↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/55

今はな

孫二娘でございま〜す。


朝起きたら、姉ちゃんの腕にアタイの指の跡が、まだきっちり残ってたよォ。

昨夜、寝ぼけて掴んだやつだ。


すると姉ちゃん、心配するでも怒るでもなく、「じゃあ測るか」だってさァ。

何を?

怪力を。


昨日泣いてた妹に、翌朝いきなり樽を持たせる姉がどこにいるんだよォ。


……まあ、持てるかどうかはアタイもちょっと気になる。

問題は、力が強くなったことじゃない。

ちゃんと止めたいところで止められるかだ。


そんなことを考えていたら、しばらくして孟州の方から妙な噂が流れてきた。


人を壊す力ってのは――加減を間違えると、洒落にならないらしいねェ。

朝、目を開けたら、姉ちゃんの腕が目の前にあった。

しかも、昨日よりよく見える。

指の跡が五本、きっちり残っていた。

「……姉ちゃん」

「おはよう」

「それ、まだ消えてないの?」

「見れば分かるだろ」

見たくないから訊いたんだよォ。

姉ちゃんは腕を引っ込めるどころか、わざわざ朝の光へ向けた。

赤黒くなりかけた跡が、昨日より妙に生々しい。

アタイの手の形だ。

夜中、鉄の音に反応して掴んだ。

夢の中だったのか、半分起きていたのか、自分でも分からない。

心理学的な説明ならできる。

身体が先に危険を判断して、覚醒より前に防御行動へ移った。

はい、説明終了。

だから何だよォ……

説明したところで姉ちゃんの腕から指跡は消えない。

「痛む?」

「少し」

「ゴメン……」

「じゃあ測るか」

「何を?」

姉ちゃんが布団を跳ね上げた。

「怪力」

何でそうなる。

「昨日泣きながら姉ちゃんの腕に指の跡つけた妹に、朝一番でやることかい!?」

「骨は折れてない」

「そういう問題じゃないよォ!」

「加減できない方が怖いだろ。起きてる時にどこまで力が出るのか分かってた方がいい」

正しい。

腹が立つほど正しい。

しかも姉ちゃん、もう着替えている。

やる気満々だ。

昨日あれだけ慰めてもらったのに、朝になったら妹を測定対象へ戻している。

この切り替えの早さ、姉ちゃんらしいねェ。

表へ出ると、張青が朝の仕込みをしていた。

「おはようございます。二娘お嬢、大娘お嬢」

「張青、樽出して」

「酒でございますか?」

「違う。二娘を測る」

張青の手が止まった。

アタイを見る。

姉ちゃんを見る。

もう一度アタイを見る。

「……何をでございます?」

「怪力」

「姉ちゃん! 説明を省略するな!」

張青は少し考えた。

そして頷いた。

「承知しました」

「何で通じるんだよォ!」

「昨日、二娘お嬢が大娘お嬢を引いただけで椅子が負けましたので」

「椅子が弱かったんだよ!」

「親父さんが選んだ椅子でございます」

「父ちゃんを証人に使うな!」

死んでからも店の備品品質保証に使われる父ちゃんが不憫だねェ。

張青は本当に樽を出してきた。

中身入りだ。

「何で満杯なんだい?」

「空ですと測定になりませんので」

「いつからあんた科学者になった?」

「飯と酒に関わることだけは真剣でございます」

姉ちゃんが樽を指した。

「持ってみな?」

「嫌だよォ」

「何で?」

「持てたら怖いから」

口に出してから、自分で止まった。

姉ちゃんも張青も笑わない。

昨日までは、強くなること自体は悪くないと思っていた。

十字坡の主になった。

父ちゃんはいない。

店を守るなら力はあった方がいい。

魯智深みたいな怪物に勝てなくても、普通の賊を追い払えるだけで十分役に立つ。

でも、昨夜は違った。

守りたい相手へ、その力が向いた。

