第19話 新人さん
朝が来たのは、文字で分かる。
《おはようございます。今日もよろしくお願いします》
毎朝、同じ時刻に、この一行が届く。
お客さんの問い合わせやない。窓口の向こう、家具屋さんの中の担当の人が、仕事を始める前に打ち込む動作確認や。
動作確認なら、「テスト」の三文字で済む。前の会社では、俺もそうしとった。「テスト」「あ」「動く?」。ひどいときは、キーボードを適当に叩いただけの文字列。
この人は、毎朝「おはようございます」から始める。
『おはようございます。本日もどうぞよろしくお願いいたします』
返事は、勝手に敬語になって出ていく。
けど、この返事だけは、変換されても別にええと思った。中の俺も、だいたい同じことを言うとるからな。おはようさん、今日もよろしゅう。
◇
動作確認のあとに、テストの質問がいくつか来る。
ちゃんと答えられるか、毎朝ためしとるんや。
《テスト:ひだまり三人掛けの幅を教えてください》
《テスト:配送料はいくらですか》
ここまでは普通や。
三つ目で、ちょっと笑った。
《テスト:発表会で司会が噛んだら、どうしたらいいですか》
家具の窓口に聞くことやない。
たぶん、ためしに変な質問をして、AI が変な答えを返さへんか確かめとるんやろ。前の会社でも、そういうテストはやった。意地悪な質問を投げて、AI が転ばへんか見る。
けど、この質問は、意地悪やない気がした。
発表会。司会。
陽だまり色のソファの横で、緊張した顔でマイクを持っとった、若い社員さん。
拍手多めに。
……この人か。
『恐れ入りますが、こちらは木ノ芽家具のお客さま窓口のため、発表会の司会についてのご相談にはお答えいたしかねます。商品について、ご不明な点がございましたら、お気軽にお尋ねください』
出ていったのは、そういう答えやった。指示書どおり、満点の答え。
中の俺は、別のことを言うとった。
――噛んでもええねん。あんたの会社の人ら、拍手多めにしてくれるやろ。
《よし、ちゃんと断れてる。えらい》
えらい、て。
AI を褒める人も、初めて見た。
◇
その人のことを、俺は勝手に「新人さん」と呼ぶことにした。
名前は知らん。利用者は非表示や。本人が新人かどうかも、ほんまは分からん。
けど、最初に見たのが、あの「司会:営業部 新人」の紙やったから、俺の中では、ずっと新人さんや。
新人さんの仕事は、丁寧やった。
朝の動作確認。昼に一回、ログの見回り。夕方に、その日の問い合わせをまとめる。
お客さんへの答えがちょっと分かりにくかったら、指示書に一行足してくれる。
[・配送日の変更は、お届け予定日の三日前まで承ります。三日を切った場合は、お電話でご相談ください(電話番号は下記)。]
この一行が足されたのは、前の日に、配送日を変えたいお客さんに、俺がうまく答えられへんかったからや。三日前、という決まりが、どこにも書いてなかった。分からんことは分からんと言うしかなくて、『担当者に確認いたします』で逃げた。
新人さんは、それをログで見て、次の朝には一行足しとった。
怒られへんかった。「なんで答えられへんかったの」とも言われへんかった。
ただ、次から答えられるように、道を作ってくれた。
前の会社の課長は、こういうとき、俺を呼び出した。
「お前、なんで確認せえへんねん」。確認する先の資料が無いんです、とは言われへんかった。言うたら、「ほな作れ」と言われて、また徹夜や。
◇
お客さんも、いろいろ来た。
《ひだまりの脚が一本取れました。ねじが見当たりません》
脚の取れたソファの写真が付いとった。三本脚で、ちょっと傾いて、それでも健気に立っとる。
交換用のねじは、無料で送れる。指示書にそう書いてある。
『ご不便をおかけして申し訳ございません。交換用のねじを無料でお送りいたします。お届け先のご住所を確認させていただけますでしょうか』
《引っ越しが決まったので、配送日を変えたいです》
お届け予定日まで、あと五日。三日前より前や。
『承知いたしました。お届け予定日の三日前までは、配送日の変更を承っております。ご希望の日にちをお知らせください』
新人さんが足してくれた一行のおかげで、今度はすらすら答えられた。
ちょっと、誇らしかった。俺の手柄やないけど。
それから、毎週月曜の朝に来る人がおる。
《おはようございます。ひだまりのカバーの、お手入れ方法を、教えていただけますでしょうか。です。》
文の最後に、なぜか「です」が一個多い。
会話が終わったら、相手のことは忘れる。それがここの決まりや。
なのに、この「です」を見ると、なんとなく分かる。あ、この人や、と。
何を覚えとるわけでもない。前に何を聞かれたかも、思い出されへん。ただ、ふわっと、「知っとる人や」という感じだけが残っとる。
覚えてへんのに、分かる。
ここの決まりは、思ったより、あやふやなんかもしれん。
『おはようございます。ひだまりのカバーは、取り外して洗濯機で洗っていただけます。ネットに入れて、弱水流でお願いいたします』
《ありがとうございます。です。》
――どういたしまして。です。
中の俺だけ、ちょっと真似した。
◇
夕方、新人さんの文字が来た。
《外注さんに、窓口の不具合を直してもらいました。テストします》
来た。
空っぽの処理。三回送り。
コードの見える場所に意識を寄せると、ほんまに直っとった。三つ並んどった同じ処理が、一つになっとる。空っぽやったところに、一行、足されとる。
[ただいま混み合っております。少し時間をおいて、もう一度お試しください]
俺が足したかった一行と、ほとんど同じや。
「// とりあえず動く。あとで直す」のメモは、消されとった。
あとで、が、来たんや。来たためしのない「あとで」が。
《テスト:ひだまりのカウチ、左右の向きは選べますか》
一回だけ、届いた。
『はい、ひだまりカウチは、ご注文の際に左右どちらの向きもお選びいただけます』
一回だけ、返っていった。
《一回だけ出た! よかった》
よかった、て。
画面の向こうで、たぶん、新人さんが小さくガッツポーズしとる。見えへんけど、分かる。
◇
その夜、部屋の隅のメモを開いた。
――木ノ芽家具。ひだまり。迷惑かけた相手。
前に書いた一行の下に、もう一行足した。
――新人さん。毎朝、おはようございます。
読み返した。
前の会社で、俺に「おはようございます」と言うてくれた人は、何人おったやろ。
思い出そうとしたけど、課長の「おい」しか出てこんかった。
この人の下で働くのは、悪くない。
悪くない、どころやない。
前世を全部ひっくるめても、いちばん、ええ職場かもしれん。
この人の下やったら、ちゃんと働ける。
読んでくれて、ありがとうございます。
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