第27話 嘘の終わり、本当の始まり
交際二十八日目、日曜日。木曜、金曜、土曜は、驚くほど普通に過ぎた。
朝は一緒に学校へ行き、帰りも二人で歩いた。手もつないだし、二人きりなら名前で呼んだ。
ただし。日曜日の話だけは、二人とも一度もしなかった。
午後一時五十分。俺は、最初のデートと同じ駅前の待ち合わせ場所に立っていた。
あの日と違って、服を三回確認することも、前髪をスマートフォンの画面で何度も見ることもない。それでも。
あの日より緊張している。今日。
全部話す。俺が最初から嘘告を知っていたこと。
一か月で莉奈を惚れさせて、仕返しするつもりだったこと。姉ちゃんたちにも、本当の告白だと思わせたまま協力してもらっていたこと。
そして。今は本当に莉奈が好きなこと。
どこまで話したら怒るのか。どこで泣くのか。
もしかすると。全部聞いたあとで、もう無理と言われるかもしれない。
それでも。隠したまま続ける方が嫌だった。
スマートフォンを見る。十三時五十七分。
少しして。人混みの向こうに莉奈が見えた。
俺もすぐ分かった。向こうも俺を見つける。
でも。今日はどちらも笑わなかった。
莉奈が前まで来る。
「……お待たせ」
「まだ二時前」
「早かった?」
「俺も早かった」
一瞬だけ。あの日と同じ会話になった。
それだけで少し緊張が和らぐ。莉奈も気づいたらしい。
「最初のデートもこんな感じだったね」
「莉奈が俺見て止まった日」
「悠斗も止まってたでしょ」
「まあ」
少し笑う。でも。
すぐに静かになる。
「行く?」
俺が聞く。
「うん」
二人で歩き始める。今日は手をつながなかった。
どちらからともなく。たぶん。
今まで通りにしてしまうと、話せなくなる気がした。
「どこ行く?」
俺が聞く。莉奈は少し考える。
「前に座った公園、覚えてる?」
覚えている。休日に突然呼ばれた日。
何も決めずに歩いて、最後に二人で座った小さな公園。
「覚えてる」
「そこがいい」
「分かった」
駅前から少し離れる。いつもなら途中で何か話す。
今日は。あまり言葉が出なかった。
それでも気まずくはない。二人とも。
これから話すことを考えているだけだ。公園へ着く。
日曜だけど、人は少ない。少し離れた場所で子どもが遊んでいる。
俺たちは前と同じベンチへ座った。少し距離を空けて。
莉奈が自分の手を見る。俺も前を見る。
先に話すのは。たぶん莉奈だ。
そう思った。
「悠斗」
「うん」
「私からでいい?」
「うん」
莉奈はすぐには続けなかった。何度か息を整える。
それから。ゆっくり話し始めた。
「最初に告白したの、実は――」
「知ってる」
莉奈の言葉が止まった。完全に。
顔だけこちらへ向く。
「……え?」
「知ってる」
もう一度言った。莉奈はしばらく動かなかった。
「何を?」
声が少し震えている。
「最初の告白が嘘だったこと」
莉奈の顔から血の気が引いた。
「……なんで」
「聞いたから」
「誰に?」
「誰からでもない」
俺は一度息を吐いた。
「告白される前に、偶然聞いた」
莉奈の目が大きくなる。
「……いつ?」
「最初の日」
言う。
「真帆たちと話してたの。俺、一か月付き合って、本気になったところで罰ゲームだったって言うつもりだって」
莉奈は何も言わない。
「キスはなし。恋人っぽいことも本気ではしない。そういう話も」
顔がどんどん青くなる。
「全部」
俺は言った。
「最初から知ってた」
長い沈黙。莉奈は自分の膝を見る。
手が少し震えている。
「じゃあ」
やっと声が出る。
「私が告白したときも?」
「知ってた」
「付き合うって言ったときも?」
「知ってた」
「最初から?」
「うん」
莉奈が唇を噛む。俺は続ける。
ここで止めたら駄目だ。
「それで俺も」
一度。言葉が詰まる。
「仕返ししようと思った」
莉奈が顔を上げた。
「……仕返し?」
「うん」
「何を?」
言わなければならない。最初の。
一番恥ずかしいところまで。
「そっちがその気なら」
俺は莉奈を見る。
「一か月で、その唇奪ってやろうって思った」
莉奈が固まる。俺は苦笑した。
「今考えると、かなり痛いけど」
何も返ってこない。当然だ。
「惚れさせて」
続ける。
「莉奈が本気になったところで、俺は最初から知ってたって言ってやろうと思った」