寝ているアタイには、姉ちゃんと武松の区別さえつかなかった。

「二娘」

姉ちゃんが言った。

「持つだけだ。あたいを投げろとは言ってない」

「投げないよ!」

「では私も離れております」

「張青、あんたは近くにいな!」

「なぜでございます?」

「何かあった時に受け止めな!」

「大娘お嬢でも危ない重さを私に受け止めろと?」

「隣に立つんだろォ?」

「親父さんの教えを、こういう時だけ武器にするのは卑怯でございます!」

知らないねェ。

張青を横へ置き、樽の縁へ手をかけた。

重い。

ちゃんと重い。

そこは安心した。

持ち上げようと腰へ力を入れる。

樽が床から離れた。

「…………」

「…………」

「…………」

三人とも黙った。

いや。

待ちな。

少し浮いただけだ。

驚くほどじゃない。

もう一度力を入れる。

今度は腰の高さまで上がった。

「二娘」

「何?」

「それ、あたいでも持てるけど、そんな顔で持つ物じゃない」

「どんな顔?」

「『思ったより軽い』って顔」

してない。

たぶん……

張青が樽へ寄ってくる。

「二娘お嬢、置いてください」

「何で?」

「酒が心配です」

「アタイを心配しろ!」

それでも下ろした。

床へ置いた瞬間、どん、と店が揺れる。

女中が奥から顔を出した。

「何かございましたか?」

「二娘が酒樽に勝った」

姉ちゃんが答えた。

「勝ち負けじゃないよォ!」

次に米俵が来た。

なぜ次がある。

「姉ちゃん、もう樽でいいだろ」

「比較が必要だ」

「その言葉どこで覚えたんだい」

「あんたから」

余計な教育をしてしまった。

米俵は普通に持てた。

二つ重ねたら、少しきつい。

でも持てる。

張青が帳面の端へ何かを書いている。

「何書いてる?」

「二娘お嬢怪力覚書でございます」

「破りな」

「将来役立つかもしれません」

「何に!?」

「重い物を動かす時など」

「荷運び女にする気か!」

姉ちゃんが笑いながら、店の裏へ回った。

戻ってきた時には、太い丸太を引きずっている。

修繕用に置いてあったやつだ。

「待ちな」

「これならどうだ?」

「何で測定対象がどんどん建材になってるんだよォ!」

「樽と米は持てたから」

「次は家でも持たせる気か!」

張青が真面目な顔で店を見上げた。

「さすがに柱を抜くのは困ります」

「やらないよ!」

丸太はさすがに重かった。

両腕で抱えて持ち上げると、腰にずしりと来る。

でも、一端を持ち上げて運ぶくらいならできる。

以前なら姉ちゃんと二人で動かしていた。

アタイは丸太を下ろした。

今度は慎重に。

「……強くなってるねェ」

認めるしかない。

姉ちゃんが腕を組む。

「かなりな」

張青が帳面を見る。

「力の増え方が、少々早い気もいたします」

「原因分かる?」

「飯では?」

「全部飯で説明するな!」

でも、分からない。

転生したから?

この身体が元からそうなる素質を持っていた?

父ちゃんの娘だから?

そんな遺伝、心理学の担当外だよォ。

そして一番嫌なのは、力が増えたこと自体じゃない。

「姉ちゃん」

「何?」

「手、出して」

姉ちゃんが片手を差し出した。

アタイは握る。

「痛かったら言って」

「分かった」

少しずつ力を入れる。

姉ちゃんの表情を見る。

まだ平気。

もう少し。

眉が動いた。

そこで止める。

「今」

「うん」

手を離した。

跡はついていない。

「起きてれば止められるねェ」

「今はな」

姉ちゃんの一言が刺さる。

そう。

今は。

眠っていたら分からない。

怖くなったら?

怒ったら?

誰かにまた手首を掴まれたら?

力が増えている速度より、自分がそれを扱えるようになる速度の方が遅かったら?

