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深い夜、水路荘では好きなものを持ち寄る  作者: 乾為天女


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12/21

第12話 忘れ物を届ける速度

 水路町立小学校の忘れ物棚には、片方だけの靴下が七つあった。


 「なぜ片方ばかりなんですか」


 ナサンは真剣に尋ねた。


 「両方忘れたら、履いて帰れないからだろう」


 イアムは答え、赤い靴下を小さな籠へ入れた。


 職場同行の三日目。


 ナサンは青果倉庫の夜勤明けに少し眠り、午前十時から小学校の用務補助へ同行していた。校長の許可を得て、水路に関係する校内設備の確認をしながら、イアムの日常業務を手伝う。


 忘れ物棚には、靴下のほか、鉛筆、連絡帳、薄い上着、水筒、名前のない鍵盤ハーモニカの管が並んでいる。


 「名前がある物と、ない物を分けます。学年ごとに箱を作れば、昼休みまでに全部返せる」


 ナサンは棚の前で作業順を書き始めた。


 「先に水筒を返す」


 イアムは青い水筒を持った。


 「順番なら、名前のある鉛筆が最初です。教室も近い」


 「この子は薬を飲む時に水がいる」


 次にイアムは薄い上着を取る。


 「それは六年生の教室で、反対側です」


 「昼休みになると、寒くても外へ出る子だ」


 「効率が悪いです」


 「同じ速さが親切とは限らない」


 イアムは廊下をゆっくり歩き出した。


 ナサンは予定表を見つめ、後を追った。


 水筒の持ち主は保健室にいた。上着の持ち主は、受け取ると礼を言うより先に校庭へ駆けていった。名前のある鉛筆は、届ける前に持ち主自身が忘れ物棚まで探しに来た。


 結果だけ見れば、イアムの順番の方が早く片づいた。


 「毎日見ているから分かるんですね」


 「毎日見ても、外すことはある」


 「外したら?」


 「次に変える」


 イアムは平然と言った。


 ナサンには、その平然さがまだ難しかった。


 昼休み、ベニーが小型の録音機を抱えて用務室へ来た。


 「イアムさん、雨どいの歌を録りたい」


 「今日は晴れている」


 「昨日のがある。聞く?」


 返事を待たず、ベニーは再生した。


 最初に鳥の声。次に、校庭を走る靴音。遠くで笛が鳴り、その下に低い水音が混じっている。


 『町の好きな音、六月一日。学校の端っこの石が、ごごごって言う音』


 幼い解説の後、三回ずつ区切るような音が入った。


 ごう、ごう、ごう。


 少し間があり、また三回。


 ナサンは録音機へ顔を近づけた。


 「別の日もある?」


 「あるよ。雨の日と、晴れの日と、給食がカレーの日」


 「給食は音に関係ない」


 「みんな走るのが速い」


 ベニーは得意そうに、いくつもの音源を再生した。


 五月二十八日。三回、三回、三回。


 五月三十日。二回、二回、長い一回。


 六月一日。三回、三回。


 アウネが水路荘の壁で聞いた周期と似ている。


 「上流の放水記録と比べたい」


 ナサンは手帳へ日付を書いた。


 「音で水量が分かるのか」とイアム。


 「水量そのものは無理です。でも、流れ方が変わった日なら分かるかもしれない。閉塞があれば、同じ放水でも周期が変わる」


 ベニーが胸を張った。


 「自由研究、大学?」


 「大学より先かもしれない」


 「じゃあ、名前を大きく書く」


 「書いていい。記録した人の名前は必要だから」


 ナサンがそう言うと、ベニーは録音機を抱いて走っていった。


 午後、二人は校庭の西端へ向かった。


 金網の近くに、地面と同じ色の石蓋がある。草を刈ると、中央に鉄の輪が現れた。


 イアムが周囲を確かめ、学校職員立会いの記録用紙へ時刻を書く。


 「町から許可が出たのは、蓋の確認までだ。中へは降りない」


 「分かっています」


 石蓋の脇には、小さな金属板が埋め込まれていた。


 鍵穴が二つある。


 ナサンは水路荘の壁から見つかった鍵を布袋から出した。イザベラが預けたもので、持出時刻も記録してある。


 右の鍵穴へ差す。


 抵抗の後、半分まで入った。


 少し角度を変えると、かちりと音がした。


 回る。


 だが金属板は開かなかった。


 「左にも鍵が必要です」


 左の鍵穴は同じ形に見える。


 二本を同時に回す仕組みなのだろう。


 「対鍵がある」とナサンは言った。


 イアムの顔から、わずかに色が消えた。


 「古い設備では珍しくない」


 「もう一本、どこにありますか」


 「知らない」


 「管理人だったんですよね」


 「ずっと昔の話だ」


 「この鍵が金属箱に入っていたことも、偶然ですか」


 「偶然だろう」


 返事が早すぎた。


 ナサンは追及しなかった。


 鍵を抜き、布で拭き、袋へ戻す。金属板と周辺を撮影し、時刻を記録する。


 帰り道、二人は旧水路に沿う細い坂を歩いた。


 イアムはいつもより遅かった。


 ナサンは、歩幅を合わせた。


 「発表で、数字を一つ間違えました」


 自分から言うつもりはなかった。


 だが、急がずに歩いていると、言葉が追いついてきた。


 「流量の単位を換算する時、桁を間違えた。途中で気づいた人がいたのに、僕は自分の方が正しいと思って説明を続けました。最後に全部止められて、先生が代わりに訂正した」


 イアムは前を見たまま聞いている。


 「間違えたことより、あの時、自分が正しいと思っていたことが怖いんです。また同じ顔で説明して、誰かに止められるまで気づかないかもしれない」


 「そうか」


 それだけだった。


 ナサンは少し苛立った。


 「励まさないんですか」


 「ラビーの仕事を取ると怒られる」


 思わず笑った。


 イアムも口元を緩めたが、すぐに戻した。


 「私も、判断を誤ったことがある」


 「水門で?」


 イアムは答えなかった。


 坂の下で、見えない水が石の奥を流れていた。


 「その時、誰かに止めてもらえましたか」


 長い間の後、イアムは言った。


 「止めようとした人もいた。開けろと言った人もいた。私は、自分で選んだ」


 「正しかった?」


 「今も、答えが一つに決まらない」


 水路荘の屋根が見えた。


 ナサンはもう一本の鍵について、再び尋ねなかった。


 話せる速度は、人によって違う。


 けれど、待つことと忘れることも違う。


 ナサンは手帳の最後に書いた。


 『対鍵一本。所在不明。イアムは知っている可能性あり。今は追及しない』


 その下へ、ベニーの音源の日付を並べた。


 忘れないための記録だった。



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