何人分になるんだろう
孫二娘でございま〜す。
父ちゃんがいなくなっても、十字坡はちゃんと開いてるよォ。
帳面も見るし、客も選ぶし、危なそうなら先に手を打つ。
……我ながら、ずいぶん店主らしくなったもんだねェ。
で、今日来た客が問題なんだ。
酒臭くて、でかくて、禅杖まで持った大和尚。
普通なら関わりたくない。
でも、ここは十字坡だからねェ。
危ない客ほど、先に眠ってもらえばいい。
そう思って蒙汗薬を飲ませたんだけど――
姉ちゃん、何でそんな顔してるの?
父ちゃんが死んでから初めて、客を見て「何人分になるんだろう」と思った。
いや、待って……
そういう意味じゃないよォ。
……いや、十字坡だから、たぶんそういう意味なんだけど。
昼を少し過ぎた頃、暖簾の向こうに大きな影が立った。
最初は外が急に暗くなったのかと思ったけれど、影が動くと、禿げた頭が店の中へ入ってくる。
坊主だった。
ただし、アタイが知っている「坊主」という言葉の大きさを、明らかに間違えている。
肩が広く、腕が太い。
旅装は埃まみれなのに、立ち姿には妙な迫力があり、背負っている禅杖も、そこらの僧が飾りで持つような代物には見えなかった。
腰には戒刀まである。
そして、何より酒臭い。
父ちゃんが死ぬ前なら、まず父ちゃんを見るところだった。
今は見る相手がいない。
だからアタイが見る。
客もアタイを見る。
「酒はあるか!」
入ってきた第一声で、店の女中が肩を跳ねさせた。
声まででかい。
「あるよォ。坊さんが昼間から酒かい?」
「酒を飲まぬ坊主が偉いとは限らん!」
「飲む坊主が偉いとも限らないだろォ」
大和尚は一瞬黙り、それから豪快に笑った。
「違いない!」
面倒なのが来たねェ。
アタイは父ちゃんの椅子に座ったまま、男を観察した。
見た目だけなら怖い。
でも、店へ入ってからこちらの人数を数えた様子はない。
出口を確認するでもなく、背中を壁へ預けるでもなく、空いていた卓へどっかと腰を下ろした。
警戒心がないのか。
それとも、警戒する必要がないと思っているのか。
後者なら、もっと嫌だ。
「酒と肉を頼む!」
「肉ねェ」
「あるのだろう?」
「あるよォ。うちは肉屋みたいなもんだからねェ」
間違ってはいない。
女中が奥へ引っ込む。
張青は朝から周のところへ出ていて、まだ戻っていない。
姉ちゃんが手伝いに来るのも今日は夕方くらいだと言っていた。
つまり、今この店で決めるのはアタイだ。
大和尚が禅杖を壁へ立てかける。
ごとり、と床まで震えた。
……重そうな音だねェ。
あれ、普通の人間が振り回す物なのかい?
「坊さん」
「何だ?」
「それ、重い?」
「禅杖か?まあ、軽くはないな」
「へえ」
「持ってみるか?」
「遠慮しとくよォ」
怪力が妙な方向へ育っている自覚はあるけれど、だからといって知らない坊主と力比べをする必要はない。
アタイは酒甕を見た。
普通に食わせて帰す。
それでもいい。
父ちゃんは客を選べと言った。
泊める客、帰す客、食わせる客。
そして――帰さない客。
目の前の坊主は、どうだろう。
身なりは立派じゃない。
でも禅杖と戒刀は売れる。
身体も大きい。
……いやいや。
何で真っ先に換金と肉量を考えてるんだよォ。
心理学で言うなら、環境への適応が進みすぎた結果なのかもしれない。
助教だった頃のアタイが今の自分を見たら、研究対象として距離を置くね。
本人なんだけど……
「二娘」
女中が奥から顔を出した。
「肉を切りますか?」
「待ちな」
大和尚はこちらを見ていない。
卓の上に置いてあった水を勝手に飲んでいる。
「酒を先に出すよォ」
奥へ入った。
棚には小さな壺がある。
蒙汗薬――
父ちゃんが死んでも、場所は変えていない。
使う時にすぐ取れない薬なんて意味がない。
それも父ちゃんのやり方だった。
壺を手に取ったところで、少し迷う。
危険そうだから眠らせる。
それ自体は合理的だ。
眠った後で調べて、何者か確認してから決めても遅くない。
先に殺すより慎重ですらある。
……ずいぶん物騒な慎重さだねェ。
アタイは酒へ蒙汗薬を混ぜた。
表へ戻ると、大和尚は鼻を鳴らした。
「遅いぞ!」
「坊さん、酒に逃げられるわけじゃないんだから待ちなよォ」
盃を置く。
「濁り酒か」
「嫌なら水にする?」
「酒なら何でもいい!」
豪快だ。
大和尚は盃を掴み、匂いも確かめずに一息で飲んだ。
思わず見つめる。
「何だ?」
「いや……飲みっぷりがいいねェ」
「もう一杯!」
「はいはい」
二杯目を注ぐ。
さすがに薬は足さなかった。
一杯で十分なはずだ。
大和尚は酒を飲み、肉を食い、こちらが少し不安になるくらい平然としていた。
効かない?
