第21話 友人というものについて考えてみる①
あの雨の日から2日が経った。あの後、ほんの少し元気を取り戻した猫柳は、乾かした服を着て帰っていった。しかし、それからの連絡がない。昨日も部室で会わなかったし、特に連絡が入ることもなかった。
だが、その沈黙はまた唐突に破られた。猫柳からの着信によって。
「武藤くん助けて……」
「……どうした?」
普段より弱々しい声。まっすぐに助けを求めてくる猫柳の言葉。
「風邪……引いちゃったみたいで」
「ああ……なんとなくそんな気はしてた」
「俺、あんまり風邪とか引いたことなくて、それで、」
「何だか分かるな。馬鹿は風邪ひかないとか言うからな、馬鹿猫」
「ひどいなぁ……」
刺すような言葉でも、あくまで武藤の口調は柔らかい。それに猫柳がくすくすと笑いを零すが、その笑いはすぐに咳きこむ声に変わった。
「病院は?」
「行ってない。市販薬で治るかなぁって……」
「じゃあ、風邪薬は飲んでるんだな?」
「うん」
「分かった。じゃあ、何か食べやすいものと飲み物を買って、そっちに行く」
「え、でも、うつったら悪いよ……」
遠慮がちな猫柳の言葉に、武藤ははぁ、と大きなため息を零した。電話越しに、猫柳が息を呑んだのが分かる。
「おい風邪猫。だったらどうして俺のところに電話してきたんだ?」
「……ッ」
「助けてと言ったろう?だから俺はできる範囲の助けをしに行く」
「でも、」
「大丈夫だから、そのまま寝て待ってろよ、いいな?布団からは出るなよ?」
そう声をかけて、武藤は通話を切った。スマホで時間を確認する。現在22時45分。駅前のドラッグストアならまだ開いている時間だ。
「…………よし、行くか」
看病に必要そうなものを脳内でリストアップすると、武藤は財布とスマホだけを持ち、上着を羽織って外へ出たのだった。
猫柳の自宅はオートロック式のマンションなので、エントランスへ入る自動ドアの段階でまず鍵を開けてもらう必要がある。本当はベッドでじっとしていてほしいものだが、こればかりは仕方がない。部屋番号を入力してインターホンを押すと、ぷつ、と一瞬応答するような音がしたが、スピーカー越しには何も聞こえず、ただ自動ドアの鍵がカチャンと開いた。
(…………猫か……?)
猫柳の部屋番号なのだから、猫柳がしたことで間違いないだろうが、誰何の声がなかったことに戸惑いながらも中に入る。そして部屋前でもう一度玄関扉横のインターホンを押そうとして、その前に玄関の扉が内側から開かれた。
「あ、やっぱり、武藤くんだ」
「お前な……せめて誰が来たのか確認ぐらいしろ」
「いや、モニター画面で見れるから」
「……そういや高等遊民だったな。手を洗いたいから洗面台を借りるぞ。あとお前はベッドに戻っていろ」
「うん」
気の抜けた顔で笑う猫柳の顔は赤い。体を冷やすのは良くないと思い、武藤は彼の背中を促すように押して、部屋に入っていった。
事前にドラッグストアでマスクと除菌ジェルも買っておいたので、武藤はまず洗面台に向かい手洗いとうがいを済ませ、さらに除菌ジェルを手に塗りたくり、マスクを装備する。それをなぜかぼんやり立って眺めていた猫柳の額をぴしゃりと軽く叩くと、腕を引いてリビングの中に連れて行った。
「だから、ベッドに行けと言っただろう」
「いや、なんか……気がついたらずっと見ちゃってた」
「まったく。熱は計ったのか?」
「夕方に計ったっきりかなぁ……」
「じゃあ、もう一回計れ。体温計は?」
「ベッドのとこ…」
よいしょ、と声を出しながら猫柳はベッドに上がり、枕元に置いたままの体温計の電源を入れて脇に挟む。その後はずっと、何かしら動いている武藤を眺めていた。
いろいろ買ってきてくれたらしく、冷蔵庫に飲み物やゼリー飲料を入れたり、シンク横の小さなスペースにも他にいくつか出していた。ぼうっとする頭で、そんなに必要なものってあったのかな、などと思いつつ。
すると、いつの間にか傍に来ていた武藤が、ほら、と手を差し出した。
