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深い夜、水路荘では好きなものを持ち寄る  作者: 乾為天女


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13/21

第13話 好きなものを説明するのは難しい

 六月八日の夕方、共用台所の大卓には、七枚の白い紙が置かれていた。


 紙の上部には、イザベラの字で同じ質問が書かれている。


 『あなたの、すきなもの・すきなことは何ですか』


 「宿題みたいだ」


 ラビーが椅子を引いた。


 「宿題なら、提出期限を書くわ」


 イザベラは壁の時計を見て、質問の下へ『本日二十一時』と加えた。


 「好きなものに締切をつける人、初めて見た」


 「締切がないと、誰も書かないでしょう」


 彼女自身がその代表だった。


 七日間の調査結果をまとめるはずの夜だった。模型、写真、証言、点検口の記録、安全条件。机の端には、それぞれの成果が積まれている。


 水路が今も完全には死んでいないことは分かった。

 しかし、保存できるとも、再使用できるとも言えない。


 町へ次の調査を求めるには、数字と図面に加えて、なぜこの建物と水路を残したいのかを説明する必要があった。


 リオンが、ミレナの聞き書き帳を開いた。


 「昔の水配分には、家ごとの生活時間が必要だった。今の町にとって水路が何なのかを伝えるなら、ここで暮らしている人のことも書いた方がいい」


 「立派な経歴はないわよ」とイザベラ。


 「経歴じゃない。好きなもの」


 「その方が難しい」


 アウネがすぐにペンを取った。


 『閉館後の資料館』


 大きな字で一行書き、紙を伏せる。


 「終わり?」とリオン。


 「質問には答えた」


 「なぜ好きなのかも必要だと思う」


 「書いてないことを勝手に足さないで」


 「足してない。聞いてる」


 「その聞き方が、もう編集っぽい」


 言い合いが始まりそうになり、イザベラが手を叩いた。


 「説明は後。まず全員、一つ書く」


 ラビーは『壊れた機械を直すこと』。

 ナサンは『方眼紙』。

 リオンは『録音』。

 ドアルは『地図』。

 イアムは『豆のスープ』。


 イザベラは、自分の紙へ『衣装』と書いた。


 七枚を並べてみる。


 「つまらないわね」


 最初にそう言ったのは、イザベラだった。


 「自分で書かせておいて?」とラビー。


 「好きなものというより、職業一覧よ。イアムだけ夕食だけど」


 「豆のスープは職業ではない」


 「分かってるわ」


 イザベラはカメラを取り出した。


 「言葉で難しいなら、持っているところを撮る。写真を見れば、何か分かるかもしれない」


 最初はラビーだった。


 修理店から小型ラジオを持ってきて、胸の前に掲げる。


 「笑って」


 「機械を持って笑うと、広告みたいにならない?」


 「いいから」


 ラビーは歯を見せた。


 「違う。もっと自然に」


 「自然に笑えと言われると、歯の置き場所が分からなくなる」


 撮った写真は、修理店を買収した悪徳経営者のようだった。


 ナサンは方眼紙を広げたが、顔の半分が隠れた。ドアルは地図を持つ姿が完成されすぎて、旅行会社の案内人に見える。アウネは資料館の鍵を握り、侵入者を追い払う警備員になった。