いや、そんなはずはない。
蒙汗薬はこれまで何人にも使っている。
体格差で遅いだけか?
三杯目を要求されたところで、大和尚の手が止まった。
「おや?」
本人も気づいたらしい。
「どうしたのォ?」
「妙だな」
「何が?」
「床が傾いておる」
「床は動かないよォ」
「なら、わしが傾いておるのか?」
言い終える前に、身体がぐらりと揺れた。
卓へ手をつこうとして外し、そのまま横へ倒れる。
どん、と床が鳴った。
店全体が少し揺れた気がした。
女中が奥から顔を出す。
「二娘?」
「効いたよォ」
「大丈夫でしょうか」
「大丈夫じゃなかったから薬を飲ませたんだよォ」
我ながらひどい会話だ。
大和尚へ近づき、足先で軽く触れる。
反応なし。
眠っている。
「さて」
まず荷物を確かめた。
禅杖と戒刀、旅の包みに目を通し、最後に本人を見る。
……でかい。
さっき立っていた時より、倒れている方が大きく見える。
「これ、どうしよう」
女中が困った顔をする。
「裏へ運ぶんですよね?」
「そのつもりだけどォ」
腕を掴み、持ち上げると、少し動いた。
「お」
前なら絶対に無理だったと思う。
もう少し力を入れると、肩が床から浮く。
アタイ、やっぱり強くなってる。
「いけるねェ」
そのまま引いた。
大和尚の身体がずるりと動き――
卓の脚に頭が当たった。
ごん。
「……」
女中と目が合う。
「見なかったことにしな」
「はい」
もう一度引くと、どうにか身体は動いた。
けれど、とにかく重い。
大人の男を引きずれる時点で自分でもどうかと思うのに、この坊主はまるで米俵を何個もまとめて引いているみたいだった。
「何食べたらこんなに重くなるんだよォ!」
「さっき、かなり食べておりました」
「今の肉の分じゃないだろ!」
女中まで妙なことを言い始めた。
どうにか土間の奥まで引いたところで、外から声がした。
「二娘、いるかい?」
姉ちゃんだ。
「いるよォ!」
暖簾を上げた姉ちゃんは、床に転がる巨大な坊主と、その足を掴んでいるアタイ、それを見守る女中を順番に見て沈黙した。
「……何してるの?」
「仕事」
「どの部分が?」
「全部」
姉ちゃんが額を押さえた。
「来るたびに店の様子がおかしくなってないか?」
「父ちゃんが死んでから忙しいんだよォ」
「忙しいと坊主を床に転がすの?」
「客だったんだって!」
「客を床に転がすな!」
正論だけど十字坡では今さらだ。
姉ちゃんは大和尚へ近づき、腰を落とした。
「死んでる?」
「寝てるだけ。蒙汗薬」
「また飲ませたのかい?」
「危なそうだったからねェ」
「で?」
「これから調べるところ」
姉ちゃんは返事をせず、床に立てかけてあった禅杖を見る。
次に戒刀。
さらに僧衣と大和尚の身体を見た。
表情が変わった。
「二娘」
「何?」
「こいつ、やめときな」
「何を?」
「始末するの」
アタイは目を瞬いた。
「何で?」
姉ちゃんは禅杖を指す。
「これ、持ってみた?」
「持ってない」
「持ちな」
「何で姉ちゃんが命令するのさ」
「いいから」
仕方なく禅杖へ手をかける。
持ち上げた。
「……あれ?」
重い。
かなり重い。
でも持てる。
姉ちゃんの顔が引きつった。
「二娘」
「何?」
「普通そこ、持ち上がらないからね?」
「そうなの!?」
「驚くところが逆だよ!」
