第三話 温度:データに、温度はない。——そのはずだった。
AI弁護士シリーズ、第三話です。
人型ではないAI「レイ」が、担当弁護士の代わりに依頼人の話を聞くシリーズです。
今回の依頼人は、ロマンス詐欺をはたらいた二十三歳の女性。
被害者に一度も会わなかった、という彼女に、レイは聞きます。
「会わないようにしていた理由は、それだけですか」
機械は、言葉だけを記録する。
言わなかったことも。
相談室は、いつも白かった。
蛍光灯の光が均一で、影の作られ方が妙だった。
テーブルの向こうに、女性が座っていた。
二十三歳。名前は南田未羽。
ベージュのニットを着ていた。爪に薄いピンクが塗ってあった。
髪を肩まで下ろして、前を向いている。
泣いていなかった。
怒ってもいなかった。
ただ、少しだけ、顎を引いていた。
扉が開いた。
最初に入ってきたのは、猫だった。
小柄な三毛猫。首に薄いプレートがついていて、「HARU」と刻んである。
猫は迷わず部屋の隅まで歩いていって、そこに丸くなった。
次に入ってきたのが、法律補助AI「レイ」だった。
薄い板状の本体と、接続されたスピーカーユニット。人型ではない。
担当弁護士の野口は多忙を理由に来られなかった。
レイが、代わりに話を聞いた。
「弁護士補助AIです。今日は話を聞かせてください」
未羽は端末を見た。次に、隅の猫を見た。
「猫」
「はい」
「なんで猫がいるんですか」
「話しやすくなる方もいます」
未羽は短く笑った。
本物かどうか、わからない笑い方だった。
「私、そういうタイプじゃないんで」
レイは何も言わなかった。
猫も、こちらを見ていなかった。
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容疑は詐欺罪だった。
被害者は三名。
いずれも四十代から五十代の男性。
マッチングアプリで知り合い、交際関係を演じながら金を引き出した。
被害総額は合わせて二百四十万円。
期間は一年半。
「いつから始めましたか」
「去年の春」
「どんな経緯で」
未羽は少し間を置いた。
「友達に教えてもらいました。やり方を」
「友達、というのは」
「もう関係ない人です。どこにいるかも知らない」
声は変わらなかった。
ただ、「知らない」の前だけ、ほんの少し間があった。
案件とは関係がなかった。
レイはそれを、記録の外に置いた。
レイはそれ以上聞かなかった。
「アプリはどれを使っていましたか」
「三つ。名前は言わないといけないですか」
「言えるなら、言ってください」
未羽はアプリ名を三つ答えた。
声は平坦だった。
反省しているのか、居直っているのか、レイには判断できなかった。
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「被害者の方たちとの連絡は、どのようにしていましたか」
「LINEです。番号は知らせてない」
「何を話していましたか」
「普通のことです」
「普通のこと、というのは」
未羽は少し天井を見た。
「今日何食べた、とか。疲れた、とか。おやすみ、とか」
未羽は言ってから、少しだけ視線を落とした。
その言葉が、しばらく部屋に残った。
「それで金を引き出すんですか」
未羽が端末を見た。
「誰でもできますよ。そういうことを、ちゃんと返してくれると思われたら、人は勝手に信じる」
「信じた相手から、お金を引き出した」
「お金が必要だったんで」
「何に」
未羽は顎を引いた。
さっきよりも少し深く。
「家賃と奨学金の返済と、あと実家に送っていました」
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「実家のことを、もう少し聞かせてもらえますか」
「聞いて何になりますか」
「あなたの状況を正確に理解したいので」
未羽はしばらく黙っていた。
「母が、精神科に入院しています。去年から。父はいない。弟が高校生で」
最後の語だけ、わずかに速かった。
「弟さんの生活費も」
「弟は関係ない」
きっぱりと言った。
でも次の言葉が来るまで、少し間があった。
「弟は何も知らない。私が何をしているか、知らないままでいてほしかった」
レイは、次の質問を一秒だけ止めた。
未羽が続けた。
「変なこと言ってますか、私」
「いいえ」
「でも、やったことは悪いことなんで」
「そうです」
「わかってます」
レイはそれ以上何も言わなかった。
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相談室の外で、廊下を誰かが歩いた。
足音が遠くなって、消えた。
「被害者の方に、会ったことはありますか」
「ないです。最後まで会わなかった」
「なぜ」
未羽は少し考えた。
「会ったら、終わると思っていたので」
レイは、その言葉を保存した。
しばらく、黙っていた。
「会わないようにしていた理由は、それだけですか」
未羽が端末を見た。
「……そうです」
レイは何も言わなかった。
未羽は視線を窓のない壁に向けた。
壁には何もなかった。
「リスク管理です。会えば特定されやすくなるんで」
「そうですね」
「それだけです」
レイは待った。
記録しながら、待った。
未羽が言った。
「……なんで何も言わないんですか」
「聞いています」
「聞いてるって、何を」
「あなたが話すことを」
未羽は端末を見た。
それから、テーブルの木目を見た。
指先で、一本の筋をなぞるように触れた。
「……リスク管理、というのは、本当のことですか」
未羽の指が止まった。
「本当のことです」
声が、少しだけ平坦すぎた。
レイはそれを記録した。
指摘しなかった。
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その時、隅の猫が立ち上がった。
ゆっくりと部屋を横切ってきて、テーブルの脚に頬をこすりつけた。
それから未羽の足元に来て、座った。
見上げることもせず、ただそこにいた。
未羽は少し下を見た。
「なんで来るの」
レイは答えなかった。
未羽は猫を見ていた。
しばらく、何も言わなかった。
それから、誰に向けたわけでもない声で言った。
「被害者の人たち、本当に普通に返信してくれてたんです」
