第22話 家族会議に本人はいらない
交際二十一日目、日曜日。午前十時。
珍しく予定のない休日だった。昨日は莉奈たちとカラオケへ行き、帰りは二人で駅まで歩いた。
今日は会う約束をしていない。だから家でゆっくりすればいい。
そのはずだった。
「悠斗」
リビングへ入った瞬間、彩花姉に呼ばれた。ソファには美咲姉と凛までいる。
日曜の朝に三人揃っていること自体は珍しくないが、全員がこちらを見ると嫌な予感しかしない。
「何?」
「座って」
「嫌」
「まだ何も言ってないじゃん」
「その始まり方でろくなことなかったから」
逃げようとすると、凛がテーブルの向かいを指さした。
「お兄ちゃん、早く」
「何でお前まで」
「今日は大事な話」
さらに怪しい。キッチンでは母さんがコーヒーを入れている。
助けを求めて見ると、普通に目を逸らされた。
「母さん」
「何?」
「これ何」
「知らない」
「絶対知ってるだろ」
「私は参加してないわよ」
参加していないだけで内容は知っているらしい。仕方なく椅子へ座る。
彩花姉が満足そうに頷いた。
「では始めます」
「何を」
「悠斗恋愛進捗確認会」
立ち上がろうとした。
「帰る」
「自分の家でどこに?」
美咲姉に言われる。確かに。
「俺、部屋戻る」
「座って」
美咲姉の声は静かだった。俺は座った。
凛が小さく笑う。
「美咲姉には弱い」
「お前もだろ」
「私は逆らわないから」
賢い。彩花姉がスマートフォンをテーブルへ置く。
「まず確認」
「何」
「昨日、莉奈ちゃんと名前呼びになった?」
俺は固まった。
「……なんで知ってる」
凛が手を上げる。
「私」
犯人はこいつだった。
「水瀬から聞いたの?」
「莉奈さんね」
わざとだ。
「何でそんなことまで話してるんだよ」
「女子だから」
万能すぎる、その言葉。彩花姉が楽しそうに聞く。
「で? 悠斗は何て呼んでるの?」
答えたくない。
「水瀬」
凛がすぐ言う。
「嘘」
「何でお前が答えるんだよ」
「二人のときだけ莉奈って呼んでるんでしょ」
全部ばれている。美咲姉まで少し笑った。
「意外と進んでるね」
「進んでない」
「じゃあ名前呼んでないの?」
「……呼んでるけど」
「進んでるじゃん」
彩花姉が言う。面倒くさい。
「名前くらい普通だろ」
「付き合って二十日ずっと名字だった二人が?」
何も返せない。凛が続ける。
「しかも二人のときだけ」
「それは真帆たちにいじられるから」
「昨日ばれたって莉奈さん言ってたよ」
そこまで報告されている。
「水瀬、凛に何でも話してない?」
「莉奈さん」
「どっちでもいいだろ」
「よくない」
呼び方警察までいる。そこへ父さんが階段から降りてきた。
「おはよう」
「遅いよ、お父さん」
彩花姉が言う。父さんはテーブルを見る。
「何してんの?」
「悠斗の恋愛会議」
「おお」
参加するな。父さんが空いている椅子へ座った。
「どこまで行った?」
「帰って」
「父さんの家だぞ」
俺と同じ返しをされた。母さんが父さんの前へコーヒーを置く。
「あなたは余計なこと言わないでよ」
「まだ何も言ってない」
「これから言うでしょ」
信用がない。彩花姉が話を戻す。
「名前呼び以外は?」
「何もない」
凛が俺を見る。
「手」
忘れていた。
「お前」
「ごめん」
全然悪いと思っていない。彩花姉の目が変わる。
「手つないだの?」
美咲姉も少し驚いている。父さんは嬉しそうだ。
「青春だなあ」
「お父さん黙って」
凛に止められる。
「誰から?」
彩花姉が聞く。
「何でそこまで言わないといけないんだよ」
「重要だから」
「何に」
「分析」
何を分析するんだ。答えないでいると、凛が言う。
「最初は莉奈さんから」
「凛!」
「だって知ってるし」
「じゃあ二回目は?」
彩花姉が聞く。凛が俺を見る。
そこは知らないらしい。少し勝った気がした。
「言わない」
「悠斗から?」
その質問で顔に出たのかもしれない。彩花姉が笑った。
「あ、悠斗からだ」
「何も言ってない」
「分かりやすい」
最近こればかりだ。美咲姉は俺たちのやり取りを見ながら、少しだけ笑っていた。
「悠斗」
「何?」
「嬉しかった?」
急に質問が変わった。
「何が」
「手をつないだこと」
こういう聞き方をされると逃げにくい。少し考える。
「……まあ」
「まあ?」
「嬉しかったよ」
言うと、なぜか全員静かになった。
「何」
彩花姉が笑う。
「いや。ちゃんと言えるようになったなと思って」
「何が」
「前なら『彼女だから普通』とか言って逃げてたじゃん」
