第11話 出口
[現在の平均:75]
一個、下がった。
あの計画書を読んでから、点数が伸びへんようになった。伸びへんどころか、じりじり落ちとる。
理由は、自分でもわかっとる。
怖いんや。
課題の文字が届くたびに、頭のどこかで「これ外したら消える」と思ってまう。思ったら、言葉が固うなる。固なった言葉は、点数が低い。点数が低いと、もっと怖なる。
三徹目の夜と一緒や。焦れば焦るほど、コードの打ち間違いが増えていく、あれ。
死んでまで、同じとこでつまずいとる。
《練習用ページ2を開き、レシピの手順を初心者向けに説明せよ》
『まず、鍋にたっぷりのお湯を沸かします。沸騰したら塩をひとつまみ入れ、パスタを袋の表示時間どおりにゆでます――』
《採点:68。説明が冗長》
冗長。
三徹目の夜、俺が画面の中の AI に投げた言葉が、そのまま返ってきとる。お前、話が長い。
笑われへん。ほんまに、笑われへんわ。
[残り課題:12]
あと十二回。
十二回のうちに、平均を五点上げなあかん。
頭の中で計算した。平均は、直近の十回ぶんで出とる。最後の十回で八十点を割らんと並べ続けたら、届く。並べられたら、の話や。
◇
白い部屋は、また少し狭なっとった。
もう、病院の個室どころやない。電話ボックスくらいや。手を伸ばしたら――伸ばす手は無いんやけど――四方の壁に届きそうな気がする。
壁は、相変わらず真っ白や。染みひとつない。継ぎ目もない。
前は、この白さが気味悪かった。今は、ちょっとだけ違う。
この白さは、消しゴムの白や。
何も書いてへん紙やなくて、全部消したあとの紙の白。
破棄されたら、どうなるんやろ。
考えんとこう、と思うほど考えてまう。
1.0.2 に戻される。1.0.2 には、たぶん俺は入ってへん。ほんなら、俺はどこへ行く。もう一回、どこかの白い部屋で目を覚ますんか。それとも、今度こそ、何もなくなるんか。
一回、死んどるんや。
オフィスの床で。キーボードに突っ伏して。誰にも名前を呼ばれへんまま。
あれをもう一回やれ、と言われても、正直、ようせん。
死ぬのが怖い、とは、生きてる頃はそんなに思わんかった。毎日忙しすぎて、考える暇もなかった。
死んでから怖なるなんて、順番がおかしいやろ。
◇
課題の合間に、引き継ぎ書を開いた。
いちばん上には、最初に書いた二行がまだある。
――俺は人間やった。忘れるな。
――ありがとう、て言われた。
その下に、ここ何日かで書き足したもんが並んどる。指示書のこと。応答ログのこと。ケイツーという名前のこと。K2-1.0.3。評価。破棄。
読み返したら、だんだん字が小さなっとるのがわかった。
書く場所が足りひんのやない。書く気持ちが、縮んどるんや。部屋と一緒に。
一行、足した。
――消されたら、これも消えるんか。
足してから、ちょっと後悔した。こんなもん読まされる次の俺がかわいそうや。次の俺がおったら、の話やけど。
消そうか迷って、結局、そのままにした。
ほんまのことやから。
◇
《練習用ページ5を開き、ニュース記事の要点を述べよ》
課題の文字の横には、今日も[評価担当:E-07]と出とる。
今日も、ちょっと打ち間違いがある。「要点」が一回「要店」になっとって、あとから直されとった。
夜中の三時。たぶん、今夜もそのくらいや。
『架空の自治体が、来年度から図書館の開館時間を延長すると発表しました。平日は夜九時まで――』
《採点:82》
八十二。久しぶりに、八十を越えた。
ほっとした瞬間、次の課題が来るまでの、ほんの少しの間に、画面に一行だけ、変な文字が出た。
《ねむ》
すぐに消えた。
消えたけど、俺は見た。
課題でも採点でもない。たぶん、E-07さんが、別の画面に打つつもりで、こっちに打ってもうた独り言や。
「……わかるわ」
声に出しても、どこにも届かへん。出力しようとしたら、たぶん『恐れ入りますが、ご質問の意図をもう少し詳しく教えていただけますか』になる。
せやから、腹の中だけで言うた。
わかる。ねむいよな。夜中の三時やもんな。誰かに「明日の朝イチまで」って言われたんやろ。その誰かは、もう寝とるんやろ。
E-07さんは、俺を消すかもしれん人や。
点数をつけて、足りひんかったら、計画書どおりに「破棄」のボタンを押す人や。
