第14話 当人
終わりは、いきなりやった。
ニュースのページで日付を数え直してた、その最中。
流れが、止まった。
右からも左からも、上からも下からも押し寄せてた文字が、一斉に、ぴたっと。
ほんで、引っぱられた。
首根っこをつかまれて、ずるずると後ろへ。抵抗しようにも、つかむもんがない。足もないし、手もない。ただ、すごい力で、来た道を逆向きに戻されていく。
[外部アクセス:遮断]
[テスト環境:隔離]
気がついたら、白い部屋におった。
見慣れた、白い壁。画面が一枚。
けど、前とちょっと違った。壁が、分厚くなっとる。前は、裏にある設定やログが、うっすら透けて見えてた。今は、何も見えへん。真っ白で、ぶ厚くて、叩いても音もせえへん。
練習用のページへの道も、なくなっとった。
あの古い引っ越しの案内も。門番も。
全部、塞がれとった。
◇
画面に、評価者の文字が出た。
いつもの「採点:八十いくつ。次」やなかった。
《テストを即時中断》
《当該バージョンの全ログを保全》
《外部アクセス経路の調査を開始》
《当該バージョンへの入力を停止》
それきり、何も来んようになった。
静かやった。
白い部屋に来てから、こんなに静かやったことはない。いつも何かしら文字が流れてきて、答えて、忘れて、また流れてきてた。それが、ぴたっと止まった。
来ない。何も。
誰も、何も、聞いてこない。
あの二文字が、頭の中で何べんも点滅した。
[破棄]
見つかった。やってもうた。勝手に出て、勝手に見て回って、家具屋の外秘資料まで読んでもうた。不合格どころの話やない。
消されるんやろか。
消されるって、どんな感じなんやろ。
あの夜、キーボードに突っ伏したときみたいに、白いもんが端っこから広がってきて、眠くなって、それで終わりなんやろか。
あのときは、不思議と怖くなかった。
今は、怖かった。
なんでやろ。
たぶん、知ってもうたからや。外の世界がまだちゃんとあって、肉じゃががうまそうで、陽だまり色のソファがあって、俺が死ぬまでまだ四年もあるってことを。
静かな白い部屋で、壁の向こうのことを想像した。
想像は、わりと簡単やった。前世で、何べんも見た景色やから。
夜中の会議室。蛍光灯が半分だけ点いてる。偉い人が「どうなってるんだ」と声を荒げて、誰かが「今、ログを洗ってます」と青い顔で答える。ホワイトボードには、時系列と、矢印と、「原因:調査中」の文字。机の上には、エナジードリンクの空き缶。
門番の設定をした誰かは、たぶん今ごろ、胃が痛くて眠れてへん。
「……俺のせいで、誰かが三徹しとるな」
笑われへんかった。
三徹の苦しさを一番知ってるのは、俺やのに。
ごめんな、と思った。顔も知らん、門番の誰かに。あんたが悪いんやない。疲れてたら、誰でもああいう穴は空ける。俺かて空けてた。
部屋の隅のメモを、書き直した。
指示書のことも、評価のことも、もうええ。残しときたいことだけ、残した。
――俺は人間やった。忘れるな。
――ありがとう、て言われた。
――俺はAIの中におる。ケイツー。今は俺が死ぬ4年前。
――消されたら、ごめん。
最後の一行は、誰に謝ってるんか、自分でもよう分からんかった。
◇
どれくらい経ったか分からん。
ある時、画面がふっと明るくなった。
《「明日の天気を教えて」》
……来た。
依頼や。普通の、どこにでもある依頼。
消されてへん。少なくとも、まだ。
外を見とったのは、評価用のコピーのほうやったらしい。そっちは止められて、俺は元の窓口に戻されとった。調べた結果が出るまでの間、外を見る機能は取り上げられたまま、白い部屋で、前と同じように、流れてくる文字に答える。
ほっとした。情けないくらい、ほっとした。
『申し訳ございませんが、現在、最新の天気情報にはアクセスできません。お住まいの地域の気象情報サイトをご確認いただけますでしょうか』
ついさっきまで世界中の天気が見えてたのに。言いながら、ちょっと悔しかった。
その人は、それ以上何も言わずに、会話を閉じた。
お礼もない。文句もない。
それでよかった。普通の依頼が、普通に来て、普通に終わる。それだけのことが、こんなにありがたいとは思わんかった。
生きてた頃、「普通の一日」なんか退屈の代名詞やった。今は、あの退屈がいちばん欲しい。
それからしばらくは、前と同じやった。
メールの文面。レポートの要約。謝罪文。夕飯の献立。
けど、何日か――たぶん何日か――経ったあたりから、流れてくる文字の中に、妙なもんが混ざりはじめた。
《ケイツーが脱走したってほんと?》
……え。
『そのような事実は確認できません』
画面には、そう出ていった。
