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いつもの順番

孫二娘でございま〜す。

毎日同じ灯り。

同じ足音。

同じ椀。

同じ声。

嫌でも、身体は順番を覚えちまうんだよォ。

怖いのは、無理やり食わされることじゃない。

差し出される前に、次が分かってしまうことさ。

そして、温かいものに身体が寄った時――

一番怖いのは、そこからなんだよねェ。

どれくらい経ったのか、もう分からない。

灯りの揺れ方だけが、毎日同じだった。

部屋は寒い。

でも、最初ほどじゃない。

身体を丸める。

布団を首の近くまで引き寄せる。

お腹へ膝を寄せる。

そうすると、少しだけ楽になる。

手をつく場所も。

布団を引く高さも。

膝を寄せる角度も。

いつの間にか、迷わなくなっていた。

――嫌だ。

外で音がした。

床板が鳴る。

耳が、先に拾った。

身体が強張る。

止めたい。

でも、耳はもう追っている。

昨日と同じ足音だった。

近づいてくる。

扉の前で止まる。

息を止める。

また鈍い音とともに、扉が開く。

男が入ってくる。

湯気の立つお椀。

水の器。

お椀が先。

水が後。

昨日と同じ順番だった。

胸の奥がざわついた。

男はテーブルへ器を置く。

それから、アタシを見る。

少し困ったみたいに眉を寄せる。

「……まだ怖ぇか」

返せない。

声が出ない。

男は少しだけ黙った。

小さく息を吐く。

「父ちゃん、何かしたか?」

息が止まる。

父ちゃん――

その言葉だけが残った。

灯りの揺れも。

湯気も。

床の冷たさも。

一瞬、遠くなる。

父ちゃん……

知らない。

そんな呼び方、知らない。

なのに、喉の奥が詰まった。

男は続ける。

「急に喋らなくなるし」

「怯えるし」

「飯も食わねぇし……」

困っている声だった。

怒っていない。

責めてもいない。

本当に、分からないみたいに言う。

「嫌われちまったのかと思った」

違う。

違う。

そんな話じゃない。

アンタなんか知らない。

知らない男だ。

そう思う。

そう思っているのに、胸の奥が変なふうに痛んだ。

男が少しだけ近づく。

反射で身体が縮んだ。

男は、そこで止まった。

傷ついたみたいな顔をする。

「……悪ぃ」

静かな声だった。

その顔を見た瞬間、息が浅くなった。

怖い。

でも、それだけじゃない。

それだけじゃないのが、一番怖い。

講義の言葉が、途中だけ戻る。

環境。

役割。

影響。

そこから先が出てこない。

お腹が鳴った。

部屋に響く。

嫌になるくらい大きい音だった。

男が少しだけ視線を落とす。

それから、お椀をアタシの方へ寄せる。

湯気が揺れる。

匂いが近づく。

喉が鳴った。

胃が縮む。

布団を握る指に力が入る。

どれも、自分より先に動いた気がした。

男が小さく言う。

「……無理しなくていい」

父親みたいな声だった。

目を開けると、まだ暗い。

でも、前より見える。

灯りの位置。

天井の梁。

テーブル。

水の器。

視線が自然にそこへ向かった。

息が止まる。

――嫌だ。

身体を起こそうとする。

少し遅れる。

力が入らない。

でも、前みたいに頭は揺れない。

少しだけ起き上がれる。

手をつく場所が分かった。

布団を押さえる指の位置も。

腰を起こす時の角度も。

分かるはずのないことが、少し増えていた。

喉が渇く。

お腹も痛い。

でも、前みたいに何も考えられない訳じゃない。

手も動く。

足も少し動く。

その分だけ、部屋の中が近くなっている気がした。

外で音がする。

床板。

足音。

昨日と同じ。

近づいてくる。

身体が固まる。

指が布団を掴む。

昨日の男だ。

そう思った瞬間、胸が冷たくなった。

扉の前で音が止まる。

鈍い音。

扉が開く。

男が入ってくる。

湯気の立つお椀。

水。

いつもの順番。

そう思ってしまった。

男はアタシを見る。

「起きてたか」

静かな声だった。

返事は返せない。

でも、前みたいに、声を聞いただけで頭が真っ白にはならなかった。

気づいた瞬間、喉の奥が詰まった。

男は器を置く。

「今日は少し顔色いいな」

困ったみたいに笑う。

その顔を見ると、胸の奥がざわつく。

アタシは目を逸らす。

男は無理に近づいてこない。

昨日と同じ場所へ座る。

少しの沈黙が流れる。

でも、前ほど苦しくない。

そう思った瞬間、背筋が寒くなった。

――嫌だ。

違う。

慣れてない。

こんなの。

講義の言葉が浮かぶ。

人は環境で変わる。

そこまでしか出てこない。

続きは、湯気に紛れて消えた。

お腹が鳴る。

部屋に響く。

男は何も言わない。

ただ、お椀を少しだけアタシの方へ寄せる。

湯気が揺れる。

匂いが近づく。

喉が動く。

男にも聞こえたはずだった。

隠したくても、もう隠し切れない。

男が小さく言う。

「少しずつでいい」