「へ?」
「体温計、さっき音が鳴ったぞ。見せてみろ」
「あ……うん」
いつの間に計測が終わっていたのかまったく気がつかなかった。猫柳は自分では確かめず、素直に体温計を武藤へと差し出す。その数字を見た武藤の眉がわずかに顰められた。
「38度8分か……結構あるな」
「そうなの?」
「夕方の時はどうだった?」
「えっと、38度3分ぐらいだったっけ……」
「夕飯は?」
「あ……そういや食べてないや」
「食ってないのに風邪薬を飲んだのか?」
「あ、違うよ、飲んだのは昼飯の後。その後は何も食べてないし薬もまだ」
「水分は取ってるか?」
「……えっと、さっきまで寝てたから……あはは」
「笑うな」
誤魔化した段階で答えなど明白だ。買ってきて良かったと思いながら、武藤は冷蔵庫からスポーツ飲料のペットボトルを取り出してくる。キャップを外すと、猫柳の手に握らせた。
「まずは水分だ。飲め」
「え?」
「何か食ってもらいたいが、それよりもまずは水分だ」
「……うん」
某有名スポーツ飲料を一口飲む。その時にようやく自分は喉が渇いてたのだと実感したのだろう、猫柳はごくごくと一気に半分ぐらいを飲み込んだ。
「ぷはーっ。染み渡るぅ……」
「それだけ水分が足りてなかったんだろうな。それはそのままベッドの所に置いて、飲みたい時に飲んどけ。1時間後に空になってなかったら、強制的に口に突っ込む」
「え、ひどい!」
「ひどくない。必要なことだ。あとは何か食うか……食欲は?」
「さすがにないかな」
「だろうな。レトルトのお粥かゼリー飲料なら、どっちが入りそうだ?」
「うーん……たぶん今だったらお粥も入るかな……」
「じゃあその方がいい。準備するから横になってろ」
「え?あーんしてくれるってこと?」
「馬鹿猫が。できたら起こすに決まっているだろう」
「ちぇー」
もぞもぞと衣擦れの音がして、ベッドに丸い塊ができた。ちゃんと布団に潜ってくれたようだ。それを横目で確認しながら、武藤は適当な皿にレトルトパウチのお粥を注ぐ。電子レンジで温めれば、それで出来上がる優れものだ。共働きの両親の代わりに、風邪を引いた弟の面倒を見る時など、非常に重宝した。
レンジが動いている間に、他に買ってきたものを見る。冷えピタと解熱剤だ。しかし、あの体温であればもう一手ほしいなと考えて、手近なところをあさる。ビニール袋はある。輪ゴムはない。ないが、できればほしい。そして冷凍庫を覗き見る。やっぱりない。
(もう一度、近くのコンビニに行くか……)
そう考えている内にレンジが合図を鳴らしたので、武藤は中から皿を出す。ラップを剥がすとふわりと湯気が昇り、出汁のいい匂いを運んでくれた。スプーンで軽くかき回す。元気でも美味そうに見える玉子がゆだ。
「おい猫、起きられるか?」
「んー……」
呼ばれてむくりと起き上がった猫柳の膝に、武藤が玉子がゆとスプーンを載せたトレーを置いてやる。
「いい匂いする……」
「無理に全部食わなくてもいい。入るだけにしろ」
「はぁい。いただきます」
両手を合わせて力なく言うと、猫柳はスプーンを手にもそもそを食べ始める。それを確認してから、武藤が口を開いた。
「すまん。もう少し買いたいものがあるから、あとで外に出たいんだが、この家の鍵を借りていいか?」
「え……?」
「いちいちお前にベッドを出てもらうのも悪いからな。勝手に行って勝手に戻ってくる。心配するな」
「戻ってくる?」
「当たり前だ」
「あー……俺の部屋の、机の上の財布。その中。財布ごと持ってってもいいよ」
「馬鹿猫。そんなことできるか」
猫柳が起きている内にと武藤は彼の部屋に入る。財布はすぐに分かったが、鍵がどこに入っているのかまでは分からなかったので、財布ごとリビングに持ち出すことにした。
相変わらずの混沌とした部屋だったのは、今は見ないことにしておいた。
次回へ続く!!
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