初めての洗濯
「えっと……これで良いんですか?」
鍋で温めた灰汁を洗濯桶に回しかけながら、不安げにユーリスが訊ねた。
「ああ、これでいいよ。こっちの鍋が空になったら、床においてある鍋と交換することを忘れずにね」
洗濯桶の下には別の鍋があり、洗濯桶に注がれた灰汁は最終的にその鍋に落ちる仕組みだ。
「結構簡単と言いますか、単純なんですね……」
重労働を想像していました、と言いたげな口調でつぶやく夫。
だが、今の作業は洗濯の下準備に過ぎない。重労働はこの後だ。
「そんなことはないよ。灰汁をかけるのを繰り返した後は、これを水場まで持って行ってすすぎだからね……」
そう話す私の視線はどこか遠くを向いていた。
事の始まりは三日前。
その日、休みだった私は先日の掃除で集めておいた灰で灰汁を作っていた。
何度も灰汁を濾し、ようやく透明になってきたところでユーリスが仕事から帰ってきたのだ。
大変そうだから手伝うと言い始めた彼に手伝ってもらいながら、何に使うのかなど説明をすれば、洗濯も大変そうだから、と洗濯を教えることになった。
なんでも寄宿舎にいた頃は衣服は水洗いだけだったらしい。
そんなこんなで、洗濯物を桶に入れ、その上から温めた灰汁をかけること数時間。
普通なら飽き始める頃合いなのだが、ユーリスはそんな素振りすら見せない。
むしろ、炉を使うとできる厄介な灰がこんなことに使えるなんて、と目を輝かせているようにも見える。
「そんなに汚れている物もないし、そろそろすすぎに行こうか」
鍋の中身が空になったところで声をかければ「わかりました」と杓を置くユーリス。
一度二人がかりで洗濯物を絞る。
そしてそのまま洗濯桶から灰汁が落ちてこないことを確認して、洗濯桶を持ち上げた。
「大丈夫かい? 持ちにくいだろう?」
騎士であるとはいえ、横に大きく重さのある洗濯桶を持つのは大変なはずだ。
変な持ち方をして体中が痛くなるのは経験済みだ。
「いえ、大した量ではないですし、先に絞ってあるのもあって大変ではないですよ」
「そうかい……。頼もしい限りだよ」
そんな雑談をしてふふっと笑い合う。
そしてようやく水場にたどり着いた。
「誰もいませんね。これなら失敗しても迷惑をかける人がいません」
「失敗する前提なのかい?」
ユーリスの言葉に私は大笑いする。
ここまで来たら失敗ともなると、洗濯物を破るとか、流されるとかそんなところだろう。
流石にそんなことにはならないだろう、と笑いを堪えられなかった。
「えっと、これで叩けば良いんでしたっけ?」
大笑いし続ける私に、ユーリスは棒を見せる。
洗濯用の櫂だ。かき混ぜたり叩いたりと様々な使い方ができる。
「そうだよ。生地の中に残っている汚れと灰汁を叩き出すつもりでしっかり頼むよ」
「わかりました」
ユーリスは一つ洗濯物を取り出して広げると、それに櫂を叩きつける。
パシンッと乾いた音ともに水が飛び散る。なかなかに豪快な光景だ。
「……これで大丈夫ですか?」
何度か櫂で叩いた後、不安げに振り返った夫。
そんなに不安にならなくても大丈夫なのだが……。
「大丈夫だよ。そろそろ水をかけるよ」
ユーリスが一生懸命洗濯物を叩いている間に汲んでおいた水をかける。
そして再び洗濯物を叩く。
「結構……、いえ、思っていた以上に重労働、ですね……!」
パシンッと音が響く。
何度も洗濯物を叩く夫の額からは汗が滴っている。
「そうだろう? これを数ヶ月に一回はやっているご婦人たちには頭が上がらないよ」
代わると言われたのだから、ここは素直に任せることにした。
せいぜい先程のように水をかけるぐらいだろう。
時々やり方を見せるために代わりつつ、すべての洗濯物をすすぎ終えたときにはユーリスの息は完全に上がっていた。
流石に帰りは私が洗濯桶を持った。
あれ程の重労働をした後なのだから、これはご褒美みたいなものだ。
家まで戻ってきたときには太陽も少し下がり始めていたが、これならまだ間に合うだろう。
「じゃあ、干していこうか」
庭、と言うには少々狭い場所に竿をかけ、洗濯物をかけていく。
時間も遅いので、小さなものは私が、大きなものはユーリスが担当して次々干していく。
ようやく終えたときにはお茶時だった。
「さあ、休憩をしようか。お茶を淹れるよ」
一息ついてから家の中に入ろうとしたとき、少し強めの風が吹いた。
「わっ……」
そんな声とともに飛び去る白い布。
「あっ! 待ってください! またあの作業をするのは今日はもう嫌です!」
そんなことを叫びながらユーリスは、飛んでいった洗濯物を追いかけていった。
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次回最終話「初めての散髪」
「リーゼさん! 待ってください! 早まらないで!」
——頼れる夫、慌てる!?




