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第9話:ホームセンターの奇跡と、小屋の快適化

「……それでは、真昼殿。明朝もまた、定刻に参上する」


三杯の白米と出汁巻き卵、そして鮭の塩焼きを綺麗さっぱりと平らげたジークフリートは、名残惜しそうに空になった土鍋を見つめたあと、居住まいを正して立ち上がった。

その顔色は、昨日出会ったときの死人のような蒼白さが嘘のように血色良く、全身から満ちあふれる覇気はまさに歴戦の騎士団長そのものだった。ただひとつ、腰に下げた剣帯の横で、真昼が手渡したお土産の「余ったご飯で作った小さなおかかおにぎり」の竹皮包みを、まるで国家機密の宝物のように両手で大切そうに抱えている点を除けば。


「はい、お仕事頑張ってくださいね。でも、無理して胃を痛めちゃダメですよ」

「心得ている。……貴殿の作ってくれた朝食を無駄にするような不摂生は、騎士の誇りにかけて二度とせん」


ジークフリートは真昼の目を真っ直ぐに見つめ、微かに耳を赤らめながら深々と一礼すると、軽やかな足取りで森の小道を下っていった。

その後ろ姿をテラスの手すりから見送っていたベルが、真昼の足元に戻ってきて「ふぅ」と小さなため息をつく。


「ベル、お見送りありがとうね。……さてと!」


真昼は腕まくりをして、テラスに残された食器や土鍋を見回した。

今朝の朝ごはん作戦は大成功だった。ジークフリートの胃袋を完全に救い、彼が満足そうに笑ってくれたことは、真昼の心を満たして余りある喜びだった。

――けれど。

同時に、ある重大な「物理的課題」が浮き彫りになっていた。


(……このままだと、毎朝のオペレーションが大変すぎる!)


今朝は、現代の古民家の台所で火を使い、土鍋でご飯を炊き、魚を焼き、出汁巻き卵を巻き、それらを大きなお盆に乗せて、押し入れゲートをくぐってこの小屋まで運んできた。

スープジャーや土鍋の保温力があったから冷めずに済んだものの、汁物をなみなみと注いだ器を抱えて、薄暗い納戸の段差を越え、苔の小道を歩くのはなかなかの重労働だ。一歩足を踏み外せば、せっかくの朝食が大惨事になってしまう。

ログハウスの中を見渡す。

部屋の中央には、素朴で頑丈な石造りの暖炉とかまどがある。

風情はあるし、薪の火の温もりは素晴らしい。けれど、毎朝五時に起きて、火打ち石や焚き付けから火を起こし、火力が安定するのを待ってから出汁を引くとなると、どれだけ時間があっても足りない。朝の家庭料理に必要なのは、何よりも「手軽さ」と「安定した火力」だ。

さらに言えば、小屋には調理台と呼べる平らな作業スペースが少なく、調味料を並べる棚も埃をかぶった木箱くらいしかない。


「生活の基盤を整えなきゃ。……よし、買い出しに行こう!」


真昼の瞳に、元・限界事務職の効率化魂がメラメラと燃え上がった。

自分をすり減らすための残業ではなく、自分の暮らしを心地よく整えるための前向きな段取り。それだけで、胸の奥がワクワクと弾んでいた。


「ベル、今日はお留守番お願いできる? お昼過ぎには、もっと小屋が快適になる道具をたくさん持って帰ってくるからね」

「くぅん?」


ベルは首をかしげたが、真昼が頭を優しく撫でると、納得したようにテラスの日だまりへと丸くなった。神獣が小屋を見守っていてくれるなら、防犯面は世界一安心だ。

真昼は押し入れゲートをくぐり、古民家側へと戻った。


***


ジャージの上から薄手のパーカーを羽織り、真昼は古民家の車庫へと向かった。

そこに鎮座していたのは、祖母が生前、畑仕事や買い出しに使っていた白い軽トラック。バッテリーは生きており、キーを回すとブロロロンと元気なエンジン音が響いた。

山あいの道を軽快に走らせること約二十分。

真昼が向かったのは、国道沿いにある地域最大級の大型ホームセンターだった。


自動ドアをくぐった瞬間、真昼の鼻腔をくすぐる木材と金属とプラスチックの独特な匂い。

かつて都会にいた頃は、休日にホームセンターへ行く気力などこれっぽっちも湧かなかったが、今の真昼にとって、ここは夢のテーマパークに見えた。

カートをガラガラと押し、まずはアウトドア・調理器具の特設コーナーへと直行する。


「あった……! やっぱり、まずはこれだよね」


真昼が迷わずカートに入れたのは、信頼と実績の『イワタニ・カセットフー』。それも、風に強く頑丈なアウトドア仕様のモデルだ。これさえあれば、マッチ一本で即座に安定した強火が得られる。火起こしの手間はゼロになり、弱火のとろ火調理も思いのまま。

