第11話 お前のねぇちゃん強すぎ
交際九日目、火曜日。学校での俺の扱いは、昨日ほど騒がしくはなかった。
髪型を変えたことにも一日で慣れたらしく、朝に何人かから声をかけられた程度だ。莉奈も昨日より機嫌がよく、イヤリングの代わりに今日は髪留めを変えていた。
もちろん気づいた。
「今日これ?」
朝、そう言って指さすと、莉奈は少し悔しそうな顔をした。
「早い」
「何が」
「もうちょっと悩んでよ」
「気づけってことじゃなかったの?」
「そうだけど、簡単すぎると面白くない」
難しい彼女だと思う。もっとも、本当の彼女ではない。
そのことを最近忘れそうになる自分が、一番危ない。放課後。
「悠斗、今日暇?」
帰り支度をしていると、拓真が声をかけてきた。
「暇だけど」
「家行っていい?」
「なんで」
「久しぶりにおばさんの飯食いたい」
「目的そこ?」
「あと凛ちゃん」
「帰れ」
まだ学校だが。拓真は笑いながら鞄を持つ。
「最近行ってないじゃん」
「先週来ただろ」
「一週間は長い」
「何に対して?」
「凛ちゃん不足」
本気で気持ち悪い。
「本人に言うなよ」
「言ってる」
「もっと悪い」
それでも結局、一緒に帰ることになった。こいつは昔からうちに出入りしているので、断ったところで別の日に勝手に来る。
途中、莉奈たちと昇降口で一緒になった。
「高瀬、今日一緒に帰らないの?」
「今日は拓真が家来る」
「黒瀬くん?」
「うん」
拓真が横から手を上げる。
「高瀬家にお邪魔してきます」
「よく行くの?」
莉奈が聞く。
「昔から。俺にとって第二の実家みたいなもん」
「勝手に実家増やすな」
「おばさん優しいし、美咲さんは怖いし、彩花さんにも昔からいじられるし」
「後半いいこと一つもないじゃん」
真帆が笑う。拓真は気にせず続けた。
「でも凛ちゃんだけは違う」
嫌な予感がした。
「言うな」
「凛ちゃんは俺の天使だから」
「帰れ」
「今からお前んち行くんだよ」
莉奈たちが笑う。
「凛ちゃんって、高瀬の妹だよね?」
「そう」
「黒瀬くん、妹狙ってるの?」
真帆が面白そうに聞く。
「狙ってるって言い方やめて。純愛だから」
「本人は?」
由依が聞いた。拓真が一瞬黙る。
俺が代わりに答える。
「全く相手にされてない」
「悠斗」
「事実だろ」
莉奈が笑いながら拓真を見る。
「会ってみたいな、凛ちゃん」
その言葉に少しだけ反応した。前にも言っていた。
俺の家族に会いたい。水瀬にとっては何気ない話なのだろうが、俺にとってはそうではない。
「そのうちな」
答えると、莉奈は普通に頷いた。
「うん」
その一言が妙に自然だった。俺たちは校門前で別れた。
帰り道、拓真が横からこちらを見る。
「なあ。水瀬、普通にお前んち来る気じゃん」
「そうみたいだな」
「いいの?」
その質問には、すぐ答えられなかった。
「……分からない」
「姉ちゃんたちは呼ぶ気満々だろ」
「母さんも」
「じゃあ時間の問題じゃね?」
そうなのだ。問題は、そこだった。
莉奈が高瀬家に来れば、姉ちゃんたちは間違いなく歓迎する。母さんは普通に飯を出すし、父さんは余計なことを言う。
そしてたぶん、莉奈もそれなりに馴染む。一か月後に終わる関係なのに。
「悠斗」
拓真が言う。
「今さらだけどさ、本当に一か月で終わらせられる?」
「終わらせるのは水瀬だよ」
「そういう意味じゃない」
俺は答えなかった。拓真も、それ以上聞かなかった。
高瀬家に着く。
「ただいま」
「お邪魔しまーす」
リビングから母さんの声がした。
「拓真くん?」
「はい。今日ご飯あります?」
「あるわよ」
「やった」
「お前、飯目当て隠さなくなったな」
「おばさんの飯うまいし」
母さんは笑っている。昔からこうだ。
拓真は俺の家で遠慮というものをほとんどしない。リビングへ入ると、彩花姉がソファに座っていて、美咲姉はテーブルでノートパソコンを開いていた。
「お久しぶりです」
拓真が頭を下げる。彩花姉が顔を上げた。
「一週間ぶりくらいじゃない?」
「俺には長かったです」
「凛ならまだ帰ってないよ」
一発で目的を見抜かれた。
「いや、別に凛ちゃん目当てじゃ」
「嘘つかなくていいよ」
美咲姉まで言う。拓真が俺を見る。
「お前のねぇちゃん強すぎ」
「今さら?」
「何年経っても慣れない」
美咲姉が静かに拓真を見る。
「何か言った?」
「何も言ってません」
