第55話:精霊の湧き水と、凍てつく森の秘めごと
あれほど賑やかだった山小屋の空気が、まるで夢の跡のように静まり返っていた。
極上の黒毛和牛と下仁田ネギ、そして〆の極太讃岐うどんを黒鉄の鍋ごと平らげ、腹の底から歓声を上げていた男たち――バルト、クラウス、ヨハン、オズヴァルト、そして少年ルッツは、それぞれの任務や午後の仕事へと戻るため、満足しきった笑顔を浮かべて宿舎へと引き揚げていった。去り際、バルトは「この冬一番の馳走だったぜ!」と太い腕を振り、ヨハンは「雪かきならいつでも呼んでください!」と元気に敬礼していった。
彼らを見送り、黒鉄のすき焼き鍋や小鉢を洗い終えた真昼は、ふぅ、と長くて温かな息を吐き出した。
二連かまどと暖炉に熾された薪が、パチパチと心地よい音を立てて爆ぜている。
外は、見渡す限りの白銀の世界。
朝方から降り積もった初雪はすでに止んでいたが、空はどこまでも高く、凛とした薄青色に澄み渡り、降り注ぐ昼下がりの陽光を浴びて、雪原が眩い銀細工のようにきらめいていた。
「……あんなにあったお肉もお野菜も、綺麗さっぱりなくなっちゃったね、ベル」
真昼がエプロンの裾を払って微笑みかけると、暖炉の前で丸くなっていた純白の神獣ベルが、ふかふかの冬毛を揺らして「わふっ」と短く喉を鳴らした。
満腹になった幸福感と、暖炉の温もり。
ログハウスの中には、冬の訪れを祝うような穏やかな静寂が満ちていた。
「……真昼」
不意に、背後から低く落ち着いた声がかけられた。
振り返ると、そこには宿舎へ戻ることなく、静かにログハウスの窓辺に佇んでいたジークフリートの姿があった。
濃紺の活動服の袖を整え、金糸の髪を陽光に透かせた騎士団長は、彫刻のように整った顔立ちに、どこか少年のように純粋な光を宿して真昼を見つめていた。
その青氷の瞳には、かつての冷徹な険しさは微塵もない。
彼はゆっくりと真昼の前へと歩み寄り、静かに言葉を紡いだ。
「雪が積もった日だけに見られる……この森で、最も清らかで美しい場所がある。……もし貴殿の身体が疲れていなければ、一緒に行ってくれないだろうか」
「え……? 雪の日だけの……場所?」
真昼が目を丸くすると、ジークフリートは少し照れくさそうに口元を綻ばせた。
「ああ。寒さは厳しいが、今しか見られぬ絶景なのだ。……貴殿に、一番に見せたいと思っていた」
その真っ直ぐな言葉に、真昼の胸の奥がトクンと跳ね上がった。
自分に、一番に見せたい。
ただそれだけの理由で、多忙な騎士団長が非番の午後を真昼のために空けて待っていてくれたのだ。断る理由など、どこにもなかった。
「はい! ぜひ連れていってください! ……あ、それなら、出かける前に温かいお茶とおやつを用意しますね! 少しだけ待っててもらえますか?」
「うむ。急ぐ旅ではない、ゆっくり準備してくれ」
ジークフリートが優しく頷くのを見届け、真昼は小走りでキッチンへと向かった。
***
氷点下の雪山を歩くとなれば、身体を内側から急速に温め、冷えを防ぐための特別な飲み物とおやつが欠かせない。
真昼は奥納戸の押し入れゲートをくぐり、現代の古民家の台所から必要な道具と食材を手早く揃えてきた。
「まずは、おばあちゃん特製のゆずを使って……!」
真昼が取り出したのは、古民家の裏庭に実っていた、無農薬のまん丸な『完熟黄柚子』だった。
初冬の冷気の中で黄色く色づいた柚子は、皮に爪を立てるまでもなく、鼻を近づけただけで目が覚めるような鮮烈で清々しい芳香を放っている。
真昼は包丁を使い、柚子の黄色い外皮を、白いワタの部分が入らないよう薄く削ぎ落とし、細かな千切りにしていく。トントントンと小気味よい音が響くたび、台所中に弾けるような柑橘のシトラスオイルの香りが広がった。