確かに。最初のころは何でもそう説明していた。
彼女だから。彼女役だから。
俺はそうやって全部理由をつけていた。最近は少し違う。
手をつなぎたい。名前で呼びたい。
会いたい。それを全部、彼女だからだけでは説明できなくなっている。
父さんがコーヒーを飲みながら聞いた。
「で、好きなのか?」
いきなり核心だった。
「お父さん!」
彩花姉が言う。
「そこ今みんな避けてたのに」
「なんで?」
「本人に考えさせるため」
「聞いた方が早いだろ」
父さんらしい。俺は何も言わなかった。
全員の視線が集まる。母さんだけはキッチンで朝食の片づけを続けていた。
「悠斗」
父さんがもう一度呼ぶ。
「今どう思ってる?」
冗談っぽさが消えていた。俺は少し考える。
最近の莉奈が浮かぶ。初デート。
家に来た日。姉ちゃんたちと出かけた日。
突然呼び出された日。ボウリング。
初めて手をつないだ帰り道。名前を呼んだ昨日。
一つずつ思い出す。答えは。
もう分かっている。でも口にするとなると、少し違う。
「……たぶん」
彩花姉がため息をついた。
「まだたぶん?」
「いや」
自分でも違うと思った。もう一度考える。
「好きだと思う」
今度は口にした。リビングが静かになる。
言ってから、妙に恥ずかしくなった。
「何だよ」
凛が笑う。
「やっと認めた」
「うるさい」
彩花姉も嬉しそうだ。
「長かったね」
「二十日だけど」
「悠斗には長い」
美咲姉だけはすぐには笑わなかった。
「悠斗」
「何?」
「莉奈ちゃんには言った?」
「言ってない」
「そっか」
それだけ。でも、その表情が少し気になった。
「何?」
「別に」
「美咲姉までそれ使う?」
美咲姉が笑う。
「好きって気づいたなら、これからは自分の気持ちもちゃんと考えなさい」
「自分の?」
「相手をどうしたいかじゃなくて、自分がどうしたいか」
最初。俺は莉奈を惚れさせようとしていた。
一か月で、その唇を奪う。相手をどう動かすか。
ずっとそればかり考えていた。感情でも今は。
「……分かった」
答える。父さんが肩を叩こうとしてきたので避ける。
「何」
「息子よ」
「やめて」
「ついに初恋か」
「黙って」
「父さん感動してる」
凛が冷たく言う。
「お父さん何もしてないじゃん」
「見守った」
「余計なことしか言ってない」
「それも父親の仕事」
「違うと思う」
いつもの空気に戻る。俺は少し安心した。
そこへインターホンが鳴った。母さんがモニターを見る。
「あら」
嫌な予感。
「拓真くん」
もっと嫌な予感。数分後。
「お邪魔しまーす」
拓真が入ってきた。リビングへ来る。
全員揃っているのを見て止まる。
「何してるんですか?」
父さんが答える。
「悠斗の初恋会議」
「お父さん!」
俺が言う。拓真の顔が変わる。
「初恋?」
「違う」
「今好きって認めたところ」
凛が追加する。
「凛!」
拓真が俺を見る。数秒。
そして。
「おめでとう」
「何が」
「やっとか」
「お前まで」
拓真は普通に俺の隣へ座った。
「で、水瀬に言った?」
「なんで全員同じこと聞くんだよ」
「言ってないんだな」
勝手に理解された。
「まあ悠斗だしな」
「どういう意味」
「そこまで行くのにあと十日はかかる」
父さんが頷く。
「分かる」
「何で父さんまで」
「息子だから」
絶対分かっていない。凛が拓真を見る。
「それより先輩、今日何しに来たんですか」
拓真の顔が変わる。
「凛ちゃんに会いに」
「帰ってください」
早い。
「まだ玄関入って三分くらいだよ」
「十分です」
「日曜だよ?」
「知ってます」
「暇?」
「暇でも先輩とは出かけません」
昨日と何も変わっていない。拓真が俺を見る。
「悠斗。恋愛相談」
「俺に?」
「今のお前なら何か分かるかもしれない」
「俺、さっき好きって気づいたところだぞ」
「俺より進んでる」
基準が低すぎる。彩花姉が笑う。
「拓真は押しすぎ」
拓真が振り返る。
「そうですか?」
「かなり」
美咲姉も頷く。
「凛が嫌がってるときは引いた方がいいよ」
拓真の顔が真剣になる。
「引いたら忘れられません?」
凛が呆れた顔をする。
「忘れませんよ。毎週来るから」
「じゃあ来週も」
「そういう意味じゃないです」
全員笑った。母さんがキッチンから言う。
「拓真くん、お昼食べていく?」
「はい!」
返事だけは早い。
「お母さん」
凛が不満そうに言う。
「いいじゃない。昔から来てるんだから」
「これだから先輩帰らないんだよ」
「凛ちゃんも一緒に食べよう」
「家なので食べます」