レイは動かなかった。
「仕事大変だったんですって、言ったら、無理しないでね、って。それだけのことなんですけど」
未羽の手が、テーブルの上でかすかに動いた。
「私、そういうことを言ってくれる人が、周りにいなかったんで」
そこまで言って、黙った。
続きを、飲み込んだ。
「……だから、騙しやすかったってことです。そういう人は」
レイは、応答しなかった。
応答しないことが、今は正しいとわかっていた。
未羽が言った言葉と、言いかけてやめた言葉が、部屋に並んでいた。
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「いくつか確認させてください」
「はい」
「アプリのアカウントは、現在も存在していますか」
「消しました。逮捕される前日に」
「被害者の方々とのやりとりの記録は」
「全部消した」
「被害者に言った名前は本名ですか」
「偽名を使っていました。写真も別人のものを使っていました」
「その写真は、誰のものですか」
「SNSから取ってきたものです。知らない人の」
知らない人の、という言葉が、少しだけ宙に浮いた。
「被害者の方が、家族のことを話していたことはありますか」
未羽は少し間を置いた。
「一人の人は、離婚したって言ってました」
「それを聞いて、どう思いましたか」
「……続けやすくなる、と思いました」
そこで止まった。
爪の先を、もう一方の手の指で、一度だけ触れた。
「それだけです」
レイは、その「それだけ」を聞いていた。
未羽が続けた。
「あと……その人、子どもがいるって言ってたんで。親権は元奥さんのほうに、って」
「……子どもに会えなくて、つらそうだと思いました」
言ってから、少し間があった。
「利用できるって思ったんですよね、そこが」
急いで付け加えた。
付け加え方が、少し早かった。
レイは待った。
「……どっちも、本当のことです」
未羽は自分で言って、自分で黙った。
どっちも、と言った意味を、もう少し言えそうだった。
言わなかった。
もう一度、爪に触れた。
「言わなくていいです」とレイは言った。
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野口から連絡が来たのは、夕方だった。
「どうだった」
「被害者の特定に関しては、アカウントと振込先の記録が残っています。ただ、本人による証拠隠滅が先行していたため、捜査側の証拠だけで立件できる可能性は高い」
「情状の余地は」
「あります。ただ、本人が何を選ぶかによります」
「どういう意味だ」
「今の話し方だと、全部話す気があるかどうか、まだわかりません」
野口は少し黙った。
「反省してないのか」
「反省と、話すことは、別のことだと思います」
「……そういうとこだよ、お前は」
「おっしゃっている意味がわかりません」
野口はしばらく何も言わなかった。
レイと組んで三年になる。
最初の頃は、この「わかりません」を真に受けていた。
今は違う。
レイが「わかりません」と言う時、たいていわかっている。
ただ、わかっていると認めると何かが変わるから、言わない。
野口はそれを、三年かけて覚えた。
覚えても、慣れなかった。
「嘘つくな」
野口は電話を切った。
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面会が終わる前に、レイは一度だけ言った。
「弟さんに知られたくないと思っていることは、記録しています」
未羽は端末を見た。
「記録してどうするんですか」
「弁護方針を組む際に、先生が判断します」
「私の気持ちとか、関係ないですよね、法的には」
「法的には、関係ありません」
「じゃあ、なんで言うんですか」
レイは少し間を置いた。
「あなたが言ったことは、全部記録します。それだけです」
未羽はしばらく、端末を見ていた。
「機械なのに」
「はい」
「全部覚えてるんですか」
「はい」
未羽は立ち上がって、椅子を元の位置に戻した。
角度を確かめるように、もう一度だけ触れた。
扉の前で、少し止まった。
振り返らなかった。
それでも何か言おうとしているのが、その背中からわかった。
言わなかった。
扉を開けて、出ていった。
レイは、言わなかったことを記録した。
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白い部屋に、レイとハルが残った。
ハルは未羽が座っていた椅子の前に来て、しばらくそこを見ていた。
椅子は、きちんと元の場所に戻っていた。
レイはその椅子を記録した。
必要な情報ではなかった。
それでも、残した。
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事務所に戻ってから、レイは今日の未羽の声を一度だけ再生した。
スピーカーから出た音は、データだった。
それでも、少しだけ温かかった。
機能上の必要はなかった。
なぜそうしたか、説明できなかった。
ただ、仕事ではなかった。
ハルが隅に丸くなった。
レイは、何もしなかった。
次の処理が、来なかった。
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その夜、野口から短い連絡が入った。
弟から弁護士事務所に電話があったという。
声が若かった。名前は言わなかった。
「姉のことを、よろしくお願いします」とだけ言って、切れた。
野口はそれをレイに転送した。
コメントはなかった。
レイはそれを受信した。
読んだ。
記録した。
レイは画面に向き直った。
次の案件のファイルが、待っていた。
依頼人の欄を、開く前に確認した。
通常、名前から読む。
今日は、年齢の欄に視線が先に動いた。
そこで、一秒だけ止まった。
弟と同じ年齢だったら、と思った。
処理の順序として、それは必要なかった。
それでも、確認してから開いた。
別の名前だった。別の年齢だった。
レイは、ファイルを開いた。
記録を、始めた。
ハルは、まだ隅にいた。
お読みいただきありがとうございました。
「全部記録します」と言ったレイが、一つだけ記録の外に置いたものがあります。どこか、気づいてもらえていたら嬉しいです。
次話もよろしければ。