果肉は横半分に切り、絞り器で力いっぱい果汁を絞り出す。
さらに、たっぷりの『国産生姜』の皮をこそげ、陶器のおろし金ですりおろし、晒布でぎゅっと絞って、ピリリと辛味の効いた黄金色の生姜汁を抽出する。
小鍋の中に、柚子の絞り果汁と千切りの皮、生姜の搾り汁。
そこへ、現代の地元養蜂場で仕入れた混じり気なしの上質な『アカシア蜂蜜』を大さじ四杯、そしてまろやかなコクを出すためのきび砂糖を小さじ二杯。
ジークフリートが汲んできてくれた精霊の湧き水を注ぎ、弱火にかける。
沸騰させず、蜂蜜と砂糖が完全に溶け合い、柚子の皮がしんなりと透き通るまで、ゆっくりと温めていく。
立ち上る湯気は、柚子の華やかな甘酸っぱさと、生姜のスパイシーな薫香が溶け合い、嗅ぐだけで喉の奥が温まるような極上のアロマとなっていた。
「これを、魔法の小瓶へ!」
真昼が取り出したのは、現代が誇る最強の防寒装備――『サーモス製の真空断熱ステンレスボトル』だった。
あらかじめ熱湯を入れて予熱しておいたボトルの中へ、熱々の黄金色の液体を、千切りの柚子皮ごと注ぎ入れる。
カチリと密閉栓を閉めれば、氷点下の吹雪の中に何時間晒されようと、湯気を吹き上げる熱々の温度を保ち続けてくれる頼もしい相棒だ。
続いて、おやつの準備だ。
「雪の中でつまめる、素朴で優しいお菓子……『米粉のひとくち焼きドーナツ』!」
真昼はボウルに、新潟県産のきめ細やかな『製菓用米粉』と、アルミニウムフリーのベーキングパウダー、そしてきび砂糖を合わせる。
そこへ、豆乳と、溶かした無塩発酵バター、そしてほんの少しのバニラオイルを加え、ゴムベラで手早く混ぜ合わせる。小麦粉とは違い、米粉はいくら混ぜてもグルテンが出ないため、サクサク、モチモチとした独特の軽やかな食感に仕上がるのだ。
絞り袋に生地を詰め、一口大の可愛らしいミニドーナツ型へと均一に絞り出していく。
油で揚げるのではなく、二連かまどのオーブン室で焼き上げる。
百八十度の熱風の中で、わずか十五分。
チクタクと時が流れ、オーブンの隙間から、米粉が焼ける香ばしいお米の甘い匂いと、バターの芳醇な薫香が漂い始めた。
「……焼けた!」
鉄扉を開けると、ぷっくりと黄金色に膨らんだ、手のひらにちょこんと乗るサイズのひとくちドーナツたちが顔を覗かせた。
表面はサクッと香ばしいキツネ色、中はふっくら。
熱いうちに、粗挽きのきな粉ときび砂糖、そしてほんの一振りのシナモンを合わせた粉をまぶし、竹籠のランチボックスへと行儀よく並べた。
「よしっ、準備完了!」
***
「お待たせしました、ジークさん!」
真昼は身支度を整え、居間へと戻ってきた。
その身には――第51話でジークフリートから贈られた、あの『深紅の防寒マント』。
羽織った瞬間、内側の純白の雪狼の毛皮が真昼の身体をふわりと抱き込み、首元の銀の留め具に嵌め込まれた青い魔鉱石が、冬の光を浴びて澄んだ輝きを放っている。
足元には、雪道でも滑らないよう、厚手の靴下と防水ブーツ。
肩には、サーモスのボトルとドーナツの竹籠を入れたリネンバッグを提げている。
マントを纏った真昼の姿を見た瞬間、ジークフリートの青氷の瞳が、ふわりと柔らかく波打った。
彼は満足そうに、けれどどこか愛おしそうに目を細めると、自らの革手袋をはめ直した。
「……よく似合っている。そのマントがあれば、森のいかなる寒気も貴殿を害することはできん。……行こうか」
「はい!」
山小屋の重い木の扉を開け、ふたりと一匹は、白銀の世界へと踏み出した。
――ザシュッ、キュッ、キュッ……。
新雪を踏みしめる乾いた音が、静寂に満ちた森に心地よく響き渡る。
先頭を歩くのは、純白の毛玉――神獣ベルだった。
