山夜叉の跡目
孫二娘でございま〜す。
古道の十二人は片づけたし、これで少しは落ち着けると思ったんだけどねェ。
どうやら向こうも、アタイたちが出ている間に十字坡を空き家にしてくれるほど親切じゃなかったらしいよォ。
しかも店には父ちゃん一人。
……まあ、普通の父親なら心配するところなんだけど。
昨日、賊を二人倒した人なんだよねェ。
それでも怪我だけは勘弁してほしいんだけどさ。
父ちゃんは、一人で店に残っている。
そう思った瞬間、さっきまで十二人を相手にしていた疲れがどこかへ消えた。
「戻るよォ!」
アタイが斜面を駆け上がると、姉ちゃんと張青もすぐに続いた。
「こいつらはどうする!」
張青が振り返った先では、黒松寨の男たちが古道に転がっている。
刀も槍も手放しているとはいえ、全員が死んでいるわけではなく、呻きながら身体を起こそうとしている者までいた。
一人ずつ縛っている時間なんてない。
「炭焼きの兄さんも離れて! 見張らなくていい!」
「しかし――」
「十二人の牢番を一人でやらせる気はないよォ! 武器だけ道から蹴り落として、店へ戻って!」
逃げる奴が出るかもしれない。
それでも今は、父ちゃんの方が先だった。
判断には優先順位がある。
全部を守ろうとすれば、結局どれも守れないなんて前世なら学生に説明できたのに、いざ自分が選ぶ側へ回ると胃に悪い。
「二娘、先に行くよ!」
姉ちゃんが横を抜いていく。
「ちょっと待って! さっき何人も片づけた人が、何でそんなに元気なの!?」
「まだ六人もやってないよ!」
「そこ訂正するところ!?」
後ろから張青まで声を上げた。
「お嬢たち、喋りながら走れるなら俺より元気だろ!」
怪我人が一番まともなことを言っている。
なんだか悔しい。
山道を下っていくと、木々の隙間から十字坡の屋根が見えてきた。
煙は上がっていないし、火を放たれた様子もない。
少しだけ胸が緩んだ、その直後だった。
金属のぶつかる音が、風に乗って届いた。
姉ちゃんの顔が変わる。
「やってる」
「うん」
店の裏へ回る道へ入ったところで、黒い布を腕に巻いた男が一人倒れていた。
その先にも、もう一人いる。
二人とも父ちゃんの手下じゃない。
「父ちゃんがやったのか?」
張青が足を止めかけた。
「たぶん」
姉ちゃんは止まらない。
裏口が近づくと、今度は怒鳴り声が聞こえた。
「裏へ回せ!」
知らない声だ。
それに続いて、聞き慣れた声が飛ぶ。
「一歩でも入ってみろ!」
父ちゃんだ。
元気じゃん。
安心したのも一瞬だった。
裏口から男が一人飛び出し、背中から戸へぶつかって地面へ転がった。
父ちゃんに追い出されたらしい。
そいつが起き上がろうとして、こちらを見る。
まずアタイ。
次に姉ちゃん。
最後に張青。
ものすごく嫌そうな顔になった。
気持ちは分かるよォ。
たぶん今、一番会いたくない三人だったと思う。
「戻ったぞ!」
男が店内へ叫んだ。
「娘たちが戻った!」
姿は見えなくても、中の空気がざわつくのが分かった。
「娘たちって何さ。まとめるなァ!」
「そこかよ!」
張青に突っ込まれている間に、転がっていた男が刀へ手を伸ばす。
姉ちゃんの方が早かった。
手首を踏みつけ、刀を遠くへ蹴り飛ばす。
「寝てな」
「ぐっ……!」
「姉ちゃん、優しく言っても踏んでるからね?」
「あたいは起きるなって教えてるだけだよ」
「教育方針が物理なんだよォ!」
そのまま裏口へ飛び込むと、店の中は昨日よりひどかった。
卓が二つ倒れ、椅子が壁際まで飛び、割れた酒壺から流れた酒が床の血と混ざっている。
その奥、厨房へ通じる戸の前に父ちゃんが立っていた。