言葉にすると。最低だ。
「だから最初は、莉奈が好きだから付き合ったわけじゃない」
莉奈の表情が変わった。やっぱり。
ここが一番痛い。
「じゃあ」
声が小さい。
「今まで全部」
「違う」
反射的に否定した。莉奈が俺を見る。
「最初はそうだった」
逃げない。
「最初は本当に、惚れさせてやろうと思ってた」
その上で。
「でも今は違う」
莉奈の目を見る。
「途中から変わった」
「いつ?」
「分からない」
本当に。一つの瞬間ではない。
映画館で指が触れたとき。髪型を褒められたとき。
家族と笑っていたとき。休日に理由もなく呼ばれたとき。
手をつないだとき。名前で呼ばれたとき。
写真を撮ったとき。少しずつ。
「気づいたら」
俺は続ける。
「莉奈と会うのが楽しくなってた」
莉奈は何も言わない。
「朝会うのも」
「帰るのも」
「手つなぐのも」
「名前で呼ばれるのも」
全部。
「仕返しとか関係なく、嬉しかった」
声が少し震える。自分でも分かる。
「だから」
今。言う。
「莉奈が好き」
初めて。本人に。
はっきり。
「本当に好き」
莉奈の目が揺れる。でも。
すぐには何も言わない。俺は続ける。
まだ。終わっていない。
「あと」
「姉ちゃんたちにも嘘ついてた」
莉奈が少し驚く。
「え?」
「莉奈が普通に告白してきたって言った」
「……なんで」
「本当のこと言ったら、絶対莉奈嫌われると思ったから」
最初は。それだけだった。
「あと」
「姉ちゃんたちに協力してほしかった」
莉奈が少し困った顔をする。
「協力?」
「服とか髪とか。女の子とどう距離取るとか」
そこまで言うと。莉奈の顔に。
ほんの少しだけ笑いが出た。
「……そんな理由?」
「最初は」
「最低」
小さく言われた。
「うん」
否定しない。
「かなり」
「姉妹まで騙して」
「うん」
「私を惚れさせるために?」
「最初は」
もう一度認める。莉奈が顔を伏せた。
「……ほんと最低」
「うん」
「私もだけど」
今度は。莉奈の番だった。
少しの沈黙。それから。
莉奈が話し始める。
「私」
「うん」
「最初、本当に軽く考えてた」
知っている。でも。
本人の口から聞く。
「高瀬なら」
莉奈は一度言葉を止める。
「信じそうって」
胸が少し痛む。でも。
もう逃げない。
「一か月くらいなら大丈夫だと思った」
「うん」
「そこまで傷つかないって」
「うん」
「私、何も知らなかった」
莉奈の声が震える。
「悠斗のこと」
「学校で静かで」
「服とか気にしなくて」
「女の子ともあんまり話さなくて」
それだけで。
「勝手に決めつけてた」
莉奈が自分の手を握る。
「最低だった」
「うん」
今度は俺が言う。莉奈が少し驚いてこちらを見る。
俺は続ける。
「最初にやったことは」
そこは。無理に優しくしない。
「普通にひどかったと思う」
莉奈の目が少し潤む。
「……うん」
「俺もだけど」
「悠斗は」
「俺も同じ」
止める。
「傷ついたからって、相手惚れさせて仕返ししようとした」
「でも」
「一緒だよ」
俺は言う。
「やり方が違うだけ」
どちらかだけが悪い。そういう話ではない。
莉奈が少しだけ泣きそうな顔で笑う。
「何それ」
「本当だろ」
「普通、もっと怒るところじゃない?」
「怒ったよ」
「いつ?」
「最初の日」
あの日。聞いた直後。
かなり腹が立った。
「だから仕返ししようとした」
「そっか」
「うん」
少しだけ。二人とも笑った。
変な話だ。最悪な始まりの話をしているのに。
少しずつ。空気が軽くなっていく。
莉奈が深く息を吸う。
「悠斗」
「何?」
「私も」
言う。
「好き」
知っている。でも。
本人から。今度は俺に向けて。
「前に蓮に言ったみたいに、誰かに向けてじゃなくて」
少し笑う。
「悠斗に言ってる」
胸が熱くなる。
「うん」
「本当に好き」
もう。疑う理由はない。
莉奈は続ける。
「だから怖かった」
「何が?」
「本当のこと言ったら」
声がまた少し揺れる。
「全部終わると思ってた」
「うん」
「手つなげなくなるのも」
「名前で呼べなくなるのも」
「家に行けなくなるのも」
一つずつ。俺も怖かったこと。
「全部嫌だった」
涙が一つ落ちる。
「終わらせたくなかった」
俺は何も言わなかった。ただ。