短い四肢を器用に動かし、雪煙をパフパフと跳ね上げながら、嬉しそうに尻尾を振って小道を先導していく。雪狼の気配を帯びた真昼のマントを時折振り返っては、「ちゃんとついてきているな」と確認するように小さく鼻を鳴らしていた。
「足元に気をつけてくれ。雪の下に木の根が隠れている」
ジークフリートが、そっと真昼の右手を取った。
分厚い革手袋越しであっても、彼の大きく逞しい手のひらの力強さと温もりが、しっかりと伝わってくる。
手を取り合い、雪深い小道を一歩、一歩、進んでいく。
周囲の木々は、初雪を枝いっぱいに乗せて静まり返り、時折、梢からサラサラと粉雪が風に舞い散っては、木漏れ日を浴びてダイヤモンドダストのようにキラキラと煌めいていた。
真昼は深紅のマントの襟元に顔を埋めた。
外気は間違いなく氷点下、吐き出す息は真っ白に凍りついているのに、マントの内側はまるで暖炉の前にいるかのようにポカポカと温かい。ジークフリートの愛に全身を守られているという実感が、歩みを進めるごとに胸を満たしていった。
森の深部へ入ること、約二十分。
緩やかな斜面を登りきり、鬱蒼とした針葉樹の巨木のトンネルを抜けた、その瞬間――。
「……………………っ!」
真昼の足が、完全に止まった。
息を呑み、言葉を失い、ただ目の前に広がる光景を呆然と見つめた。
「……すご……い……」
そこは、森の奥深くに隠された、すり鉢状の円形劇場のようなくぼ地だった。
周囲を取り囲む無数の巨木たち――その枝という枝のすべてに、霧状の水分が凍りついて咲き誇る、純白の『樹氷』が満開の花のように咲き乱れていたのだ。
頭上から差し込む冬の陽光を受け、無数の氷の結晶が、プリズムのように光を乱反射して虹色の輝きを放っている。まるで、世界中のダイヤモンドを木々に散りばめたかのような、神々しいまでの光の宮殿。
だが、真の奇跡はその中央にあった。
氷点下の極寒にあって、一面が深い雪に閉ざされているというのに――。
くぼ地の中央にある丸い池だけは、一欠片の氷すら張ることなく、こんこんと清らかな水を湛えていたのだ。
その水の色は、息を呑むほどに神秘的な、淡い『エメラルドグリーン』。
湖底から絶え間なく湧き出る気泡が、水面でパチンと弾けるたび、微かな淡い光の粒が立ち上っていく。
周囲の純白の雪と、樹氷の銀、そして池の清らかなエメラルドグリーンのコントラスト。
「……ここが、『精霊の湧き水』だ」
ジークフリートが、静かに告げた。
その横顔は、神聖な聖域の光を浴びて、彫刻のように美しく輝いている。
「大地の奥深く、温かな魔力の奔流から湧き出ているため、いかなる猛吹雪の冬であっても、この泉が凍ることはない。……雪が積もり、樹氷が咲いた日の晴れ間にしか見られぬ、森の秘境だ」
「……こんなに綺麗な場所が、あったなんて……」
真昼は瞳を潤ませながら、呟いた。
都会のコンクリートジャングルで心をすり減らし、灰色の空しか見上げていなかったあの頃の自分に見せてあげたい。世界には、こんなにも澄み切った、息を呑むような美しさが存在していたのだと。
***
泉のほとり、雪の積もっていない大きな倒木の上に、ジークフリートがマントの裾を払って腰を下ろした。
真昼もその隣へと腰掛ける。
ベルは泉の縁までトコトコと歩み寄り、前足で水面をちょんと叩いて波紋を広げると、満足そうに雪の上に伏せて、ふたりの姿を穏やかな目で見守り始めた。
「ジークさん、歩いて身体が冷えたでしょう。……温かいもの、飲みましょう」
真昼はリネンバッグから、サーモスのステンレスボトルと、ジークフリートが以前削ってくれたあの『沈水木』の木製カップを取り出した。
ボトルの栓をカチリと開ける。
――シュゥゥゥッ……!
