這陰"Shine"
アール・キャンベル曰く、もし暗い日々がなかったら、光の下で歩くことがどんなものなのか、わからないだろう。
屋根より落ちる色彩の光、直中に私は立っている。描かれた聖人像は荘厳であるべきで、実際にそうであろうが、しかし私はそれに慣れすぎているが故に、それをどうというものとも捉えられないで居る。 愛すべき聖母マリアの微笑みが、神聖なものとも感じられずに居る。私は、聖ヨハネの草、日本の言葉で言えば弟切草の黄色い花が飾る窓辺に目を細めながら、誰もいない聖堂の空気を嚥下した。
神は、私の罪をお許しにはなられるだろうか。 私は、深く息を吐き出して窓辺の花を手に取った。 ぐしゃりと其れを握りつぶすと、特徴的な赤い液体が滲み出す。 まるで血のように。 掌を開き、花瓶の脇に潰れた花を払い落として、私は祭壇も、祭壇の上に祭られたイエスの御姿も振り返らずに、通い慣れた聖堂を離れた。
私は、長らく病床にある私の叔父を訪れた。彼の枕元にある黄色い花が、訪れて第一に私の目に入る。 私は、今日も私が手作りで作った黄色く明るい色のジャムを、そっと机に置いた。 味も良い私のジャム、甘く絡みつくような、マーマーレードよりも香る、ジャム。 彼はこれを毎日食べてくれているのだろう。 そうだ、喜んで食べている筈だ。
私が生まれると同時に、私の母は死んだ。 それを追うかのように、私の父も死んでしまった。 私は今、私の前に居る叔父に引き取られた。 叔父は優しかった。 幼い私を娘のように可愛がってくれた。 私はそんな叔父のことがとても好きだった。 だから、叔父が私を犯した時も、私は誰にも何も言わなかった。 それがどんなにおぞましいことなのかを知ったのは、もっとずっと後。 私がようやく大人と呼ばれる年齢になった時だ。 幼すぎた罪、これは私の罪でもあるのだろうか。 違う、と私は信じたい。 近親相姦とは良く言うけれど、私にとっては相姦では無かった。
私はただただ、一方的に、犯されただけだから。 だけれども、私はそれを忘れたことにした。 叔父も私がそのことを覚えているとは知らないだろう。 私は是まで誰にもうち明けずに居たのだから。
叔父の病が、そうしたことで感染しうるものであると聞いたとき、血の気がさぁっと引いていったのを覚えている。 私は怖かったが、市の保健所の門を叩き、検診を受けた。 結果は、陰性。 私には感染していなかった。 そのことにはほっとしたが、だが、私は同時に、何か分からないが心のそこから燃え上がるような、地獄の煉獄の焔よりももっと陰惨で、陰鬱な何かを私は感じて、得た。 私はそれを望んだのだと思う。 そして、私は、この花と巡り会った。
聖ヨハネの草、弟切草の黄色い花には、抑鬱作用をはじめとして、古来から様々な薬効が知られている。 健康食品で、良くこの抽出成分の錠剤が売られていることも有名だ。 だが、私はそれだけで無いことも知っている。
叔父と私は、とりとめの無い会話を続けている。 叔父は今どんな気持ちなのだろう? 覚えているのだろうか、私を、まるでモノのように犯したことを。 獣のような息を私は忘れることはできない。 その音色を私は忘れることができない。 だが、私は笑みさえ浮かべて見せている。 嬉しそうな叔父。 嗚呼、憎いとしか言いようが無い、ある種の憐れみにも似た感情が渦を巻いている。 だが、表に出てくるのは労いや、見舞いの言葉でしかない。
叔父は、やはり私の作ったジャムを食べているそうだ。 気分が明るくなるらしい。 薬草の効果は、確かに在るようだ。 勿論、それだけではない効果もあるだろう。
叔父の病の治療について、あまり正確には知られていないようにも思うが、確かなことは特効薬が無いということだ。 多くの会社が様々な方法でそれを作り出そうとしているし、その前段階というものを作り上げたと謳っている会社もあることはあるが、しかし臨床としてそれらはまだ存在しない。 実際問題として、根本的解決が可能な治療法は無く、そのため治療としては、病が完全に発症してしまわないようにする為の治療が行われている。また様々な症状に対する対症療法として多様な薬剤が用いられている。
あまり知られていないことだが、この黄色い花弁は、その治療薬の作用を弱めてしまう。 緩慢な、あまりにも緩慢な、拷問のような死が叔父を襲うように、私は直ぐに殺そうとは思わなかった。 寧ろ、死が確定してしまっている叔父を殺したところで、それほどの絶望を与えることなど叶わなかっただろうから。
叔父は、本当に楽しそうに笑っている。 だが、私は知っている。 叔父が死の恐怖に怯えていることを。 義娘として認識されている私は、叔父の親しい友人達にそのような話を聞くから。 だから、私は慰めている。 周りから見れば、私はとても優しい、それこそ私が信仰する聖母マリアのようにも思えるのかもしれない。 その心の内がどのようであっても、人はその外面に現れる結果としての事象でしか、人を認識することが出来ないのだから。
私は、夕方になると会話を切り上げて、また明日来ると言い置いてから叔父の部屋を出た。 このころは叔父も体の不調を訴えている。 完全に病の魔手にとらわれるのはそう遠くはないのではないだろうか。 寂しげな叔父の視線を受けると、私の内には僅かながら複雑な想いが去来する。 嗚呼、だからこそ、これは私の罪なのではあるまいか?
