ちゃんとここまで来てもらおうねェ
孫二娘でございま〜す。
どうやら黒松寨の梁牙って男、アタイがどう動くかまで随分よく見てるらしいよォ。
古道へ出れば張青がついてくる。
父ちゃんが怪我をすれば、アタイは店から離れない。
……そこまで勝手に決められると、ちょっと腹が立つねェ。
人の行動を予測するのは心理学でもやるけどさ。
予測された側が、その通りに動くとは限らないんだよォ。
「山夜叉の跡目を、先に潰しておけとな」
捕らえた男がそう言った瞬間、店の中から物音が消えた。
父ちゃんは壁際の椅子に座らされ、姉ちゃんが裂けた衣の上から脇腹へ布を当てている。
傷は浅いと言い張っていたけれど、布にはもう赤い色が滲んでいた。
張青は倒れた敵の刀を集め、渡しの周と舟子たちは表裏の戸を固めている。
朝の寄り合いに来た宿場の亭主や馬貸し、荷運びの女、炭焼きの兄弟、白髭の老人も残っていた。
ついさっきまで、皆で黒松寨の八人と戦っていた。
「山夜叉?」
アタイが聞き返すと、捕虜が怪訝そうに眉を寄せた。
「知らぬのか」
「知らないから聞いてるんだよォ」
男の喉元には父ちゃんの短刀が触れている。
それでも、口の端には薄い笑いが残っていた。
「俺だ」
父ちゃんが言う。
「父ちゃんが?」
「昔の呼び名だ」
それだけで終わらせる気らしい。
姉ちゃんが傷へ布を巻きながら、呆れたように父ちゃんを見る。
「二娘に話してなかったの?」
「必要なかった」
「今、必要になったじゃないか?」
「姉ちゃんは知ってたの?」
「あたいはね」
またアタイだけだよォ。
白髭の老人が咳払いした。
「昔の元締めは、山へ逃げた者を夜のうちに追い詰め、道を塞ぎ、朝までに片をつけることが多うございました。それで山夜叉と呼ばれるようになったので」
「親父さん、昔からやってることが怖ぇな」
張青が呟く。
「張青」
「俺が言わなくても皆思ってるって」
山夜叉――
初めて聞いたのに、妙に引っかかった。
古道で十二人を見た時、アタイは逃げるより、後ろへ残さない方を選んだ。
店へ戻ってからも、怪我をした父ちゃんを下がらせ、自分が前へ出た。
教わった覚えなんてない。
でも、毎日見ていた。
客をどこへ座らせ、いつ戸を閉め、誰を先に酔わせて誰を奥へ通すのか。
父ちゃんが口で説明しなくても、人の動かし方は店の中に染みついていたらしい。
山夜叉の娘――
そう呼ばれた覚えはなくても、父ちゃんの手下たちにとって、アタイは昔からその娘だったのだろう。
ただ、跡目として見られた覚えはない。
店へ来る客にとって、アタイは酒を運ぶ二娘だった。
アタイ自身だって、それ以上のつもりはなかった。
なのに黒松寨は、アタイより先にその先を見ていた。
「梁牙は、いつからアタイを跡目だと思ってたんだい?」
「数日前には、そう申していた」
今朝より前だ。
父ちゃんが皆の前で「二娘に従え」と言うより先に、向こうは決めていた。
「どうして分かった?」
「山夜叉が近頃、娘に人と銭の差配をさせている。己が留守でも店を任せる。ならば次は娘であろうと」
男は吐き捨てるように言った。
「梁牙様は、目のある者なら分かると仰せであった」
店にいる者たちの視線が、父ちゃんからアタイへ移る。
秘密が漏れたんじゃない。
見られていたのだ。
十字坡には客が来て、荷が入り、父ちゃんの手下も出入りする。
何を話しているか聞かれなくても、誰が帳面を持ち、誰の一言で人が動くようになったかまでは隠せない。
隠しているつもりの変化ほど、外からはよく見える。
「今朝の命は?」
「山夜叉を店へ釘づけにし、娘を古道へ誘い出せと」