隣に並んでいた三本パックのカセットガスボンベを、躊躇なく三セット、計九本カートに放り込む。


続いて、刃物コーナーへ。

ガラスケースの前に立ち、真昼の目は真剣そのものになった。

祖母の形見の包丁は古民家の台所に置いておくとして、異世界の小屋専用の包丁が絶対に必要だ。

選んだのは、金属加工の街として名高い新潟・燕三条製の『ステンレス三徳包丁』。

手に取ると、適度な重みと吸い付くようなグリップの握り心地。モリブデンバナジウム鋼の一体成形で作られており、サビに極めて強く、研ぎ直しのメンテナンスも容易だ。異世界という湿気の多い森の環境において、「サビない」というのは何物にも代えがたい絶対条件だった。


さらに、生活インフラを固めるための道具を次々と選別していく。

古民家から萬古焼の土鍋を毎回運ぶのは危険なため、小屋常設用として、深型で吹きこぼれにくい六号サイズの萬古焼土鍋を新調。

お湯を沸かすための、焚き火の直火にも耐えうる肉厚なステンレス製のアウトドア大容量やかん(三リットル)。

そして、日用品コーナーで大量に買い込んだのは、シリコンパッキン付きの密閉ガラスキャニスターと、バルブ付きの真空密閉保存タッパーだった。

森の小屋は湿気が高く、砂糖や塩が固まりやすい。何より、匂いに釣られて虫や小動物が寄ってこないよう、調味料や乾物はすべて二重三重の密閉容器で完全防備する必要があった。


「あとは……作業台!」


工具コーナーの隅で見つけたのは、折りたたみ式の頑丈なステンレス製ワークテーブル。

耐荷重は五十キロ。脚を広げるだけでワンタッチで設置でき、天板は水拭きやアルコール除菌が簡単にできる清潔なステンレス製。これなら、小屋の木製テーブルを汚すことなく、衛生的な下拵えスペースが確保できる。


ホームセンターのレジで会計を済ませ、荷台に満載の段ボールを積み込むと、真昼はすぐさま隣町にある緑色の看板――『業務スーパー』へと軽トラを走らせた。


業務用食品のワンダーランド。

大容量で高品質、それでいて財布に優しい調味料たちが、真昼を待っていた。

真昼は大型カートを引き、通路を猛スピードで巡回した。


「利尻昆布の業務用大袋……よし! 業務用花かつお五百グラム入り……よし!」


出汁の命である乾物をまず確保。

続いて、料理の味を決める基本の調味料だ。

濃口醤油の一升瓶、出汁の色を綺麗に見せるための淡口醤油の一升瓶、純米本みりん、そして料理酒。いずれも余計な糖類や酸味料が入っていない、原材料が米と大豆と塩だけの本物を選ぶ。

さらに、忙しい朝や下味のベース作りに絶大な威力を発揮する、お徳用大袋の顆粒和風出汁『ほんだし』。

そして、味噌汁のバリエーションを広げるための、香りと甘みが豊かな『信州白味噌』の一キロパック。


レジを通したあとのカートは、まるで飲食店の開店準備かと思うほどの重量になっていた。

けれど、自分の貯金通帳から正当に出ていくこの出費が、ちっとも惜しくない。

これは浪費ではない。自分の新しい人生と、あのあたたかな朝食の時間を守るための、何よりも価値のある「設備投資」なのだから。


***


古民家へ戻ってきたのは、ちょうど正午を回った頃だった。

荷台から荷物を降ろす前に、真昼のお腹が「ぐぅぅ……」と情けない音を立てた。

朝から軽トラを運転し、広い店内を歩き回ったせいで、エネルギーが完全に切れていた。


「ふふ、腹が減っては戦はできぬ、だよね。まずは腹ごしらえ!」


真昼は業務スーパーで買ってきた食材の中から、乾麺の讃岐うどんと、小分けパックの味付け油揚げを取り出し、古民家の台所に立った。

手間はかけない。けれど、手は抜かない。

片手鍋に井戸水を沸かし、さっそく買ってきたばかりの『ほんだし』をパラパラと振り入れる。そこへみりんと薄口醤油をひと回し。瞬く間に、立ち上る湯気から蕎麦屋のような甘辛い出汁の香りが広がる。

隣の鍋でたっぷりのお湯を沸かし、乾麺のうどんをパラパラと投入。指定の時間通りに茹で上げ、冷水で手早くぬめりを取ってから、温かい出汁の中へ滑り込ませた。

丼にうどんを盛り、熱々の出汁を注ぐ。

その上に、甘辛い煮汁をたっぷり含んだ大きなお揚げをどんと一枚乗せ、刻んだ長ネギを散らす。


「――簡単きつねうどん、できた!」


縁側に丼とお箸を持ち出し、初夏の風に吹かれながら腰を下ろす。

両手を合わせて「いただきます」と呟き、まずは出汁を一口。


「……はぁぁ……染みる……」


本枯節から丁寧に引いた出汁とはまた違う、ほんだしならではのどこか懐かしく、親しみやすい旨味。それが空っぽの胃袋にじわりと沁み渡っていく。

うどんを啜ると、しっかりとしたコシのある麺が出汁を連れて喉を滑り落ちていく。

そして、主役のお揚げにかぶりつく。

――ジュワッ!