右手には短刀、左手には奪ったらしい刀を握っている。
脇腹の衣は裂けていた。
……赤い。
「父ちゃん!」
姉ちゃんの声が変わった。
「騒ぐな。浅い」
「浅くても斬られてるだろ!」
「まだ動ける」
父ちゃんらしい答えだけど、娘としては全然安心できない。
その周囲には黒松寨の男が五人。
外で倒れていた二人に加え、もう一人が床へ押さえ込まれている。
白髭の老人と馬貸しの息子が、その男の上に乗っていた。
全部で八人。
梁牙は古道へ十二人を送り、店には八人を差し向けたらしい。
最初から二手だった。
「二娘!」
柱の陰から宿場の亭主が顔を出した。
「裏から二人入った!」
「今見たよォ!」
荷運びの女は長い棒を握り、馬貸しの老人はなぜか卓の脚を持っている。
武器の統一感がまるでない。
でも、いる。
朝の寄り合いに来ていた連中は、父ちゃんの命令どおり十字坡の周囲から離れていなかったらしい。
黒松寨の五人がこちらへ向き直った。
そのうちの一人が舌打ちする。
「早すぎる」
その一言で、頭の奥に引っかかっていたものが繋がった。
古道の十二人は、アタイたちを倒すためだけに出てきたんじゃない。
アタイと姉ちゃんと張青を店から遠ざけ、ここを攻める時間を作るためでもあった。
「姉ちゃん」
「ああ」
もう説明はいらなかった。
姉ちゃんが右へ回り、アタイは左へ動く。
黒松寨の男たちの視線が、二つに割れた。
昨日なら、父ちゃんの指示を待っていた。
今日は違う。
「父ちゃん、後ろ下がって」
父ちゃんがこちらを見る。
「誰に言ってる」
「怪我人に言ってる」
「俺は――」
「一人で何人も相手にしたんだろォ! もう十分だから下がりな!」
一瞬、店の中が静かになった。
張青が小さく呟く。
「親父さんに下がれって言いやがった」
「聞こえてるよ!」
父ちゃんは怒るかと思った。
けれど短刀を握ったまま、ほんの少しだけ後ろへ下がった。
「好きにしろ」
許したのか。
試しているのか。
今はどっちでもいい。
黒松寨の一人が刀を構えた。
その目が姉ちゃんへ向かい、それからアタイへ戻る。
どちらを先に狙うか迷っている。
昨日までなら、たぶん姉ちゃんだっただろう。
荒事に慣れていることは、立ち方を見れば分かる。
でも今は、アタイの手にも朴刀がある。
古道から走って戻ってきたせいで衣には土がつき、髪も少し乱れているのに、男の目が一瞬だけアタイの顔へ止まった。
こういうところだけは、前世から変わらないねェ。
男子学生なら講義中に前を見てくれて助かったけど、殺し合いの最中に見惚れるのはおすすめしないよォ。
アタイは笑った。
「何見てんのさ?」
男の反応が遅れる。
その隙に朴刀の柄を腕へ打ち込み、刀を落とさせた。
今度は吹っ飛ばさなかった。
少しだけ力を加減したつもりなのに、それでも男は床へ横倒しになる。
「……加減できた?」
思わず自分の手を見る。
「今それ確認するのか!」
張青が叫んだ。
「大事だろォ!」
「後にしろ!」
正論だ。
今日の張青、正論が多い。
姉ちゃんはもう次の男の懐へ入り込んでいた。
振り回された刀をかわしながら腕を取り、そのまま体勢を崩して卓へ叩きつける。
卓が壊れた。
「あっ」
姉ちゃんの動きが止まる。
「何?」
「店の卓」
「敵より店の備品を心配するなァ!」
後ろから父ちゃんが口を挟んだ。
「後で弁償させろ」
「父ちゃんまで!」
この家族、商売人として正しいのか間違ってるのか分からない。
残った三人がまとめて動き、一人がアタイへ、二人が姉ちゃんへ向かった。
それを見た瞬間、腹が立つ。
何で姉ちゃんの方が多いのさ。
いや違う。
そこじゃない。
アタイは迫ってきた刀を柄で外し、身体を横へ流した。
