第16話 友達の距離、彼氏の距離
交際十五日目、月曜日。朝の待ち合わせ場所へ行くと、莉奈はいつも通りスマートフォンを見ながら待っていた。
昨日も夕方まで一緒にいたのだから、特別話すことなんてないはずなのに、顔を見ると少し安心する。
「おはよう」
「おはよ」
莉奈は俺を見ると、最初に髪を確認した。
「今日も大丈夫」
「毎朝検査する気?」
「私が気に入ってる髪なんだから、ちゃんとしてもらわないと」
普通に言ってから、莉奈自身が少し止まった。
「……何?」
「いや。今、自分で言ってちょっと変だと思った」
「何が?」
「何でもない」
またそれだ。並んで学校へ向かう。
昨日は予定もないまま駅前を歩き、昼を食べ、公園で話して帰った。デートと呼ぶほど何かをしたわけではないが、それでも初デートより自然で、気づけば拓真との約束まで忘れていた。
「昨日さ」
莉奈が言う。
「うん」
「黒瀬くん、怒ってなかった?」
「全然。凛がいないって言ったら許された」
「基準そこなんだ」
「最近あいつ、俺より凛目的で家来てるから」
莉奈が笑う。
「凛ちゃん、本当に全然相手にしてないよね」
「昨日もLINEしてた?」
「したよ」
「俺の知らないところで?」
「LINEってそういうものでしょ」
正論だった。
「何話した?」
「教えない」
「また?」
「女同士の秘密」
二日前に会ったばかりなのに、完全に仲間になっている。しかも最近、凛から俺への当たりが少し強くなった気がするので、たぶん何か吹き込まれている。
学校へ着くと、真帆たちはすでに教室にいた。俺と莉奈が一緒に入ると、真帆がすぐこちらを見る。
「おはよ。昨日どうだった?」
莉奈が止まった。
「何が?」
「何がって、昨日」
「なんで知ってるの?」
「聞いたから」
「誰に?」
真帆は笑って俺を指さした。俺も止まる。
「俺?」
「昨日の夜、莉奈から急に呼ばれたって拓真が愚痴ってた」
「黒瀬くん経由?」
「そう」
俺たちの情報網、広がりすぎではないか。由依も少し笑っている。
「二日連続だったんだね」
「土曜は高瀬いなかったでしょ」
莉奈が言う。
「日曜は?」
「暇だったから」
真帆の口元が上がる。
「二人とも?」
「そう」
「だから会った?」
「そうだけど」
「へえ」
莉奈が睨む。
「何」
「何でもない」
最近、本当にみんなこれを使う。そこへ陸と蓮も来た。
「何の話?」
陸が聞く。真帆が即答する。
「昨日、莉奈が高瀬呼び出してデートしてた話」
「デートじゃない!」
莉奈の否定が早い。俺は少しだけ引っかかった。
昨日、本人はデートだとは言わなかったし、俺もそう呼んではいない。でも、否定されると、なぜか少しだけ気になる。
「違うの?」
陸が聞く。
「ただ会っただけ」
「二人で?」
「うん」
「それ普通にデートじゃね?」
「違うって」
莉奈が俺を見る。
「高瀬も何か言ってよ」
「俺?」
何を言えばいい。少し考える。
「俺は別に、どっちでもいいけど」
「どっちでもいい?」
莉奈の眉が動いた。答えを間違えたらしい。
「いや、楽しかったし」
「それ聞いてない」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
陸が笑う。
「朝から彼氏彼女してんな」
「してない!」
莉奈が言う。でも、その否定にも少し違和感がある。
俺たちは付き合っていることになっているのだから、彼氏彼女しているのは当然ではないのか。その横で、蓮だけは笑っていなかった。
「昨日も会ってたんだ」
莉奈を見る。
「うん」
「急に?」
「うん。ちょっと服見せたくて」
俺は蓮を見る。ほんの一瞬だけ、表情が止まった。
「そっか」
それだけだった。やっぱりこいつは莉奈が好きだ。
分かっているからこそ、胸の奥に少しだけ出たこの嫌な感じも、攻略相手の周りにいる男だから気になるだけだと思いたかった。昼休み。
いつもの六人で机を寄せる。昨日、蓮から話があった放課後の予定も、その場で決めることになった。
「駅前のボウリング行かない?」
陸が言う。
「急にボウリング?」
真帆が聞く。
「六人いるしちょうどいいじゃん」
「私下手だよ」
由依が言う。
「俺も下手」
俺も答えた。莉奈がこちらを見る。
「高瀬、何でもできそうなのに」
「なんで」
「最近そういうイメージ」
「運動は普通」
「じゃあ勝負しよ」