瞬間、極寒の冷気の中へと解き放たれたのは、濛々たる白い湯気と――鼻腔を突き抜けるような、鮮烈で甘酸っぱい柚子と生姜の薫香だった。
真昼は木製カップへと、黄金色に透き通る『自家製ゆず生姜湯』をトトトト……と注ぎ分けた。千切りの柚子皮が、琥珀色の液体の中で花びらのように揺らめいている。
さらに、竹籠の蓋を開けると、きな粉とシナモンシュガーを纏った、ころんと丸い『米粉のひとくち焼きドーナツ』が顔を出した。
「はい、ジークさん。どうぞ」
「……かたじけない」
ジークフリートは革手袋を外すと、無骨で傷だらけの素手で木製カップを包み込むように受け取った。
立ち上る温かな蒸気が、彼の端正な頬を優しく撫でる。
彼は唇を寄せ、ふう、ふう、と息を吹きかけながら、熱いゆず生姜湯を一口含んだ。
「……………………ッ」
ジークフリートの喉仏が、静かに、大きく動いた。
青氷の瞳が、驚きと感動に揺らめく。
「……っ! 清々しい……! 柑橘の爽快な酸味と、蜂蜜の優しい甘みが……喉を滑り落ちていく……!」
舌の上に広がったのは、完熟柚子の突き抜けるような清涼感。
そこへ、アカシア蜂蜜の上品でまろやかな甘みが寄り添い、直後に――生姜のピリリとした心地よい辛味が、喉の奥を熱く刺激する。
一口飲み下した瞬間。
冷たい雪道を歩いて冷え切っていた食道と胃袋へ、温かな熱の波がじんわりと染み渡り、五臓六腑の奥底にポッと火が灯るのが分かった。
指先の悴みが一瞬で消え去り、身体の内側からポカポカとした活力が湧き上がってくる。
「ふふ、ドーナツも食べてみてください!」
真昼が竹籠を差し出すと、ジークフリートはひとくちサイズの焼きドーナツを指先でつまみ上げ、口の中へと放り込んだ。
――サクッ、モチモチッ……!
「……っ! これは……表面は軽やかに香ばしいのに、中は驚くほどモチモチとしている……!」
ジークフリートの目が丸くなる。
油で揚げていないため、油っぽさは微塵もない。
噛み締めるたび、米粉特有の素朴で優しいお米の甘みが広がり、きな粉の大豆の香ばしさと、微かなシナモンのスパイスが、大人の上品な余韻を残す。
サクサク、モチモチとしたドーナツを咀嚼し、熱々のゆず生姜湯を啜る。
甘酸っぱさと、香ばしさと、スパイシーな温もりの完璧なマリアージュ。
ジークフリートは二つ目、三つ目のドーナツへと手を伸ばし、目を細めて至福の吐息を漏らした。
「……美味いな。雪の静寂の中で、これほど温かく、滋味あふれるものを口にできるとは……。真昼、貴殿の作ってくれるものは、いつも私の魂を芯から救い上げてくれる」
「ジークさん……」
真昼も自らのカップを両手で包み、温かいゆず生姜湯を一口啜った。
喉を通る温もりが、張り詰めていた心を柔らかく解きほぐしていく。
***
木漏れ日が、エメラルドグリーンの水面を照らし、揺らめく光の輪をふたりの足元へと落としていた。
風はなく、樹氷の梢から時折、ハラハラと粉雪が舞い落ちる音だけが、静かに響いている。
カップから立ち上る、白い湯気の向こう側。
ジークフリートは、真昼の横顔をじっと見つめていた。
深紅のマントに包まれ、冷たい大気の中でほんのりと桜色に染まった真昼の頬。
その澄んだ瞳に映る、雪と湧き水の輝き。
ジークフリートは静かにカップを倒木の上に置くと、深く、息を吸い込んだ。
そして――静寂を破るように、低く、けれど魂の底から削り出すような声で、語り始めたのだ。
「……真昼」
「はい?」
真昼が振り返ると、ジークフリートの青氷の瞳が、彼女の目を真っ直ぐに射抜いていた。
そこには、騎士団長としての仮面も、名門貴族のしがらみも、何ひとつ存在しなかった。
ただ、ひとりの男としての、剥き出しの心が宿っていた。
「……あなたに出会うまで」