ふっくらと煮含められた油揚げから、甘辛い煮汁と出汁が口いっぱいに溢れ出した。大豆のコクと甘みが、麺と出汁の塩気と完璧に絡み合う。

気取らない、けれど身体の芯から元気が湧いてくるような一杯。

最後の一滴まで出汁を飲み干すと、真昼の全身にエネルギーが満ち満ちていた。


「ごちそうさまでした! よし、やるぞー!」


***


ここからが、真昼の本領発揮だった。

軽トラの荷台から段ボール箱を抱え、古民家の玄関を上がり、奥納戸へ。

首から提げた真鍮の鍵に触れながら、押し入れの襖を開ける。

敷居をまたぎ、森のログハウスへと運び込む。

カセットコンロの箱、ガスボンベの束、ステンレス作業台、キャニスターの段ボール、巨大な調味料の瓶――。

真昼は何往復も、何往復も、古民家と異世界の森を行き来した。

額にじんわりと汗が滲むが、疲労感よりも胸の高鳴りの方が遥かに勝っていた。

テラスでお昼寝をしていたベルが、真昼が通るたびに「わふっ!」「くぅん!」と嬉しそうに駆け寄り、足元を伴走してくれる。


「ベル、邪魔にならないように見ててね。今からここを、最高のお城にするから!」


すべての物資を運び終えると、真昼は腕まくりをして、雑巾とアルコールスプレーを構えた。

まずは、ログハウスの壁際に長年置かれていた埃っぽい木製の棚を、徹底的に水拭きする。木目を傷めないよう丁寧に汚れを落とし、乾拭きをしてアルコールで除菌。

次に、購入したばかりのステンレス製ワークテーブルを組み立てる。

カチリ、と脚のストッパーがロックされ、石造りのかまどのすぐ横に、ピカピカに輝く清潔な調理天板が出現した。高さは真昼の腰の位置にぴったり。これなら腰を痛めることなく、まな板を置いてリズミカルに包丁を振るうことができる。


ワークテーブルの上には、新品の燕三条製ステンレス三徳包丁と、清潔な檜(ひのき)のまな板をセット。

その隣に、イワタニのカセットコンロを据え付けた。黒塗りの無骨なデザインが、ログハウスの木の質感と見事に調和している。


そして、拭き上げた木製棚への陳列作業。

煮沸消毒した密閉ガラスキャニスターに、業務用の利尻昆布をハサミで使いやすい大きさに切って詰め込む。

別のキャニスターには、ふわふわの花かつおを限界まで敷き詰める。

さらに別の容器には、大粒の粗塩、きび砂糖、ほんだしの顆粒。

棚の上段には、濃口醤油、淡口醤油、本みりん、純米酒の一升瓶が、まるで整列した兵士のように凛とした姿で並んだ。

棚の下段には、萬古焼の新しい土鍋と、ピカピカに磨かれたステンレスの三リットルやかん。予備のガスボンベは、湿気と熱を避けて木箱の中に整然と格納した。


「……できた……っ!」


真昼は雑巾をバケツに置き、一歩下がって小屋の台所を見渡した。

思わず、感嘆の息が漏れる。

そこはもう、ただの古びた山小屋の片隅ではなかった。

重厚な丸太の壁と石造りのかまどという異世界の趣(おもむき)を残しながらも、機能的なステンレスの輝きと、整然と並ぶ透明なガラス容器、そして上質な和の調味料たちが美しく融合した空間。

まるで、深い森の奥にひっそりと佇む、隠れ家カフェの厨房そのものだった。


「わふぅ……」


足元から、見上げるベルの感嘆の声が漏れた。

ベルはステンレスの作業台に前足をかけ、ピカピカの天板に映る自分の顔を不思議そうに眺めたあと、真昼を見上げて尻尾をぶんぶんと振った。神獣の目から見ても、この空間が素晴らしいパワースポットに生まれ変わったことが分かるらしい。


カセットコンロのつまみを軽く回してみる。

カチッ、ボッ。

澄んだ青い炎が、力強く、静かに円を描いて燃え上がった。

火起こしの苦労も、煙の目に染みる痛みもない。ただ指先ひとつで、いつでも最高の出汁を引くことができる。


「よし……! これで明日からの朝ごはん作りが、劇的に楽になる!」


真昼の顔に、満面の笑みが咲いた。

ほんの少し前まで、冷たいオフィスの蛍光灯の下で、誰かの顔色を窺いながら「自分には何もない」と絶望していた限界OL。

だが今、彼女の瞳には、自分の力で居場所を切り拓き、大好きな料理で誰かを笑顔にするための、確かな自信と生命力が満ちあふれていた。


西日が森の木々を黄金色に染め、ログハウスの窓から差し込む光が、新調された調理台を温かく照らし出している。

明日の朝、あの生真面目で不器用な騎士団長がやってきたら、どんな顔をするだろう。

驚くだろうか。呆れるだろうか。それとも、あの青氷の瞳を子どものように輝かせるだろうか。


「明日も、美味しい朝ごはんを作らなきゃね、ベル」

「わふっ!」


ふたつの世界を跨ぐこの小さなキッチンから、真昼のスローライフは、より豊かに、より力強く、加速を始めていた。

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