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第8話 共犯者

第8話 共犯者


 会場の空気は、もう完全に壊れていた。


 数十分前まで“成功者の祝宴”だった場所は、今や炎上現場そのものだった。ざわめき。ひそひそ声。スマホを向ける人間たち。誰ももうシャンパンを飲んでいない。


 氷の溶けたグラスだけが、テーブルの上で汗をかいていた。


 拓海は壇上の端で肩を震わせている。額には脂汗。さっきまで余裕ぶっていた男とは別人みたいだった。


 そして、その隣。


 萌香は泣いていた。


「違っ……私、知らなかったんですぅ……!」


 崩れたアイメイクが頬へ黒く滲んでいる。


「全部、拓海さんが勝手に……!」


「おい!」


 拓海が振り返る。


「お前まで俺のせいにすんのかよ!?」


「だって本当じゃん!!」


 萌香が叫ぶ。


「私、騙されてたもん!」


「は?」


「会社経営してるって言ったじゃん! お金あるって!」


「ある予定だったんだよ!!」


「知らないよそんなの!!」


 二人の怒鳴り声が会場へ響く。


 もう取り繕う余裕すらない。


 志乃は壇上からその様子を見下ろしていた。


 黒いスーツの袖口を整えながら、静かに息を吐く。


 ――やっぱり。


 追い詰められた瞬間、人間は本性が出る。


 萌香は涙を流しながら、必死に周囲へ訴え始めた。


「私、本当に何も知らなくてぇ……!」


 しゃくり上げる声。


「志乃さんにも悪いと思ってて……」


 嘘だ。


 志乃は感情もなく思った。


 この女は、一度だって悪いと思っていない。


 ただ、自分だけ助かりたいだけだ。


「私も被害者なんですぅ!」


 その瞬間。


 志乃は一枚の紙を取り出した。


「そう」


 静かな声だった。


「じゃあ確認するね」


 萌香の泣き声が止まる。


 志乃は壇上のモニターへ視線を送った。


 次の瞬間、スクリーンに新しい画像が映る。


 ブランドショップの領収書。


 購入履歴。


 金額。


 日付。


 購入商品名。


『ラグジュアリーバッグ ¥428,000』


 会場がざわつく。


「えっ……四十万?」

「やば……」


 萌香の顔色が変わった。


「それ……」


「あなたがSNSに載せてたバッグだよね」


 志乃が淡々と言う。


 萌香の唇が震える。


「……っ」


「購入日は、私が残業していた日」


 さらに画面が切り替わる。


 今度は高級エステサロン。


 美容クリニック。


 ジュエリーショップ。


 全部、同じ口座から引き落とされていた。


 共同口座。


 つまり。


 志乃の金だ。


「ちょ、ちょっと待って……」


 萌香が後ずさる。


「知らなかったの……!」


「知らなかった?」


 志乃は静かに首を傾げた。


「じゃあ聞くけど」


 一歩近づく。


「“地味女から金引っ張ったら捨てなよ”って送ったの、誰?」


 萌香の顔が凍りついた。


 スクリーンに、あのLINEが再び映る。


『地味女から会社の金引っ張ったら捨てなよ笑』


 会場から小さな悲鳴が漏れた。


「うわ……」

「最低……」


「違うのぉ!!」


 萌香が叫ぶ。


「ノリだったんですぅ!!」


「ノリ?」


「SNSのテンションっていうか……!」


「人のお金でブランドバッグ買うのも?」


「それは拓海さんが!」


「でも受け取ったよね」


 志乃の声は静かだった。


 だから余計に刺さる。


「あなた、“努力して可愛くなれない女は怠慢”って言ってたよね」


 萌香の肩がびくりと震えた。


「だったら、自分で払えばよかったんじゃない?」


「……っ」


「誰かのお金じゃなくて」


 萌香の目から涙が溢れる。


 だが今度の涙は、“可愛く泣けば許される”涙じゃなかった。


 完全に追い詰められた人間の涙だった。


 神崎弁護士が一歩前へ出る。


「姫野萌香さん」


 低く落ち着いた声。


「あなたには後日、正式に慰謝料請求を行います」


 萌香が目を見開く。


「え……?」


「不貞行為、および金銭流用への関与が確認されましたので」


「えっ、待って……慰謝料って……」


「当然です」


「そんな……!」


 萌香は真っ青になった。


「む、無理です!!」


「無理かどうかは関係ありません」


「私そんなお金ない!!」


「ブランドバッグは買えたみたいですけど」


 神崎の言葉に、周囲から小さな笑いが漏れた。


 萌香の顔が一気に赤くなる。


「っ……!」


 拓海が苛立ったように吐き捨てる。


「お前が散財するからだろ!!」


「はぁ!? 買ってくれたの拓海さんじゃん!!」


「お前が欲しがったんだろ!」


「だって“似合う女になれ”って言ったじゃん!!」


 二人は醜く怒鳴り合う。


 会場の誰も止めない。


 むしろ冷めた目で見ている。


 さっきまで憧れのカップルだった男女が、今は金の責任を押し付け合っている。


 その姿は、ひどく滑稽だった。


 志乃はその光景を見ながら、ふと昔を思い出していた。


 スーパーで値引きシールを見比べていた夜。


 鶏むね肉を小分けに冷凍した日。


 拓海の動画編集を手伝いながら、寝落ちした深夜。


 自分はずっと、“生活”を守っていた。


 この二人は、一度も作ろうとしなかった。


 ただ、“誰かから奪って飾る”ことしか知らなかった。


 萌香が泣き崩れる。


「やだ……やだぁ……!」


 ヒールがぐらつき、床へ座り込んだ。


「フォロワー減ってる……!」


 震える声。


 スマホ画面を見つめながら、萌香は青ざめていた。


「案件のDM、全部止まってる……!」


「当たり前だろ」


 誰かが小さく呟く。


「略奪女とか、企業一番嫌うやつじゃん」


 萌香が嗚咽を漏らした。


 ネイルのついた指が震えている。


「なんで……こんな……」


 志乃は静かに見下ろす。


 そして、ゆっくり言った。


「“数字が価値”だったんでしょ?」


 萌香の肩が止まる。


「なら、数字がなくなった今のあなたには、何が残るの?」


 その言葉は、刃みたいだった。


 萌香は何も答えられない。


 ただ泣きながら、崩れた画面を見つめている。


 フォロワー数。


 いいね。


 案件。


 ブランド。


 それだけで作っていた人生が、今、音を立てて崩れていた。


 会場のシャンデリアは相変わらず美しく光っていた。


 けれどその光はもう、誰も綺麗だとは思えなかった。



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