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第20話 雨の日

 夏のコミケも順調に終わり、サークルメンバーが集まっての講評会も済ませ、気がつけばカレンダーは10月になっていた。

 今日は必修の講義もないし、バイトもシフトが入っていない。外は本格的な寒さを運ぶ大雨が降っている。これが止んだらまた一段と外は冷えるのだろう。

 こんな日はまったりと家の中で過ごすに限る。お気に入りの本を読んだり、ソファに寝そべってテレビを見たり。ざあざあと外から聞こえてくる雨音をBGMに読む小説は、雰囲気も相まってまた格別に良い。なんて贅沢な一日。

 そう思っていたのに、それは唐突に鳴ったインターホンの音で簡単に壊されることとなった。




 正直この家のインターホンなんて、回覧板や宅配便、セールスなどでしか鳴ったことがなかった。だから今回もそうだと、大雨の中ご苦労なことだと、そんな気持ちでドアを開けたのだが。

「え、……猫?」

 そこに立っていたのは、とても見慣れた、しかし見慣れない表情をした、猫柳だった。傘もなく歩いてきたのか、ジャケットから靴まで余すところなくずぶ濡れになって、ただ所在なげに突っ立っている。

「急に雨に降られちゃってさぁ、雨宿りさせてくんない?」

 ふっと顔を上げて笑う猫柳の目尻から、雨とは違う涙の筋がいくつか流れ、その声音は、なにかを必死で堪えるかのように少し震えていた。

 とりあえず武藤は猫柳の腕を引いて、一歩玄関の中に入れると、そこで待つよう手で制した。

「そうか……災難だったな。ちょっと待ってろ」

 そう言って武藤は一旦部屋に入ると、フェイスタオルを持って戻ってきた。急に降られたなど、馬鹿な言い訳をするものだ。雨なら早朝からずっと降っている。

「わぷっ」

 武藤はタオルを猫柳の頭に被せると、まるで濡れた動物を扱うかのように、わしゃわしゃとかき混ぜるように拭いた。猫柳の下手な誤魔化しにちょっとした苛立ちも加わり、だいぶ強めにぐいぐいとやってやる。あれで隠せているとでも思っているのか。


「……おい化け猫。皮が剥がれてるぞ」


 あっという間に移った水気でタオルがしっとりと濡れてくる。このアホ猫はいつから外をさまよっていたのだろうか。

 そして、辿り着いた場所が――――ここだったのか。

「ねぇ、ちょっと武藤くん、痛いよ……?」

「泣くほど痛かったか。それは悪かったな」

「……ずるいなぁ、武藤くんは……」

 まだ拭く手を止めない武藤の手首を取って、やんわりと掴む。もういい、タオルなんて、もう要らない。

「あ、あのさ、武藤くん……あの、」

「……どうした?」

「俺……うまくできなかった」

「そうか。風邪ひくから早く中に入れ。あ、靴下も濡れてるならそれも脱いでこい」

 あっさりと頷いてみせると、武藤はそう言って洗面台の方へ行き、横にある洗濯機の中にタオルを放り込む。それから奥の風呂場の戸を開けると、湯船にお湯を溜め始めた。

 そうして戻ってきてみれば、猫柳はまだ玄関に立っている。まるで入ることを遠慮するかのように。普段なら笑顔でズカズカ入ってくるのに、下手な遠慮は逆にこちらを苛立たせるだけだ。

「何してるんだ、早く入ってこい」

「武藤くんは……何も聞かないんだね」

「いや、ちゃんと聞いた」

「え?」

「猫が自分で言ったんだろ、うまくできなかった、って」

 武藤の言葉に猫柳が唖然とした顔をする。あんな一言で伝わったというのか。

「ほら、濡れたものは全部脱げ。ジャケット以外は洗濯しておいてやる。乾燥機のついてるうちの洗濯機に感謝しつつ、風呂に入ってこい」

 腕組みをして尊大に言い放つと、武藤はバスルームの方をくいっと顎で指した。遊びに来たことは何度もあるが、ここまで世話になるのは初めてかもしれない。そう思い至って、猫柳はふっと苦笑を滲ませた。

「じゃあ……お邪魔します」

 靴と、中で濡れていた靴下も脱ぐと、猫柳は素足で武藤の部屋へと入る。しかし奥には通されず、まずは風呂だと行き先は決められていた。素直に従ってバスルームに入っていく猫柳の背に、武藤が軽く声をかけた。