「張青がつくことも読んでたんだね」
男の目が動いた。
「梁牙様は、あの男なら娘を一人で出すまいと」
張青の顔が険しくなる。
当たっている。
「アタイが古道を知らないことは?」
「十字坡を離れぬ娘が、あの道を知るはずがないと申された」
そこも推測だった。
これだけ当てられると、中に裏切り者がいると思いたくなる。
でも、そう決めつけた瞬間から、誰の行動も怪しく見える。
確証バイアス。
今のアタイたちには、一番危ないやつだ。
「最初から話しな。夜明け前、黒松寨で集められたところからだよォ」
「何を申せばよい」
「あんたが見たものと、聞いたことだけ。考えたことはいらない」
男が父ちゃんを見る。
「二娘が聞いてる」
父ちゃんが言うと、男の顔が強張った。
夜明け前、黒松寨では三十人余りが広間へ集められたという。
卓には古道と十字坡の絵図が広げられ、表口と裏口だけでなく、馬小屋や作業場、渡しへ続く道、古道の先にある枯れ沢まで描かれていた。
「絵図は誰が持ってきた」
「我らが入った時には、すでにあった」
「梁牙は?」
「後から参った」
「何て命じた」
「八人は店へ入り、山夜叉を動けぬようにする。十二人は古道へ出て、娘と張青を誘い込む。残る十二人は枯れ沢で日が落ちるまで待てと」
姉ちゃんの手が止まった。
「まだ十二人いるのかい」
男が姉ちゃんを見る。
「古道の十二人が娘を討てば、夜の十二人は店と渡しを押さえる。失敗しても、娘たちが店へ戻った頃を狙って囲める」
張青が舌打ちした。
「二段構えかよ」
「三段だねェ。店の八人まで入れれば」
アタイが言うと、捕虜の笑みが少し薄くなった。
梁牙は、最初の一手が外れることまで考えていた。
古道の十二人は、少なくともすぐには動けない。
それでも、もう十二人が残っている。
「古道の連中は?」
男が聞いた。
「今すぐは戻ってこないよォ」
「何?」
「姉ちゃんとアタイで、戦える状態じゃなくしてきた」
男が初めて、はっきり顔色を変えた。
張青が横から口を挟む。
「俺も一人な」
「そこ今いる?」
「いるだろ!」
姉ちゃんが真顔で頷いた。
「一人は一人だね」
「姉ちゃんまで甘やかさなくていいよォ!」
ほんの少し空気が緩んだ。
でも、捕虜だけは笑わなかった。
「枯れ沢の十二人は、何を待ってる?」
男は口を閉じた。
張青が一歩近づく。
「答えろ」
それでも黙っている。
アタイは男の前へ膝をついた。
「本当に言わないのかい?」
声を抑えると、妙に柔らかく出た。
男の肩が強張る。
アタイは笑った。
店で酔った客へ、もう一杯勧める時と同じ顔で。
「もう一度だけ聞くよォ」
頬へ指を添える。
力なんて入れていないのに、男は父ちゃんの短刀よりアタイの手を怖がった。
「枯れ沢の十二人は、いつ動くんだい?」
「し、知らぬ」
「へえ」
指を顎へ滑らせ、こちらを向かせる。
男の目が厨房へ動いた。
昨日の五人を思い出したらしい。
「安心しなよォ。知らないことまで喋れとは言わないさ」
少しだけ顔を寄せる。
「ただし、知ってることを隠したら――どこまでがあんたの肉か、分からなくなるだけだよォ」
店の中から、息遣いまで消えた。
捕虜だけじゃない。
周も宿場の亭主も炭焼きの兄弟も黙り、張青まで上げかけた拳を下ろしている。
姉ちゃんだけが父ちゃんの包帯を結びながら、こっちを見ていた。
「二娘、脅し方まで上手くなったね」
「今それ褒めるところ!?」
「褒めてないよ」
「枯れ沢だ!」
男の声が裏返った。
「日が落ちるまで身を伏せ、夜になれば十字坡へ戻る! それが命だ!」
