第17話 財務卿の夜会
「――第七王子殿下を、ささやかな晩餐にお招き申し上げたく」
金縁の招待状が届いたのはヨハンさんが牢を出た二日後のことだった。
差出人は財務卿オスヴァルト・ベルンハイム伯爵。
「行け」
兄上は帳簿から顔も上げずに言った。
「断れば、何か嗅ぎつけたと白状するようなものだろう。行って、何も知らない顔をして飯を食ってこい」
「……兄上、それ、僕に一番向いてない仕事じゃありません?」
「向いていなくてもやれ。……私も、宝物庫の一件からこの三週間、財務卿の前ではそれをやってきたんだ」
ぐうの音も出なかった。この長兄に言い負かされるのは、なんだか悔しい。
それに、正直に言えば行ってみたくもあったのだ。あの男がどんな屋敷に住み、どんな皿で飯を食っているのか。質屋の目で一度じっくり見物してみたかった。
支度はなぜかミアが仕切った。
「リオお兄さま、おめかし! 首のひらひら、ミアが結んであげるね!」
九つの妹は張り切って俺のクラヴァットを結び、三回ほど締めすぎて、俺の顔を真っ赤にした。
妹は「できたっ!」と胸を張り、俺は咳き込みながら親指を立てるしかなかった。財務卿の屋敷に着く前に、妹に絞め落とされるところだった。
◇
二十七日目の夜。
財務卿の屋敷は王都の貴族街の一番奥にあった。
門から玄関まで馬車でしばらく走るほどの広大な庭。
玄関の大扉には金の蝶番。広間の天井からはガラス玉を何百と連ねた灯りが下がっている。
財務卿の俸禄で、こんな暮らしができるものだろうか? 前世の感覚で値踏みしかけて、慌てて中断した。考えれば考えるほど腹が立つからだ。
「これはこれは、第七王子殿下。ようこそお越しくださいました」
財務卿ベルンハイムは広間の入口で優雅に一礼した。
今夜もその手には白い手袋がはめてある。
「宝物庫の目録の照合は、進んでおられますか? 百年前の大目録など、黴臭くてご苦労なさっておいででしょう」
「ええ、まあ。毎晩、重さを量ってますけどね」
財務卿の笑みが一瞬だけ硬直した。……いや、気のせいか? この男の顔は質屋の帳場に来るどんな客より読みにくい。
客は二十人ほどで、財務省の役人とその縁者の貴族たちばかりが招待されていた。
誰もが財務卿の手袋に気づいているのに、誰も触れない。代わりにひそひそ声がそこかしこで交わされていた。
「閣下は近頃、手袋を外されないのですって」
「第七王子殿下に触れられると、罪の重さを量られるからだとか……」
「まあ、怖い。わたくしも気をつけなくては」
聞こえてるぞ、と心の中で突っ込む。
そもそも罪の重さなんて量れないのだ。量れたら、こんな苦労はしていない。
グスタフは護衛として広間の壁際に待機させられた。
直立不動で動かない近衛騎士を令嬢たちが置物か何かのように遠巻きに眺めている。焼き菓子を差し出せば、たぶん一瞬で動くのに。
◇
晩餐の卓は長かった。
白い布の上に、銀の皿と銀の杯と銀の匙がずらりと並び、蝋燭の光がそれらに映り込んでゆらゆらと揺れている。
そして卓の中央に一対の燭台が立っていた。
背の高い銀の燭台だ。
三本の腕が蔓草のようにうねり、台座には獅子の足が四つ。細工は古風で、手が込んでいて、この屋敷のほかの銀器より明らかに格が上だった。
見覚えがある。
本物を見たことはない。宝物庫の棚にあったのは偽物の方だ。だが本物の目方なら、文字で知っている。
クラウスの控えの最初の十枚、売られた十七品の明細だ。
――先王の銀の燭台、一対。蔓草三枝、獅子足。各三千六百粒。六年前、金羊商会へ。
心臓がどくん、と跳ねた。嘘だろ?
売ったはずの品がなぜ財務卿の食卓にある?