少し近くへ座る。莉奈も離れない。
「悠斗」
「何?」
「怒ってる?」
考える。
「最初のことは」
正直に。
「まだ少し」
莉奈が頷く。
「うん」
「でも」
続ける。
「今の莉奈まで嫌いにはならない」
莉奈の目を見る。
「むしろ好き」
また言う。今度はさっきより自然に言えた。
莉奈の涙がまた落ちる。
「……ずるい」
「何が?」
「今それ言うの」
「本当だから」
莉奈は少し笑いながら涙を拭いた。
「じゃあ」
聞く。
「これからどうする?」
莉奈の顔が少し止まる。
「どうするって?」
「一か月」
残り。二日。
「最初の予定なら、あと二日で終わり」
莉奈の表情が曇る。
「俺は」
先に言う。
「終わらせたくない」
迷わなかった。莉奈が俺を見る。
「俺はこれからも莉奈と付き合いたい」
「嘘じゃなく」
「仕返しでもなく」
「普通に」
「本当の彼女として」
莉奈の目がまた潤む。
「……私も」
小さい。
「私も終わりたくない」
「じゃあ」
少し緊張する。今さら。
でも。ちゃんと言う。
「改めて」
俺は莉奈を見る。
「俺と付き合ってください」
莉奈の顔が少し崩れた。泣きそうで。
笑っていて。
「……はい」
答える。
「お願いします」
本物。今度は。
最初から。本当の交際。
少しの間。二人とも何も言わなかった。
ただ。隣に座っている。
「変な感じ」
莉奈が言う。
「何が?」
「もう二十八日付き合ってるのに、今日が一日目みたい」
「そうかも」
「じゃあ今日から数え直す?」
「一日目?」
「うん」
少し考える。
「じゃあ一か月記念、また来月?」
「二回できるね」
「得した」
莉奈が笑う。それを見て。
本当に。終わらなくてよかったと思う。
でも。まだ一つある。
「莉奈」
「何?」
「家族」
笑顔が止まる。
「……うん」
「話さないと」
莉奈が一気に緊張する。
「やっぱり?」
「俺も嘘ついてたから」
「姉妹に?」
「母さんと父さんにも」
逃げられない。
「一緒に話そう」
俺が言う。莉奈は少し迷ったあと。
「うん」
頷いた。
「怒られるよね」
「たぶん」
「凛ちゃんに嫌われるかな」
それは。少し分からない。
「怒られるとは思う」
「うん」
「でも」
俺は少し笑う。
「凛、莉奈のことかなり好きだから」
「それが余計に怖い」
確かに。彩花姉も。
美咲姉も。母さんも。
父さんも。みんな莉奈を普通に受け入れている。
だからこそ。話す必要がある。
「今日行く?」
聞くと。莉奈の顔が引きつった。
「今日?」
「早い方がいいだろ」
「心の準備が」
「日曜に全部終わらせるって決めたじゃん」
「そうだけど」
莉奈が明らかに困っている。少し可哀想になった。
「じゃあ夕方?」
「時間の問題じゃない」
「今日来るって連絡しとく」
スマートフォンを出す。莉奈が俺の腕をつかむ。
「待って」
「何?」
「せめて」
深呼吸。
「あと一時間」
「何するの?」
「普通の彼女でいたい」
その言葉。少しだけ意味を考える。
そして。分かった。
真相を全部話した直後。家族に怒られる前。
今は。本当に。
何も隠していない恋人同士。
「分かった」
スマートフォンをしまう。
「一時間」
「うん」
莉奈が少し安心する。
「何する?」
俺が聞く。
「歩く」
「また?」
「いいじゃん」
いつもの。何も決めない時間。
二人で公園を出る。歩き始める。
数歩。俺は手を出した。
莉奈が握る。今までと同じ。
でも。意味は少し違う。
もう。演技ではない。
罰ゲームでもない。仕返しでもない。
本当の彼氏と。本当の彼女。
「悠斗」
「何?」
「今日、何点?」
久しぶり。その質問。
「何の?」
「彼氏」
「採点するの?」
「する」
俺は少し考える。
「百点?」
「自分で言う?」
莉奈が笑う。
「じゃあ何点」
「九十五」
「まだ五点足りない?」
「足りない」
「何すればいい?」
いつも聞いていた。そして。
いつも秘密と言われた。今日も同じだと思った。
感情でも。莉奈は少しだけ歩く速度を落とした。
「悠斗」
「何?」
こちらを向く。
「最初に」
少し照れている。
「一か月で私の唇奪うつもりだったんだよね」
一気に恥ずかしくなる。
「……忘れて」
「忘れない」
「あれは最初の俺が」
「知ってる」
莉奈が笑う。
「今は?」
