第18話 剣聖の夜番
俺の剣はガラス玉だった。
正確に言えば王家の宝剣「獅子の牙」の柄の石がガラスで、柄の金は鉛に金を張ったものだった。
回廊で天秤にそう言われた翌朝、俺は誰にも言わずに騎士団の鍛冶場へ剣を持ち込んだ。
鍛冶頭の爺さんは柄を外して中を確認するなり、気の毒そうな顔をした。
「殿下。こいつは……三年前に宝物庫から出されたときには、もう偽物だったんじゃないですかねえ」
三年だぞ?
三年間、俺はガラス玉のついた剣を腰に吊り、剣聖だ王家の宝剣だと胸を張って、王宮じゅうを歩き回っていたわけだ。
しかもそれを、四つも下の秤一台ぶんのスキルしかない弟に見抜かれた。
恥ずかしいなんてもんじゃない!
あの日宝石に噛みついた自分の歯を、今すぐ引っこ抜いてやりたいくらいだ。
取り巻きの連中は気を遣って何も言わないが、その気遣いがまた腹立たしい。いっそ笑ってくれたほうが、どれだけ楽か。
鍛冶頭には口止めを厳命した。だが爺さんは、俺に剣を返すときにこう言ったのだ。
「殿下の弟君は、えらい目をお持ちですな」
えらい目、だと? あの天秤が? あの日から、その言葉が喉に刺さった小骨みたいに抜けない。悔しいのに、なぜだか妙に誇らしいような、変な気分がまとわりついて離れないのだ。
◇
だから母上に呼ばれたときも最初は断るつもりだった。
「マティアス。あの子を、しばらく見ていてあげてちょうだい」
二十八日目の昼、母上の居間でのことだ。わたくしの頼みです、と前置きしてから、母上はそう言った。
「あの子?」
「リオネルよ。昨夜、財務卿の晩餐に呼ばれて……帰りに、エレナの指輪のことを言われたそうなの」
母上の扇を持つ手がかすかに強張っていた。
「陛下にはグスタフから報告が上がっています。でも、近衛一人では足りないかもしれないわ。あの子、どうやら厄介なものに首を突っ込んでいるようだから」
厄介なもの? 何だそれは。
母上は肝心のところを教えてくれなかった。ただ俺の剣が偽物だったことと、財務卿と、天秤のやつが毎晩地下に潜っていることとが、どこかで繋がっているらしいのは察しがついた。
「……なんで俺なんですか。兄上に頼めばいいでしょう」
「ジークハルトは帳簿に埋もれて動けないのよ。それにね」
母上はふっと口もとを緩めた。
「あなた、あの子のことを『天秤』と呼んでからかうくせに、回廊の一件のあと、あの子の背中ばかり目で追っているでしょう?」
「なっ……!? お、追ってません!」
追っていた。
認めたくはないが、たしかに追っていた。
だってそうだろう?
あの役立たずの末の弟が、俺の剣の偽物を一目で見抜いて、俺の歯を守って、今度は財務卿に睨まれているのだ。気にならないほうがどうかしている。
……くそっ、なんで俺が弟の心配なんか。
◇
その夜、俺は北棟の地下へ続く階段の、踊り場の暗がりに陣取った。
下の宝物庫からはランプの明かりと天秤のやつの声が漏れてくる。
宝物庫番の爺さんと、あの馬鹿でかい近衛騎士と三人で、何やら毎晩の決まりごとをやっているらしい。
「――四万六千二百十粒。よし、今夜も大目録は無事っと」
「殿下、本日もお疲れさまでございましたな」
「…………菓子を」
「グスタフ、それ三つ目だよね?」
何をやってるんだ、あいつらは?
国の宝物庫で毎晩本の重さを量って、菓子を食って。正直、ちょっと楽しそうなのがまた腹立たしい。
俺なんか、ここで一人、冷たい石段に尻を冷やしているというのに。
真夜中を少し過ぎたころだった。
上の階でかすかに閂の外れる音がした。
北棟の通用口か? 夜は閉ざされているはずの、あの扉が?
足音が三つ。階段を下りてくる。
足運びが静かすぎる。素人じゃない。
俺は息を殺し、剣の柄に手をかけた。
今夜腰に吊っているのは騎士団で使っている何の飾りもない鋼の剣だ。ガラス玉はついていない。……それで十分だ。
黒い外套の男が三人、踊り場に差しかかったところで、俺は暗がりから一歩出た。
「おい。こんな夜更けに、宝物庫に何の用だ?」
先頭の男が迷わず短剣を抜いた。
――遅えよ。
剣聖の祝福は、剣を握ったときだけ世界の流れを鈍くする。
男の短剣が半分も上がらないうちに、俺の剣の腹がその手首を打ち、短剣は石段を転がり落ちていった。
二人目が脇をすり抜けようとするのを足で払う。三人目は――。
「下だ、グスタフ!」
三人目が階段を飛び降り、宝物庫の扉の前に着地した。
そこにはランプを手にした天秤が、目を丸くして突っ立っていた。
男の手が天秤の胸元に伸びる。
シャツの下の、鎖に。
「させるかぁっ!」
俺が階段を駆け下りるより早く、近衛騎士の大きな影が音もなく男の背後に回り込んだ。
だが男は天秤の腕を掴んで盾にしやがった。
「動くな! この小僧の――」
「兄上、その人の左の袖! 何か重いのが入ってます!」
天秤が叫んだ。
掴まれた腕越しに男の袖の重さを量ったらしい。
考えるより先に体が動いていた。
左の袖口めがけて剣を一閃する。布が裂け、隠していた細い刃が床に落ちて、甲高い音を立てた。
その一瞬の隙に近衛騎士の腕が男の首に回った。
男はぐえ、と蛙のような声を出して、そのまま床に沈んだ。
◇
三人の男は駆けつけた近衛に縛り上げられて連行されていった。
天秤は床に散乱した男たちの財布を拾い上げ、一つずつ手に載せていった。
中の銀貨を一枚つまんで、ランプにかざす。
「……ザルツの銀貨ですね。一枚七十二粒、縁に麦の穂の刻み。両替店で毎日見てるから、間違いないです」
「ザルツ? 隣の国のか?」
「三人とも、同じ袋から出したみたいな新しい銀貨ばっかりなんですよ。ごろつきに払う手間賃にしては、ずいぶん気前がいいなあ」
天秤の顔は俺の知っているあいつの顔じゃなかった。
いつもへらへらと笑って、古道具ばかりいじっている、変わり者の末っ子の顔じゃない。何かをはるか先まで見通している、大人の顔だった。
……ちっ。
なんだよ、それ。いつの間に、そんな顔をするようになったんだ?
「兄上」
天秤がランプを置いて、こっちを向いた。
礼でも言うつもりか、と身構えた俺の腕を、あいつは両手でがしっと掴んだ。
「怪我、ないですか? さっき階段で刃が掠めたでしょう?」
「か、掠めてない! 剣聖を舐めるなよ!」
「よかったぁ……」
天秤は心底ほっとしたように息を吐いた。
その顔を見て、胸の奥がむずがゆくなる。こいつ、本気で俺の心配をしてやがる。……悪い気は、しない。いや、しないことにしておく。
次の瞬間、天秤は俺の腕を掴んだまま真顔で言い放った。
「あ、兄上。百八万粒と、ちょっと。……騎士団の目安より、ちょっぴり重めですね」
「…………は?」
「たぶん、夜食の食べすぎじゃないかなって」
後ろで近衛騎士がぶふっと吹き出した。
宝物庫番の爺さんまで肩を震わせている。
……あいつ、礼より先に俺の体重を言いやがった。