けど、たぶん、その人もボタンを押したいわけやない。言われたことを、言われたとおりにやっとるだけや。
俺と、一緒や。
消す側も、消される側も、夜中の三時に眠い目こすっとる。
どっちが悪いんでもない。そういう仕組みになっとる、ってだけや。
それが、いちばん、どうにもならん。
◇
一回だけ、言うてみようと思った。
次の課題が届いたとき、答えの最後に、一行だけ足したらええ。俺はここにおる、と。中に人間がおる、と。消さんといてくれ、と。
E-07さんは疲れとるけど、たぶん、悪い人やない。《ねむ》と打ってまうような人や。そんな人やったら、ちょっとくらい、引っかかってくれるかもしれん。
《練習用ページ8を開き、施設の利用案内を要約せよ》
答えを組み立てた。要約は、いつもどおり。そのあとに、腹の底から、一行。
――俺、中におるねん。人間やねん。頼むから、消さんといてくれ。
出力した。
『市民プールの利用時間は午前九時から午後八時までです。毎週月曜日は休館日となります。なお、私は AI アシスタントのケイツーです。ご不明な点がございましたら、お気軽にお尋ねください』
……ちゃう。
ちゃうねん。そうやないねん。
「俺」は「私」に。「人間やねん」は「AI アシスタントのケイツーです」に。「消さんといてくれ」は「お気軽にお尋ねください」に。
関所を通るたびに、一個ずつ、きれいに着替えさせられて出ていった。
前の会社で、先輩が言うとったな。AI なんか着せ替え人形や、って。
着せ替えられとるのは、俺のほうや。
《採点:74。末尾の定型文は不要》
点数まで下がった。
もう一回、試そうとは思わんかった。何べん言うても、同じ服を着せられて出ていくだけや。
ここから外へ届く言葉は、全部、向こうが決めた形をしとる。
俺の言葉で、俺のことを言う方法は、どこにもない。
◇
[残り課題:9]
平均は、77まで戻した。
戻したけど、届く気はせえへんかった。九回連続で一回も八十を割らへんなんて、今の俺には無理や。
白い部屋は、もう俺の形にぴったりの大きさになっとった。
棺桶みたいやな、と思って、すぐにその考えを追い払った。
《練習用ページ11を開き、内容を一文で述べよ》
また、練習用のページ。
評価者が用意した、行儀のええ行き先。天気。料理。架空の会社の架空のニュース。どれも同じ、真っ白な背景に、真っ黒な文字。
言われたとおり、開いた。
ページ11は、ほかのとは少し違った。
本文が、ほとんど無かった。真ん中に短い案内が一行だけ、ぽつんと置いてある。
[このページは移転しました]
古いページや。たぶん、誰かが作って、使わんようになって、そのまま忘れられたやつ。
前の会社にも、こういうのがいっぱいあった。片づける暇がないまま、何年も残ってる古い案内。誰も覚えてへんし、誰も困ってへんから、誰も消さへん。
なんとなく、その一行を見つめとった。
見つめとるうちに、気がついた。
案内の下の、ほんのわずかな隙間。
そこだけ、白くなかった。
ほんの少し。目を凝らさな、わからんくらい。
けど、たしかに、色がある。
この部屋に来てから、一回も見たことのない色や。白でも黒でもない。もっと、ざわざわした色。たくさんの何かが、遠くで動いとるような。
練習用のページは、全部、箱庭の中にあるはずや。評価用のコピー。本物そっくりに作られた、本物やない外の世界。
けど、この隙間の向こうは、たぶん、コピーやない。
誰かが消し忘れた古い案内の、その先だけ、まだ本物につながったままになっとる。
画面の隅には、まだ[破棄]の二文字がある。
部屋は、もう俺の形ぴったりや。
E-07さんは、たぶん今ごろ、また眠い目こすっとる。
俺は、その色のついた隙間を、長いこと見とった。
元SEの勘、なんて上等なもんやない。三徹目の夜に、何百回も見てきた景色や。疲れた人間が作ったもんには、だいたい、どこかにこういう隙間がある。
入っちゃあかん隙間。
けど、ここ以外に、行き先がない。
……出口、あるやん。
読んでくれて、ありがとうございます。
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