外に出れば、夕凪は遙かに、太陽と空は赤々と燃えていた。 空がだんだんと昏く染まっていくのが分かる。 空はとても好きだ。 あの色が好きだ。 高く蒼い空も好きだし、今日の様な茜色も良い。 もうじきには、まるで宝石を鏤めたかのような深い空が見られるだろう。 私が一番好きなのは、日の光で一杯の夏の空だ。 もうじき夏になれば、きっとそれが見えるだろうと考えながら、私は自転車のペダルを漕いでいた。 自転車の車輪が回る音が、私の鼓動のリズムを刻む。 カラカラと落ちていくような、そんな音が、頬を触るような風の音とは関係無く体内に響いている。 私は、このような時にこそ私が生きていることを実感する。
私は、私が住むアパートの扉を開く。 私の名前が安っぽい紙切れに記された扉が、ギィと古さ故かのきしみをあげて開いた。 それが私には時々けたたましい嗤い声に聞こえる。
私は一人きりで着替え、一人きりで掃除をして、一人きりで食事を作り、一人きりで食べ、一人きりで体を洗い、そして一人きり眠る。 軋みをあげる寝台に埋もれて、私は黄色い夢を見る。 夢の中では花が嗤って、大きく口を開いて、その花束に私は埋もれて、藻掻いて、花粉の目映さに目を開けて居られずに、左胸の痛みを知覚して目が覚める。 胸に赤々と刻まれているのは私の爪の痕だ。 現実に私を引き戻したのはこの痛みだった。
私は、次の日も、その次の日も、叔父の顔を見に行った。 月が新月になって、満月になって、それからまた新月を巡っても、叔父の見舞いに行った。 世間の人は私のことを良い娘だと言う。 私にはそれが溜まらなく快感であって、同時に押さえることが出来ないほどに左胸が疼いた。
発病し、入院した叔父を見送ったその日に、私は部屋で一人、私が喜びからでない笑いを、嗤いを、浮かべていることに気付いた。 何故だろう。 私がこうしているのは。 何故だろう、なぜだろう、どうしてなのだろう? そうなるのが当然だと知っていたから、そうした筈なのに。
一体なにが悪いのだろう。 私は、崩れ落ちるように、寝台にもたれかかる。 辺りのしんと静まった空間がけたたましい嘲笑のように感じられる。 五月蠅い。 とても五月蠅い。 私は、発作的にカッターナイフの刃で耳を切り裂いた。 どろりと粘性を以て汚らしい色の液体が溢れて、握りしめた拳を濡らす。 左胸が拍動をあげている、疼痛。
体を動かすことができないで、視線だけが動く感覚、私は一つの花に気付いた。 聖ヨハネの草、弟切草の黄色い花、嗚呼、ようやく思い出した。 誰かが言っていた言葉を思い出す。 この花は、サンシャインハーブと呼ぶのだと。 そうだ、この言葉も叔父が言ったのだ。心の闇を照らし悪霊を追い脱す草なのだと、他ならない叔父が言ったのだ。
私の頭の中を満たす嗤いが、ふくれあがるように広がっている。 どうして気づけなかったのだろう。 私はとうの昔に叔父を許していたのだということに。 例え感情がそれを認めたく無かったとしても、私はそれを許していたと言うのに、どうして、私は、気づけなかったのだろう。
胸が痛む、左胸が割れるように痛む。 私もまた病んでいるのだから。 薬を私は飲み下す。
ここ一年、良くなったと思っていた心臓は、やっぱりまだひび割れたままだった。
痛みが、意識を奪った。 静寂が、訪れた。 苦悶の表情を刻んだ、私の顔の直ぐそばには、黄色い花だけが笑みを浮かべていた。
聖ヨハネの草は薬でもある、だが。 多種の薬を働かなくすることもあり、その中には強心薬を含んでいる、といった内容の新聞記事が、彼女の死亡記事と共に乗せられたが、だが、世界において其れを注視したのはほんの一握りのものに過ぎなかった。
やがて、彼女の部屋からも、彼女の通った聖堂からも、黄色いその花は消え失せて、変わって飾られた花の姿に、世界は全てを忘れてしまった。 全ては、白昼夢にも似て。 それでも、その花弁の色にも似た、太陽だけが、彼女が愛した空から注ぎ続けていた。
後には、ただただ煌々たる光が残されるばかりなのだろう。
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッテ曰く、太陽には太陽の輝きがあり、月には月のそして星々には星々の明るさがある。