アタイは慌てて禅杖を下ろした。
床が鳴る。
姉ちゃんは呆れながら大和尚を見る。
「これを持って歩いてる坊主だ。戒刀も使い込んでる。手も見な」
掌には硬い皮ができている。
武器を握る手だ。
「喧嘩慣れしてるねェ」
「喧嘩で済めばいいけどね」
姉ちゃんが大和尚の顔を覗き込む。
「こんなの殺したら、後から誰が来るか分からないよ。父ちゃんだって、身元の分からない雲水の僧は先に確かめろって言ってただろ」
言われた。
たぶん……
最近、父ちゃんの言葉が多すぎるんだよォ。
「でももう薬飲ませちまった」
「だから起こすんだよ!」
「起こしたら怒るだろォ!」
「当たり前だ!」
「じゃあ寝かせといた方が安全じゃない?」
「いつまで!?」
確かに。
姉ちゃんが女中を見る。
「水と、薬を抜くやつ。あるだろ」
「はい!」
女中が走った。
アタイは腕を組む。
「姉ちゃん」
「何?」
「起きた瞬間に殴られたら?」
「二娘が受けな」
「何でアタイ!?」
「薬を飲ませたの二娘だろ!」
「姉ちゃんだって止めるの遅いよォ!」
「今来たんだよ!」
大和尚は何も知らず眠っている。
その顔を見ていると、妙に腹が立った。
こっちは大騒ぎなのに。
「本当に起こす?」
「起こす」
「後悔しない?」
「殺した方が後悔するよ」
姉ちゃんの声は冗談じゃなかった。
仕方ない。
薬を抜くための水を飲ませ、しばらく待った。
大和尚の眉が動く。
アタイと姉ちゃんは同時に一歩下がった。
女中はもっと下がった。
「姉ちゃん」
「何?」
「姉ちゃんも怖いんじゃないか?」
「怖くないとは言ってない」
正直だねェ。
大和尚の指が動く。
次に腕。
大きく息を吸った。
そして目を開ける。
天井を見たあと、ゆっくり首を動かした。
アタイを見る。
姉ちゃんを見る。
自分が床に寝ていることを確かめる。
最後に空になった酒盃を見た。
「……なるほど」
声が出た。
さっきより静かなのに、店の空気が張る。
大和尚は身体を起こした。
蒙汗薬から醒めたばかりとは思えない。
「坊さん」
アタイは笑った。
「よく寝てたねェ」
大和尚も笑った。
ただし、目は笑っていなかった。
「女」
「何だい?」
「わしを眠らせて、何をするつもりだった?」
姉ちゃんが横から小声で言う。
「二娘、自分で答えな」
「分かってるよォ!」
大和尚の手が、床に置かれた禅杖へ伸びた。
アタイも腰の朴刀へ手をかける。
すると、大和尚がこちらを見て――
にやりと笑った。
「面白い店だな」
大和尚の手が、禅杖を掴んだ。
「ところで女――今度は、わしの番でいいな?」
……何の番だよォ。
孫大娘と孫二娘、二人合わせて孫姉妹で〜す!
「二娘、あたいが来るの遅かったら、あの坊主どうしてた?」
「運んでたよォ」
「その後」
「調べてた」
「その後」
「……姉ちゃん、しつこいねェ」
「殺す気だったんだろ?」
アタイが黙ると、姉ちゃんが額を押さえた。
「しかも禅杖まで持ち上げたし」
「持てたんだから仕方ないだろォ」
「そこは反省するとこじゃないよ!」
二人で店の奥を見る。
大和尚はもう起きて、禅杖まで握っている。
「二娘」
「何?」
「あたい、もう帰っていい?」
「姉ちゃん!?」
すると奥から声が飛んできた。
「女ども! 今度はわしの番だぞ!」
「……ほら」
「何が始まるんだよォ!?」