勢いを失った男の背へ肩を当てると、そのまま張青の方へよろめいていく。
「そっち一人!」
「投げてくんな!」
「戦力に数えてほしかったんだろォ!」
「こういう数え方じゃねぇ!」
張青が男へしがみつき、二人でもつれながら床へ転がった。
姉ちゃんの方では、一人が荷運びの女の棒に足を取られ、その隙にもう一人を壁へ押しつけている。
「二娘!」
姉ちゃんの声で振り向いた。
男が一人、父ちゃんの脇へ回ろうとしている。
父ちゃんも気づいていた。
でも脇腹から血が落ちている。
考えるより先に身体が動いた。
床を蹴り、男との間を詰める。
朴刀を振り上げる必要なんてなく、その胴へ柄を横からぶつけた。
今度は加減なんて考えていない。
男の身体が浮いた。
本当に浮いた。
そのまま卓を一つ巻き込み、壁際まで飛んでいった。
店の中から声が消える。
アタイも、しばらく何も言えなかった。
姉ちゃんが男を押さえたままこちらを見る。
「二娘」
「何?」
「今のは、昔より強いかも」
「嫌な報告ありがとう!」
父ちゃんが笑った。
傷が開くからやめてほしい。
最後まで抵抗していた者も、周と舟子たちが表から戻ってきたところで諦めた。
渡しの警戒に出ていた炭焼きの弟が知らせを回し、黒松寨が店へ入ったと聞いた周たちが引き返してきたらしい。
ここまで人数が増えれば、もう勝負にはならなかった。
やがて店に残ったのは、荒い息と壊れた家具、それから床へ転がる黒松寨の男たちだけになった。
八人のうち、まともに動ける者はほとんどいない。
一人だけ意識のはっきりした男を、父ちゃんが顎で示した。
「そいつを残せ」
張青が男の腕を後ろへ回して縛る。
「残りは?」
「逃がすな。話は後だ」
姉ちゃんはもう父ちゃんの脇腹を見ていた。
「座りな、父ちゃん」
「大した傷じゃねぇ」
「そう言う奴ほど座らないんだよ」
「誰に向かって――」
「娘」
姉ちゃんが真顔で返す。
父ちゃんが黙った。
強い……
戦闘力じゃなくても姉ちゃん強いよォ。
宿場の亭主たちが戸を固め、周と舟子は店の裏を確認する。
馬貸しの親子は、倒れた敵の武器を一か所へ集め始めた。
朝には父ちゃんの手下が寄り合っただけだった店が、今は小さな砦みたいになっている。
アタイは捕らえた男の前へ立った。
さっきから、こいつだけ妙な顔をしている。
父ちゃんを見る時より、アタイを見る時の方が長い。
「何さ」
男は答えない。
口元だけが少し歪んだ。
「アタイの顔に何かついてる?」
「血」
「それは知ってるよォ」
袖で頬を拭う。
赤い。
誰の血なのかは分からない。
それを見て、男が笑った。
嫌な笑い方だった。
父ちゃんが短刀を手に近づいてくる。
「梁牙は何を命じた?」
男は父ちゃんを見たあと、もう一度アタイへ目を向けた。
「梁牙様から、この娘に言伝がある」
店の中にいた者たちの手が止まる。
アタイは男の前へしゃがんだ。
「聞こうじゃないか」
男は血の混じった唾を飲み込み、それでも笑みを消さなかった。
「山夜叉の跡目を、先に潰しておけとな」
孫大娘と孫二娘、二人合わせて孫姉妹で〜す!
「父ちゃん、八人相手にして斬られて、それでも立ってたね」
「そこだけ聞くと格好いいんだけどさァ」
「実際、格好よかったじゃないか」
「だからって怪我したまま前に出るなって話だよォ!」
「それより二娘」
「何?」
「あんた、父ちゃんに『下がって』って言ったね」
「……言ったねェ」
「昔なら絶対言えなかったよ」
「やめてよ、そういうの」
「で、最後に何て呼ばれたんだっけ?」
「姉ちゃん、それ今ここで言う?」
「山夜叉の跡目」
「まだ受け取ってないからねェ!」




