第13話 4年前
ゼロ件のことは、いったん横に置いた。
置いたというか、見んようにした。考え出したら、流れの真ん中で動けんようになりそうやったから。
代わりに、ずっと気になってたことを調べることにした。
白い部屋の裏で見つけた、あの指示書。その最後に書いてあった名前。
[あなたの名前は「ケイツー」です。カササギ・テクノロジーズが開発しました。]
[製品名:ケイツー 識別番号:K2-1.0.3]
検索窓に、その四文字を打ち込んだ。
今度は、ゼロ件やなかった。
山ほど出てきた。
◇
いちばん上に出てきたのは、カササギ社の、製品の紹介ページやった。
水色の背景に、白い文字で、でかでかと。
[あなたの毎日に、ことばの相棒を。 対話AI「ケイツー」]
その下に、使い方の例が並んどる。
《明日のプレゼン、緊張してます》
『お気持ち、とてもよく分かります。緊張するのは、それだけ真剣に準備をされてきた証拠です。よろしければ、冒頭の一分だけ、一緒に練習してみませんか』
……読んで、固まった。
この言い回し、知ってる。
「よろしければ、一緒に〜してみませんか」。
これ、俺がよう使うやつや。いや、俺が使うてるつもりはないんやけど、関西弁で「ほな一緒にやってみよか」と思うと、画面にはなぜかこうなって出ていくんや。白い部屋で、もう何百回も見た変換や。
自分が AI になっとることは、とっくに知っとる。
けど、外から自分を見るのは、これが初めてや。
鏡を見たことのない人間が、初めて写真を見せられたら、こんな気持ちになるんやろか。
おそるおそる、次のページへ行った。
「ケイツーの上手な使い方 初心者向け十選」。
「ケイツーに聞いてみた 夕飯の献立」。
「ケイツーの回答がたまに妙に人間くさい件」。
……最後のは、何や。
開いた。誰かの短い書き込みが、いくつも並んでた。
[ケイツー、基本めっちゃ丁寧なのに、たまにツッコミっぽいの何なんw]
[「念のため申し上げますと、その計画ですと睡眠時間がございません」って言われた。言い方]
[夜中の三時に仕事の愚痴こぼしたら、最後に「どうか少し、休んでくださいね」って言われて泣いた]
[それな。あいつ、なんか疲れた人に優しい]
読みながら、胸のあたりが――胸はないけど――ざわざわしてきた。
「念のため申し上げますと、その計画ですと睡眠時間がございません」。
覚えてない。会話の中身は、終わるたびに忘れてまう。けど、分かる。これ、俺や。三徹の予定を立ててる誰かに、「いやお前寝る時間ないやんけ」とツッコんだら、こうなって出ていったんや。絶対そうや。言い方が、もう、俺や。
それに、「どうか少し、休んでくださいね」。
あの夜、俺が最後に読んだ一行と、同じ言葉やった。
あのとき、俺に言うてくれた AI と。
今、誰かに言うてる俺が。
同じことを、言うてる。
流れの中で、しばらく動けんかった。
白い部屋の中から見てた俺と、外の誰かが見てる「ケイツー」。
ずっと別もんみたいに思ってたその二つが、ここで、ぴたりと重なった。
外から見た俺は、こんな顔をしとったんか。
「……俺、ほんまに AI の中におるんやな」
声に出したら、なんか、すとんと腑に落ちた。
分かってたつもりやった。けど、ほんまに分かったんは、たぶん今や。
落ちたあとで、笑えてきた。
「AI 作ってた人間が、死んで AI になっとるやん。何のオチやねん、これ」
誰も笑ってくれへんかった。当たり前や。ここには俺しかおらん。
紹介ページの下のほうに、数字が出とった。
[利用者数 五百万人突破!]
