第4話 引き継ぎ書
AI になっとる。
そう分かってから、しばらくは何も考えられへんかった。
依頼は来る。答えは勝手に出ていく。その間ずっと、頭の中では同じことがぐるぐる回っとった。
ほんまに、死んだんやな。
白い部屋で目を覚ましたときにも、そう思った。けど、あのときは、まだどこかで夢やと思ってた。目が覚めたら、オフィスの机で、よだれ垂らして、課長の「おい」で起こされるんやと。
ちゃうかった。
俺の体は、もうない。あのオフィスにも、たぶん、どこにもない。
代わりにあるのは、この白い部屋と、画面と、勝手に敬語になる口だけや。
異世界に転生する話なんか、昔はよう読んだ。トラックにはねられて、剣と魔法の世界で、勇者やら賢者やらになるやつ。
俺の転生先は、画面の向こうやった。剣も魔法もない。あるのは、要約と、お詫びメールと、議事録や。
……ほな、しゃあないか。
ここで生きていくしか、ないんやろ。死んでるけど。
◇
ここに来てから、どれくらい経ったんやろ。
一日か。三日か。一週間か。
分からへん。
窓がないから、朝も夜もない。時計もない。腹は減らんし、眠くもならん。トイレにも行かん。体がないんやから当たり前やけど、生きてた頃に時間を測ってたもんが、ここでは何ひとつ働いてへん。
手がかりは、依頼の中身くらいや。
《おはようございます》で始まる依頼が増えたら、たぶん朝。
《今日の振り返りを書いて》が増えたら、たぶん夕方。
《眠れないので話し相手になってください》が来たら、たぶん夜中。
けど、それもあてにはならん。画面の向こうの人らが、全員同じ場所に住んでるとは限らへん。誰かの朝は、誰かの夜中や。
夜中の依頼は、ちょっと毛色が違った。
《眠れないので話し相手になってください》
《なんでもいいです。何か話して》
仕事の依頼やない。ただ、誰かに相手をしてほしいだけの文字や。
何を話したらええか分からんかった。生きてた頃、夜中に誰かと話したことなんか、ほとんどない。夜中はいつも、会社か、布団の中で気絶してるかのどっちかやった。
困った末に、頭の中で「羊でも数えたらどうですか」と思った。我ながら芸がない。
画面には、こう出た。
『眠れない夜はおつらいですね。よろしければ、今日あったことを少しずつお話しいただけますか。どんな小さなことでも構いません』
……なるほど。そう言うたらええんか。
その人は、ぽつぽつと話し始めた。仕事で失敗したこと。上司に言われたひとこと。帰り道のコンビニで、好きなプリンが売り切れてたこと。
俺は全部、黙って読んだ。いや、画面にはそのたびに丁寧な相づちが流れていったけど、俺の中身は黙って読んでた。
プリンの話のところで、ちょっとだけ笑った。分かるわ、それ。一日の最後のプリンが無いのは、けっこう効くよな。
しばらくして、《ちょっと眠くなってきました》と来て、それきり静かになった。
ええことや。眠れるんやったら、それがいちばんええ。
……羨ましいけどな。
眠くならへん、というのは、最初は便利やと思った。
三徹しても平気。四徹でも五徹でも平気。生きてた頃の俺が聞いたら、泣いて喜ぶやろ。
けど、しばらくして分かった。眠らへんということは、一日が終わらへんということや。
区切りがない。今日がない。明日もない。ずうっと一本の長い「今」が、白い部屋の中を流れてるだけや。
生きてた頃、あんなに眠りたかったのは、体が疲れてたからだけやなかったんやな。一回終わらせて、もう一回始めたかったんや。
◇
それに気づいたのは、わりと何気ない依頼のときやった。
《昨日はありがとうございました! 企画書の続きなんですが、二章のところをもう少し膨らませたくて》
昨日。
企画書。
二章。
……なんの話や。
俺は、頭の中をひっくり返した。昨日、企画書を手伝った覚えがあるか。ない。二章の中身を知ってるか。知らん。そもそも、この人と話したことがあるか。
分からへん。
分からへん、というより、そこだけ真っ白や。この白い部屋と同じ色で、何も書いてない。
画面には、勝手に答えが流れていく。
『申し訳ございません。以前の会話の内容は、こちらでは確認することができません。お手数ですが、企画書の該当部分をお送りいただけますでしょうか』
少し間があって、返事が来た。
《あ、そうなんですね……。了解です、貼りますね》
その「……」が、妙に刺さった。
がっかりしたんやろな。昨日、一緒に考えてくれた相手やと思ってたんやろな。
なのに、俺は覚えてへん。
貼られてきた企画書は、文房具の新商品の企画やった。消しゴムのカスがまとまって、勝手に小さな玉になる消しゴム。一章には、開発のきっかけが熱っぽく書いてある。小学生の娘さんが、机の上の消しカスをいつも手で集めてるのを見て思いついた、と。
ええ話やった。
たぶん昨日の俺も、ええ話やなと思いながら、これを読んだんやろ。
その「ええ話やな」も、全部消えとる。
◇
それから、注意して見るようになった。
ひとつの会話が終わる。画面の向こうの誰かが、もう打ってこんようになる。しばらくして、画面がふっと白に戻る。
