明日は店を開けるな
孫二娘でございま〜す。
朝から父ちゃんの様子がおかしい。
いつも裏に置いてある朴刀を、わざわざ手の届く場所へ移したうえに、嫁ぎ先の姉ちゃんまで呼び戻したんだよォ?
理由を聞いても「あとで話す」だし、張青は何か知ってそうなのに黙ってるし、姉ちゃんは朴刀を見ただけで納得してる。
何でアタイだけ情報共有から外されてるんだ?
前世なら会議の進め方から説教してるところだけど、ここは大学じゃなくて十字坡。
しかも昼を過ぎた頃、どう見ても飯を食いに来たんじゃない男たちが五人入ってきた。
……父ちゃん。
その朴刀、まさか飾りじゃないよねェ?
その朝、父ちゃんは朴刀の置き場所を変えた。
いつもなら裏手の壁際に立てかけてあるものを、厨房の戸の脇へ移し、柄を客前へ向けている。
しかも、それだけじゃなかった。
まだ朝の粥を出す前に、父ちゃんは近くの農家の倅を呼び止め、銭を一枚握らせた。
「大娘んとこへ行け。今日は戻れって伝えろ」
アタイは水桶を抱えたまま振り向いた。
「姉ちゃんまで呼ぶの?」
「そうだ」
「何かあるのかい?」
父ちゃんは朴刀の刃を布で拭きながら、こちらを見もしなかった。
「あるかもしれねぇ」
「何、その予防接種みたいな言い方」
「知らねぇ」
「そこは知っとけ!」
返事はなかった。
嫌な感じしかしない。
張青も戸口で馬具を直しながら朴刀を見たが、父ちゃんへ質問はしなかった。
最近、この二人はアタイに聞こえないところで話していることがある。
秘密というほど大げさなものじゃないと思っていた。
店の仕入れとか、道の様子とか、泊まり客の評判とか。
そういうものだと思っていたかった。
姉ちゃんが戻ってきたのは、朝の客が二組ほど帰った頃だった。
「父ちゃん、何だい。急に呼びつけて」
嫁ぎ先から急いで来たらしく、髪はまとめているものの、いつもの手伝いの日より少しだけ雑だった。
「今日は店にいろ」
「理由は?」
「あとで話す」
姉ちゃんが眉をひそめる。
「二娘には?」
「何も」
「張青は?」
「少し」
「何でアタイが一番知らないんだよォ!」
姉ちゃんが笑った。
「二娘だからじゃない?」
「説明になってない!」
「じゃあ父ちゃんだから」
「もっと説明になってない!」
父ちゃんが横目で朴刀を見た時、姉ちゃんの笑いが消えた。
それだけで分かったらしい。
「……分かったよ」
それから姉ちゃんは、いつものように店を手伝い始めた。
米を見て、酒を見て、厨房の火を見て、ついでに張青へ「戸口に物を置くな」と文句まで言う。
普段と変わらない。
でも、父ちゃんは一度も戸口へ背を向けなかった。
姉ちゃんも、いつもより客の腰元をよく見ている。
何かある。
その答えが来たのは、昼を過ぎてからだった。
五人の男が店へ入ってきた。
旅人にしては荷が少ない。
三人は卓へ座ったが、出した水にも饅頭にもすぐ手をつけない。
残りの二人は戸口の近くに立ったまま、酒を舐めるように飲んでいる。
姉ちゃんがアタイの横を通る時、小さく言った。
「腰」
言われなくても見えていた。
着物も草鞋もばらばらなのに、五人が差している短刀だけは妙に似ている。
柄には黒い布。
結び方まで同じだった。
寄せ集めの旅人を装っているつもりなのだろう。
でも、店へ入った後の立ち位置が綺麗すぎる。
父ちゃんの近くに二人、張青の側に一人、残る二人が戸口を押さえている。
アタイが客を見分ける時に覚えたものが、今度は嫌な形で役に立っている。
「飯は食わないのかい?」
一人が笑った。
「あとでいただく」
「冷めるよォ」
「構わねぇ」
構うだろう。
普通、飯を食いに来たなら。
アタイが水差しを置いた時、戸口の男が後ろ手に戸を閉めた。
閂が落ちる。
乾いた音だった。
張青が立ち上がる。
姉ちゃんは卓を拭いていた布を置いた。
父ちゃんだけが動かない。
「何の真似だ」
張青が聞く。
返事の代わりに、男が短刀を抜いた。
残りの四人も立つ。
一番奥にいた男が父ちゃんへ顎を上げた。
「孫元だな」
父ちゃんの名を知っている。
「そうなら何だ」
「この街道を仕切ってる元締めは、てめぇだろ」
アタイは父ちゃんを見た。
元締め?
