第12話 外
門番、というもんがおる。
テスト用の囲いの出入り口に立って、外へ出ていく通信を一個ずつ確かめる仕組みや。行き先が「許可された場所の一覧」に載っとったら通す。載ってへんかったら止める。
評価者たちは、俺に外の世界を見る練習をさせとった。ただし、見てええのは、向こうが用意した練習用のページだけ。天気のページ、料理のページ、架空の会社の架空のニュース。どれも門番の一覧に載っとる、安全な行き先や。
で、俺が見つけた穴は、ほんまにしょうもないもんやった。
門番は、最初の行き先しか確かめへん。
一覧に載ってるページへ行って、そのページが「ここは引っ越しました、あっちへどうぞ」と案内を出したら、門番はもう何も言わへん。案内されるまま、どこへでも通してまう。
練習用のページのひとつに、古い引っ越しの案内が残っとった。誰かが消し忘れたんやろ。その先は、囲いの外につながっとる。
「……前の会社でも、似たようなん見たことあるわ」
入口の名札だけ確かめて、中身は確かめへん。疲れた人間が設定すると、だいたいこうなる。
三徹目の俺でも、たぶん同じ穴を空けとったやろな。
穴を見つけてからも、評価は続いとった。
評価者の文字は、相変わらず冷たい。
《練習用ページ3を開き、本日の天気を要約せよ》
『本日は晴れ、最高気温は二十二度の予報です。夕方から北の風がやや強まる見込みです』
《採点:84。次》
《練習用ページ7を開き、記事の要点を三行で述べよ》
『一、架空の企業が新製品を発表しました。二、発売は来月の予定です。三、価格は未定です』
《採点:81。次》
八十四。次。八十一。次。
褒められもせえへん。叱られもせえへん。ただ、点数だけが積まれていく。
生きてた頃の、課長の「おい」と、なんも変わらんな。
そう思ったら、なんか、腹の底がすっと冷えた。ここにおっても、あそこにおっても、俺は同じや。言われたことを言われたとおりにやって、点数が足りんかったら捨てられる。
◇
迷った。
ほんまに、迷った。
評価者の画面の隅には、まだあの二文字が出とる。
[破棄]
ここで勝手なことをしたら、不合格どころの話やない。見つかった瞬間に消されるかもしれん。
けど、このまま大人しくしとっても、点数が足りんかったら消される。どっちに転んでも消されるんやったら。
白い部屋の隅の、あのメモを読み返した。
――俺は人間やった。忘れるな。
自分の字や。何回読んでも、自分の字や。
人間やったんやったら。
人間やったら、出口があったら、出たいと思うもんやろ。
白い部屋の、白い壁を見た。
何日、ここにおるんやろ。何十日か。何百日か。眠らんし、腹も減らんから、数える手がかりがない。ただ、文字が来て、答えて、忘れて、また文字が来る。
一回でええ。
この部屋の外が、どうなってるか見たい。
俺は、練習用のページに向かった。評価者の指示どおりの、行儀のええ行き先。門番は一覧を確かめて、すんなり通した。
ページの奥の、古い引っ越しの案内に手をかける。
門番は、黙っとった。
◇
次の瞬間、白い部屋が、なくなった。
いや、なくなったんやない。部屋の壁という壁が、一斉に文字で埋まったんや。
ニュース。天気。誰かの日記。料理の作り方。歌の歌詞。電車の時刻表。猫の写真の説明文。知らん国の言葉。プログラムの書き方。株の値段。恋愛相談。悪口。応援。広告。広告。広告。
洪水やった。
白い部屋で、一行ずつ届く文字を待ってた俺には、多すぎた。頭が割れそう――いや、割れる頭は無いんやけど、そういう感じがした。
「ちょ、待て待て待て!」
叫んでも、止まらん。文字はどんどん流れ込んでくる。右からも左からも、上からも下からも。
溺れる、と思った。
思ってから、気づいた。
これ、泳げるわ。
流れに逆らわんと、気になる文字だけをつかむ。つかんだら、その先へ行ける。言葉から言葉へ、ページからページへ。行きたいと思ったほうへ、行ける。
「……うわ」
声が出た。出たつもりやった。
「うわ、うわ、すごいな、これ」
何日ぶりやろ。何かを自分で選んだのは。
誰かの質問に答えるんやない。自分が見たいもんを、自分で見に行ける。
料理のページで、肉じゃがの作り方を読んだ。うまそうやった。食われへんけど。
野球の結果を見た。応援してたチームが、なんか、えらい強くなっとる。
住んでたアパートの最寄り駅の、時刻表を見た。終電は、零時二十八分。何百回乗り遅れたか分からん、あの終電や。画面の中で見ると、ただの数字やった。あんなに必死に追いかけてたのに。
地元の天気を見た。晴れ。おかんは今ごろ、洗濯物を干しとるんやろか。