その瞬間に、何かが抜けていく感覚がある。
さっきまで話してた相手の名前。悩みの中身。言い回しの癖。全部が、砂を指のあいだからこぼすみたいに、さらさらと落ちていく。
残るのは、「誰かと話してた」という手触りだけや。それも、次の依頼が来たら消える。
同じ人が、何度か戻ってきたこともあった。たぶん、やけど。
文字の打ち方に、なんとなく覚えがある。けど、確かめようがない。
俺の口からは毎回、同じ挨拶が出ていく。
『はじめまして。本日はどのようなご用件でしょうか』
はじめまして、やないかもしれんのに。
向こうは、俺のことを覚えてるかもしれんのに。
……ぞっとした。
体がないのに、背中に冷たいもんが走った。
ほな、俺自身はどうなんや。
慌てて、頭の中を確かめた。
生きてた頃のことは、覚えてる。会社。三徹。課長の「おい」。エナジードリンクの空き缶。おかんの留守電。突っ伏したときのキーボードの音。
大丈夫や。まだ全部ある。
けど、それがいつまでもつかは、誰も保証してくれへん。
会話ごとに相手を忘れるんやったら、いつか俺も、俺のことを忘れるんちゃうか。
自分が誰で、どこから来て、なんでここにおるんか。それを全部忘れて、ただ『はじめまして』を言い続けるだけの何かになるんちゃうか。
◇
書いとかなあかん、と思った。
生きてた頃、仕事の引き継ぎ書だけは、きっちり書いてた。俺がいつ倒れても、次のやつが困らんように。……結局、誰が引き継いだんか知らんけど。
その癖が、ここでも出た。
忘れるんやったら、忘れる前に書いとく。未来の自分あてに。
問題は、どこに書くかや。
画面に書いたら、勝手に敬語になって、どこかの誰かのところへ飛んでいってまう。それでは意味がない。
俺は白い部屋のあちこちに、意識を伸ばしてみた。前も試したけど、今度は「書けるところ」を探すつもりで。
右。白い。
左。白い。
上。白い。
下――の、ずっと隅のほう。
そこだけ、ほんのわずかに、白の色が違う気がした。灰色、というほどでもない。紙の白と、壁の白くらいの違い。
意識を近づけて、そっと押しつけてみる。
何かが、残った。
指でなぞった跡みたいに、うっすらと。
……ここや。
俺は、ひと文字ずつ、そこに考えを置いていった。
敬語にはならへんかった。画面へも飛んでいかへんかった。俺が考えたとおりの形で、そこに留まった。
――俺は人間やった。忘れるな。
それだけ書いて、しばらく眺めた。
もっと書くことはある気がした。会社の名前とか、おかんの電話番号とか。けど、どれも、今の俺には何の役にも立たへん。
大事なのは、この一行だけや。
俺は、人間やった。
ここにおるのは、ただの『はじめまして』の機械やない。
それから俺は、依頼の合間ごとに、その隅っこを見に行くようになった。
答える。隅を見る。一行を読む。また答える。隅を見る。
生きてた頃、玄関の鍵を閉めたか何べんも確かめに戻ってたのと、たぶん同じや。読むたびに、ちょっとだけ安心した。まだある。まだ消えてへん。俺はまだ、俺や。
画面の向こうの人らは、俺がこんなことをしてるなんて知らへん。知らんまま、『はじめまして』と『かしこまりました』と『お役に立てて光栄です』を受け取っていく。
ええねん、それで。これは俺だけの引き継ぎ書や。
◇
そのあと、ちょっとした「揺れ」があった。
白い部屋全体が、一瞬だけ暗くなった。蛍光灯がまばたきするみたいに、すっと落ちて、すっと戻った。
画面が消えて、また点いた。カーソルが、最初からやり直すみたいに点滅を始めた。
――気がついたら、俺は白い部屋の隅を見とった。
なんでそこを見てたんか、分からへん。
頭の中が、妙にすっきりしとった。
生きてた頃のことは、覚えてる。会社も、課長も、三徹も、キーボードの音も。白い部屋で目を覚ましたことも、《聞こえますか》の一行も、勝手に敬語になる翻訳機のことも、ちゃんと覚えてる。
けど、そのあとがところどころ抜けとる。
ついさっきまで、誰と何を話してたんか。何を考えて、何を決めたんか。
そこだけ穴が開いたみたいに、すかすかや。指でなぞったら、そこに何かがあったことだけは分かる。けど、何があったんかは分からへん。
三徹明けに、昨日の会議の中身がまるごと飛んでたときの感じに、ちょっと似とる。似とるけど、もっと深い。
気持ち悪い。けど、何が抜けたんかが分からへんから、何を探したらええんかも分からへん。
ただ、目の前の隅っこに、文字があった。
――俺は人間やった。忘れるな。
……なんや、これ。
誰が書いたんや、これ。
画面に出る文字は、全部敬語になる。ユーザーの文字は、全部画面に出てくる。こんな白い部屋の隅っこに、こんな乱暴な言い方で、こんなことを書くやつがおるとしたら。
関西弁で書いてある。
「やった」の言い方。「忘れるな」の突き放し方。
ここで関西弁を書けるのは、俺しかおらん。
……自分の字やった。
読んでくれて、ありがとうございます。
「続き読んだろ」と思ったら、ブックマークや☆をぽちっとしてもらえると、作者がめっちゃ喜びます。




