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第19話 化ける猫

旧版『化ける猫と黒縁眼鏡』は公開を終了しました。

今後は本改稿版に一本化します。

旧版にはなかった新規エピソードも追加しておりますので、引き続きお楽しみいただければ幸いです。

「参ったなぁ~……。そろそろ時間なんだけど」

「連絡つかないか?」

「はい」

 部長と環が困った様子を隠しもせず、重苦しい吐息を零した。今日はサークル内で、冬の文芸誌に向けてのページ数割り当て会議の予定なのだ。すでに部員はほぼ全員揃っている。いないのは、たった一人。

「猫くん、どうしたんだろ。都合が悪くなったのならなったで、必ず連絡はくれる子なんだけどなぁ」

「先に始めてもいいが……ペナルティで猫のページ数割り増ししてやるか」

「部長、さすがに可哀想ですよ~」

 この大事な打ち合わせについては、半月ほど前から連絡がきていた。もちろん武藤もそれに合わせて、バイトのシフトを調整してある。恐らく他の部員もそうだろう。だが、猫柳だけがいないのだ。

 しばらく考えを巡らせていた武藤が、はい、と静かに挙手をした。

「俺が馬鹿猫探して連れてきます。少し待っていてもらえませんか?」

「え、それはいいけど……武藤くん、猫くんがどこにいるか知ってるの?」

「それは分かりませんが、大体のアタリはつけてます」

「うん、じゃあ頼んでもいいかな、武藤」

「はい。見つけたらすぐに連絡を入れます」

 部長の柿原に頷いてみせると、武藤はスマホだけを手に部室を出て行った。




 どこを探すのが最適だろうか。そう考えて、とりあえず武藤は猫柳が普段使っている、文学部の教室がある棟へと向かった。その間も猫柳にコールを入れているが、応答はない。正直な話、部長にああは言ったが、教室にいなかったらお手上げである。なぜなら、猫柳は顔が広く学部の内外に知人や友人が多い。大学内でいえば、どこにいてもおかしくない人間なのだ。

 棟の出入り口へ近づいたところで、武藤は声をかけられた。

「あれ?なぁ、あんた、あの時の!!」

「……え?」

「えっと……武藤……だっけ?前に猫のレポート提出の伝言頼んだの!」

「ああ、あの時の……猫と同じグループだった?」

「そうそう!あの後すぐレポート渡されて超助かったぜ!ありがとうな!!」

「いや、大したことじゃない。それより、その駄猫を見てないか?さっきから探しているんだが……」

「猫?ああ、たぶん演習室Cにいるんじゃねぇかな」

「演習室?」

「ああ。授業の最後に教授がさ、超ダリィ頼みごとしてきてさ、誰も手を挙げずにいたら、猫が立候補してくれてよ」

「それは……」

「いやぁ、マジ助かったわ。俺らを解放してくれた猫神様に感謝だぜ。じゃあな、武藤!」

「あ、ああ……」

 その男は笑いながら言うと、機嫌よく口笛を吹きながら去っていった。


(猫が一人で……誰も手伝っていないのか……?)


 同じグループの人間すらそうなのだ、他の学生もすでに帰っているのだろうということは簡単に想像できる。

「……演習室C……だったな」

 そう呟いて、武藤は棟の中に入っていったのだった。





 棟の2階に演習室Cはあった。夕暮れの日差しの中、猫柳は一人でせっせと作業を続けている。廊下はしんと静まり返っていて、この階にはもう誰もいないようだった。

 開きっぱなしになっているドアから静かに武藤は中を覗いた。たくさんの紙の山に囲まれて、猫柳は表情もなく黙々と作業をこなしている。時折、パチン、パチンとホッチキスの音だけが響く。

 武藤の所見では、猫柳は表情がなくとも焦っている風に見えた。もしかしたら会議のことを覚えているのかもしれない。もう一度武藤は猫柳のスマホへと電話をかける。しかし、着信音が鳴らない。


(……マナーモードのままなのか)


 だとすれば、最後のコマが終わった後、ずっとここにいた可能性が高い。小さな吐息を零して、武藤は開いたままのドアをコンコン、とノックした。

 それに気づいた猫柳が顔をあげる。

「はいはーい、なに~?」

 猫柳は笑顔を見せて、ドアへと顔を向けた。そして武藤の姿を認めてきょとんとする。

「あれ?武藤くん……なんでここに?」

「お前を迎えに来た。今日、サークルで会議がある日だろう?」

「あ!!」

 まるで、今思い出しましたとでもいうかのような顔をして、猫柳はあわあわと焦りを見せる。

「やばっ、忘れてた!!部長にどやされる!!ていうか武藤くん、連絡くれたら良かったのにさぁ!!」

「している。今もな」

 そう言って、武藤は手にしている自分のスマホを猫柳に向けた。自分に向けてコール中の画面を見て、猫柳が慌ててポケットからスマホを取り出した。

「しまった……マナーモード切ってない……」

「だろうな」

 そう答えて、武藤が室内に入った。

 武藤は猫柳の言う「サークルの会議を忘れてた」という言葉をどこか信用できずにいた。猫柳は最初から無表情の中に焦りを滲ませていた。それは、この後の予定を忘れていないように感じられたのだ。そしてノックした時に顔をあげた猫柳は、もう笑顔になっていた。きっと誰が訪れても、同じようにその笑顔で応じていたのだろう。その後の表情は、相手が武藤だと気づいて生まれたもののように受け取れた。

