毒経幻画"Doppelganger"
ココ・シャネル曰く、鏡は厳しく、私の厳しい現実を映し出す。ギリギリとした鏡との闘い。鏡は私という人間を証明してくれる。
「児戯にも等しい辞儀に何の意味があるというのだろうか? それは明らかに、且つ明確に明快に牢屋にも等しい論旨を展開する天涯孤独、この独特な独善だ。 明らかに、抱きとめる惰気には惰性のようなものを感じざるを終えないと僕は思うのだよ。たとえ神とか呼ばれるモノが紙の上の、存在を加味すべきでないような群存し続ける偶像だとしてもだ。 で、なければ僕らはあまりに哀しすぎるだろう? 世界という牢獄に、世界という一つのセルに閉じこめられている、否、閉じこめられることしかできない、他に選択肢の無い穢れた怪訝でしかないんだから。 例えるなら、そうだ、僕がここでこのように喋っていることだってこれは全て、絶望にも等しいような絶海だ。 そこから先が無いことを無駄とするなら、進歩をやめた僕はまさしく無駄、政治家の創るダムよりも、そう無駄でしかない。 少なくともアレには政治家の利権という存在意義があるからね。 どう考えても僕よりは上だ。 例えようもないほど、果てしなく、例えるなら無限大に上流階級だ。」
息もつかず、まさしく一息にそこまでの口舌を振るったその人物は、まるで影のような長い髪を、といってもそれは印象として長いだけなのかもしれず、実際はそう大した長さでもないかもしれない髪を、濡れたままのそれを、はたはたと扇風機、のような形をした電気ヒーターの熱に晒しながら気怠げに視線を泳がせた。相対する僕は、どうにもこうにも、あるいはこれは僕が馬鹿すぎるだけかもしれないが、その内容というものが酷く難解で、とてもではないが、理解しがたいモノであるとしか考えることはできなかった。
息せき切ってと言う言葉は、そもそも違うような気がしつつある。息はともかく咳は、きれないだろうと思っていたら、ある人がそれは違う、息急き切ってだ、と忠告を与えてくれた。 ああ、限りなくどちらでもいい。 どちらでも、それで大きく変わるわけがない。 少なくとも、この時間の中でそれがそうなったとしてもどうなるとも言えない。 あるいは違う時間やら空間やらではそれも有り、なのかもしれないが、少なくともエネルギー保存則のなりたつような、極めて常識的な世界の中で、たとえ魔法のごとくといわれても魔法がつかえる筈もない。 というくらいに無知の無策だ。
「風呂上がりくらい、不老なるフローチャートの上にいる超人のごとく、何者をも恐れずただまんじりと話をする権利くらい許してもいいだろうに。 何かい? そこなる君はこの僕のとても僅かといえる楽しみを奪う、いや、奪いたいとでもいうのかい? なにか話をしたまえよ、貴方様。 おや、なんだね変な顔をして。 なにかね貴方様は貴方様のすぐ側にあるモノをも斬り砕いて破り捨てて奈落に追い落としその上で哀しい苦しいと呟くようなそんなモノだったのかい? そうではないだろう。 うん、そうではないだろう。 何だ、なんとなれば僕にとっては君と話すことは在る意味、風呂上がりの牛乳を、ぎゅうと搾った白色の糖蜜にも等しい其れを陶酔と共に呑み込むことよりも肝要で重要だよ。 なに、話が長いとでも、隠喩に富みすぎているだとでも思っているのだろう。 そんなことは今にはじまったことでは無いはずだ。 しかたないだろう。 こんな性分にしてくれたのは何処の誰だ? 他ならぬ僕自身に他ならないだろう。 否、他であってはならないのだよ。」
ようやく、私の髪も乾き、脱衣籠の中に収まった、黒、というには緑がかったシャツ、なんでも黒そのものの染色というものが難しいが為に、安物はこんな色合いになるらしいが、に袖を通し、さらに襟の中に手を差しいれて中に囚われた髪の毛を外に解放する。 そして、下着、下半身に身につけるほうの其れ、に片足を差しいれた。 同じく、溜息のようなものをつくことを堪えながら。
溜める息と書いて溜息であるならば、溜息はやはり溜めておくべきなのか? 確かに溜息などつくなと人は言う。 だが、溜息もつけなければ人は人として動くこともできなくなるのではなかろうか、などと思うのは大甘だろうか? あるいは、檄甘あたりだろうか。 それもやはりどうでもいいことだが。 兎も角、日本語というのは面白い言語で、それで美しい表現ができる、それが故に意味を取り違えてしまうこともある、無いはずがないということだと思う。 それは今更発見する、いや、発見したつもりなることもないような暗澹たる案件に過ぎない。
「大体、あんたはちょっと気取りすぎているんじゃない? そりゃ、私はあんたが好きだよ。 嫌いならそうさ、勿論のこと話なんてしてないし、そもそもお互いの存在をこの広い広い、少なくとも私みたいな矮小な奴があんたと巡り会う、なんて偶然が起こるわけもないからね。 私に関して言えば、あんたにそう言ってもらえるのはとても光栄なことだし。」
ぱさ、と髪が落ちる。 輪ゴム、といっても茶色いそれではなし、髪留め用の幾分まともなものを、髪にくくりつける。 そうしないと邪魔で仕方がない。
或いは詰問するような口調だったかもしれない。 長年の答えは、永年得られないだろう事は既に分かってはいあるのだが、それでもやはり、この人物のようなモノと語り合う時はそのような感傷にも緩衝にも、まして干渉のような気分にさせられてしまう。 ささくれ立つ気分だ。 同時に耐えがたきほどでないほどに良い気分だ。