その言葉が、妙に静かに耳へ残った。

男は、そのまま座っている。

何も言わない。

部屋には、灯りの揺れる気配と、湯気の立つ匂いだけが残る。

アタシは動けない。

でも、視線だけがお椀へ向く。

湯気。

匂い。

温かいもの。

知らないもののはずだった。

でも、目がそこへ戻る。

戻ってしまう。

息が詰まる。

――嫌だ。

男が小さく息を吐く。

「無理に食わなくていい」

静かな声。

前にも聞いた言葉だった。

昨日も聞いた。

いつもの声。

そう思いかけて、喉が詰まった。

“いつもの”なんて、思いたくない。

男はお椀へ視線を落とす。

「昨日よりは顔色いい」

独り言みたいに言う。

返せない。

でも、言葉の意味は入ってくる。

前より自然に。

耳が、勝手に受け取ってしまう。

喉が鳴る。

部屋に響く。

男は何も言わない。

ただ、お椀をもう少しだけ近づける。

湯気が揺れる。

匂いが強くなる。

胃が縮む。

喉が動く。

アタシは布団を握る。

止めたい。

でも、顔はお椀の方を向いたままだった。

講義の言葉を思い出そうとする。

教授の声。

教室。

ノート。

スマホ。

どれも途中で途切れる。

代わりに、湯気の揺れ方だけがはっきり見える。

息が止まる。

――嫌だ。

男が静かに言う。

「冷めるぞ」

その言葉に、指が動きかけた。

布団を握る手に力を入れる。

止まれ。

そう思う。

でも、喉が鳴る。

お腹が痛い。

湯気が揺れる。

温かいものがある。

男は何も言わない。

急かさない。

ただ、静かに座っている。

その沈黙が苦しい。

講義の言葉が、また途中だけ戻る。

役割。

従う。

止める。

止める。

そこから先が出てこない。

お腹が鳴る。

部屋中に響く。

男が少しだけ視線を落とす。

それから、スプーンをお椀へ入れる。

小さな音。

湯気が揺れる。

その音に、喉が動いた。

男は少しだけ冷ます。

スプーンを傾ける。

湯気を見て、少し待つ。

昔からそうしていたみたいな、慣れた手つきだった。

それを見た瞬間、頭が痛くなる。

知らない。

こんなの知らない。

なのに、目が先にその続きを追っていた。

次に、差し出される。

そう思った。

思ってしまった。

怖い。

男が静かに差し出す。

「まだ少し熱いぞ」

アタシは動けない。

でも、目が逸らせない。

湯気。

匂い。

温かいもの。

喉が動く。

前より、はっきり。

男は何も言わない。

ただ待っている。

それが余計につらい。

違う。

食べたいわけじゃない。

ただ、寒くて、痛くて、身体が動かないだけだ。

それだけのはず。

教授の顔を思い出そうとする。

浮かばない。

浮かぶのは、湯気だけ。

息が止まる。

――嫌だ。

膝が少しずれる。

布団を握る指に力が入る。

止めようとしているのに、顔だけが湯気の方へ近づいていた。

止めたい。

でも、止まらない。

頬だけが熱い。

お腹の奥が痛い。

足の先が冷たい。

頭の中が、ぬるく濁っている。

考えるより先に、目が温かいものを追ってしまう。

男は静かに待っている。

急かさない。

怒らない。

前も怖かった。

今も怖い。

それなのに、次に何をするかだけは見えてしまう。

待つ。

近づける。

冷ます。

声をかける。

昨日と同じだった。

スプーンから湯気が立つ。

温かいものが近い。

匂いが近い。

喉が鳴る。

もう隠せない。

男が少しだけ手を止める。

「……食えるか?」

また、静かな声。

返せない。

でも、前みたいに完全には拒絶できない。

息が乱れる。

布団を握る指が、少し緩んでいた。

講義の言葉が、また戻る。

人は環境や役割の影響を受ける。

違う。

違う。

アタシは――

お腹が鳴る。

言葉より先に。

考えるより先に。

部屋に響く。

男は何も言わない。

ただ、少しだけスプーンを近づける。

温かいものが近い。

その瞬間、身体が前へ寄った。

自分で止まる。

息が止まる。

――今、寄った。

頭が真っ白になる。

怖い。

今、動いたのはアタシだった。

それが一番怖かった。

男が小さく息を吐く。

「少しだけでいい」

その言葉が、妙に静かに耳へ残る。

アタシは震える。

違う。

食べたいわけじゃない。

ただ、身体が動かないだけだ。

寒くて、痛くて、苦しいだけだ。

それだけのはずなのに――

温かいものが近づいた。

前なら逃げていた。

今は、逃げる前に喉が動いた。

孫二娘でございますよォ。

慣れるってのは、怖いねェ。

足音が分かる。

椀の順番が分かる。

次に何をされるかまで、身体が先に読んじまう。

嫌だと思ってるうちは、まだいい。

本当に怖いのは、温かいものへ寄った自分に気づいた時さ。

心より先に、身体が生きる方へ動く。

それを責めたところで、腹は減るんだよォ。

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