 リオンは録音機を耳へ当て、イザベラが合図する前に話し始める。


 「今、六月八日十九時四十二分。水路荘の共同台所で、好きなものを――」


 「写真に声は写らない」


 「後で聞くと、その時の空気が戻る」


 「では空気だけ録って」


 イアムは豆のスープがないため、乾燥豆の袋を抱えた。


 「犯罪の押収品みたいね」とアウネ。


 「何を押収したら豆になる」


 「大量の豆を不正に輸入した」


 「私は管理人だ」


 「管理人が一番怪しくないとは限らない」


 イアムの眉間へ深い皺が寄った。その瞬間を、イザベラは撮った。


 七人分を撮り終えても、好きなものは少しも見えてこなかった。


 イザベラは椅子へ戻り、聞き書き帳をめくった。


 ミレナの字は、頁によって大きさが違う。急いで書いた日は右上がりで、雨の日はインクが滲んでいる。


 一つの頁に、こうあった。


 『好きなものを話してもらう時は、失くしたものの名前が出るまで急かさない。好きは、今あるものだけに向くとは限らない』


 台所が静かになった。


 イザベラは自分の紙を引き寄せた。


 『母の型紙』


 そう書いた。


 文字を見た途端、母の遺品箱が開いた日の匂いが戻ってくる。未使用の列車切符。完成しなかった王妃の衣装。『イザベラが戻れたら』という余白の字。


 紙を二つに破った。


 「あ」


 ラビーが小さく声を出した。


 「見なかったことにして」


 「見えた部分を忘れるのは難しい」


 「では、口にしないで」


 「分かった」


 ラビーは自分の紙を見た。


 『壊れた機械を直すこと』


 その下へ、何かを書き足している。


 「何を書いたの?」とイザベラ。


 「口にしない約束は、そっちだけじゃない?」


 「あなたの紙は提出物よ」


 「責任者は強いな」


 ラビーは紙を表へ向けた。


 『直った機械が、最初に音を出す瞬間』


 そこまで書き、線で消していた。


 新しい行には、こうある。


 『直らない物を、持ち主が自分で手放すか、持ち続けるか決められた時』


 「修理しない方が好きなの?」とナサン。


 「直せた方がうれしい。でも、直らない物もある。昨日まで、直せないと言うのは負けだと思ってた」


 ラビーは焦げた充電器を見た。


 「あれを分解して、使える部品だけ残そうとした。でもイザベラが、無実なのに悲劇の主役にされた証拠だから、そのまま置けと言った」


 「証拠ではなく、戒めよ。借りた充電器を古い延長コードへ挿さないという」


 「僕にとっては、直さないと決めた最初の機械になるかもしれない」


 イザベラは破った紙を見下ろした。


 好きなものは、持っている理由より、捨てられない理由の方が長いことがある。


 ナサンが紙を書き直した。


 『何度揺らしても、水面が同じ高さへ戻るところを見ること』


 「方眼紙じゃないの?」とドアル。


 「方眼紙も好きです。でも、線は水がどこへ戻るか確かめるために使うから」


 ドアルも続いた。


 『縮尺の違う地図を重ね、同じ場所が別の形に見える瞬間』


 「広い視点ね」とアウネ。


 「褒めているか」


 「半分は」


 アウネは伏せていた紙を戻した。


 『閉館後の資料館で、誰にも急かされず、紙の匂いが変わるまで一頁を読むこと』


 リオンは録音機を机へ置く。


 『録音を始めてから、相手が最初の言葉を話すまでの時間』


 「話している部分じゃないの?」とアウネ。


 「話す前は、まだ何にでもなれる。僕が切っていない時間でもある」


 イアムは豆のスープの下へ、ゆっくり書き足した。


 『ミレナが塩を入れすぎた豆のスープを、薄いと言いながら食べること』


 「塩を入れすぎたのに、薄いと言ったの?」とナサン。


 「言わなければ、翌日はもっと塩辛くなった」


 「思いやりの方向が間違ってる」


 「若かった」


 最後に、全員がイザベラを見る。


 彼女は新しい紙を取った。


 すぐには書けなかった。


 カメラを持ち、今度は指示をせず、台所の端から皆を撮った。


 ラビーはナサンの模型の支柱を直し、ナサンはアウネへ古い地図の向きを説明している。ドアルはイアムの豆の袋を見て産地を尋ね、リオンは録音機の電源を切っていた。


 誰もカメラを見ていない。


 その写真には、七人がそれぞれ別のことをしながら、同じ卓を囲んでいる姿が写った。


 イザベラは席へ戻った。


 『古い布の裏側。表から見えなくても、前に触れた人の手が残っているところ』


 書き終え、破った紙の二片も聞き書き帳の空白頁へ挟んだ。


 「破った方も入れるの?」とラビー。


 「何を書かなかったかも、記録でしょう」


 二十一時を十分過ぎていた。


 七枚の紙は、ミレナの聞き書き帳の空白頁へ一枚ずつ留められた。


 町へ提出する調査書には、全員の文章を載せなかった。


 本人が書いたからといって、どこへでも出してよいわけではない。


 代わりに、イザベラは最後の頁へ一行だけ加えた。


 『ここには、水路がなくなれば仕事だけでなく、好きなものへ触れる場所を失う七人が暮らしている』


 書き終えた時、壁の奥で低い音がした。


 三回。


 少し間を置き、また三回。


 アウネが顔を上げた。


 「今夜は、最後が二回になる気がする」


 まだ二回目の三つが終わったばかりだった。


 誰も笑わず、次の音を待った。



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