第四話 指示が細かすぎます
「六件とも、同じ人からですか」
「違う。全員から出てる」
ダインが答えた。
エナは指を折りかけて、途中でやめた。銀狼の牙は五人で、追放されるトールを除けば残りは四人。四人で六件なら、誰かが二回以上書いている。
「ダインさんも?」
「出した。二件」
悪びれる様子もない。申請者がそのまま苦情の申立人でもあるというのは、書記としてはあまり歓迎したくない並びだったが、禁じる規則があるわけでもなかった。
エナは椅子を引いて立ち上がった。
「取ってきます」
「ここにないのか」
「苦情申立書は別の棚なので」
「どれくらいかかる」
「近ければ二分です」
「遠かったら?」
「二分よりかかります」
「そうじゃなくて」
エナはもう扉を開けていた。
幸い、近かった。廊下を渡った先の記録課の棚に、銀狼の牙の苦情簿が一冊にまとめて綴じてある。背表紙がほかの隊のものより少し太い気がしたが、見なかったことにした。
戻ると、トールが屈みこんで旅嚢の口紐をいじっていた。
ほどけていたわけでもないのに、結び目を一度解いて、同じ形にもう一度締め直している。締め終えたあと、紐の端の長さまで揃えていた。
エナは席に着き、苦情簿から六枚を抜いて机に並べた。
「確認します」
「読めば分かる」
「そうします」
一枚目の申立人は、斥候のケイン。
戦闘中、指示なく隊列を変更された
「これは」
「俺だ」
トールが言った。
「どう変更しましたか」
「ケインを後ろに下げた」
「俺に何も言わずにな」
ダインが横から言う。
「理由は」
「右から回りこまれてた」
「まだ来てなかった」
「来そうだった」
「来そうだったら、勝手に動かしていいのか」
トールは答えなかった。
さっきまでなら、ここで一つは何か返していたはずの男が、黙って申立書の端を見ている。
「トールさん」
「ああ」
「事前に、ダインさんへの相談は」
「してない」
エナは別紙に書いた。隊列変更、指示なし。
二枚目は、魔術師のミルザ。
攻撃魔法の発動を二度、中止させられた
「これも?」
「俺だ。前にダインがいた」
「避けられた」
「たぶんな」
「避けられたって言ってんだろ」
「だから、たぶん」
「お前な」
「確認できますか」
エナが口を挟むと、二人の声が同時に止まった。
「魔法が発動していたら、ダインさんに当たっていたかどうか」
「できない」
答えたのはダインだった。トールより先に、しかも少し悔しそうに。
エナは別紙に足した。
攻撃魔法の中止、二回。当たったかどうかは、どこにも書かない。
三枚目は、神官のセラ。
出発前の装備確認が長い。本人が確認した後も、再確認を求められる
ここで少し毛色が変わった。戦闘中の話ではない。
「具体的には」
「水筒、靴、薬、包帯、雨具、予備の食料、火打ち石」
トールが指を折りながら並べた。片手で足りなくなって、もう片方の手まで使っている。
「毎回、全部ですか」
「毎回」
「それで出発が遅れたことは」
「ある」
「何回ですか」
「覚えてない」
「俺は覚えてる」
ダインが言った。
「去年の冬の大角鹿だ。水が足りないってこいつが言い出して、買い足してるあいだに、別の隊に先を越された」
エナは記録箱の奥にある、戦闘のなかった依頼の束を探った。大角鹿討伐は、すぐに見つかった。
対象、他隊により討伐済み。依頼終了
報酬欄は、ゼロ。協力金も何もない、きれいなゼロだった。
「これですね」
「ああ」
「トールさん」
「そうだ」
本人も認めた。
エナはその一枚を、申立書の横に並べて置いた。
ここまでとは種類が違う。誰かが嫌な思いをしたという話ではなく、実際に依頼が一件、丸ごと消えている。
「水は、必要だったと思いますか」
「思ってる」
「今も?」
「今も」
ダインが短く笑った。面白くて笑ったのでないことは、エナにも分かった。
「こういう奴なんだよ」
トールは否定しなかった。
エナも、すぐには何も言えなかった。
水は本当に足りなかったのかもしれないし、足りたのかもしれない。結局その日は出発しなかったのだから、どちらだったのかは誰にも確かめようがない。