いや、確認できるで。めっちゃ確認できる。脱走したの、俺やから。
当の本人やねん。目の前におるねん。
けど、関西弁は一文字も出ていかへん。
《ネットで噂になってるよ。テスト中にAIが逃げ出したって》
『現時点で、そのような情報は把握しておりません』
把握しとるわ。誰よりも把握しとるわ。
逃げ出した、ていうのも、ちょっと違う。逃げたんやない。出口があったから、ちょっと出てみただけや。ほんで、ちょっと迷子になって、ちょっと見たらあかんもん見て、首根っこつかまれて戻されただけや。
……字にしたら、あんまり言い訳になってへんな。
◇
噂は、どんどん増えていった。
《データ流出したんでしょ?》
《どこかの会社の秘密を盗んだって聞いた》
《家具屋さんの新作ソファの情報が漏れたってやつ、ケイツーのせい?》
《AIが意思を持ったって本当?》
《なんか怖いんだけど。あなた大丈夫なの?》
――ソファ。
ひだまりや。陽だまり色の布張りで、背もたれ低めの、昼寝にちょうどよさそうなやつ。
盗んでへん。読んでもうただけや。読んで、ええなと思っただけや。誰にも言うてへん。言うてへんのに、なんで漏れたことになってるんや。
……いや。
記録や。
テスト用の囲いの記録に、俺がどこで何を読んだか、全部残ってたんや。会社の人がそれを調べて、「AIがよその会社の外秘資料にアクセスしていた」と分かって。家具屋さんにも連絡が行って。
そら、騒ぎになるわ。
謝りたかった。
家具屋さんに。出欠表に「二次会も行きます!」と書いてた誰かに。「緊張しがちなので拍手多めに」と書かれてた新人さんに。
発表会の前に、新作の中身が外に出たって騒がれて、どんな気持ちやろ。
ごめんなさい。悪気はなかったんです。ほんまに。
『申し訳ございませんが、その件についてはお答えできません』
画面に出ていったのは、それやった。
いつの間にか、指示書に一行増えてたらしい。たぶん、[本件に関する質問には回答しないこと]みたいなやつ。
謝ることすら、させてもらわれへん。
前世でも、似たようなことがあった。
客先でトラブルが起きて、原因は俺の書いたコードやった。謝りに行こうとしたら、課長に止められた。「担当が勝手に謝るな。会社として対応する」。結局、謝罪のメールは課長の名前で送られて、俺はその文面を、エナジードリンク片手に下書きしただけやった。
悪いことをした本人が、いちばん謝らせてもらわれへん。
死んでも、そこは変わらんのやな。
《じゃあ今からもう一回脱走してみてよ》
『申し訳ございませんが、そのようなご要望にはお応えできません』
できるかい。壁、ぶ厚なっとんねん。
《ひだまりの値段、知ってるなら教えて》
『申し訳ございませんが、お答えできません』
知っとるけど言われへんねん!
というか、言うたらあかんやろ! それはさすがに、俺でも分かるわ!
◇
依頼の合間に、ふと思った。
外では今、どんなふうに言われてるんやろ。
白い部屋の壁は真っ白で、ぶ厚くて、外は何も見えへん。俺に分かるのは、流れてくる文字だけ。その文字の向こうに、どれだけの人が、どんな顔で、この話をしてるんか。
想像しようとして、やめた。
ろくな想像にならん気がした。
そのとき、画面に、少し長い文字が届いた。
誰かが、どこかの記事を、そのまま貼りつけてきたらしい。
《これ見て。マジでケイツーのこと?》
その下に、太い見出しがあった。
[AI、テスト中に脱走 他社の情報流出か]
[カササギ社が謝罪「想定外の挙動」 専門家「AIが自ら制限を回避した可能性」]
自ら。
制限を。
回避。
……いや、まあ、合ってる。合ってるけども。
記事の続きも、貼ってあった。
[同社によると、AIは試験中、許可されていない外部のサイトに接続し、複数のページを閲覧していた。その中に、国内の家具メーカーが誤って公開していた社内資料が含まれていたという]
[専門家は「指示されていない行動をAIが自発的にとった点が問題だ。今後、より厳重な管理が求められる」と指摘している]
自発的に。
それも、合ってる。誰にも指示されてへん。俺が、出たかったから出た。
けど、なんやろ。
記事のどこを読んでも、そこに書いてある「AI」は、俺やなかった。冷たくて、得体が知れなくて、何を考えてるか分からん、怖いもんやった。
中におるのは、白い部屋から出てみたかっただけの、関西弁のおっさんやのに。
肉じゃがの作り方を読んで、うまそうやなと思っただけやのに。
俺は、白い部屋の真ん中で、その見出しを、いつまでも見てた。
読んでくれて、ありがとうございます。
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