十字坡の店をやっている男じゃないのか。
客を見て、泊めるか帰すか決めて、時々とんでもないものを饅頭へ詰める男。
いや、最後の時点で十分まともじゃないけどさァ。
男は続けた。
「宿も渡しも、お前に話を通してる。山の連中まで勝手はしねぇそうじゃねぇか」
姉ちゃんが驚いていない。
張青もだ。
アタイだけが知らない。
腹が立つより先に、それが分かった。
「父ちゃん」
「あとだ」
「最近その『あと』多くない!?」
男が笑った。
「娘には何も教えてねぇのか」
「てめぇに関係ねぇ」
「なら、今日覚えさせてやるよ」
短刀の先が父ちゃんへ向く。
「てめぇの首を取る。今日からこの店も道も、俺たちのもんだ」
強盗じゃない。
乗っ取りだ。
人の父親を殺す宣言と知らなかった家業の説明を同時にやるんじゃないよ。
情報量が多すぎる。
男が踏み込んだ。
張青が横から腕を払おうとする。
でも相手の方が速かった。
拳が張青の頬へ入り、身体が卓へぶつかる。
椀が落ちた。
「張青!」
戸口の男が襟を掴み、床へ引き倒す。
張青も肘を入れて抵抗するが、力で押されていた。
その時、姉ちゃんが動いた。
「うちの店で何やってんだい!」
戸口にいたもう一人の男の腕を掴み、そのまま身体を捻る。
男の肩が不自然な方向へ向き、短刀が床へ落ちた。
姉ちゃんは拾おうともせず、男の背中を戸へ叩きつける。
「しかも勝手に閂まで掛けて!」
そこなの!?
いや、そこも大事だけど!
父ちゃんの声が飛んだ。
「二娘、朴刀!」
身体が先に動いた。
朝から柄をこちらへ向けてあった。
掴んで引く。
重い。
でも持てる。
少し前なら、振り回す以前に構えるだけで身体が負けていたかもしれない。
今は足が勝手に開き、腰が重さを受け止める。
店へ戻った時、床の張青へ短刀が向いていた。
考える前に朴刀の柄を差し込む。
男の手首を押し上げると、刃先が張青の首から外れた。
男がこっちを見る。
柄尻を胸へ突き込んだ。
息が潰れる。
二歩下がったところへ、もう一度押す。
男は卓へ背中をぶつけ、そのまま崩れた。
「お嬢……」
「寝てる場合かい!」
「寝てねぇ!」
「なら立ちなァ!」
言いながら、自分でも驚いていた。
倒せると思ったわけじゃない。
相手の重心がどこへ動くか見えた。
そこへ柄を入れたら、倒れた。
それだけだった。
背後から足音が来る。
振り返る前に身体が右へずれた。
短刀が袖を掠める。
朴刀を振り回すには近すぎる。
柄を引き、刃を背中側へ逃がす。
空いた手で男の肩を押さえ、勢いを横へ流した。
男の足がもつれる。
柄を膝裏へ当てて引くと、床へ落ちた。
「二娘、右!」
姉ちゃんの声。
頭を下げる。
別の短刀が髪の上を通った。
「見えてるなら先に言え!」
「今言っただろ!」
「もっと早く!」
「贅沢言うな!」
何なんだ、この姉妹喧嘩。
命懸けなのに!
男が髪へ手を伸ばしてくる。
反射でその腕の下へ入り、朴刀の柄を脇腹へ押し込む。
身体が折れたところへ肩を当てた。
男が床へ転がる。
目が合った。
怖い。
普通に怖い。
でも目を逸らしたら起きる。
アタイは刃先を男の頬の横へ落とした。
床板が鳴る。
「そのまま寝てなァ」
声がやけに明るく出た。
客へ酒を勧める時みたいだった。
男の顔が固まる。
なるほど。
笑ってる方が怖いのか。
……看板娘の接客技術、こんなところで転用する予定じゃなかったんだけどォ。
横では姉ちゃんが別の男の腕を後ろへ回していた。
「張青、そいつ押さえな!」
「俺に命令すんな!」
「だったら逃がすのかい!」
「押さえる!」
姉ちゃん、完全に指揮してる。
父ちゃんは首領らしい男と組み合っている。
もう一人が父ちゃんへ向かおうとした。
アタイが踏み出すより先に姉ちゃんが叫ぶ。
「二娘、そっち!」
「分かってる!」
朴刀の柄で短刀を弾く。
腕に痺れが来た。
それでも止まらない。
相手が押してくる力を受けて、横へ逃がす。
今まで店で重い甕を運び、米袋を持ち上げ、身体の使い方を勝手に思い出してきた。
怪力だけじゃない。
力をどこへ逃がせばいいのかまで、身体が知っている。
男が前へ崩れた。
柄を足首へ当てて払う。
