第9話 フィールドワーク④
二礼二拍手一礼。まずは参拝を済ませて、2人は目的の倉庫へと向かった。
鍵をかちゃりと開けて、言われた通りにそっと扉を開ける。横にスライドさせて開ける式の扉は、長年風雨に晒されて錆びつきギシギシと悲鳴のような音を上げた。古い倉庫ではあるが、窓が取り付けられているので、夕日が差し込む倉庫内は明るく、舞った埃が光を反射してキラキラと輝くさまは、どこか美しくも感じられた。
さっそく中に飛び込もうとした猫柳の襟首を、武藤がぐいと引っ張って止めた。ぐえっと声を上げて止まった猫柳が振り返る。
「ちょ、なに、武藤くん?」
「入り口からの倉庫内の全景写真を撮らなくていいのか?学部からの提出要件に書いてあったぞ」
「あっ!そういえばそうだ!!ちょっと待ってて!!」
がさごそとカバンをあさり、中からデジカメを取り出すといくつかの角度で室内の風景を収める。
「でも、よく知ってたね武藤くん」
「お前が資料と一緒に、フィールドワークについての詳細が書かれた書面を“勝手に”見せてきたからな」
「そうだったっけ?まあいいや、武藤くんのおかげで忘れずに済んだし!」
あはは!と軽く笑う、呑気な茶髪を殴りたくなる衝動を何とか胸の中で鎮めて、猫柳に続いて武藤も倉庫内へと立ち入った。中は埃っぽいが、作り付けの書棚に古い文献が収まっており、空いた壁のスペースには、なんだかよく分からないくずし字での文書が入れられた額縁なども飾ってある。
それらをふむふむと眺め、写真に撮れるものはデジカメで撮り、必要な文献があるか書棚を確かめる。
「古くから行われていた祭事、だったか」
「そうだよ。今はもうやってないって言ってたよね。……本当かな」
「どういう意味だ」
「祭りっていうとさ、なんか夏祭りとか、そういうのイメージしちゃうよね?でも、祭事って言うと、少しその意味が歪んでくる」
「歪み、というと?」
「神事に近い何か、かな。別に町や村全体でする必要もない。そして、そういったものは大体にして、神主がいなくても成立する」
「いなくても成立する……?」
「うん。極論を言えば誰でもいいんだ。『決められた手順で決められたこと』を行うことができれば。……あ、これっぽいな」
書棚から一冊の古びた紐綴じの冊子を取り出す。古い紙の匂いと、ほんの微かな墨の香り。この冊子は恐らく複写のない一点ものだ。
表紙には『祭事執リ行イノ記録』と書かれている。古めかしい文字だが判読が可能だ。しかしその冊子を捲ったところで、猫柳はうげっと眉を顰めた。
「どうした」
「……読めない……」
「ほう?」
しょんぼりした表情を向けてくる猫柳に、興味が湧いた武藤がその冊子を覗き込んだ。猫柳はひとまず解読は後回しにして、全部のページを写真に収めようとしている。
しかし、武藤にはくずし字が判読できる上に書かれている内容も理解できる。これまで積み重ねてきた古書店での隠れ読書が、いつの間にか武藤を“そういう風に”育てていたのだ。
「……えっと、『一、産土の社に於いて、七つまでの宵闇の内に自らの『名』を認めた紙を、古びた鏡の裏へ貼り置くべし。是れは、古より伝わる、』……っと、この字は……」
「ちょっと待って!待とうか武藤くん!!」
「ん?」
「武藤くん……これ、読めるの?」
「読めるが?」
「ちょ、ちょっと待ってて!!今タブレット出すから!!打つから!!読んでお願い!!」
「こういうのは……自分で調べるからこそ勉強になるんじゃないのか?」
「いいの!立ってる者は武藤くんでも使う!!」
「……駄猫め」
いそいそと準備を始める猫柳を横目に、武藤はそう呟くと、手渡された冊子をぺらりと捲ったのだった。
猫柳にとって、武藤がいわゆる『古文書』と呼ばれるものをスラスラと読み上げたことは、驚きを隠せないものだった。確か彼は自己紹介で法学部と言っていたはずだが、法学部は古文書も読むのだろうか?……そんなわけがない。
猫柳は思い切って訊ねてみることにした。
「ねえ武藤くん」
「なんだ?」
「どうして、これ読めるの?」
「なんだ猫柳、民俗学専攻のくせに読めないのか?」
「民俗学専攻1年生なの!俺は!!」
「……馬鹿猫か」
ぽそっと小さく、しかし自分に聞こえるように武藤が言う。
「はぁ?なんか言った!?」
「別になんでもない。俺のバイト先……」
「ああ、今朝会った古書店?」
「そこで覚えた」
「……は?」
「古い物語を原文で読んでたら……いつの間にか」
「え?」
「いや、だから……浮世物語とか、源氏物語とか、探せばあるだろ?」
「あるけどさ……現代語訳版とかじゃなくて?」
「じゃなくて、だ」
「ふっ……あっははははは!!武藤くんって面白いねぇ!!」
まさか、そんな覚え方をする人間がいるとは。武藤のような人に出会ったのは初めてで、猫柳は笑いが止まらなかった。今までより俄然興味が増した。
しかしその笑いを武藤が悪い意味に捉えたのか、憮然とした表情で「準備できたなら読むぞ」とぶっきらぼうに告げてくる。タブレットのメモ帳を立ち上げた猫柳は、「いつでもどうぞ」と応えた。
……だが。
「一、産土の社に於いて、七つまでの宵闇の内に自らの『名』を認めた紙を、古びた鏡の裏へ貼り置くべし。是れは、古より伝わる『影拾い』の義にして、鏡の」
武藤が読み上げるのを聞きながら、猫柳は必死にタブレットへ打ち込んでいる。しかし武藤が読み上げる速度が早すぎてタイピングが追いつかない。
「ちょっと待って、武藤くん早い早い!!」
「そうか?」
「もっとゆっくり読んで!?」
「十分ゆっくり読んでやってるつもりだが……」
「うん!お互いの認識に差があるね!!あー!!タイプミス!!やり直しー!!」
「……意外と鈍くさいのか?鈍猫か」
「なんか言った!?」
「別になにも。で、どこからやり直しだ?」
「えっと、<七つまでの宵闇の内に自らの『名』を>の後から」
「ほとんど最初の方じゃないか!お前は何をやっているんだ!!」
「だから、武藤くんが読むの早いんだってば!!もっとゆっくり!こう、子供たちに絵本を読み聞かせるようにゆーっくりと」
「アホ猫が。……しょうがないな」
ふぅとため息をついて、武藤はことさらゆっくりと、おとぎ話を小さな子供に語り聞かせるように、静かに読み上げ始めた。
次回へ続く!!
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