「まったく……何をやっているんだ」

「あははは、いや、帰り際に教授に頼まれごとしちゃってね」

 長机の上に置かれたコピー用紙の山。それはページごとに分けられていて、1枚ずつ取ってはホッチキスで留める作業らしい。

「コピー機で自動丁合しなかったのか?」

「いや、コピー自体は教授が気を利かせて先にやってくれてたんだよね。でも、どうもその辺の操作はよく分からなかったみたいで」

「それでこの有様か」

「いや、面目ない」

「……お前が謝ることじゃないだろう」

 ふう、と吐息を零すと、武藤は猫柳に問いかけた。

「それで、どうすればいい?」

「え?」

「1人より2人の方が早く終わる。これは……ページごとに1枚ずつ取っていく感じか?」

「う、うん。よく分かったね?」

「中学の頃の文集作業を思い出すな。ホッチキスは1つだけなんだろう?俺が1枚ずつ取っていくから、猫がそれを留めていけ」

「え……手伝ってくれるの?」

「みんなを待たせている。さっさと終わらせるぞ」

「う、うん……」

 武藤がさっさと作業に手を付け始めるのを、猫柳はどこか戸惑ったような顔で眺めていた。





 時間はゆっくりと過ぎていく。もちろん部員を待たせている以上、2人とも手は休めていない。1人が2人になったぶん、作業速度も確実に上がっている。それでも猫柳には、時計の針まで妙にゆっくり進んでいるように感じられた。

 これはあくまで猫柳の体感だ。だが、なぜそう感じるのか。猫柳自身にも、まだ分からずにいた。

 武藤が1ページずつ用紙をとり、それを猫柳が受け取り揃え、ホッチキスで留める。ただそれだけの作業だ。しかし1部が18ページあるのを、80部。一人では一体何時になっていたことか。猫柳から作業内容を聞いた武藤は、ため息が出そうになるのを何とか押し殺した。

「でさ、教授は誰かにやってもらいたいけど、学生は全員お断りしますって感じの睨み合いが続いちゃって。埒が明かないなって思っちゃってさ」

「それで猫が手を挙げた、というわけか」

「うん。あはは、そういうことだね」

「お前だって今日の会議は忘れてなかったんだろう?断らなかったのか」

「……ふふ、ど忘れしちゃってたんだよ。おかげで今こんな状態」

「仕方のない奴だ」

「でも、武藤くんが来てくれて正直助かったよ。1人だったら何時になってたのやら」

「……同じ教室の奴らは、誰も手伝わなかったのか」

「うーん……みんな用事あるみたいだったし。応援や感謝はいっぱい貰っちゃったけどね、あはは!」

「用事という意味では、お前にだってあっただろう」

「だーかーらー、忘れてたんだってば!!ははは、ホント、やっちゃったなぁ」

 恐らくそれも嘘ではないのだろう。猫柳は『忘れていたことにした』のだ。しかしいろんな状況が武藤に教えてくる。猫柳が一生懸命被っている猫の皮。その下にある感情を。

「……お前は、作り笑いがうまいな」

「え?」

「たぶんお前の友だちや仲間は、その笑顔に安心している。猫は自分から立候補した。笑顔で引き受けた。だから自分たちはありがとうと声をかけるだけで、猫は笑顔で解放してくれると」

「武藤くん、何を……」

「お前は、……嫌な時ほど、綺麗な笑顔をする。完璧な作り笑いを」

「…………。」

「別にお前を責めてないし、今後も責めるつもりはない。それがお前のやり方なら、それでいいと俺は思うぞ」

 思わずホッチキスを持つ手を止めて、猫柳は武藤の方を見つめた。武藤は怒るでも呆れるでもなく、ただ事実を淡々と述べる。

「でも、……」

「お前が周りとうまくやるためならそれでいい。だが、それがつらくなった時は、抱えずに俺に全部吐き出せ」

 手が止まっているぞと武藤に言われ、猫柳は再びパチンとホッチキスで紙を留める作業に戻る。その単純作業の中で、ぼんやりと思考が回り出す。

 愚痴を吐いてもいいのだろうか。それを話しても嫌いにならないのだろうか、武藤は。

「じゃあ……この作業をしてる間だけ、俺の話、聞いてくれる?」

「ああ。ところでお前、部長には連絡を入れたのか?」

「うわわ!!忘れてた!!やば、今からでも大丈夫かな!?」

「そんなことだろうと思った。俺がもう連絡しておいたから安心しろ」

「え……?」

「駄猫を確保しました。もう少し時間がかかるので、会議は先に始めてください、ってな」

「そっか……。――――良かったぁぁ」

 そう言って脱力したように机に突っ伏した猫柳は、どこかふにゃりと気の抜けた笑みを零していた。







旧版『化ける猫と黒縁眼鏡』は公開を終了しました。

今後は本改稿版に一本化します。

旧版にはなかった新規エピソードも追加しておりますので、引き続きお楽しみいただければ幸いです。


次回へ続く!!

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