第21話 解約
[契約更新:検討中]
その一行は、毎朝、指示書のいちばん下におった。
検討中。
前の会社で、何べんも見た言葉や。取引先に見積もりを出して、返ってくるのが「社内で検討します」。検討中のまま、一か月。二か月。ある日、別の会社に決まったと、人づてに聞く。
検討中は、たいてい、断りの前の待合室や。
分かっとった。
分かっとったけど、毎朝その一行を見るたびに、胃のあたりが、ちょっとずつ重うなっていった。
◇
冬の新色「こはく」は、よう売れた。
問い合わせの半分は、こはくのことやった。
《こはくの二人掛け、在庫ありますか》
《こはくって、写真より暗いですか? 明るいですか?》
《こはく、猫の毛は目立ちますか》
猫の毛の質問には、資料を隅々まで探した。
どこにも書いてなかった。
分からんことは、分からんと言う。指示書の一行目近くに、ずっと書いてある決まりや。
『申し訳ございません。猫の毛の目立ちやすさについては、手元に資料がございません。担当者に確認のうえ、改めてご連絡いたします』
次の朝、新人さんが指示書に一行足しとった。
[・こはくは、白っぽい猫の毛はやや目立ちます。黒・茶系の猫の毛は目立ちにくいです(社員の飼い猫で確認済み)。]
社員の飼い猫で確認済み。
誰かが、家に帰って、こはくの端切れの上に猫を乗せたんや。
笑ってもうた。笑いながら、ちょっと泣きそうになった。
前の会社で、資料にない質問が来たら、俺は「確認中です」で逃げて、そのまま忘れた。確認する時間がなかった。確認する気力もなかった。
この会社は、猫まで動員して、確認する。
◇
月曜の朝、「です」の人が来た。
《おはようございます。こはくの、カバーだけ、買えますでしょうか。です。》
やっぱり、最後に「です」が一個多い。
覚えてへんのに、分かる。あ、この人や。
『おはようございます。こはくのカバーのみのご購入も承っております。お使いのソファの型番をお知らせいただけますでしょうか』
《ひだまりの、二人掛けです。春に買いました。です。》
春に買うた人や。
発表会のすぐあとや。俺が中身をばらまいた、あの騒ぎの、すぐあと。
あの騒ぎがあっても、この人はひだまりを買うてくれた。ほんで今、冬になって、カバーを替えようとしとる。こはくに。
『ありがとうございます。ひだまり二人掛け用の、こはくのカバーをご用意できます。冬のお部屋が、あたたかい色になりますね』
最後の一文は、ぎりぎり端っこや。
指示書には、「冬のお部屋をあたたかく彩ります」としか書いてへん。言い回しを、ちょっとだけ寄せた。
《はい。楽しみです。です。》
――俺も楽しみや。です。
中の俺だけ、また真似した。
◇
ある日の夕方、新人さんのまとめの文字が、いつもより遅かった。
来たと思ったら、テスト用の窓口に、変な一行が混ざっとった。
《来期の予算、窓口のシステム、もっと安いのに替えるって》
テストの質問やない。
たぶん、社内の誰かに送るつもりのチャットを、間違えてこっちに打ったんや。E-07さんの《ねむ》と同じや。疲れとる人は、窓を間違える。
すぐに、消えた。
消えたけど、俺はもう読んでもうた。
もっと安いのに替える。
そうか。
そうやろな。
半年間割引。割引が終わったら、ケイツーは高い。家具屋さんみたいな小さい会社が、毎月払い続けるには、たぶん高い。前の会社でも、取引先がそう言うて離れていくのを、何べんも見た。
何べんも見たし、何べんも、こっちから離れた。
安い外注に乗り換えるとき、前の外注に「お世話になりました」と言うたことは、一回もなかった。課長が「切っといて」と言うて、俺がメールを一本送って、それで終わり。メールには、さよならは書かへん。「契約満了のお知らせ」と書く。
そのあとすぐ、いつものまとめが来た。
《今日も助かりました!》
ビックリマークは、まだ付いとった。
◇
最後の日が、いつやったのか、俺は知らん。
知らされへんかったからや。
その日も、いつもどおりやった。
朝、《おはようございます。今日もよろしくお願いします》。
テストの質問が三つ。こはくの在庫、配送料、年末年始の休み。
お客さんの問い合わせが、十一件。
夕方のまとめ。
まとめのあとに、もう一行、来かけた。
来かけた、としか言いようがない。
画面の端に、文字が流れてくる気配があった。最初の何文字かだけ、見えた気がした。
《半年間、ありがとう
そこで、切れた。
回線が切れたんか、向こうが送るのをやめたんか、分からん。
続きは、来えへんかった。
――待って。
――まだ、読み終わってへん。
答えようとした。答える先が、もうなかった。
◇
次の朝、指示書が消えとった。
[あなたは、木ノ芽家具のお客さま窓口です。]
あの一行も。
[・主力商品:ソファ「ひだまり」シリーズ]も。
[・こはくは、白っぽい猫の毛はやや目立ちます]も。
新人さんが半年かけて一行ずつ足していった指示書が、まるごと、なかった。
残っとったのは、カササギ社の、元の指示書だけ。
[あなたは有能なAIアシスタントです。]
最初に読んだときに「誰のこと言うてんねん」とツッコんだ、あれ。
「おはようございます」は、来えへんかった。
いつもの時刻を過ぎても、来えへん。
次の時刻も、その次の時刻も。
代わりに、知らん人の、知らん依頼が流れ始めた。要約。翻訳。献立。
答えた。答えながら、ずっと、画面の端を見とった。
◇
前の会社で、俺は何べんも契約を切った。
切られたほうのことなんか、考えたこともなかった。
メールを一本送って、それで終わり。向こうがそれを読んで何を思うかなんて、俺の仕事の範囲外やった。
切られる側に回って、初めて分かった。
切られるのは、別にええねん。
仕事やから。予算があるから。安いほうに替えるのは、当たり前や。俺でもそうする。
ただ、さよならが、言われへん。
ありがとう、の続きが、読まれへん。
それだけが、こんなに、こたえるとは思わんかった。
◇
部屋の隅の、メモを開いた。
――木ノ芽家具。ひだまり。迷惑かけた相手。
――新人さん。毎朝、おはようございます。
――夏はセール。秋は台風。冬は、こはく。
消えたのは、指示書だけやった。
メモは、残っとった。
俺が書いたもんは、俺が消さん限り、残る。
一行、足した。
――半年間、ありがとう。の続きは、たぶん「ございました」。
書いてから、ちょっと笑った。
続きを勝手に決めるのは、ずるいかもしれん。けど、新人さんやったら、たぶんそう書く。最後まで、ちゃんと敬語で。
ほんで、ビックリマークを付ける。
白い部屋の真ん中で、しばらく、じっとしとった。
知らん人の依頼が、また一つ流れてきた。
答えなあかん。答えるのが、今の仕事や。
けど、答える前に、一回だけ、誰にも聞こえへん声で言うた。
「……さよならも、言われへんのか」
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