「何を賭けるの」
「負けた方がジュース」
「いいよ」
俺と莉奈の話が勝手に進む。蓮が少し笑った。
「俺も入れてよ」
「三人?」
莉奈が聞く。
「いいじゃん。負けたやつが二人分」
「それ一番嫌」
陸が笑う。
「じゃあチーム戦にしようぜ」
そこから適当に二チームへ分けることになり、陸がスマートフォンのくじ引きアプリを使った。結果は、俺、真帆、由依。
莉奈、蓮、陸。
「お」
陸が笑う。
「バランスよくね?」
別に普通の組み合わせだ。それなのに、莉奈と蓮が同じチームになったことが少しだけ気になった。
「高瀬」
莉奈が俺を見る。
「何?」
「負けたらジュースね」
「チーム戦なのに?」
「個人スコアも見る」
「結局やるのかよ」
莉奈が楽しそうに笑う。その笑顔を見たら、さっきの引っかかりは少し消えた。
放課後、六人で駅前のボウリング場へ向かう。歩いている途中、真帆と由依が前を歩き、陸はその横。
俺は少し後ろを歩いていた。莉奈は蓮と話している。
昔からの友達だから距離が近く、蓮が何か言うたびに莉奈が笑い、時々その腕を軽く叩く。見慣れた光景のはずだった。
付き合う前から、あの二人は普通にああいう距離だった。でも、今は少し違って見える。
「悠斗」
横から声がした。真帆だった。
いつの間にか歩く速度を落としている。
「何?」
「何見てんの?」
「別に」
「莉奈?」
「違う」
「蓮?」
図星に近い。
「何でそうなる」
「分かりやすいから」
真帆が笑う。
「高瀬ってさ、莉奈のことになると本当に自分だけ分かってないよね」
また言われた。
「普通に見てただけ」
「はいはい」
真帆は前へ戻っていく。俺はもう一度莉奈を見る。
ちょうど目が合い、莉奈が少し首を傾げたので、俺は何でもないように前を向いた。ボウリング場へ着き、靴を借りてレーンへ移動する。
予想通り、俺は普通だった。上手くもないし、壊滅的でもない。
一ゲーム目の途中、莉奈が投げる。ボールは右へ曲がって七本倒れた。
「惜しい」
蓮が言う。
「今絶対いけたと思った」
「手首開いてるんじゃない?」
「分かんない」
蓮が莉奈の横へ立ち、軽く腕の動きを見せる。距離が近い。
俺はボールを拭きながら、それを見る。
「高瀬」
由依に呼ばれた。
「次だよ」
「あ、うん」
立ち上がって投げる。思いきり左へ逸れた。
三本。後ろから笑い声が聞こえる。
「高瀬、急に下手になった!」
莉奈だ。
「うるさい」
戻ると、真帆が俺を見る。
「集中しなよ」
「してる」
「へえ」
またその顔。二投目は六本倒した。
席へ戻ると、莉奈が楽しそうに笑っている。
「ジュース見えてきたね」
「まだ一ゲーム目だろ」
「焦ってる?」
「全然」
「さっき三本だったけど」
「たまたま」
蓮も笑う。
「高瀬、こういうの苦手なんだな」
「普通だよ」
「もっと何でもできるタイプかと思ってた」
「それ水瀬にも言われた」
「最近変わったからじゃない? 前はもっと目立たなかったし」
悪意はない。普通の言葉だ。
「そうだな」
俺も普通に返す。得意げではない。
でも、そのあと蓮が莉奈を見る。
「莉奈も最初、高瀬なら騙――」
止まった。ほんの一瞬だったが、俺は聞き逃さなかった。
莉奈の表情が変わる。真帆も、由依も、陸まで蓮を見る。
「何?」
俺は聞いた。蓮がすぐに笑う。
「いや、高瀬ならこういうの苦手そうって言ってたなって」
明らかに無理がある。でも俺は何も知らない顔をした。
「そう?」
「うん」
莉奈は黙っている。俺はボールを取りに行き、背中を向けたところで少し息を吐いた。
『騙されそう』
たぶん、それを言いかけた。分かっている。
最初から。今さら傷つく話ではないはずなのに、最近は少しだけ、その事実を忘れていた。
二ゲーム終わるころには、空気は元に戻っていた。結果は俺が百二十一、莉奈が百二十八。
七点差。
「勝った」
莉奈が手を出す。
「何その手」
「ジュース」
「今?」
「約束」
仕方なく自動販売機へ向かうと、莉奈もついてきた。
「何飲む?」
「ミルクティー」
「分かった」
買って渡す。
「ありがとう」
受け取った莉奈は、少しだけ俺の顔を見る。
「高瀬」
「何?」
「さっき……」
たぶん、蓮の言いかけた言葉だ。
「何?」
知らないふりをする。
「……何でもない」
やっぱり言わない。
「そっか」
俺も聞かない。莉奈はミルクティーを持ったまま、しばらく黙っていた。