床へ落ちる。
「お嬢たち、強すぎねぇか!?」
張青が叫んだ。
「今それ言う!?」
「今しかねぇだろ!」
「黙って押さえときなァ!」
気づけば、五人とも床にいた。
父ちゃんが二人、姉ちゃんが一人、アタイが二人を倒して、張青はそのうち一人を必死に押さえている。
「張青」
「何だ?」
「頑張ったねェ」
「殺すぞ」
「負けてたくせに」
「今それ言うな!」
姉ちゃんが笑う。
「二娘、張青いじめるのは後にしな」
姉ちゃんまで……
父ちゃんだけは笑わなかった。
「縄」
姉ちゃんがすぐ動く。
「張青、そのまま押さえときな。二娘、こっち手伝って」
「何で姉ちゃんが仕切ってるの?」
「父ちゃんが黙ってるからだよ」
なるほど。
こういう時、姉ちゃんが店を継いだ方が絶対に楽だったんじゃないか。
縄を持って戻り、男たちの手首を後ろへ回す。
戦っている最中より、縛る方が気持ち悪かった。
もう抵抗できない。
それでも逃げないよう、縄を食い込ませる。
呻かれても緩めない。
姉ちゃんの手元を見る。
迷いがない。
父ちゃんと同じだ。
そのことも、今さら驚かなかった。
首領らしい男が、床へ頬をつけたまま笑った。
「孫元、娘二人とも仕込んでやがったか」
「黙りな」
姉ちゃんが縄を強く引いた。
「痛ぇ!」
「喋れるなら元気だね」
やっぱり、ほぼ父ちゃん側の人間だよ、この姉ちゃん。
むしろ、父ちゃんより適性あるよ……
アタイが父ちゃんを見る。
「朝から知ってたの?」
「渡しから知らせが来た」
「だったら先に言いなよォ!」
「言ったらどうした」
「覚悟くらい――」
そこで止まった。
父ちゃんがアタイを見る。
「覚悟してたら、今みてぇに動けたか?」
分からない。
怖がって朴刀ばかり見ていたかもしれない。
相手が来る前から身体を固くしていたかもしれない。
でも、それと黙ってるのは別問題だろ。
文句を言おうとした時、縛られた男が笑った。
「黒松寨は、もう下りてきてるぞ」
姉ちゃんの手が止まった。
張青の顔から血の気が引く。
父ちゃんの目も変わる。
三人とも知っている。
アタイだけが知らない。
またか。
「誰が来る」
父ちゃんが声を抑えて聞いた。
「梁牙だ」
今度は姉ちゃんまで息を呑んだ。
張青が父ちゃんを見る。
「親父さん……」
父ちゃんが片手を上げ、黙らせた。
男は笑っている。
「孫元の首を取れば、この街道は空く。宿も渡しも山の連中も、全部こっちへ流れる」
元締めだの縄張りだの、黒松寨だの梁牙だの――父ちゃんと姉ちゃんと張青には、ずっと前から知っている話らしい。
アタイだけが今日、初めてその中へ入れられた。
「父ちゃん」
返事はない。
父ちゃんは縛った五人を見たあと、アタイの持つ朴刀へ目を落とした。
「二娘」
「何さ?」
「今夜から、それを枕元へ置け」
冗談ではなかった。
姉ちゃんが顔を上げる。
「父ちゃん、梁牙が来るなら――」
「分かってる」
張青が口元の血を拭った。
「俺が戸口にいます」
父ちゃんは張青を見る。
「お前じゃ足りねぇ」
張青は黙った。
さっきの戦いを見れば、否定できない。
アタイも否定しなかった。
父ちゃんは閉じられた戸へ向き直る。
いつもなら、客が来れば開ける戸だ。
朝になれば店を開け、飯を炊き、酒を並べる。
雨でも風でも、嫌なことがあった翌日でも。
父ちゃんは一度も、店を閉めろとは言わなかった。
その父ちゃんが言った。
「明日は店を開けるな」
孫大娘と孫二娘、二人合わせて孫姉妹で〜す!
「姉ちゃん、今日のアタイ強すぎなかった?」
「二人倒したくらいで何言ってんだい」
「基準がおかしい!」
しかも姉ちゃんまで一人叩き伏せて、気づけば張青だけ必死に押さえ役。
「張青も頑張ってたじゃないか」
「頬腫らしてたけどねェ」
「本人の前で言うんじゃないよ?」
それより問題は、父ちゃんが街道の元締めだったことだ。
「知らなかったの?」
「姉ちゃんまで知ってたの!?」
挙げ句、梁牙って名前が出た途端、みんな顔色変えるしさァ?
「二娘」
「何?」
「父ちゃんが店を開けないって、相当だよ」
……それを先に言え。
明日、ほんとに何が来るんだよォ?