早い。俺は鞄を置いて冷蔵庫から麦茶を出した。
「拓真も飲む?」
「もらう」
二人分を用意していると、彩花姉が俺を見た。
「悠斗。今日、莉奈ちゃんとどうだった?」
また始まった。
「普通」
「普通って何」
「朝一緒に行って、昼食べて、少し話して終わり」
「何か変わってた?」
凛みたいな質問をする。
「髪留め」
彩花姉が止まる。拓真も止まる。
「気づいたの?」
「見れば分かるだろ」
彩花姉がため息をついた。
「これだから」
「何が」
「学校で封印してたの正解だったね」
拓真が大きく頷く。
「本当にそう思います」
「お前まで何なんだよ」
「最近よく分かった」
二人で勝手に納得している。美咲姉はパソコンから目を上げずに聞いた。
「悠斗は楽しい?」
昨日と同じ質問だった。少し考える。
「楽しいよ」
「そう」
それだけ。美咲姉はまた画面へ視線を戻す。
でも俺は、その質問の意味を少し考えた。相手を楽しませられているかではなく、俺自身が楽しいか。
最近、美咲姉も彩花姉もそこを気にしている。
「ねえ」
彩花姉が突然言った。
「今週末、莉奈ちゃん呼べば?」
麦茶を飲みかけて止まった。
「何で?」
「会いたいから」
「理由が直球すぎる」
「彼女なんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあいいじゃん」
拓真が横から頷く。
「俺もいいと思う」
「お前に決定権ないから」
「俺も来る」
「もっと来なくていい」
彩花姉が笑う。
「別にいきなり家族面接するわけじゃないよ。普通に遊びに来てもらえばいいじゃん」
「まだ九日目だぞ」
「日数関係ある?」
言われて詰まる。ない、普通の交際なら。
問題は、俺だけが知っている期限だ。一か月。
残り二十一日。
「悠斗」
美咲姉が画面から顔を上げた。
「嫌なら呼ばなくていいよ」
「嫌じゃない」
「じゃあ何?」
本当の理由は言えない。
「まだ早いかなと思っただけ」
「そう思うなら待てばいい」
美咲姉は簡単に言った。
「莉奈ちゃんとのことなんだから、私たちに合わせなくていいよ」
その言葉が少し刺さった。俺たちは別に、本当の恋人同士ではない。
少なくとも始まりは。なのに姉ちゃんたちは、全部本気で考えている。
俺が初めて付き合った相手との関係を。
「ただいまー」
玄関から声がした。拓真の姿勢が変わる。
分かりやすすぎる。数秒後、制服姿の凛がリビングへ入ってきた。
「ただい――」
拓真を見る。止まる。
「なんでいるんですか」
第一声がそれだった。拓真が笑顔になる。
「凛ちゃん、おかえり」
「ここ私の家です」
「知ってる」
「先輩の家じゃないですよ」
「将来的には――」
「帰ってください」
速い。彩花姉が笑いを堪えている。
俺は普通に笑った。拓真は諦めない。
「凛ちゃん、今度の日曜暇?」
鞄を置きながら凛が答える。
「暇でも先輩とは行きません」
「まだ何も誘ってないんだけど」
「今から誘う顔してました」
「俺の顔でそこまで分かる?」
「分かりやすいです」
俺は昨日まで似たようなことを言われていた気がする。
「映画とかどう?」
「お兄ちゃんと行けば?」
「悠斗と恋愛映画見てどうすんだよ」
「じゃあ一人で行けば?」
「凛ちゃんも結構ひどいよね」
「普通です」
全く取りつく島がない。拓真が俺を見る。
「助けて」
「なんで俺が」
「未来のお兄さん」
「二度と家に来るな」
「お兄ちゃん」
凛が俺を見る。
「今のは追い出していいよ」
「意見が一致した」
「待てって!」
俺は立ち上がった。くだらない。
本当にくだらない。でも。
帰り道。拓真の言葉だけは妙に残った。
自分だけ安全な場所にはいられない。そんなことはない。
俺は全部知っている。これは嘘から始まった交際だ。
一か月後には終わる。その前に水瀬を惚れさせる。
ただそれだけ。スマートフォンが震えた。
莉奈からだった。
『日曜どこ行く?』
続けて。
『初デートなんだからちゃんと考えてよ、彼氏くん』
俺は立ち止まった。初デート。
その文字だけで、少し心臓が速くなる。
『任せて』
送信。すぐに返信。
『期待してる』
笑っているスタンプまでついている。俺は画面を見ながら、小さく息を吐いた。
「……大丈夫だろ」
誰に言ったのか自分でも分からない。少なくとも今は。
水瀬を本気にさせる側は、俺だ。そのつもりだった。