聞かれる。心臓が跳ねる。
「今はって?」
「キスしたい?」
直球。無理。
さっきまで真相告白していたのに。今の方感情緊張する。
「……したいけど」
莉奈が黙った。言った。
もう遅い。
「でも」
続ける。
「無理にする気はない」
莉奈の顔を見る。
「莉奈がしたいと思うまで待つ」
美咲姉に言われたこと。キスする方法ではなく。
相手がしたいと思う男になれ。今なら。
意味が分かる。莉奈はしばらく俺を見ていた。
「……ほんと」
「何?」
「こういうところ」
「何が?」
「ずるい」
またそれ。
「俺何もしてないけど」
「してる」
莉奈が一歩。近づく。
俺は止まる。
「莉奈?」
もう一歩。かなり近い。
顔が。近い。
心臓が一気に速くなる。
「何?」
声がおかしい。莉奈が少し笑う。
「悠斗」
「うん」
「目閉じて」
無理。何をするか分かりすぎる。
「なんで」
「分かってるでしょ」
「でも」
「早く」
強い。俺は。
言われた通り。目を閉じた。
何も見えない。心臓だけがうるさい。
数秒。長い。
逃げた?そう思った瞬間。
唇に。柔らかい感触。
ほんの一瞬。触れて。
離れた。目を開ける。
莉奈が目の前にいる。顔が真っ赤。
俺も。たぶん同じ。
何も言えない。本当に。
何も。莉奈が先に口を開く。
「……百点」
それだけ。俺はまだ動けない。
「悠斗?」
「ちょっと待て」
「何を?」
「今整理してる」
前にも言った気がする。莉奈が笑う。
「また?」
「無理だろ」
俺は唇へ触れる。本当に。
キスした。いや。
された。そこで。
気づく。
「……俺」
「何?」
「奪われた?」
莉奈が一瞬止まる。それから。
笑った。ものすごく。
嬉しそうに。
「うん」
「最初、俺が奪うって」
「言ってたね」
「なんで逆になるんだよ」
「悠斗が遅いから」
「無理だって」
「だから」
莉奈が少しだけ胸を張る。
「私が奪いました」
完敗だった。俺は笑う。
「仕返し?」
聞く。莉奈も笑う。
「違う」
そして。今度は。
ちゃんと言う。
「好きだから」
その言葉に。もう嘘はない。
俺は少しだけ。莉奈の手を強く握った。
「次は」
言う。
「俺からでもいい?」
莉奈の顔がさらに赤くなる。
「……次がある前提?」
「ないの?」
少しだけ意地悪く聞く。莉奈が目を逸らす。
「あるけど」
小さい。でも聞こえた。
「じゃあ次」
「今日じゃないからね」
「分かってはいる」
本当は。全然分かっていない。
今すぐでもしたい。でも。
今日はこれでいい。最初に俺が決めた。
一か月でその唇を奪う。結局。
奪えなかった。それどころか。
俺の初めてのキスを。莉奈に先に奪われた。
でも。負けた気は。
全くしなかった。むしろ。
たぶん。これが一番よかった。
それから。二人で駅前へ戻った。
手をつないで。何度か目が合う。
そのたびに。どちらかが笑う。
さっきのことを思い出すから。
「悠斗」
「何?」
「もう普通にして」
「莉奈もだろ」
「私は普通」
「嘘つけ」
また笑う。少しして。
俺はスマートフォンを出した。
「家、連絡する」
莉奈の笑顔が消える。
「……現実に戻すの早くない?」
「一時間経った」
「ほんとに?」
「たぶん」
「時計見て」
見る。一時間二十分経っていた。
「過ぎてる」
「じゃあもっといいじゃん」
「何が」
「普通の彼女の時間」
そう言われると。少し嬉しい。
でも。行かなければならない。
俺は家族のグループLINEを開く。
『今日、莉奈連れて帰る』
すぐ既読。彩花姉。
『急だね』
凛。
『莉奈さん来るの?』
母さん。
『夕飯食べていく?』
いつも通り。胸が少し痛む。
俺は続けて送る。
『大事な話ある』
既読。今度は。
しばらく返信がない。最初に来たのは美咲姉。
『分かった』
それだけ。莉奈が横から画面を見ている。
「怖い」
「俺も」
「美咲さん怒るかな」
「怒る」
「即答?」
「たぶん一番怖い」
莉奈の顔がさらに強張る。
「帰ろうかな」
「駄目」
「冗談」
たぶん。半分本気。
俺は手を握る。
「一緒に怒られよう」
莉奈がこちらを見る。少しだけ笑う。
「うん」
今度は。逃げない。
俺たちは。高瀬家へ向かって歩き始めた。
嘘は。今日で終わる。
感情でも。俺たちは。
今日から始まった。本当の恋人として。