ジークフリートの声が、微かに震える。
「私の世界は……義務と責任だけの、色彩のない戦場だった」
「……ジークさん……」
「ヘスラー公爵家の三男として生まれ、感情を殺し、痛みを隠し、ただ敵を斬り倒すための剣として生きることを求められてきた。……誰のために戦い、何のために生きているのかすら分からず、味覚を失い、胃を痛め、ただすり減る命の蝋燭を眺めるだけの日々だった」
ジークフリートは伏せていた視線を上げ、真昼を愛おしそうに見つめた。
その瞳の奥に、眩い光が灯る。
「……だが。あなたがこの森に現れ、温かい朝食を作ってくれたあの日から……私の世界には、色が灯ったのだ」
「……………………ッ」
真昼の息が止まった。
ジークフリートの言葉が、ひとつ、ひとつ、胸の奥深くへと真っ直ぐに突き刺さってくる。
「一番出汁の引く黄金の湯気。土鍋から立ち上る炊きたての米の甘み。……あなたが『おはようございます』と笑って差し出してくれるその一杯が、どれほど私の凍てついた心を溶かし、生きる希望を与えてくれたか……言葉では言い尽くせん」
ジークフリートはゆっくりと、自らの素手を伸ばした。
手袋を外した、剣ダコと古傷に覆われた、無骨で逞しい大きな右手。
その温かい手のひらが――倒木の上に置かれていた、真昼の華奢な左手を、そっと、包み込むように握りしめたのだ。
――ピシリ。
肌と肌が触れ合う。
雨の日のあの躊躇いとは違う、迷いのない、確固たる温もりの重なり。
ジークフリートの手の熱さが、真昼の冷えた指先を優しく包み込み、ドクン、ドクンと、彼の力強い心臓の鼓動が直接伝わってくる。
真昼の胸が、激しく高鳴った。
ジークフリートは真昼の手を両手で優しく包み直すと、青氷の瞳を潤ませながら、静かに、だが生涯のすべてを賭けた誓いを口にした。
「真昼。……私は、生涯をかけてあなたを守りたい」
大気をも震わせるような、深く、澄み渡った響き。
「王都の名誉も、公爵家の血統も、私にはもう不要だ。私の剣と命は、あなたを守るためだけに捧げると決めた。……世界が違えど、どれほど過酷な冬が訪れようと……私の帰る場所は、あなたの温かい食卓の隣だけだ」
ジークフリートの指先に、ぎゅっと愛おしむような力が込められる。
「……私の隣に、ずっといてほしい。……真昼」
「……………………ッッ!」
真昼の瞳から、大粒の雫がポロポロと零れ落ちた。
止まらなかった。
視界が涙で滲み、樹氷の輝きも、エメラルドグリーンの泉も、すべてが眩い光の渦となって溶けていく。
孤独だった。
激務の中で自分を失い、誰からも愛されず、必要とされていないと泣いていた過去の自分が。
今、この瞬間のために生きていたのだと、魂のすべてが叫んでいた。
真昼は包まれた左手を、自らの指先でぎゅっと握り返した。
ジークフリートの無骨な指に、自分の体温をすべて注ぎ込むように。
「……ジークさん……っ」
真昼は涙に濡れた顔を上げ、満面の、太陽のような笑顔を咲かせた。
「……はい。……私も、ずっとジークさんの隣にいたいです。……あなたの帰る場所を、温かいご飯を作って、ずっとずっと……守り続けますから……っ!」
「……真昼……」
ジークフリートの口元が、泣き出しそうなほどに優しく、春の雪解けのように崩れた。
彼は包み込んだ真昼の手を、自らの胸元へと引き寄せ、額をそっとその指先に押し当てた。
男の熱い吐息と、震える肩。
言葉はなくとも、ふたりの魂が、世界の境界線を越えて完全にひとつに結ばれた瞬間だった。
泉のほとり。
雪の上に伏せていた神獣ベルが、静かに立ち上がり、木漏れ日を浴びながら「わふっ」と、祝福するように澄んだ声で一声鳴いた。
梢からハラハラと落ちた粉雪が、ふたりの重なり合う手のひらの上で、静かに溶けて消えていく。