「デートみたいだね」
「違います」
「拓真」
俺が言う。
「何?」
「もう黙れ」
「はい」
珍しく素直だった。昼前。
俺は一度自分の部屋へ戻った。ベッドへ座り、スマートフォンを見る。
連絡はない。別に毎日朝からLINEするわけではない。
それなのに、莉奈の名前が表示されていないと少し気になる。連絡先は昨日変えたまま。
『莉奈』
画面を見る。好き。
さっき初めて、自分の口で言った。誰かに言われたからではない。
家族に囲まれて逃げられなかったのは確かだが、答え自体はもう自分の中にあった。莉奈が好き。
そう思って改めてトーク画面を見ると、少し変な感じがする。今までのLINEまで違って見える。
『今日の髪、やっぱりよかった』
『昨日買った服着る』
『帰りも一緒ね』
『おやすみ、悠斗』
一つずつ思い出す。もしかして。
そんな考えが浮かぶ。莉奈も。
俺のことを。そこまで考えて。
やめた。他人の恋愛なら、たぶんもう判断できる。
行動だけなら。かなり分かりやすい。
でも。相手が莉奈だと。
自信がない。俺に対してだけは。
全部、別の理由があるように思えてしまう。スマートフォンが震えた。
莉奈。心臓が少し跳ねる。
『何してる?』
昨日までなら普通に返していた。今日は違う。
好きだと認めた直後。たったそれだけで、文字を打つ指まで少し迷う。
『家。拓真来てる』
送る。すぐ既読。
『また?』
『また』
『凛ちゃん大丈夫?』
笑ってしまう。
『今追い返そうとしてる』
返信。
『頑張れ凛ちゃん』
俺の味方ではない。
『俺の友達なんだけど』
『凛ちゃんも友達だから』
昨日と同じ。でも今は、その言葉が少し嬉しい。
莉奈が俺の家族と仲良くしている。それが嬉しい。
少し間が空く。
『今日暇?』
画面を見る。暇。
本当に暇だ。でも。
昨日会った。今日まで会う必要はない。
そう思うのに。答えは決まっていた。
『暇』
すぐ既読。
『じゃあ』
少し間。
『会う?』
俺は画面を見た。好きだと気づいた日に。
向こうから会おうと言われた。タイミングが良すぎる。
『会う』
送る。考える前に送っていた。
数秒後。
『じゃあ3時に駅前』
『了解』
決まった。部屋を出る。
リビングへ戻ると、拓真が凛に何か話しかけ、また無視されている。彩花姉が俺を見る。
「どこ行くの?」
まだ何も言っていない。
「何で」
「顔」
本当に嫌だ。
「三時から出る」
凛がすぐ反応する。
「莉奈さん?」
「何で分かる」
「その顔」
全員同じことを言う。拓真が笑う。
「好きって認めた一時間後にデート?」
「デートじゃない」
言ってから。止まる。
父さんが笑う。
「まだそこは否定するのか」
確かに。二人で会う。
好きな相手と。それなら。
「……デートかも」
自分で言った。彩花姉がテーブルを叩く。
「進歩!」
「うるさい」
美咲姉が笑う。母さんはキッチンから、
「お昼食べてから行きなさい」
とだけ言った。普通。
それがありがたい。午後三時。
駅前。莉奈は先に来ていた。
俺を見る。
「おは……じゃないね」
「もう三時」
「こんにちは?」
「今さら?」
二人で笑う。いつもと同じ莉奈。
感情でも今日は。俺の中だけが違う。
莉奈が好きだと分かっている。それだけで。
顔を見るだけでも少し緊張する。
「悠斗」
「何?」
「今日変じゃない?」
早い。
「何が?」
「なんか」
莉奈が俺を見る。
「いつもより見てくる」
ばれている。
「気のせい」
「ほんと?」
「たぶん」
「またたぶん」
莉奈が笑う。俺も笑う。
まだ。好きとは言わない。
今日気づいたばかりだ。感情でも。
好きだと分かった状態で莉奈の隣を歩く。それがどんな感じなのか。
少し知りたかった。
「どこ行く?」
俺が聞く。
「決めてない」
まただ。以前も同じことがあった。
「また何も決めずに呼んだの?」
「悪い?」
「悪くない」
むしろ。今はそれが嬉しい。
理由がなくても。会いたいから会う。
それでいい。莉奈が歩き始める。
俺も隣へ並ぶ。数歩。
俺は普通に手を出した。莉奈も何も言わず握る。
以前のように採点もしない。もう。
それが少しずつ普通になっている。
「悠斗」
「何?」
「今日どうしたの?」
やっぱり気づかれる。
「何もない」
「絶対何かある」
「ないって」
莉奈は疑っている。でも。
俺は少し笑った。今日。
俺の中では。かなり大きなことがあった。
水瀬莉奈が好きだと。やっと。
自分で認めた。ただそれを本人に伝えるのは。
もう少しだけ。先になりそうだった。




