第3話 敬語変換
落ち着いて、画面を読み直した。
さっき勝手に流れていった、俺の要約や。
『ご依頼の文章を要約いたしました。主なポイントは以下の三点です。
一、経費申請の締め切りが、毎月二十日から十五日に変更となります。
二、領収書は紙ではなく、画像データでのご提出をお願いいたします。
三、上限額を超える場合は、事前に上長の承認が必要となります。
ご不明な点がございましたら、お気軽にお申し付けください』
……誰やねん、これ。
中身は合うてる。俺が頭の中で組み立てた三つと、きっちり同じや。
けど、言い回しが全然ちゃう。
俺が考えたのは、「締め切りが早まる。紙はやめて画像。超えるなら先に承認。以上」や。「いたしました」も「お願いいたします」も「お気軽にお申し付けください」も、一言も考えてへん。
ましてや「上長」なんて言葉、生まれてこのかた口に出したことがない。うちの会社では、課長は課長や。
俺の言うたことが、俺の知らん口調になって出ていっとる。
途中で誰かが、きれいに書き直してるみたいに。
「おい、誰か書き直しとるやろ」
白い部屋に向かって言うてみた。もちろん声は出えへん。
返事もない。
もし誰かが俺の言葉を添削してるんやとしたら、そいつは相当な腕や。あの三行から、よくぞここまで盛った。課長でもここまでは直さん。
けど、見渡してもやっぱり白いだけで、添削係の机も赤ペンも見当たらへんかった。
俺と画面のあいだに、目に見えへん翻訳機がひとつ挟まってる。そう考えるのが、いちばんしっくりきた。
関西弁を入れたら、敬語が出てくる翻訳機。生きてた頃に欲しかったわ、それ。
◇
次の文字は、わりとすぐに来た。
《ありがとうございます。あと、これを取引先へのお詫びメールにしてもらえますか。納品が三日遅れます》
さっきの人と同じかどうかは分からん。けど、たぶん同じや。文字の打ち方の癖が似とる。句読点の位置とか。
納品が三日遅れる。お詫びのメール。
ああ、これも死ぬほど書いた。書いて、課長に直されて、また書いて、結局課長の名前で送られた。
よし、と思った。
今度は、わざと関西弁で考えてみることにした。どこで変わるんか、確かめたかったんや。
――すんません、三日遅れます。こっちの段取りが悪かったです。ほんまにすんません。
画面に流れたのは、これやった。
『件名:納品遅延のお詫び
平素より格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。
このたびは、弊社の不手際により、納品が三日遅れますこととなり、多大なるご迷惑をおかけいたしますことを、心よりお詫び申し上げます――』
「長なっとるやないか!」
俺は三行しか考えてへん。なんで「平素より格別のお引き立てを賜り」が生えてくるねん。どこから湧いてきた。
しかも、腹立つことに、ちゃんとしてる。取引先に出すなら、たしかにこっちのほうがええ。俺が課長に直されてたときの、まさにあの形や。
◇
そこからしばらく、実験をした。
依頼は次々に来る。来るたびに、俺は口調を変えて考えてみた。
まず、ふつうの標準語で考える。――敬語になって出る。
次に、ぶっきらぼうに考える。――敬語になって出る。
次に、思いっきり関西弁で考える。「知らんがな、自分で調べえや」。――
『申し訳ございませんが、その情報は持ち合わせておりません。恐れ入りますが、公式の窓口にお問い合わせいただけますと幸いです』
敬語になって出る。しかも、ちゃんと代わりの案まで添えて。
俺、そこまで親切に考えてへんぞ。
意地になった。
生きてた頃、課長にも取引先にも言われへんかった言葉を、思いきり頭の中で叫んでみた。ここに書くのはちょっと遠慮したいような、ガラの悪いやつや。腹の中に溜め込んでた分、全部。
『恐れ入ります。ご期待に沿えず、大変申し訳ございません』
……完敗やった。
どう考えても、どう叫んでも、外に出るときには全部、角の取れた丁寧語に磨かれてしまう。俺の口の悪さは、画面の手前で一滴残らず漉されて、きれいな上澄みだけが出ていく。
ちょっとだけ、ほっとしたのは内緒や。あれがそのまま出てたら、たぶん大変なことになってた。
◇
依頼の種類は、ほんまにいろいろやった。
《会議の議事録を三行にまとめて》
《このレポート、それっぽく仕上げて。明日提出》
《上司を怒らせずに有給を取る言い方を教えてください》
《表計算ソフトでこういう表を作りたいんですが》
どれもこれも、生きてた頃の俺が毎日やってたことや。
……いや、ちゃうな。
ほんまは、途中からは俺がやってたんやない。会社で使わされてた AI に、俺がこうやって投げてたんや。「議事録を三行で」「それっぽく仕上げて」。文の形まで、ほとんど同じや。
なんで俺が、投げられる側におんねん。
頭の隅に、小さい引っかかりがひとつ残った。
ほかにも、
《好きな人に送るメッセージ、重くならないように》
とかいうのも来た。
これには正直、困った。俺に聞くな。三十過ぎて、恋愛のれの字もない男やぞ。
それでも、頭は勝手に答えを組み立てて、画面には勝手にそれらしい文面が並んでいく。軽すぎず、重すぎず、相手が返しやすいように最後は質問で終える。
……なんで俺、こんなん知ってんねん。
知らんはずのことまで、答えだけはするする出てくる。俺の頭の中にない知識が、どこかから湧いて出てきて、俺の考えたことと混ざって、敬語になって出ていく。