「戻って、どうする」
「店を囲む。四人が表、四人が裏、残りは馬小屋と渡しへの道を押さえる」
朝の絵図にあった場所だ。
「合図は?」
「カラスの声を三度。返しが一度あれば、同時に詰める」
「火は?」
「放たぬ。梁牙様は店を焼くなと命じた」
「どうして」
男は父ちゃんを見た。
「十字坡は使える。山夜叉と娘さえ消せば、残った者は従うと」
姉ちゃんの顔から笑いが消えた。
父ちゃんの脇腹に巻いた布へ、また薄く赤が浮いている。
男はそれを見て、少しだけ勢いを取り戻した。
「山夜叉は傷を負った。娘は父を捨てて出られぬ。張青も娘の傍を離れぬ。ゆえに夜まで待てば三人とも店に籠もる――梁牙様は、そう仰せであった」
アタイは男の頬から指を離した。
「そう……最初からそれを言いなよォ」
立ち上がっても、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて壁際から声が漏れる。
「山夜叉の娘も、夜叉か……」
誰が言ったのかは分からない。
父ちゃんだけが何も言わず、アタイを見ていた。
褒めもしないし、止めもしない。
自分の娘の中に何がいるのか、確かめるような目だった。
「父ちゃん」
「何だ?」
「その顔やめて」
「どんな顔だ?」
「アタイが商品として育ちすぎたみたいな顔」
姉ちゃんが吹き出した。
「十字坡の商品なら、ずいぶん物騒になったね」
「看板娘から兵器に昇格させるなァ!」
父ちゃんまで口元を緩めた。
その直後、表の戸が強く叩かれた。
外にいた舟子の声が飛ぶ。
「元締め! 枯れ沢の近くで黒布の一団を確認した! 十二、動いておりません!」
店の空気がまた張りつめる。
張青が刀を取った。
「今から叩くか」
「駄目だよォ」
「居場所は割れたぞ」
「昼の山で待ち伏せしてる十二人を追うなんて、向こうの得意な場所へ入るだけだろ」
宿場の亭主が眉をひそめる。
「では、夜まで待つので?」
「向こうは待つつもりなんだ。だったら待たせればいい」
父ちゃんがこちらを見る。
「十二人は、日が落ちれば店へ来る」
「ああ」
「どうする?」
全員の目がアタイへ集まった。
山夜叉の跡目。
まだ、その名前を受け取ったつもりはない。
でも梁牙が先にそう呼んで、アタイがどう動くかまで決めつけているなら、その思い込みは使える。
窓の外では、まだ日が高い。
山の影が古道へ届くまで、時間はある。
「向こうは、アタイが怪我した父ちゃんから離れないと思ってる。張青もアタイの傍にいると思ってるんだろォ?」
捕虜の顔から血の気が引いた。
言い過ぎたと気づいたらしい。
アタイは笑った。
「だったら、期待に応えてあげようじゃないか」
「何をする?」
父ちゃんに聞かれ、アタイは戸の向こうへ目を向けた。
「向こうの望み通り、アタイと張青は店にいることにするよォ」
張青が嫌そうに眉を寄せる。
「二娘お嬢、その言い方だと絶対ろくな意味じゃねぇよな?」
「よく分かってきたじゃないか」
そしてアタイは、捕虜の前でわざと笑った。
「十二人とも、ちゃんとここまで来てもらおうねェ」
孫大娘と孫二娘、二人合わせて孫姉妹で〜す!
「二娘、あの脅し方どこで覚えたの?」
「覚えたつもりないんだけどねェ」
「笑いながら肉の話するの、結構怖かったよ」
「姉ちゃんに言われたくない!」
「それで、まだ十二人いるんだね」
「いるねェ」
「今度は店まで来てもらう、と」
「せっかく向こうから来る気なんだからさ」
「……二娘」
「何?」
「それ、もう客を呼ぶ顔じゃないよ」
「姉ちゃんまで夜叉扱いするなァ!」