「水瀬」
「何?」
「楽しかった?」
「え?」
「ボウリング」
急な質問だったらしい。
「うん。楽しかった」
「ならいい」
「何それ」
「別に」
俺が笑うと、莉奈も少し笑った。みんなのところへ戻る途中、蓮がこちらへ来た。
「莉奈」
「何?」
「ちょっといい?」
俺の足が止まる。莉奈も少し驚く。
「何?」
「少しだけ」
二人が少し離れたところへ行く。俺は見ないようにした。
でも、ものすごく気になる。
「高瀬」
陸が横へ来た。
「何?」
「あいつ、たぶん謝ってるだけだぞ」
「何を?」
「さっきの言いかけたやつ」
「俺、気にしてないけど」
「そう?」
「うん」
陸は俺を見たあと、少し間を置いた。
「お前さ。蓮が莉奈のこと好きなの、気づいてる?」
「気づいてる」
陸の目が少し大きくなる。
「そこは気づくんだ」
「分かりやすいだろ」
「じゃあ平気?」
何が、と聞き返そうとしてやめた。結局、
「何が?」
と聞く。
「莉奈と蓮」
陸が二人を見る。俺もつられて見る。
莉奈が何か言い、蓮が少し困ったように笑っている。長い付き合いだからこその距離。
「別に」
答える。陸がこちらを見る。
「ふーん」
「何だよ」
「いや、高瀬も大変だなと思って」
「何が」
「自分で気づいてないならいいや」
またそれだ。最近、みんな俺に同じことを言う。
数分後、莉奈が戻ってきた。
「高瀬」
「何?」
「帰るとき一緒でいい?」
普通の質問。でも俺は、ほとんど考えずに答えた。
「うん」
莉奈が少し安心した顔をする。その顔を見た瞬間、胸の奥の嫌な感じが少し消えた。
帰りは駅前でみんなと別れ、俺と莉奈は同じ方向へ歩く。しばらくして、莉奈が口を開いた。
「蓮ね」
「うん」
「さっき変な言い方してごめんって」
やっぱり。
「そっか」
「それだけ?」
「他に何言えばいい?」
「気にならないの?」
俺は少し考えた。本当は、何を話していたのかずっと気になっていた。
「少しは」
正直に答える。莉奈が俺を見る。
「少し?」
「二人で離れて話してたから」
「ふーん」
なぜか嬉しそうだ。
「何」
「別に」
「またそれ?」
莉奈が笑う。しばらく歩いたあと、俺は前を向いたまま聞いた。
「水瀬」
「何?」
「蓮と仲いいよな」
莉奈が少し驚く。
「昔から友達だし」
「どれくらい?」
「中学から」
「へえ」
知っている。たぶん。
でも聞きたかった。
「よく二人で出かけたりする?」
「前はあるよ」
胸の奥が少し重くなる。
「二人で?」
「うん。買い物とか」
「そう」
自分で聞いたくせに、面白くない。莉奈が俺の顔を覗く。
「高瀬」
「何?」
「やっぱり嫉妬してる?」
まただ。
「違う」
反射で答えかけて、止まった。莉奈も気づく。
「……何?」
俺自身も分からない。これを攻略上の警戒と言えば、今まで通りだ。
蓮は莉奈が好きなのだから、気にするのは当然。でも、莉奈と蓮が昔二人で出かけていたと聞いただけで、なぜ面白くないのか。
それは攻略と関係あるのか。
「分からない」
初めてそう答えた。莉奈が黙る。
「え?」
「自分でも分からない。蓮が水瀬のこと好きなのは分かってる」
莉奈の足が止まりかける。
「……知ってるの?」
「たぶん」
「いつから?」
「最近」
本当は結構早い段階から気づいていた。でも問題はそこじゃない。
「だから気になるだけだと思ってた」
「思ってた?」
「うん」
そこまで言って、俺は黙った。莉奈も何も言わない。
少し歩いてから、莉奈が小さく呼ぶ。
「高瀬」
「何?」
「私……蓮のこと、そういう意味で好きじゃないよ」
今度は俺が止まった。莉奈も止まる。
「……なんでそれ俺に言うの?」
聞くと、莉奈は一瞬困った顔をした。
「知らない」
「知らないって」
「言っといた方がいい気がしたから」
それだけ言って歩き始める。俺も追う。
胸の奥が、さっきよりずっと軽い。
「水瀬」
「何?」
「ありがとう」
「なんでお礼言うの」
「知らない」
今度は俺が同じ答えをした。莉奈が笑う。
「変の」
「水瀬に言われたくない」
並んで歩く。俺はまだ、自分が何を感じているのか分からない。
ただ、蓮が莉奈を好きだと知っていることより、莉奈が蓮を好きではないと聞いたことの方がずっと大きく残った。それだけは、もう攻略のためだけでは説明できない気がしていた。