「ジャケットはこのまま部屋で乾かしておくから、他の服は全部洗濯機に放り込んでおけ。着替えは適当に用意しておく」

「うん、分かった」

 武藤の言葉に猫柳がそう返事をして、バスルームのドアを閉めた。そのドアを睨みつけるようにして、武藤が呟く。

「お邪魔します、か。……いつもはそんなこと言わないくせに」





 猫柳が風呂に入っている間に、着替えをどうするかで武藤はしばし悩んだ。下は膝下丈のハーフパンツにした。下着はそう都合よく新品など持ってないので、ハーフパンツをそのまま履いてもらうことにする。どうせ洗濯して乾かすのだ、帰る前にパンツをちゃんと履かせれば問題ないだろう。もちろんハーフパンツはそのまま洗濯機直行にする。

 問題は上だ。Tシャツのサイズがたぶん合わない。身長もあるが、猫柳はアウトドアタイプなので、それなりに筋肉がついているしっかりした体型なのだ。などと考えていると、自分との違いをハッキリ自覚してしまって、武藤は自爆した。

 だが、こういうことは他責にするに限る。猫柳の身長が高くて、体格がそこそこしっかりしているのが全部悪いのだ。恐らく自分にピッタリのシャツは、猫柳にはピチピチになるだろう。それはそれで腹が立つしシャツが伸びる。そこまで考えて武藤はふと気づいた。だったらもう、着古して自分でもぶかぶかに感じる伸びきったシャツを提供すれば良いのだと。

 洗面台のある脱衣所を覗くと、まだシャワーの音がしている。蓋を閉めた洗濯機のスイッチを入れて、その上に着替えを置くと武藤はバスルームの中の猫柳に声をかけた。

「着替えとバスタオル、置いておくからな」

「……ありがとう」

 ありがとう、なんて殊勝な言い方、こっちの調子が狂ってしまう。なので。

「ちなみに下着はないから、下は用意したやつをそのまま履け」

「うん。って、……は?どういうこと!?」

「どうもこうも、そのままだ」

「俺のパンツは!?」

「残念ながら今、洗濯機の中で回転している真っ最中だ」

「うそぉ……」

「俺は気にしないから、まぁしっかり温まってこい」

 いつもの調子で返ってきた言葉に少しだけ胸のすく思いがして、それに満足すると武藤は脱衣所を後にした。





「お前な……」

 バスルームから出てきた猫柳の姿に、武藤は呆気に取られていた。服はいい、ちゃんと着ている。しかし、頭から被ったバスタオルの中の髪からは、ぽたぽたと雫が落ちてきていて、まともに拭いた形跡が見られない。

「本当に、手のかかる奴だな……お前は」

 そう言いながら猫柳をソファに座らせ、武藤はもう一度、今度は優しく拭うようにバスタオルで髪の水気を取ってやる。ひとしきり拭いて満足すると、バスタオルをもう一度頭に被せて、まだ俯いている猫柳をそのままに、武藤はキッチンへと向かった。

 マグカップを取り出し、牛乳を入れて温め、そこに砂糖をひとさじ。スプーンでくるくるとかき混ぜると、それを猫柳の前のテーブルに置いてやって、武藤はようやく猫柳の隣に腰を下ろした。

「……これ、なに。武藤くん」

「ホットミルク」

「それは分かるけど……」

「凍えてる猫には温かいミルクが鉄板だろう?」

 そう言われて、猫柳はバスタオルの下で軽く目を見開いた。武藤が自分のために、ここまで心を砕いてくれる。今まで迷惑やウザ絡みしかしてこなかったのに。

 手にしたマグカップから甘い湯気が立ち昇る。こくりと一口飲んで、猫柳はふふ、と柔らかい微笑みを零した。

「……あったかいや」

「そうか。……それは何よりだ」

 あくまで武藤は猫柳にそっけなく、なんなら隣で雑誌を開いていたりする。自由に過ごせということなのだろう。それが分かるぐらい、いつの間にか自分はずっと武藤の傍にいたようだ。


(……やっぱり、好きだなぁ)


 武藤と軽口を叩きあうのが楽しい。いろんなことに迷惑そうな顔をしつつも付き合ってくれるのが嬉しい。レポートを手伝ってくれるのもありがたい。そして、こうやって落ち込んでる時に何も聞かずに傍にいてくれるのが優しい。

 この場所は、自分にとってとても心地いい。武藤の部屋ではなく、武藤の隣が。

 マグカップを持ったまま、こてんと首を傾けて武藤の肩に頭を乗せ、少しだけ甘えてみる。武藤は鬱陶しそうにバスタオルを払っただけで、何も言わず猫柳の好きにさせていた。







次回へ続く!!

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