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第6話 フィールドワーク①

 猫柳は少々焦っていた。初夏に入る前のこの時期に、やっておきたいフィールドワークがあったのだが、文芸サークルに顔を出しては雑談し、同じ学部の友人と遊び回り、女の子たちとテーマパークに行くなどして、青春を思う存分満喫していたところで。


 レポートの締め切りが目前に迫っている、という現実が待っていた。


 さすがにこれ以上フィールドワークを後回しにすると、レポートが間に合わない。6月のじめっとした湿気のある季節ではあるが、猫柳はようやく重い腰を上げたのだ。

 余談だが、彼は夏休みの宿題を、8月31日になって無駄にあがくタイプである。




 今回のフィールドワークはさほど遠方ではなく、鈍行電車で3時間、さらにバスで40分ほどの所にある村。都心部より少し離れた郊外から、さらに外側にある過疎地の田舎だ。

 問題は、猫柳がそのフィールドワークに関して何の前準備もしてなかったことだ。現地の資料すら持っていなかったのだ。

 そんなわけで、朝イチの開店を待って、大学近くの古書店へ猫柳は飛び込むこととなった。

「すいませーん!〇〇地方の郷土資料探してるんですけど、どの辺ですかー?」

「ああ、郷土資料系は今ちょうどいるところの右の棚、1番上の段から3段目までが全部そうです」

「あざーっす!……って、あれ……確か武藤くん……だよね?」

「もしかして、……猫柳……?」

「あー!やっぱりそうだ!!なに、武藤くんここでバイトしてんだ?」

 資料を探しに来たのだろうに、武藤のいるレジの方までやってきて、猫柳は相変わらずのふわふわした猫っ毛の茶髪を揺らして笑いかけてきた。

「あんまりサークルの部室で見かけないからさ」

「一応、いるにはいる」

「へ?いつ!?」

「お前が来ると部室内がうるさくなるから出ていってるだけだ」

「ひどい!!」

「ひどくない。静かに読書をしたいと思って何が悪い」

「うーん……それは、確かに……?」

 武藤のそっけない言葉に、特に表情を変えることもなく猫柳は笑ったまま首を傾げていた。それが何だかいけ好かなくて、武藤は猫柳を放置して手元にある本の修繕作業に入る。視界に入れるだけでも、何だかうるさい存在なのだ、この猫柳という男は。


(……あれ、そういえば……)


 ふと武藤は思い出す。猫柳のフルネームが思い出せない。そして続けて思い出すのは新歓での自己紹介。あのとき、苗字だけで自己紹介をしたのは自分だけだと思っていたが、そういえば猫柳も苗字しか名乗っていなかった。どうしてかは興味がない。名を呼ぶなら苗字が分かっていれば十分だ。

「あ、そうだ、ねえ武藤くん」

「まだいたのか」

「ちょ、お客に対してその接客はなくない!?」

「他のお客様にはちゃんとしている」

「そんな特別いらないよ!あのさ、武藤くん。これから俺フィールドワークに行くんだけど、一緒に行かない?」

「行かない。」

「えー、一緒に行こうよ。楽しいよ?」

「そもそも俺は法学部だ」

「だから、武藤くんは観光?みたいな気分でいいんだって」

「なら他の奴を誘えばいいだろう」

「だーかーらー、俺は武藤くんがいいんだってば!」

「……なぜ?」

「んー、まだサークル内でちゃんと仲良くなれてないの、武藤くんだけだから」

 猫柳の言葉に一瞬武藤は言葉を詰まらせた。仲良くなる……必要あるのか?

「とにかく、お前に付き合うのはお断りだ」

「うーん強情だなぁ。じゃあ、これください」

 困ったように笑って、猫柳は手にしていた本をレジ台に置いた。必要な本を手に取っていたのなら、さっさと会計して帰ってほしかった、なんてことを武藤は考えてしまう。

「あ、すぐ使うから袋はいらないでーす」

「分かった。じゃあこれ。……ああそうだ、アリガトウゴザイマシタ」

「なんで取ってつけたような言い方かなぁ!?」

「だから、他のお客様にはちゃんとしている」

「じゃあ俺だけってこと?なんで!!俺のことそんなに嫌い!?」

「嫌いとまでは……たぶん思ってない」

「たぶん!?」

「……だが、好きでもない。特に誰にでもヘラヘラ笑ってるような奴はな。嫌いなものを好きと言える神経も理解できないし、腹の底が見えん」

「うわぁ、俺の印象サイアクなんだねー……まぁいいや。じゃあ武藤くん、またね」

 手をヒラヒラ振ると、猫柳は店の外に出た。太陽はまだ真上に辿り着いていない。朝イチからいたのだ、恐らく昼過ぎにはバイトが終わるだろう。


「さーて武藤くん、俺は結構しつこいからね、覚悟しろよ……?」


 自分の猫被りに気がついて嫌悪を示したのは武藤が初めてだ。実に面白い。

 もう少し一緒にいてみたくて、猫柳はバイト終わりの武藤を拉致し、フィールドワークに連行することを、すでに心に決めていた。





「むーとーうーくん♪」

 13時。バイトが終わり裏口から出た武藤は、後ろからの声掛けに一瞬ビクリと肩を竦ませた。足を止め恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは今朝がた会ったばかりの猫柳。なぜこんな所をうろついているのかと考え、武藤はとてつもなく嫌な予感に襲われた。

「ね、猫柳……お前……!?」

「武藤くんがバイト終わるの待ってたんだ」

「どうして……」

「一緒に遊びに行きたかったから」

「は……?」

 にこにこと人の好さそうな笑みで、猫柳はいつの間にか武藤との距離を詰めていた。ぐっと腕を掴まれたことで、武藤がようやくそのことに気づく。

「遊びにって……まさか、」

「うん、フィールドワークっていう、遊び」

「それって、」

「もちろん今からだよ?」

「は?嘘だろう!?せめて準備とか……!!」

「それだと武藤くん、絶対逃げるじゃん。だからこのまま行こう。大丈夫、遠くないから。運が良ければ日帰り、悪くても一泊で帰れるしさ」

「ちっとも大丈夫じゃない!!」

「まあまあ、とりあえずお昼食べに行こうよ。奢るからさ」

 奢るという言葉に一度ぐっと声を詰まらせてから、「牛丼特盛」と武藤が言うと猫柳は「お安い御用だよ」と頷いた。これは、武藤の敗北ではない。バイトをしながら生活している学生は、みな一様に『奢り』という言葉にとても弱いのである。





次回へ続く!!

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