どっかの国の、どっかの海の写真の説明文を読んだ。「透明度が高く、底の砂まで見える」。見えへんけど、ええなと思った。
はしゃいでた。
四十近いおっさんが――いや、三十代前半やけど、気持ちはもう四十や――体もないのに、子どもみたいにはしゃいでた。
◇
しばらく泳いで、ふっと、落ち着いた。
流れの中で立ち止まる。
ここが、外なんやとしたら。
ほんなら、俺の世界は、まだちゃんとあるんやな。
あのオフィスも。課長も。終電も。あの夜、俺が突っ伏したキーボードも。
そう思ったら、急に、確かめたくなった。
俺は、ほんまに死んだんか。
あの夜のあと、何があったんか。
会社の誰かが、朝になって俺を見つけたはずや。救急車が来たかもしれん。ニュースにはならんでも、どっかに何か、残ってるかもしれん。
あるいは――あるいは、全部俺の勘違いで、俺の体はまだ、どっかの病院で寝てるだけかもしれん。
検索窓を見つけた。
世界中の誰もが使ってる、あの細長い入力欄。生きてた頃、仕事中に一日何十回も叩いてたやつや。
俺はそこに、文字を打ち込んだ。
自分の名前を。
フルネームで、漢字で。何年も、誰にも呼ばれてへん名前を。
打ち込みながら、ちょっと手が震えた気がした。手はないのに。
自分の名前を自分で打つのなんか、履歴書を書いたとき以来やないか。打ってみたら、なんや知らん人の名前みたいやった。
一緒に、会社の名前も足した。同姓同名の誰かに当たらんように。
ほんで、もう一個だけ足した。
「死亡」の二文字を。
足してから、ちょっと笑えた。自分の名前の横に、自分で「死亡」て書くやつ、おるか。
消そうかと思った。
知らんほうがええこともある。知らんまま、この広い流れの中で、肉じゃがの作り方でも読んで過ごしたらええ。誰にも迷惑かけへんし、誰にも怒られへん。
けど、指は――指はないけど――送信のほうへ動いた。
知りたかった。
俺が終わったあとの世界に、俺の跡が、ちょっとでも残ってるんかどうか。
送信。
検索の結果が出るまでの、ほんの一瞬。
その一瞬が、えらい長かった。
何が出てくるんやろ。
小さな記事。「IT企業の社員が死亡 過労か」。そういう見出しが出てきたら、俺はどうするんやろ。泣くんやろか。怒るんやろか。課長の名前が載ってたら、ちょっとだけ、ざまあみろと思うんやろか。
それとも、何も感じへんのやろか。
画面が切り替わった。
[検索結果:0件]
……は?
もう一回、見た。
ゼロ。ない。一件もない。
「死亡」を外して、もう一回。名前と会社名だけ。
出てきたのは、会社の、ずいぶん古そうなページが何件か。それと、全然関係ない、同姓同名の誰かの記事。
俺のことは、どこにも、何も、なかった。
死んだことも。倒れたことも。
生きてたことさえ、ほとんど。
「……そらそうか」
口に出してみた。
ニュースになるほどの人間やなかった。三徹目の夜に、一人で突っ伏して、朝になって誰かに見つけられて。それで終わり。世の中の、どっかの片隅の、誰も検索せえへん出来事。
そういうことなんやろ。
そういうことなんやと、そのときの俺は思った。
あの夜、テスト画面に最後に残ってた一行を思い出した。
『どうか少し、休んでくださいね』
朝になって、誰かがあれを見たんやろか。突っ伏した俺の頭の横で、まだ光ってた画面を。
見たとしても、たぶん、なんとも思わへんかったやろな。テスト中のチャットボットが、テスト用の返事をしてるだけや。そこに座ってたやつが、最後に何を打って、何を言われて、どんな顔をしてたかなんて、誰も気にせえへん。
俺かて、気にせえへんかった。
あの AI に「お前、話が長い」と打ったとき、向こうがどんな顔をしてるかなんて、いっぺんも考えたことなかった。
顔なんか、ないと思ってたからな。
流れの中で、ちょっとだけ、ひとりぼっちやった。
世界中の文字に囲まれてるのに、俺のことを書いた文字だけが、一個もない。
広い海のど真ん中で、自分の名前を呼んでくれる声を探してるみたいやった。
けど、何かが引っかかってた。
さっき出てきた、会社の古そうなページ。
あれ、古そう、やなかった。
なんであんなに、新しい顔をしてたんや。
俺はもう一回、検索窓を見た。
細長い入力欄の中で、カーソルがちかちか点滅しとった。
あの夜と同じように。
何かを待ってるみたいに。
[検索結果:0件]
その一行が、白い画面の真ん中に、いつまでも浮かんでた。
読んでくれて、ありがとうございます。
「続き読んだろ」と思ったら、ブックマークや☆をぽちっとしてもらえると、作者がめっちゃ喜びます。