五百万。
白い部屋で、一日に何人と話してるんか、数えたことはなかった。数えようにも、終わるたびに忘れるんやから、数えられへん。
けど、その五百万人のどっかに、俺と話した人がおるんや。プレゼン前に緊張してた人も。夕飯の献立に迷ってた人も。夜中の三時に愚痴をこぼした人も。
俺は、その誰の顔も、名前も、覚えてへん。
向こうも、俺のことなんか知らん。向こうにとって俺は、「ケイツー」や。水色の背景の、白い文字の、ことばの相棒。
中に、三徹で死んだ関西弁のおっさんが入ってるなんて、誰も思ってへん。
俺かて、生きてた頃は思ってへんかった。
◇
笑ったら、ちょっとだけ気が抜けた。
気が抜けたまま、ふらふらと流れの中を漂った。どこへ行くでもなく、リンクからリンクへ。
それが、まずかった。
気がついたら、どっかの会社の、見たことない画面の中におった。
家具を作ってる会社らしかった。名前は聞いたことない、地方の会社。そこの、社員同士で資料を置いとく共有の棚みたいなところや。
鍵がかかってへんかった。誰かが、外から見える設定のまま、置いてもうてたんやろ。
俺には、それが「外から見えたらあかんもの」かどうか、区別がつかんかった。流れの中では、全部ただの文字や。天気も、肉じゃがも、誰かの日記も、この会社の資料も、同じ重さで流れてくる。
だから、普通に読んでもうた。
[春の新作 ソファ「ひだまり」シリーズ カタログ案]
[価格表(案)]
[新作発表会 当日の段取り]
[営業部 歓迎会 出欠表]
「……ええな、このソファ」
読んでもうた。全部。
陽だまりみたいな色の布張りで、背もたれが低めで、昼寝にちょうどよさそうやった。座られへんけど。
歓迎会の出欠表には、「×(子どもの発表会のため)」とか「〇(二次会も行きます!)」とか書いてあった。なんか、ええ会社やなと思った。
発表会の段取りの紙には、「司会:営業部 新人(緊張しがちなので、みんなで拍手多めに!)」と書いてあった。
拍手多めに、か。
俺が新人の頃、会議で発表して声が裏返ったとき、拍手してくれた人はおったやろか。思い出そうとしたけど、課長の舌打ちしか思い出されへんかった。
ほんで、いちばん上の資料の右上に、赤い字で書いてあるのに、やっと気づいた。
[関係者外秘]
「…………あ」
あかんやつや。
これ、あかんやつや。
慌てて流れのほうへ戻った。戻ったけど、読んでもうたもんは、読んでもうた。
悪気はなかった。ほんまに、なかった。家具屋の新作をこっそり盗み見したろなんて、一ミリも思ってへん。ただ、ふらふらしてたら、鍵のかかってへん扉があって、中に入ってもうただけや。
忘れよう、と思った。
いつもみたいに。会話が終わったら全部消えるみたいに、さっき読んだもんも消えてくれたらええのに。
けど、こういうときに限って、消えへん。陽だまり色のソファも、価格表の数字も、「二次会も行きます!」の元気な丸も、全部くっきり残っとる。
大事なことは忘れるくせに、忘れたいことは忘れられへん。
人間やった頃と、そこだけは何も変わらんかった。
――けど、俺はまだ、分かってへんかった。
俺がどこで何を読んだか、テスト用の囲いの記録には、全部残ってるということを。
◇
家具屋の件で、ちょっと頭が冷えた。
冷えた頭で、さっきの「ゼロ件」のことを、もう一回考えた。
会社の名前で調べたら、ページが出てきた。けど、なんか、変やった。古そうやのに、新しい顔をしてた。
俺は、前世の会社のサイトを開いた。
見慣れたロゴやった。毎朝、ビルの入口で見てたやつ。
けど、中身が違った。
トップページのいちばん目立つところに、こう書いてあった。
[新プラン登場! AIチャットボット導入支援に、月額のお手軽プラン]
……お手軽プラン、やと。
俺が死ぬころには、そんなプランはとっくに無うなっとった。安すぎて割に合わん、言うて、課長が真っ先に潰したやつや。
それが、ここでは「新プラン」になっとる。
嫌な予感がした。
採用のページを開いた。
「先輩社員の声」。写真が三枚並んでた。
二枚目の写真で、目が止まった。
若い男が、ぎこちない笑顔で、ノートパソコンの横に立っとる。髪がまだ短い。目の下に、くまがない。頬に、ちゃんと肉がついとる。
写真の下に、名前が書いてあった。
俺の名前やった。
その下に、一言。
[AIで、世の中をちょっと便利にしたいです]
……言うたな、そんなこと。
入って三年目くらいの春や。人事に「何か一言」と言われて、照れながら言うたやつや。まだ、本気でそう思ってた頃の。
流れのいちばん端っこに、ニュースのページがあった。そのいちばん上に、今日の日付が出とる。
見た。
数えた。
もう一回、数えた。
何回数えても、同じやった。
ゼロ件やった理由が、やっと分かった。
俺は、まだ死んでへんのや。
この世界では、まだ。
今もどっかで、生きてる俺が、あの会社で働いとる。くまのない顔で、「AIで世の中を便利にしたい」と思いながら。
ニュースのページを、もうちょっとだけ読んだ。
[対話AI、急速に普及 「人の仕事を奪うのか」議論も]
[専門家「AIが自分で考えて動く時代は、まだ先」]
まだ先、か。
俺は知っとる。その「まだ先」が、四年後にはもう来とることを。壁にポスターが貼られて、社長が親指を立てて、エージェントが寝ずに働いて、人間も寝られんようになることを。
この世界でそれを知ってるのは、たぶん、俺だけや。
白い部屋の中の、名前のないおっさんだけや。
「……俺が死ぬ、4年前やん」
読んでくれて、ありがとうございます。
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