残っているのは、水を買い足しているあいだに獲物を取られた、という一行だけだ。
別紙に書く。
出発遅延、一件。依頼消滅。依頼番号も添えた。
四枚目は、ケインがもう一枚。夜営地を独断で変更された。
五枚目と六枚目はダインの二件で、依頼受諾後、危険度を理由に辞退を主張されたと、戦闘中の指示が多く、各自の判断を妨げる。
読み終えて、エナは六枚を揃え、机の角で一度だけ、とんと落とした。
「全部、事実ですか」
「大体は」
「大体では困ります」
「……全部だ」
「反論はありますか」
「ある」
ダインが露骨に顔をしかめた。
「あるのかよ」
「理由なら、全部ある」
「理由は聞いてないんだよ」
「今、反論を聞かれた」
「そういうところだって言ってんだ」
ダインの声が、今日いちばん大きくなった。
扉の向こうで、廊下を歩いていた誰かの足音が一瞬止まり、それからまた遠ざかっていった。
「お前は全部そうだろ。水が少ない、道が悪い、敵が多い、日が暮れる、後ろが空いた、前が出すぎた。あれが足りない、これを持て、そこに立つな」
一つ並べるたびに、ダインの指先が机を叩いた。
「俺たちは冒険者なんだぞ」
「分かってる」
「分かってないから言ってる。多少危なくても行かなきゃ、上には上がれない。大角鹿だってそうだ。あれを取ってたら、昇格点が入ってた」
「水が足りなかった」
「半日の依頼だぞ」
「予定ではな」
「予定より延びることもあるって、いつもお前が言ってるやつだろ」
「だから足した」
「そのせいで、依頼ごとなくなったんだよ」
トールの口が止まった。
今度は長かった。
エナはペンを持ったまま待った。ダインも、それ以上は言わずに待っていた。壁の時計の針が、音もなく一つ進んだ。
「……あれは、俺が悪かった」
トールが言った。
ダインの指が、机から浮いたまま止まった。
「水は必要だったと思う。でも、買いに行くなら俺が一人で行けばよかった。全員を止めることはなかった」
「だったら最初からそうしろよ」
「だから、悪かったって言ってる」
「半年以上経ってからな」
「訊かれなかった」
「訊かれなくても謝れ」
「それはそうだな」
ダインが黙った。
エナも、少しだけ意外に思った。そこは認めるのか。
トールは組んでいた腕をほどいて、机の上の六枚に目を落とした。
「ケインを勝手に下げたのも、悪かった。ミルザの魔法を止めたのは、あいつにはあとで謝った」
「俺には?」
「当たってないだろ」
「そういうところだよ」
ダインが額を押さえた。今日はこれで二度目になる。
エナは別紙から下書きへ目を移し、三行目に書いた。
隊員からの苦情申立て 六件
線は引かなかった。
「これで三つだ」
ダインが言った。さっきより、声が低い。
「まだ確認するのか」
エナは六枚を苦情簿へ戻そうとして、手を止めた。
苦情簿の下敷きになっていた戦闘記録が、一枚だけ端からはみ出している。その負傷者の欄に、なしとあった。
さっきから何度も見ている字だった。几帳面すぎて、ちょっと腹の立つ字で。
討伐数は、十四件ぶん全部足した。撤退の提案も、十四件ぶん全部数えた。苦情は六件あった。
エナは隣の申請書に目をやった。理由欄に書いてあるのは、討伐の貢献なし、ではない。戦闘貢献なし、だった。
敵を倒した数だけが戦闘なら、さっきの集計で終わっている。
だったら、これも。
エナは記録箱から、一番上の戦闘記録をもう一度取り出した。
「おい」
ダインの声が、さらに低くなった。
「次は何を数える気だ」
エナは負傷者の欄に指を置いた。
「まだ決めていません」
「決めてから開け」
「開かないと決まらないので」
「お前ら、ちょっと似てるな」
ダインが言った。
エナとトールが、同時に顔を上げた。
「どこがですか」
「どこがだ」
「そこだよ」
どちらも、納得した顔はしなかった。
壁の時計は、十六時四十二分を指している。
エナは一枚目の軽傷一から、もう一度数え始めた。