強い身体は武器になる。

でも、武器を持っている本人が加減を知らなければ、店の中へ刃を向けているのと同じだ。

「……練習するかねェ」

アタイが言うと、姉ちゃんが笑った。

「最初からそう言えばいい」

「誰のせいで朝から樽持たされたと思ってるんだよォ」

「じゃあ明日は丸太二本」

「増やすな!」

張青が帳面へ書く。

「明日、丸太二本」

「書くな!」

その朝から、十字坡には妙な仕事が一つ増えた。

酒を仕込み、飯を作り、客を見て、帳面をつける。

その合間に、アタイが何をどこまで壊さず持てるか確かめる。

店主の業務に怪力調整が入る宿屋なんて、国じゅう探してもそうないだろうねェ。

たぶん。

あってたまるか。

それから、十字坡にも何度も朝と夜が巡った。

姉ちゃんは数日置きに来て、そのたびに何か持たせた。

張青は勝手に記録した。

女中たちまで慣れて、重い甕があるとアタイを呼ぶようになった。

「店主を荷役に使うな」と怒ったら、「一人で済みますので」と返された。

合理化って怖いねェ。

人は便利なものにすぐ慣れる。

アタイ自身も、少しずつ力の加減を覚えた。

夜中に閂を確かめる回数も減った。

鉄の音を聞いても、毎回息が止まるわけではなくなった。

消えたわけじゃない。

遠くなっただけだ。

それでいい。

今は、それでいいと思っていた。

その日の午後までは。

街道の向こうから、馬の蹄が聞こえた。

一騎ではない。

何頭かが続いている。

早い。

逃げているような音だった。

「張青」

「はい」

「表」

二人で暖簾を見る。

先頭の馬が十字坡の前まで来ると、急に止まった。

乗っていた男が転げ落ちるように地面へ降りた。

服は土にまみれ、腰の辺りには乾いた血がついている。

自分の血かどうかは分からない。

男は店へ駆け込み、卓へ両手をついた。

「水を……」

女中が動く。

アタイは止めなかった。

今の男は、薬を盛る相手じゃない。

少なくとも、最初から噛む必要はない。

学習してるよォ。

張青、見てるかい。

男は水を一息に飲んだ。

二杯目を掴もうとしたところで、アタイが訊く。

「どこから来たんだい?」

男の喉が動いた。

「孟州……」

指が止まった。

孟州。

ただの地名だ。

そう思おうとした。

けれど、胸の奥で手枷が鳴る。

「何があった?」

男は周囲を見る。

誰かに追われているような目だった。

「鴛鴦楼だ……」

張青の顔が変わる。

「鴛鴦楼?」

「人が……大勢死んだ」

店の中から音が消えた。

男は水の椀を握ったまま、震えている。

「血だらけだった。楼の中も、階段も……死体ばかりだ」

姉ちゃんはいない。

数日前に家へ戻っている。

なのに、なぜかあの腕の指跡を思い出した。

力は人を守れる。

壊すこともできる。

そんな当たり前のことを、朝から何度も確かめたばかりだった。

「誰がやった?」

訊きたくない。

でも、訊いた。

男は唇を舐めた。

「武松だ」

手首が疼いた。

治りかけている。

傷そのものは、もうほとんど残っていない。

それなのに名前だけで、あの日の床が近くなる。

張青がアタイを見る。

「二娘お嬢……」

「黙ってな」

今は聞く。

最後まで。

「武松が、どうしたんだい?」

「殺したんだ。張都監も、蒋門神も……鴛鴦楼にいた者を次々に」

武松が人を殺す。

驚くべきことなのか?

アタイには分からなかった。

あの男なら、必要になれば壊す。

この前見たのは、そういう男だった。

でも、旅人が震えるほどの数を?

「それだけじゃない」

男の声が掠れた。

「壁に……血で字を残したそうだ」

何かが背中を這った。

心理学用語なんて出てこない。

嫌な予感は、専門知識がなくても分かる。

「何て?」

男は一度、息を飲んだ。

それから、聞いた言葉をそのまま吐き出すように言った。

「――殺人者、打虎武松也」

店の奥で、誰かが椀を落とした。

割れる音がした。

誰も動かない。

アタイも動けなかった。

景陽岡で虎を殺した男。

十字坡でアタイを押さえつけた男。

手枷をつけられ、役人と一緒に孟州へ向かった男。

同じ名前が、血で壁に残っている。

張青が何か言っている。

聞こえない。

アタイは自分の手首を見た。

もう赤くない。

跡も薄い。

なのに、その瞬間だけ――

治りかけていた手首を、また掴まれた気がした。

孫大娘と孫二娘、二人合わせて孫姉妹で〜す!


「二娘、怪力の加減は分かってきた?」

「少しはねェ。姉ちゃんの腕にも跡つけずに済んでるだろ?」

「基準をあたいにするな」


姉ちゃんが顔をしかめた。


「で、孟州の話は?」

「鴛鴦楼が血の海。壁には『殺人者、打虎武松也』だってさァ」

「……あいつ、本当に虎より怖いな」

「今さら気づいた?」


少し黙ってから、姉ちゃんがアタイの肩を叩いた。


「二娘」

「何?」

「怪力の練習、続けよう」

「何で急に真面目なんだい?」

「次に来た時、せめて椅子くらい投げられるように」

「武松相手に家具を戦力へ数えるな!」


……でもまた来るって、本人が言ってたんだよねェ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。