売ったことにして、代金だけ帳簿に書いて、品物は自分の懐にしまったのか? それとも一度売って、安く買い戻したのか? どちらにしても、まともな話じゃない。
だが確かめないことには、ただの似た燭台にすぎない。
どうやって触る? 王子が晩餐の途中で、いきなり燭台を撫で回すわけにもいかない。
考えあぐねていたところに救いの手は意外な方向から伸びてきた。
「あ、あのっ、第七王子殿下ぁ!」
向かいの席の若い令嬢が顔を真っ赤にして身を乗り出してきたのだ。
「わ、わたくしの手を、量っていただけませんこと? わたくし、罪なんて何一つ犯しておりませんの! 殿下に量っていただければ、潔白が証明されますわよね?」
広間がどよめいた。
令嬢の父親らしき男が青くなり、ほかの客たちは息を呑んでこちらを注視している。
……おいおい、勘弁してくれ。
潔白を量れなんて言われても、俺に分かるのは体重だけだ。それを晩餐の席で口に出したら、たぶん一生恨まれる。
「えっと……じゃあ、お手を拝借しますね」
差し出された手にそっと指先で触れる。
細い指だ、と思いかけて慌てて打ち消す。何を考えてるんだ俺は、中身は五十八のおやじだぞ?
目盛りが浮かぶ。……何粒かは絶対に言わない。墓まで持っていく。
「……はい。たいへん、軽やかでいらっしゃいます」
「まあっ!」
令嬢は胸に手を当てて、うっとりと椅子に沈んだ。
父親は胸を撫で下ろし、客たちは拍手までし始めた。何なんだよ、この晩餐会は。
その騒ぎの最中だった。
令嬢が身を乗り出した拍子に卓が揺れた。燭台の一本が傾き、蝋燭の炎が布に触れそうになる。
「危ないっ」
とっさに手を伸ばして燭台の台座を支えた。しめた、と思ったのは、指が銀に触れたあとだった。
目盛りが滑る。
三千五百九十二粒。
やっぱりだ! 控えの三千六百から、八粒だけ軽い。たった八粒。なのに、どうにも引っかかる。
それに、新しく見えるようになった二本目の線が台座の裏の重さの偏りを拾った。
平らなはずの台座の裏に、わずかに薄くなった一角がある。指でなぞると、ざらりとした削り跡。何かの浮き彫りを、丁寧に削り落とした跡だ。
王家の紋章を削ったのだ。
燭台を元の位置に戻す指がかすかに震えた。
見つけた、という興奮と、見つけてしまった、という寒気が、同時に背中を駆け上がる。
六年前に金羊商会に売ったはずの国の宝が、紋章を削られて、売った張本人の食卓で蝋燭を灯している。
ふざけるな。
怒りで目の奥が熱くなった。
「おや、殿下。お怪我はございませんか?」
いつの間にか、財務卿が背後に立っていた。
白い手袋の手が燭台に伸びかけて止まる。俺の指がまだ台座に触れていたからだ。
「いえ、平気です。……立派な燭台ですね。古いものなんですか?」
「ええ、さる旧家から譲り受けましてね。大変気に入っておりまして」
さる旧家。
王家のことをそう呼ぶのかよ。
俺は笑顔を維持したまま、手を燭台から離した。内心では、この男の喉元に査定書を突きつけてやりたくてたまらない。
財務卿も笑顔のまま、何事もなかったように悠々と着席した。
その背中を睨みながら、俺は自分に言い聞かせた。まだだ。燭台一つで騒げば、あいつはまた尻尾を切って逃げる。
◇
晩餐が終わり、玄関まで見送りに出た財務卿が、馬車に乗り込もうとする俺を呼び止めた。
「殿下」
振り向くと甘い香水の匂いがすぐそばにあった。
財務卿は手袋の指先で、俺の胸元を指した。シャツの下の、鎖の位置を。
「お母上の指輪、良い品だと伺っておりますよ。百粒ちょうどだとか」
背筋が凍りついた。
こいつ、指輪のことまで知ってるのか? 何のために?
回廊での一件は王宮じゅうの噂になった。
あの日、兄上に言い返した「百粒ちょうど」まで、この男の耳に入っていても不思議はない。
なぜ今になって、それを口にする?
「いつか、ぜひ拝見したいものです。……ええ、近いうちに」
財務卿は優雅に一礼し、扉の奥へ消えていった。
走り出した馬車の中で、向かいに座ったグスタフが低く言った。
「…………殿下。手が、冷たくなっておいでです」
差し出された焼き菓子を受け取る指が、自分でも分かるほど冷えていた。
かじっても、今夜はちっとも甘く感じない。
俺は無意識に、胸元の指輪を握りしめていた。




