかった」
信号が青になる。二人で歩き出す。
悠斗が少し考えるように前を見る。
「今までは、水瀬のことそんなに見る理由なかったから」
莉奈の足が一瞬遅れた。
「……今はあるの?」
悠斗も止まりかける。ほんの一瞬。
その反応を莉奈は見逃さなかった。さっきまで普通に話していたのに、急に視線を逸らした。
「一応、彼女だから」
答えはそれだけ。でも。
莉奈は少しおかしくなった。
「何?」
悠斗が聞く。
「いや」
「笑ってるだろ」
「高瀬も緊張するんだなと思って」
「してない」
「今、目逸らしたじゃん」
「信号見てた」
「青なのに?」
「安全確認」
「苦しいよ、それ」
悠斗が黙った。図星らしい。
莉奈はまた笑う。なんだ。
普通に緊張するんだ。昨日告白したときも驚いていた。
彼女ができたのも初めてだと言っていた。たぶん今日、一緒に帰ろうと誘うのだって、それなりに勇気が必要だったのだろう。
そう考えると。ほんの少しだけ。
胸の奥が痛んだ。一か月後。
この人に言わなければいけない。最初から嘘だったと。
「水瀬?」
「え?」
「どうした?」
「何が?」
「急に黙ったから」
「別に」
また即答してしまった。由依の言葉が頭をよぎる。
莉奈はごまかすように前を見る。
「ねえ、高瀬」
「何?」
「明日も一緒に行く?」
言ってから、自分で少し驚いた。悠斗も驚いたらしい。
「学校?」
「ほかにどこ行くの」
「ああ、うん」
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃない」
「じゃあ八時」
「分かった」
簡単に決まった。莉奈は前を向く。
ただの罰ゲーム。まだ二日目。
相手に怪しまれないために、彼女らしく振る舞っているだけ。そう。
それだけのはずだ。その夜。
莉奈はベッドに寝転がりながら、真帆とLINEをしていた。
『明日も高瀬と一緒に学校行く』
送信。数秒後。
『莉奈から誘ったの?』
『そうだけど』
またすぐに返ってくる。
『それ、もう普通に彼女じゃん』
莉奈は画面を見た。指が止まる。
少し考えてから、
『彼女のふりしてるんだから当たり前でしょ』
と送った。真帆からは笑っているスタンプ。
それだけだった。莉奈はスマートフォンを枕元へ置く。
目を閉じる。浮かんできたのは、今日の帰り道。
『今までは、水瀬のことそんなに見る理由なかったから』
ポイントそして。
『一応、彼女だから』
莉奈は目を開けた。
「……何考えてんだろ、私」
寝返りを打つ。まだ二日目。
あと二十八日。一か月は。
思っていたより少しだけ、長そうだった。