「で、どうなんだい? 考えを改める気にはなったかい? 僕が最大に気になっているのはまさにそこなのだよ。 貴方様がどんな具合に、其れに決着をつけるのかが結句。早期に想起すべきだったなどと今更言わないさ。 それは皆、しかたのないことだ。 過去をくどくど言ってもはじまらないだろう? もっとも最初からはじまってなどいないのかもしれないとは思うのだけどね。 それでも貴方様には高尚を考証するということができるようだからして、まぁまぁこれはという疑問に、まぁまぁでも頭を廻らせることは、あぁ、たまにはいいだろうさ。 どうせ聞いて欲しくて呼び出した、否、これは適切ではないな。 どうせ聴いて欲しいだろうと思って来てやったのだからね。 答えたらどうだい?」
相も変わらず、影のような髪を持つ陰のような人物は、まくしたてた。いい気なものだとも思うが、それは仕方のない事でもあるのだろう。 人物をここに観測しているのは他ならぬ私であるからだ。
風が吹き込めば寒さに震える。 隙間風だ。 この壁は治していないらしい。 隙間風が吹いてくるのはとても嫌だ。 目の前にいるその人物も大きく身震いをしたようだった。 観測する限りに置いては少なくとも寒さを感じている風だった。 見れば、私もそうだが服を完全に着終わっていないということに気付く。 いや、気付いていた。 それを再確認しただけだ。 概ね全てのほとんどの事象やら事件にならない実験的な運命というものは、それは予測できて、気付いているものであるからだ。
「ああ、もう五時半を過ぎたね。 そうだ、流石に夜があけるまでには言わないと失礼、か。 どうせ何れあんたにも分かることなんだけどね。 やっぱり、そう、世界にとって反逆することができるかっていう命題にかかっている、これじゃまだ答えに不足、だね。 あんたは私と同じくらいの思考パターンを誇っているから、分かるだろう? なんてパターナリズムを展開して煙に巻いてしまっても良いのだけどね。 それじゃいかにもレトリックだよ。零に等しいトリックだよ。 私に語れっていうんだろう? 望むところさ、語って騙ることが過多になるくらいまで紡ぎ続けてみようじゃないか。」
私も、その人物のようなものいいになっているのかもしれない。 聴く人が聴けばこれはなんたる、というようなそんな禍々しいまでの戯れ言。 空々しいまでの隠喩に。 少しだけ眠いと感じた。 それは、しごく当然ではあるの、だが。だが、ダガーを突き刺すような視線でもってその人物から見つめられては二進も三進もいかないのが道理で、後々思い返せば、通りであの時眠くもならなかった、ということになるようなそんな雰囲気だ。
そもそも、刃のついた武器というモノは、吹きけせば消えるような命を狩る武器でしかない、などということは断じて無く、そもそもそれは、或いは命を持つかも知れない木々を切り倒すこともあり、恐らく命を持っていないと推測される大地を掘り進む役にも立つのだから。確かに、道具はつかいようである。 その持つモノの手によってさまざまに役割を変ずるモノである。 だがこれも十全にお膳立てされた戯れ言みたいなものだ。
「なんだ、分かっているじゃないか? これは世界そのものだろう。 トリックさ。 最高のペテン師の、最後の手腕に勝るとも劣らない、ちょうど役不足の意味を取り違えたかのように振る舞って、これこれをするには自分の能力は低くて不的確ですと、本当は殊勝ではない言葉を、あたかも首相の主唱がただのお追従に他ならないふうな用に、使っているにすぎないようなそんな、トリックだということがしっかりと分かっているじゃないか? 何、失礼には当たらない。 万事が万事、バンジージャンプのようなスリルでないと分かっているスリルにハラハラするような調子だから、はらはらと散る花の風情も味わえないほど遠くまで時間的に軟禁されるのはごめん被るがね。 貴方様の言いたいことはよく考えて言えばいいだろう。」
私は考え込むしかない。考え込む意外にはできない、それが私が私である、其れだから。
「ここに鏡があるとしよう。 まったくもって鏡というのは不可解きわまる。 同じモノが映し出されているというのに、その実それは光という粒子がまったくそのまま、とまではいかないまでも少なくとも目に捕らえられる程度のレベルでもって此方側に帰ってきているのだから。 それで、鏡に貴方様を映そう。 それが、今ならば一本のソーセージだ。 意味が分からないのも道理で、なんと僕にも意味は分からない。 ただ主観的にそう感じたまでのことだけれど、それでも客観的に、鏡というモノが君の発言というものに大きくかかわっていることを否定はできないだろう。」
まったくもって、その通り。私は舌を巻くしかない。
「その通りだよ。」
私は、鏡から背を離す。
足を通し終えた下着、の上に、さらにそれを被うような、布きれを纏う。
その人物もまた、其処で鏡から背を離す。
「ただ、どうせ、世界はそんなものだろう?」
一歩、鏡から遠ざかる。 位置を考えれば、電気ヒーターの熱気から遠くなる。 その場所でヒーターから一歩遠ざかる。
「貴方様の未来に祝福あれというところかな? それが決して叶えられる願いではないと僕は知りつつもそれを願わずにはいられないよ。 死なないだけまし? とんでもない、貴方様は。」
「私はただの世界の観測者だ。」
重なる。 いや、重なったように聞こえただけの声。
冷たい鉄の臭いが、突き立てた爪の間からした。
黒々洞たる鏡の中で、その人物が涙を流していた、ようにも見えた。
後には、ただ闇が広がるばかりなのだろう。
アレイスター・クロウリー曰く、世界とは鏡のようなもの、それを変えるにはあなたを変えるしかない。