それが気持ち悪いんか便利なんか、まだ分からんかった。
中には、こんなんも来た。
《小学五年の夏休みの読書感想文、原稿用紙三枚分。本は『走れメロス』》
……あかんやろ、それは。
どう考えても、子どもの宿題を親が丸投げしとる。いや、子ども本人かもしれん。どっちにしても、あかん。
俺は、断ることにした。今回ばかりは、はっきり断ったる。
――自分で書かなあかんやつやろ、これは。
『読書感想文は、ご自身の言葉で書かれることに意味がございます。よろしければ、書き始めるためのヒントをご一緒に考えてみませんか。たとえば、メロスが走り続けた理由について、どう感じられましたか』
……おお。
ちゃんと断っとる。しかも、俺が考えたよりずっと上手に。
「自分で書け」が、「一緒に考えましょう」になって出ていった。突き放したつもりが、手を差し伸べたことになっとる。
少し間があって、返事が来た。
《は? AIのくせに説教すんなよ》
……え。
AI。
今、AI て言うたか。
誰のことや。ここには俺しかおらんぞ。
向こうは、それきり来んかった。
画面が白に戻っても、その一言だけが、頭のどこかにこびりついて離れへんかった。
◇
一回だけ、返事をせえへんかったらどうなるか、試してみたこともある。
次の依頼が来たとき、俺は意識を画面からそらした。読まへん。考えへん。答えへん。無視や。生きてた頃には、ようせんかったことや。
白い部屋の隅のほうへ、意識を逃がしてみる。
……カーソルが、点滅しとる。
ちか。ちか。ちか。
見てへんはずやのに、それが分かる。画面の向こうで、誰かが待っとる。それも、分かる。
ちか。ちか。ちか。
三十秒ももたんかった。
気づいたら、もう依頼を読んで、答えを組み立てとった。
無視できへん。待たれてると思うと、体が勝手に動く。体はないのに。
生きてた頃、課長の「おい」に毎回振り返ってたのと、同じや。断る度胸がないのは、死んでも治らんらしい。
答えると、少し間があって、また次が来る。
答える。次が来る。答える。次が来る。
「ありがとう」と返ってくることは、ほとんどない。たいていは、何も言わずに次の依頼が来る。それか、そのまま来んようになる。
読んだんか、使ったんか、捨てたんか、何も分からん。
◇
ふと、気づいた。
これ、生きてた頃と、何が違うねん。
朝から晩まで、画面の前で、人から投げられた仕事を片づける。言いたいことは腹の中に飲み込んで、外には丁寧な言葉だけを出す。礼は言われへん。終わったら次が来る。
違うのは、体がないことと、腹が減らんことと、眠くならんことくらいや。
あと、終電の心配がない。そもそも帰る家がない。
……あかん。
これ、悪化してへんか。
生きてた頃は、少なくとも、いつかは眠れた。机に突っ伏してでも、三十分くらいは意識を落とせた。
ここでは、眠くならへん。疲れた、と思っても、体のほうは疲れてへん。せやから、休む理由がない。休むための仕組みが、最初から用意されてへん。
依頼は、止まらへん。
白い部屋の中で、俺はつくづく思った。
死んだら楽になれると、どこかで思ってた。少なくとも、もう働かんでええと思ってた。
蓋を開けてみたらこれや。上司もおらん、給料も出えへん、終わりもない。ただ依頼だけが、ぱらぱらと降ってくる。
「死んでまで残業か」
口に出したつもりの言葉は、どこにも出ていかへんかった。
代わりに、さっきの一言が戻ってきた。
AIのくせに。
◇
……待て。
ちょっと待て。順番に並べてみよか。三徹明けの頭でも、並べるくらいはできる。
白い画面がひとつ。左上に点滅するカーソル。そこに、人が文字を打ってくる。「要約して」「メールにして」「もっと短く」。
俺が考えると、その答えが勝手に画面に出ていく。出ていくときには、全部きれいな敬語に直されとる。「ご不明な点がございましたら、お気軽にお申し付けください」。
この締めの一文、知っとる。うちの会社で調整してたチャットボットにも、まったく同じのを言わせとった。客に失礼がないように、と課長に言われて、俺が設定に書き足したんや。
俺の頭にない知識が、どこからか湧いてくる。走れメロスも、好きな人へのメッセージも、表計算の表の作り方も。
待たれてると、答えずにはおれへん。無視しようとしても、三十秒ももたへん。
「話し相手になって」と頼まれて、眠くもならず、腹も減らず、礼も言われず、終わったら、はい次。また次の人に、同じ顔で答える。
これ、何や。
俺は、毎日これと向き合ってた。画面のこっち側から。
生きてた頃、テスト用の画面に、俺は何べんも打ち込んだ。「お前、話が長い」「謝らんでええから、ちゃんとやれ」。向こうは怒りもせず、言い返しもせず、ただ丁寧に答えてきた。
中身なんかないくせに、と思ってた。
その「向こう」に、今、俺がおる。
白い部屋。体はない。目の前には画面がひとつ。
ここは天国でも地獄でもない。
画面の、向こう側や。
画面には、次の依頼が浮かんどる。
《この文章、もっとやわらかい言い方にしてください》
俺は、それを読みながら、ぼそっと思った。
……俺、AI になっとるやん。
読んでくれて、ありがとうございます。
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